第18話 幼馴染と恋心
ドワーフの集落に来てから数日経った。グレイルの傷も大分癒え、以前と変わらぬ位に動ける様になってきたようだ。
ある秋晴れの空の下、レティリエとグレイルはドワーフの集落から少し離れた森へ狩りに来ていた。ドワーフ達の代わりに食糧の調達をするのと同時に、グレイルの狩りの感覚を取り戻す為だ。
狼姿のグレイルは背の高い茂みの影に隠れ、じっと息を殺している。頭を低く下げ、身を潜めているが、その目はしっかりと眼前のシカを捉えていた。
シカは警戒心を抱く様子も無く、優雅に草を食んでいる。その時、シカのすぐ側の草むらから銀色の耳がにょっきりと生えたかと思うと、レティリエが飛び出してきた。シカは驚き、レティリエと反対の方向へ地面を蹴った。
上手い追い込みだ。グレイルは自分の方へ駆けてくるシカとの距離を測り、近づいた瞬間に飛び掛かった。グレイルの牙はシカの首筋に深々と食い込み、哀れな獣は地面に倒れこんだ。狼の牙から逃れようと暴れまわるシカを前足で押さえ込み、なおも牙を食い込ます。
狩りは本来は数匹がかりで獲物を仕留めるのだが、今は自分だけでやるしかない。だが、グレイルにも雄としてのプライドがある。シカの体に爪を立て、ぐっと顎に力を込めると、シカはとうとう力尽きてくったりと地面に横たわった。
「すごいわ! さすがグレイルね」
レティリエがこちらに駆け寄り、キラキラした目で見つめてきた。称賛と憧れの入った眼差し。自分も男であるからには、こう言った眼差しで見られると悪い気はしない。
グレイルは人の姿に戻り、小さなナイフを取り出すとシカの解体を始めた。
「いつもすぐに捌くの?」
「鮮度が落ちるからな。時と場合にもよるけど、まぁ今日は簡単に分けるくらいででいいだろう」
「解体くらいは私もできたらいいんだけど……」
そう言うと、レティリエは少し寂しそうに微笑んだ。おそらく、何もできない自分に引け目を感じているのだろう。彼女は基本的に狩りに参加しない為、村の皆がどうやって狩りをしているのかをほとんど知らないのだ。それでも、先程のレティリエの追い込み方は初めてにしては悪くなかったと思う。元々彼女は洞察力もあり、よく周りを見て行動できるタイプだ。
もし彼女に力があれば、チームワークが重要視される狩りにおいてかなりの実力を発揮できたのではないかとグレイルは思っている。だからこそ、狼になれない、たったそれだけのことで群れから外されてしまうレティリエを不憫に思うし、自分だけは彼女の味方でいてやりたいと思うのだ。
「獲物の処理は基本的に男がやるもんだ。大体女達はそこらへんで喋ってるよ」
何でも無いように言うと、レティリエはくすっと笑った。自分が言わんとしていることがわかったのだろう。言葉にしなくても、お互いの考えていることがわかるこの空気感がグレイルは好きだった。
「結構捕まえたわね」
「ああ、今日はこれくらいにしておこう」
あれから更にシカを二頭と猪を一頭仕留めた。これ以上狩ると持ち帰るのが大変なので、頃合いを見て切り上げる。空はいつの間にか橙色に輝き、太陽が緑の森の中へ沈みかけていた。
二人は沢へ降りると、血で汚れたナイフや手を洗った。夕陽に反射して煌めいている水の中に手をいれると、サラサラとした感触が両手を包みこむ。その時、パシャっと微かな水音がして、魚が水面から躍り出るように飛び出てきた。
「ちょうどいい、腹ごしらえしてから帰るか」
ニヤリと笑うと、グレイルは狼の姿になって水の中に飛び込んだ。あっという間に一匹の魚を咥えて戻ってくる。魚を地面に置き、また水の中へ戻る。
グレイルが魚を採っている間に、レティリエは火を起こすことにした。よく乾いた木の枝を拾い、火床を組む。グレイルが採った魚を木の枝に刺して火の側に置くと、パチパチと炎がはぜて魚の皮をこんがりと焼き始めた。
暫くすると、グレイルが最後の一匹を咥えて戻ってきた。
「おっ用意がいいな。もういい頃合いじゃないか」
そう言うと、焚き火の側に座り、人の姿に戻ると持っていた魚を串刺しにして、同じく火の側に置いた。
「ふふっ。だって私達は昔からいつもこうじゃない」
