第13話 ドワーフ
外はどしゃ降りの雨だった。先程より雨足が強くなっており、視界が霞みがかって見える程だ。レティリエはずぶ濡れになりながらも、匂いの元を辿って走り続けた。
だが、豪雨で臭いの痕跡が消えてしまうのか、所々匂いが消失してしまう。その度にレティリエは立ち止まって意識を鼻に集中させ、注意深くドワーフの痕跡を探し出した。
かなり長いこと歩き回った。だが、ドワーフの集落は一向に見つからない。ドワーフの匂いは微かにするが、どこまで行っても強くならず、ただ徒に時間が過ぎていくだけだった。夜の闇はレティリエの心をどんどん弱らせていく。
本当はドワーフの集落なんて無いのかもしれない。もし無事に集落を見つけたとしても、自分が帰るまでにグレイルは持つだろうか。もしかすると、人間達はもうとっくに追い付いてグレイルを見つけてしまったかもしれない。
嫌な想像が頭の中を駆け巡り、レティリエはそれらを頭の中から追い出すようにふるふると首を振った。自分の頬に伝っているのは雨なのか涙なのかもうわからなかった。
その時、突如雨足が強くなり、滝の様な雨が降り注いだ。ほんの一瞬の出来事だったが、雨足が弱くなった時には、ドワーフの匂いは完全に消えていた。
「嘘……」
レティリエはその場にへなへなと崩れ落ちた。絶望のあまり頭が真っ白になった。気力の糸は完全に切れてしまい、もう立ち上がることができない。
レティリエは膝を抱えて顔を埋めた。目を瞑ると、脳裏に愛しい黒狼の姿がよぎった。
物心ついた頃から一緒にいる幼馴染み。彼はいつだって優しくて、どんな時もレティリエの味方でいてくれた。他の仲間と同じように扱ってくれた。
レティリエはぎゅっと手に力を込めた。両手を握りしめ、額をあてて頭を垂れる。
神様、どうか私にあの人を守る力をください。彼こそは、一族に必要な狼です。どうか、彼を生きたまま村に帰してください。
祈りが通じたのかはわからない。だが、滝の様な雨が次第に細くなっていき、霧の様な小雨へと姿を変えた。レティリエの耳がピクッと動いた。微かだが、カーンカーンと金属を打ち付けるような音が聞こえる。
レティリエは飛び起きると、音のする方へ全速力で走り出した。音が大きくなっていくにつれ、ドワーフの匂いが微かに空気に混ざり始め、段々と濃くなり始める。
レティリエは胸を高潮させながら、走り続けた。視界の先には森の終わりと灰色に濁った空が見える。いつの間にか夜が明けていた。
レティリエはついに視界が開ける場所に出て、歩みを止めた。
そこは切り立った崖だった。灰色の空の下に広がるのは、鬱蒼とした木々があるのみだ。だが、今まで一番濃いドワーフの匂いと、金属の音が響き渡っていた。
ここまでくれば集落はすぐそこだ。周囲の様子を観察しようと崖の下を覗きこんだ瞬間、足場が崩れてレティリエの身体は崖の下へ落下した。
先程までの豪雨のせいで地盤が緩んでいたのだろう。レティリエは崖肌に体を擦られるようにして斜面を滑り降り、やがて気を失った。
「この子、死んでる?」
「いや、まだ息がある。着地した場所が良かったんだな」
「ほう、運がいいな。ここを砂置き場にしておいて良かった」
「ほらあんた! ご託はいいから早く包帯と薬を持ってくるんだよ!」
耳元でガヤガヤと大勢が話す声が聞こえる。レティリエはそっと目を開け、痛む体を抱えるようにして起き上がった。
大勢の瞳が自分を見つめている。筋骨隆々とした体にレティリエの胸くらいの高さまでしかない小柄な体躯。大勢のドワーフが自分を囲み、心配そうにレティリエを見ていた。皆、手に金槌やつるはしを持っており、中には鉱物を両手に持ったままの者もいる。おそらく、採掘作業の途中で駆けつけてきたのだろう。
ドワーフの女の子が進み出てきて、レティリエの側に座った。
「怪我してるみたいだからじっとしてて。今手当てしてあげる」
自身の足を見ると、両足共にあちこち傷だらけで、擦りきれた所から血が出ていた。女の子は、レティリエの足に丁寧に薬を塗り、包帯を巻いてくれた。
「ありがとう……」
レティリエは頭を垂れてお礼を言った。こわごわ四肢を動かしてみたが、特に骨折をしている様な部分は無く、レティリエは安堵の息をもらした。
「ほっほっ。これはこれは美しいお嬢さん。そんなにずぶ濡れになってどうしたのじゃ?」
集団をかき分け、真っ白な長い髭を蓄えた、老人のドワーフが出てきて歩み寄ってきた。「長老!」と仲間の驚く声があがる。
レティリエは老人に頭を下げて挨拶をすると、これまでの経緯を簡単に述べた。
「ほう、人間達に追われて来たのじゃな?」
老人はレティリエの話を聞いて眉を潜めた。人間、と聞いたときに眉がピクリとあがった所を見ると、あまり人間達に良い感情を抱いていないらしかった。
「はい、そこで仲間の狼が傷を負ってしまって、危険な状態なんです。どうか私達に力を貸していただけないでしょうか」
