第29話 取引


 村長の家に着くと、家人が案内をしてくれた。通された扉の前に立ち、早鐘のように鳴る心臓を押さえた。


「レティリエです。ただいま戻りました」


 挨拶をし、扉を開ける。開かれた扉の先には、村長の他に上等の衣服を着た見知らぬ二人が机を囲んで座っていた。

 だが、彼らには獣耳も尻尾もついていなかった。


「人間……?! どうしてここに?」


 思わず声をあげる。グレイルは反射的に飛び出し、庇うようにレティリエの前に立つ。グルルル……と唸りながら鋭い目線で人間達を睨み付けた。


「グレイル、無礼な振る舞いをするな。客人の前だぞ」


 村長の厳かな声が響き、グレイルが驚愕する。


「客人だと? 長! 奴等はとても危険です。離れてください!」

「そうです! 私達は人間に拐われたんです! 彼らは何をするかわかりません!」

「レティリエ、いいからこちらに来なさい」


 村長は二人の言葉なぞ聞こえていないかのようにレティリエを呼ぶ。有無を言わせない村長の厳しい物言いに、レティリエは震えながら村長の側に寄った。


「そこに座りなさい」


 村長が床の上の敷物を指差す。レティリエが腰をおろしたのを確認すると、椅子に座っていた二人の人間が立ち上がり、レティリエの側に近寄った。


「ほう、これが例の狼か。確かに噂にたがわぬ美しさだ」

「珍しい毛色に加え、容姿も申し分ない。耳や尻尾の差異はあるが、そこいらの金持ちの娘よりよほど美しい顔立ちをしているじゃないか」


 じろじろと不躾な視線を投げられ、レティリエは思わず俯いた。山小屋に囚われていた時も思ったが、こうやって品定めするように見られるのは良い気がしない。


「ちょっと口を開けてくれないか?」


 レティリエを観察していた人間の男が言う。いぶかしみながらもそっと口を開くと、男はいきなりレティリエの口に指を突っ込み、上下にガバッとこじ開けた。


「ふむ、牙はあるが歯は綺麗だ。値段に上乗せできるな」

「ああ。性格も大人しそうだし、わざわざ切断や抜歯はしなくても良いだろう」


 切断? 抜歯? 思いもよらない猟奇的な言葉に、レティリエは震え上がった。自分は今から何をされるのか全く見当もつかない。グレイルが蒼白な顔で村長を振り返った。


「長! 見てください! 奴等は我々を家畜か何かだと思っている!」

「グレイル、いいから座りなさい」


 グレイルの訴えを無機質な声で遮る。二人の人間はチラッとグレイルを見たが、特に興味が無さそうにそのまま村長に向き直った。


「人狼族の村長様、この子は我々が預からせて頂きます。可能であれば今すぐにでも」

「ああ、わかった。それで例の件だが……」

「ええ、御礼の方は後程必ずやお送り致します」


 人間と村長のやり取りを聞き、グレイルの毛が逆立った。こめかみに青筋を立てて村長に詰め寄る。


「……御礼だと? これは一体どういうことですか?!」

「見ての通りだ。レティリエは人間達と共に行く。その見返りに彼等は我々の食糧を保証してくれる。それだけだ」

 

 村長の返答を聞き、グレイルの顔が強張った。


「長! 貴方は彼女を売ったのか!」

「グレイル、我々は群れで生活をする。人間達がもたらす富は群れ全体の利益になるのだ。現に今、我々は食糧調達に難儀しているではないか。毎年この時期になると、老人や引退した者達まで引っ張り出している有様だ。お前もわからないわけではないだろう」

「奴等が約束を守るはずがないだろう! 貴方は人間というものをまるでわかっていない!」

「グレイル!! お前は少し黙っていなさい!!」


 村長の一括でグレイルは怒りを露にしながらも口をつぐむ。グレイルの言い分に気分を害したのか、人間達は不愉快そうに視線をよこすが、彼はそれを激しい視線で睨み返した。

 村長はため息をつくと、グレイルに向き直る。


「良いか、グレイル。お前も将来村を牽引する立場になるなら覚えておきなさい。頭に立つものは、常に個より集団の利益を優先させなければならない。彼女一人で、この村に莫大な利益がもたらされるのだ。ならば選択肢はひとつしかないだろう」

「長、聞いてください。彼女は立派な狼の一人です。レティリエは、村にとっても必要な仲間であることは間違いありません。貴方は彼女の価値を見誤っている」

「それはお前が彼女と親しい間柄による個の価値観に過ぎない。それに、レティリエはこの村にいる限りは幸せになれん。狩りもできない、子も生めない。だが、人間達の世界では彼女の存在はとてつもない価値があるそうだ。このまま誰とも添い遂げられずに一人で朽ち果てていくより、人間の世界で大切にされながら生きる方が彼女にとっても良いのだ」