「そうだな。さすが、よくわかってるじゃないか」
グレイルがまだ孤児院にいた頃、二人はよく近くの山へ狩りに出掛けていた。グレイルが獲物を狩り、レティリエが準備や調理を担当するのが常だった。グレイルが孤児院を出てからは一緒に遊ぶことも少なくなったが、言葉を交わさずともお互いのやるべきことがわかるのは、長年の付き合いの賜物だろう。
良い塩梅に焼けた魚を手に取ってかぶりつく。熱々の身が口の中でホロホロと崩れ、魚の旨みが口腔を満たした。
「すごい! とっても美味しいわ!」
「やっぱり外で食うのが一番旨いよな」
あまりの美味しさに思わず声をあげてしまったレティリエに、グレイルが笑いながら返した。
普段狩りをしないレティリエにとって、獲物を外で食べるのは子供以来のことだった。レティリエは思わず空を見上げた。日はすっかり落ち、漆黒の夜空に無数の星が宝石の様に煌めいている。子供の頃、時が経つのも忘れてこうやって二人で狩りの真似事をしたものだ。帰るのが遅くなると、二人揃ってマザーに叱られたのを思いだし、懐かしさに思わず笑みが溢れた。
「なんだか、子供の頃に戻ったみたいね」
「ああ。たまにはこういうのもいいもんだな」
半ば独り言の様にポツリと呟くと、グレイルも優しい声色で返してくる。彼も同じ日々を思い出しているに違いなかった。
穏やかな時間が流れる。どちらからともなく無言になってしまった空気を吹き飛ばすかの様に、食事を終えたグレイルが「よし」と呟くと、狼の姿になって水の中へ飛び込んだ。水しぶきが月光に照らされ、青白い粒となって宙を舞う。
「川に来たんなら、水に入らなきゃ嘘だぜ。レティも来いよ」
まるで子供みたいに気持ちよさそうに泳ぐグレイルを見て、レティリエはくすりと笑った。狩りの真似事をし、二人で一生懸命採った魚や木の実を食べ、最後に水の中で転げ回るのが子供の頃のお決まりの流れだ。グレイルも子供の頃のことを懐かしく思ってくれているのだと思い、レティリエの胸がふわりと温かくなった。
「ここで裸になれって女の子に言うのはスマートじゃないわね」
いたずらっぽく笑って軽口を叩くと、「そういやそうだな。悪い」と素直に返してくれた。その声色に少しだけ寂しさの様なものが混じっている気がして、レティリエも切ない気持ちになる。
子供の頃に戻れた気になっていたが、本当に戻れたわけではない。あの頃とは決定的に違う隔たりが自分達にはできてしまったのだ。
「そうよ。私達、もう子供じゃないんだから」
優しい声で言うと、水面を背にしたグレイルが「……そうだな」と夜空を見上げながらポツリと言った。
「そろそろ帰りましょう。あんまり遅いとマルタさんが心配するわ」
少しだけ感傷的になってしまった気持ちを切り替えようと、レティリエが明るく言うと、グレイルも同意して水から上がってきた。
その瞬間、水を吸って重くなったのか、グレイルの腹に巻かれていた包帯がハラリと落ちた。
「悪い。巻き直してもいいか?」
「ええ、また傷口が悪化したら大変だもの。待ってるわ」
「ありがとう。すぐ終わらせる」
そう言うと、グレイルはシャツの裾に手をかけ、一息に脱いだ。
鍛え上げられた肉体が目の前に現れ、レティリエはドキリとした。心臓の鼓動が一気に早くなり、慌てて目をそらす。
グレイルはそんなレティリエの心中など全く知らず、胡座をかいて包帯を巻き始めた。だが、焚き火の明かりだけでは手元が暗くて見えにくいのか、何度もやり直している。どうしても傷口が包帯からずれてしまうようだ。レティリエは迷ったあげくに、グレイルの側に近寄った。
「あの……グレイル、もし良かったら私が巻いてあげてもいいかしら……?」
恥ずかしい気持ちを抑えて恐る恐る申し出ると、グレイルは「ああ、頼む」とばつが悪そうに笑いながら包帯を手渡してきた。
包帯を受け取り、グレイルの正面に座る。広い肩幅や筋肉に覆われた体が視界に入り、顔が熱くなるのを感じた。
彼の体をなるべく正面から直視しないようにしながら包帯を巻き始める。グレイルの体に触れると固い筋肉の感触が伝わり、指先を通して彼が男であるということを改めて認識した。