レティリエは両手を地面について深々とお辞儀をした。
狼は仲間意識が特に強く、異種族との交流はほぼ皆無だ。狼と交流の無いドワーフ達が助けてくれるかどうかは一か八かの賭けだった。
長老はレティリエを暫く見つめていたが、やがてこくりと頷いた。
「よい、手を貸そう。その狼がいる所に案内するのじゃ」
そう言うと老人は仲間に向き直り、急いで準備をするよう言いつけた。
「ありがとうございます……!」
レティリエは老人の言葉に胸がいっぱいになった。両手を握りしめて何度もお辞儀をし、感謝の意を伝える。
「よいよい、困った時はお互い様じゃ」
そう言って老人はにっこりと笑った。
ドワーフ達とレティリエは、急いでグレイルが待っている洞穴へと向かった。
「グレイル!!」
名前を呼ぶと、黒い獣耳がピクッと動いてグレイルが頭をあげた。依然として苦しそうな様子ではあるが、生きていてくれたことにレティリエは安堵した。
医学を少しかじっていると言う、年配のドワーフが進み出てきた。グレイルの側に座り、包帯代わりの葉を取って傷の具合を確かめる。
「ふむ、傷口が開いて中に毒が入ってしまったようじゃな。傷口を清潔にしておかないと稀にこうなる。何か心当たりは?」
医者の問いに、レティリエは山小屋を出てからの経緯を説明した。途端に医者の顔がみるみるうちに真っ赤になる。
「何? 完治していないのにこの怪我で何時間も走ったのか? この馬鹿たれ!! あともう数時間走っておったら毒が全身に回って死んでおったわ!」
医者は呆れたようにため息をついた。やはり、グレイルは死の危機に直面していたのだ。レティリエは震える声で医者に問う。
「あの……彼は助かるのでしょうか……」
「安心せえ。エルフの秘薬を持ってきた。これを飲んで安静にしていれば直に良くなる」
そう言うと、医者は瓶に入った琥珀色の液体を持ってこさせた。そのまま瓶をグレイルの口につけ、ゆっくりと飲ませる。
体が動かないせいか、飲むのに苦労していたようだが、それでも大部分は体に入ったようだ。嚥下の音と共にグレイルの喉が動くのを見て、レティリエはやっと安堵に胸を撫で下ろした。
「エルフの薬は性能が良い。安静にしていれば、たちどころに体内の毒を消してくれるだろうて」
「はい、ありがとうございます。本当になんとお礼を言っていいか……」
レティリエは涙ながらにお礼を述べた。医者はニヤリ笑うと、レティリエの方に向き直った。
「いやいや、熱が下がるまでは毎日この薬を飲ませなくてはならぬ。エルフの薬はな、良く効くがその分ものすごく苦いのだ。しっかり飲ませるように、お嬢さんが見ておいておやりなさい」
「あの……そんなに苦いんですか……?」
レティリエは恐る恐る訪ねた。医者はびっくりした様にレティリエを見返した。
「なんじゃ、エルフの薬も知らぬとは。狼はエルフとの交流も持っておらぬのだな。医学は専らエルフの専売特許じゃぞ。わしらドワーフは、エルフの弓や剣を鍛工する代わりに、ちいとばかし薬や珍しい物を分けてもらってるのじゃ」
「そうなんですか…私達、他の種族のことはあまりよく知らないんです……」
レティリエもドワーフやエルフ、人魚など自分達と異なる種族がいるのは知っていたが、狼が異種族と交流を持たないこともあり、どのような種族なのかは全く知識がなかった。
それでも、見知らぬ自分達に親切にしてくれるドワーフ達を見て、容姿や生活基盤の違う者達が助け合っていくことは良いなと思ったのだった。
「さて、これからどうするかだが。一先ず熱が下がるまで数日は安静にする必要があるからな。話はそれからだ」
そう言うと、医者は長老と話をしに洞穴の外へ向かった。
ドワーフの長老は、毎日薬と食糧を洞穴に運んでくれるよう手配してくれた。毎日若いドワーフが代わる代わるやってきて、必要な物を置いていってくれる。
レティリエは、グレイルの包帯を取り替えたり、薬を飲ませたりして洞穴の生活を過ごした。
グレイルははじめの方こそ、何をしてもずっと目を閉じたまま微動だにしなかったが、二三日経つと薬を飲むときに眉がピクリと動いて一瞬顔をしかめるくらいには反応を示す様になってきた。大人になっても、薬はやはり苦いのだろう。その反応が子供っぽくて可笑しく、レティリエは薬を飲ませた後には毛並みを優しく撫でてあげることにした。なんだか小さい子供をあやしているみたいでレティリエはくすくす笑った。笑える余裕が出てきたのが嬉しかった。
夜はグレイルの隣で尻尾を丸めて寝た。グレイルは四つん這いの状態で体を伏せ、目を瞑ったままだ。想い人とは言え、自分自身が人の姿をしているせいか、狼姿のグレイルに触れるのはあまり緊張しない。
レティリエは、毛並み越しに伝わる生命の温かさに安心しながら、黒のフサフサを抱き締めて眠りに落ちる。そんな生活が数日続いた。
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