第2話 狼の価値観
狼達は基本的にそれぞれの群れに分かれて狩りを行うが、狩った獲物は村に持ち帰り、皆に平等に分配される。
そういう意味では、群れとして成果の大小はそれほど重要視されていないが、個々においては狩りの戦績は特別な意味を持つ。
特に今の季節は。
「どうだ! 見ろよこの大きいイノシシ! 今日の狩りは俺の一人勝ちだな」
朝の狩りが終わり、グレイルが獣の解体をしていると、ローウェンが意気揚々と戻ってきた。肩に丸々と太ったイノシシを担いでいる。
「今日はまた一段とデカいのを捕まえたな」
「だろ? もうすぐ豊寿の祭りだからな。俺達はやっと今年から祭りに参加できるんだ。大きな成果をあげればあげるほど、良い雌と
ローウェンは得意気な顔をして周囲を見回す。幾人かの雌狼が憧れの眼差しで自分を見ていることに気付き、ニヤリと笑った。
「はっ! あんたばっかりに良い顔はさせないわよ、ローウェン」
レベッカが子ジカを地面にどさりとおろした。勝ち気そうな目が得意気に光り、勇ましい顔は自信に満ち溢れている。狼の中では美しいとされる顔立ちだ。女だてらに先陣を切って戦うレベッカは群れの雌の中でも軍を抜いており、狩りもうまい。
「ちなみにお前は何を捕まえたんだ?」
ローウェンが勝ち気な目でグレイルに問う。
「あー、今日はシカだ」
「シカ? それなら俺の勝ち……ん?」
ローウェンの目がグレイルの後ろに横たわる丸々としたシカに釘付けになる。
くったりと横たわるシカは、頭も四肢もついたままだ。だが、グレイルはまさに今獣を解体している。それが意味することはひとつだ。
「うわっお前二頭も仕留めたのかよ!」
「やっぱり今年はレベッカとグレイルが番になるのは決まったようなものだね」
悔しがるローウェンの横で、先程戻ってきたクルスがのんびりと言った。
豊寿の祭り。
これは毎年秋から冬にかけて行われる祭りのことだ。
秋の祭りの日は村中の食糧をかき集め、村人総出で思う存分飲んだり食べたりして、次の年の豊作と豊猟を祈願する。
対して冬の祭りはいたってシンプルだ。子孫繁栄を祈願する冬の祭りの日は、あちらこちらで雌雄の狼が寄り添い合い、仲睦まじく過ごすことでお互いの愛情を確かめ合う。
若い狼達にとって特に重要なのは冬の祭りの方だ。成人に達した狼は、冬の豊寿の祭りで番の相手を決め、夫婦となる。
だが、必ずしも狙った相手と番になれるとは限らない。それは、狼の社会において「強さ」がすべてであることに起因している。
狼は集団生活で生きる生き物だ。個々の強さが求められるのは勿論のこと、より強い子孫を残すことが何よりも優先される。だからこそ、例え好いた相手がいたとしても自分の実力が相手に見合っていなければ一緒になることはできないし、逆に強い雄は強い雌と一緒になる使命がある。
グレイルは、それこそ村を守る為に並々ならぬ努力をしてきた。いつの間にか彼は雄狼の中でも一二を争う実力者となり、村を牽引することを期待される存在となった。そんなグレイルの番の相手が、雌の中で最も力を持つレベッカであることはほぼ決まっているようなものだった。
「そっか……もうすぐ豊寿の祭りかぁ……」
背後で声がし、振り向くと小太りの雄狼が別の狼に愚痴をこぼしていた。彼は俊敏さに欠ける為、狩りの戦績はいまひとつだ。集団で獲物を追い込む際も、間違った方向へ追いやることが多いし、仕留める際も決定打に欠ける為、いつも誰かに手柄を取られてしまう。
「はぁ、俺はお祭りが憂鬱だよ。下手すると今年は誰とも番になれないかもしれない」
弱い狼、ましてや誰にも相手にされない狼は侮蔑の対象となる為、グレイルやローウェン達と違って、力を持たない狼にとって豊寿の祭りはかなり重荷の様子だった。
「まぁもしダメだったら、来年までになんとか狩りの成果をあげるようにするしかないか……」
「じゃああの子は? あの銀色の子。あの子ならお前の相手になってくれるんじゃないのか?」
雄狼の隣で愚痴を聞いていた狼が言った。レティリエのことだろう。途端に雄狼は軽蔑の表情を浮かべた。
「はあ? やめてくれよ。狼の姿になれない子なんかと一緒になったら、俺はますます立場が無くなるよ。仮に一緒になったとしても、生んだ子がまた狼になれないなんてことになったら一大事だ。それなら俺は独り身で来年に賭けるね」
「まぁそれもそうか……」
雄狼達の話を聞き、グレイルは不愉快そうに眉を吊り上げた。だが、この場合、雄狼達の反応が一般的であって、グレイルの反応の方が珍しい。それが幼馴染みの間柄による贔屓目であることは自覚している為、グレイルはしかめ面で眉を潜めるだけに留めた。