間近で見るグレイルの体は思っていたよりも大きかった。抱き締められたらスッポリと入ってしまいそうだなと思わず想像してしまい、慌ててその光景を頭の片隅に追いやる。
(私ったらはしたないことばっかり考えて……)
以前にも山小屋でグレイルの手当てをした時があったが、あの時、彼は衣服を着たままだったし、何より命がかかっていた場面だったから意識する余裕が無かったのだ。
だが、今は違う。夜の森の中で静寂と共に二人きりだ。自分達以外には誰もいないことを意識をしてしまい、落ち着かない気持ちになる。
風が吹いて焚き火の炎が揺れ、グレイルの体を怪しく照らし出した。
「もう子供じゃない、か……そうだよな」
静寂を破るようにグレイルが呟いた。思わず顔をあげた瞬間、金色の瞳と目があう。グレイルの瞳はまっすぐレティリエを見ていた。
「あの時……山小屋で人間に捕まった時……怖かっただろ。守ってやれなくてごめん」
グレイルの言葉に、レティリエは目をしばたいた。レティリエには彼が言わんとしていることがわかった。
──私だけ連れていかれた時のことを言っているのね。
「グレイルのせいじゃないわ。それに本当に乱暴はされてないの。だから安心して」
なんでも無いように、わざと明るく言う。確かに怖い思いはしたが、あれはレティリエ自身も自分の商品価値に賭けてわざと仕掛けた部分もあった。
だが、グレイルは何もできなかった自分を責めているようだった。彼は無言のままレティリエの顔をじっと見つめていた。「男が女を一人にして、何もしないわけはないだろう」彼の目がそう言っていた。
「あのね、ちょっとだけ水浴びしている所を見られたけど……、でも服は着ていたし、それ以上は何もされてないの、本当よ」
「それでも怖い思いをしたことに変わりはないだろ?」
グレイルの瞳が自責の念で揺れた。
ああ、そんなに自分を責めないで。あなたは何も悪くないのに……。
レティリエはグレイルに声をかけようとして身を乗り出した。
その瞬間にグレイルの金色の瞳と至近距離で視線が合い、レティリエはその場で釘付けになる。レティリエが言葉を発しようとしたその時だった。
「レティ、そのままで」
グレイルが静止の声をあげ、身を乗り出してレティリエの頬に手を添える。ゴツゴツした指の感触が頬に伝わり、レティリエは息をのんだ。
「あっ……」
炎がパチッとはぜてグレイルの顔が照らし出される。レティリエは目の前の金色の瞳を見つめたまま、その場から動けなかった。
グレイルの指が頬を優しく滑る感覚が伝わり……そのまま頬から離れた。
「頬に煤がついていたぞ」
「あっ……そうなの、ありがとう。きっとさっき火の調節をした時についたんだわ」
レティリエは慌てて笑顔をつくった。そろそろ後片付けをしないとね、と言って立ち上がる。顔に張り付けた笑顔とは裏腹に、レティリエの胸はきゅうと締め付けられた。
キス、されるのかと思った。思ってしまった。
そしてそれを悲しいと思ってしまう自分がいた。
今までもこうやってグレイルの存在を身近に感じることは多々あった。幼馴染みの間からだからか、グレイルはレティリエに壁を作らない。有り体に言うと、距離が近いのだ。思いがけず彼と接近する出来事があり、その度に胸をときめかすことは何度もあったが、その先を望むことは今まで無かった。
それはレティリエが、グレイルと夫婦になれないことを理解して、わきまえて行動していたからだ。彼と話せたら嬉しい、彼と自分の距離がちょっとだけ近くなったらドキドキする。彼が自分に意識を向けてくれる未来は無いことを理解していたから、それだけで満足だった。
でも今は違う。人間達に拐われてから今に至るまで、長く行動を共にしていたが為に彼に近付きすぎてしまったのだ。
(私、知らないうちに欲張りになっていたんだわ……)
彼からの好意が欲しいだなんて。そんなこと望んではいけないのに。
ドワーフの集落に着くまで、レティリエはグレイルの顔を見ることができなかった。
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