「なぜ貴方が彼女の幸せを決めるんだ!! それを決めるのは彼女自身だろう!!」


 グレイルが激昂し、苛立ちまぎれにバンッと机を叩く。そのまま村長の前に立ち、金色の目を怒らせて睨み付けた。相手が目上の立場の者で無ければ、今にも胸ぐらを掴んでいたであろう程の剣幕だ。村長も負けじとグレイルの目をしっかり見据える。

 憤懣やるかたないグレイルが口を開こうとしたその時だった。


「わかりました」


 部屋に無機質な声が響いた。レティリエだ。今までずっと押し黙って一連のやり取りを聞いていた彼女が初めて口を開いたのだ。彼女は、こちらを振り返ることなく、そのまま人間達に向かって頭を下げた。


「その話、お受けいたします」


 俯いている為、表情は見えない。だが、その声はまるで砂のように乾いていた。







「なぜこんなことになったんだ!!」


 グレイルが吠え、近くの木の幹に拳を入れる。振動がビリビリと幹を伝わり、木が微かに揺れた。ローウェンは難しい顔をしてそれを眺めていた。

 レティリエは湯浴みをすることになり、グレイルは村長の家から追い出された。散々抵抗したが為に、最後は家人によって引きずり出される形で放り出された。


「……お前達がいなくなってから数日して、急に人間達が増えたんだ。村に近づきすぎる奴は追っ払ったりしたんだが、目的が何なのかずっとわからなかった。まぁ、村の周りをうろうろするだけで、特にこちらに害を無そうとはしなかったんだから放っておいたんだが……」


 ローウェンが口を開く。グレイルは木の幹に拳と額を押し付けたまま黙って聞いていた。


「ある時、さっきのやつらが村を訪ねて来たんだ。なんでも、都市である噂を聞いたんだと。森で今までに見たこともない程の美しい銀色の狼を見た。黒い狼に邪魔されて捕らえることができなかったが、捕まえれば大金になると話してる男がいたそうだ。俺はすぐお前らのことだと思ったよ。だから追い返した。けれど、長が通せと……」


 ローウェンが事情を説明すると、グレイルが黙って視線をこちらによこした。ローウェンは頭が良く、村長の側近として目をかけられている。なぜ長を止めなかったのだと責めるような視線を感じ、ローウェンはため息をついた。


「そんな目で見るなよ……俺も知らなかったんだ。村長の家に入ってすぐに出てきたから、この話は無くなったもんだと思ってた。さっき報告に行った後すぐにあいつらがやってきたのを見ると、どうやら村の外で何日か待ってたみたいだな。富と引き換えにレティリエは人間の世界に行くから呼んでこいと言われて……俺はもちろん反対したさ。けど俺みたいな若い狼の意見なんか聞いてもらえるわけがないだろ?」

「富か……くだらない。そんなものと引き換えに彼女は売られるのか」


 グレイルが怒りと共に吐き捨てた。ローウェンには、グレイルの気持ちが痛いほどわかった。けれども、彼は頭に血がのぼっているから周りが見えていないのだ。

 自分は仲間として、友として彼に現実を伝えなければならない。


「レティリエは優しいし、良い子だと思うよ。さっきお前が村長の家に向かった時に皆に事情を説明したんだが、ナタリアやマザーみたいに、彼女のことをよく知る狼は怒っていた。あのレベッカでさえ、仲間を売るのはバカらしいって反対してたくらいだぞ? だけど、あの子のことをよく知らない狼から見たら、彼女はただのお荷物だ。反対する者はほとんどいなかった……それに、お前には酷だが、村長の言ってることは筋が通っている」


 グレイルはローウェンの言葉を黙って聞いていた。ローウェンは、仲間である自分の幼馴染みだから反対してくれていただけに過ぎなかった。彼も、本当の意味でレティリエの価値を理解しているわけではない。

 そう考えると、彼女にはあまりにも味方がいなすぎた。


「そんなに悲観するなよ。それに、レティリエは人間達からすれば相当に価値がある狼らしいぞ。あんがい本当に大切にしてもらえるかもしれないだろ」

「そんなのは重要なことじゃない」


 グレイルは暗い声で言った。レティリエは幸せになることなんか望んでいなかった。誰に認められなくとも、村で大好きな人と暮らしているだけで十分だった。

 彼女が怯えていたのは、自分の存在価値を否定されて村から追い出されることだ。そうならない為に、自分にできることは必死になってやっていたのをグレイルは痛いほど知っている。必要とあらば、自分の命さえも賭けることも。

 だが、彼女が最も恐れていたことが現実になってしまった。


 横を通りすぎた時に見た、レティリエの傷ついた表情が目に焼き付いて離れない。

 何もできない自分に歯痒さを覚える。

 悔しさと憤りがない交ぜになり、グレイルは怒りと共に天に向かって咆哮した。

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