狼達はなおも続ける。
「そういえばさ、そいつ、生まれてから一度も狩りができたことがないらしいぞ。それこそ野ウサギ一匹もだ。狩りもできない上に狼にもなれないなんて、村のいい恥さらしだよな」
小太りの雄狼が優越感に浸りながら言った。自分より下位の者を貶めることで日頃のうっぷんをはらしているのだろう。この言葉にグレイルはカッとなった。
「おい、仲間に向かって恥さらしは無いだろ。撤回しろ」
雄狼の肩を掴みながら鋭く言うと、雄狼はグレイルの姿を見て一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに憮然とした表情を浮かべ、苛立ったようにグレイルの手を払いのけた。
「うるせぇな。お前は強者だからそんなこと言ってられるんだよ。同じ孤児院で育ったかなんだか知らないけど、それじゃあお前があいつの番になったらどうだ?」
言ってから雄狼は「はっ」と鼻で笑いながら吐き捨てた。
「できないよな。そもそもそれは村の皆が許しちゃくれねぇ。お前みたいに強い雌と番になることが約束されて、一族の為に優秀な子孫を残せるやつに俺の気持ちなんてわかるかよ」
「だから他の狼を侮辱していいと? 詭弁だな」
目に怒りを宿しながら睨み付けると、雄狼はチッっと舌打ちをしてどこかに行ってしまった。
「おいおい、グレイル。気持ちはわかるが群れの中で喧嘩をするなよ。俺はお前らの関係をよく知ってるけど、狩りができない狼はどうしても標的にされやすい。いちいち目くじら立ててたらキリが無いだろ」
ローウェンがグレイルのもとへやってきて諭す。ローウェンの言葉を聞き、グレイルは悔しさで眉間にシワを寄せながらグッと拳を握りしめた。
頭の中に幼馴染みの姿がよぎる。
レティリエは狩りができないどころか、そもそも狼の姿になれない。
人狼と呼ばれるこの種族は、人と狼の両方の姿を持つが、レティリエは生まれつき人の姿にしかなれないのだ。
一般的に狼達は、生まれた瞬間は人の姿をしていても、生後数時間も経てば狼の姿へと自在にその身を変えられる。彼女の両親もはじめは辛抱強く待っていたようだが、生後一年経っても狼の姿になれない我が子に見切りをつけ、孤児院に捨てたと聞いている。
ただでさえ弱い狼は嘲りの対象になりがちだが、狼に変身できず、一度も狩りが成功したことがないレティリエは、村の中でも特に立場が無い。
「僕……西側の群れにいるナタリアって子と一緒になろうと思ってるんだけど」
これまでのやり取りを黙ってみていたクルスがポツリと言った。その言葉に、ローウェンとレベッカが即座に反応する。
「嘘でしょ?! あの狩りが下手くそな子? やめときなさいよ!」
「クルス、お前よく考えろよ。なんだってわざわざ弱い雌と番になる必要があるんだ?」
「実は以前、狩りの際にしくじって足を怪我した時があったんだけど……それで仕留め損なって怒り狂ったイノシシに追突されそうになったんだ。あの時は本気で死ぬかと思った。そしたらナタリアがイノシシに噛みついて倒してくれて……その時の彼女は本当に美しかったんだ。僕は、番になるならこの子しかいないって思った」
クルスの言葉を聞いて、ローウェンとレベッカは揃ってため息をついた。上昇思考の強い二人にはわざわざ強くもない雌と一緒になるという考え方が信じられない様子だ。
クルスは突出した強みはないものの、狩りも戦闘も無難にこなす。グレイルやローウェン程ではないが、十分強者の部類に入るだろう。勿論、周囲からは強い雌と一緒になり、優秀な子孫を残すことを求められる立場にいる。
「グレイルはどう思う?」
おずおずと聞いてくるクルス自身も、支援者がいないことは頭の中では理解しているはずだ。グレイルに尋ねる彼の顔は不安気だった。
おそらく二人が結び付いたら、周囲からの批判は避けられないだろう。子孫を残すのは、一族全体の為であって個の為ではないからだ。
それでも、クルスの目は真剣だった。愛する人と一緒になれるなら、二人で乗り越えて見せると言う覚悟が見えた。
「お前が彼女を守るって決めたんならそれでいいんじゃないか」
そう言って、元気づけるようにクルスの肩を叩く。彼は少し驚いた顔をしたが、やがて「ありがとう」と言ってグレイルに笑みを返した。
豊寿の祭りが終わる頃、狼達は恋の季節を迎える。
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