第3話 狼になれない女の子(1)

「ただいま、遅くなってごめんなさい」

 

 いつもは遅れないで戻るのに、今日はつい話し込んでしまった。厨房に行くと、孤児院の院長、通称マザーはもう厨房に立って沢山の食材と湯気に囲まれていた。


「今戻ったのかい、さぁ早くこっちを手伝っとくれ」

「はぁい」


 レティリエは返事をすると、早速仕度に取りかかり始めた。

 先程グレイルからもらった野ウサギを処理済みの肉が置いてある場所にコッソリと置く。あとで何食わぬ顔をして他の肉と一緒に煮込みに使うつもりだ。

 レティリエは近くに置いてある籠に手を伸ばし、中からりんごを取り出すと慣れた手つきでむき始めた。


「ところで、黒狼の坊主は元気だったかい?」


 マザーの言葉にレティリエは切っていたりんごを落としそうになった。ビックリした顔でマザーをふりかえると、マザーは腰に手を当ててハッと鼻で笑った。


「なんだい、気づいてないと思ったかい? 毎日毎日ウキウキ楽しそうに出掛けてたら嫌でも気づくさね。朝の仕度までに戻ってるからバレてないと思うなんて、あんたは私を舐めすぎだね」


 それに、と言ってマザーは木苺のジャムを指差した。


「こ~んなに甘いジャムは私の好みじゃないさね」

「きゃぁぁぁぁ!」


 レティリエは恥ずかしくて顔がりんごのように真っ赤になった。勿論、孤児院の子供達と一緒に作ったから多少は甘めにするよう意識はしたけど……子供達の顔を思い浮かべながら、同時に甘いものが好きな彼の姿を思い浮かべていて、砂糖が大さじ一杯分多くなってしまったのは気のせいではない。

 慌てるレティリエを横目にマザーはニヤリと笑った。


「まったく、もうすぐ豊寿の祭りだからって浮かれすぎなんじゃないかい? 若いってのはいいねぇ」


 豊寿の祭りと聞いて、レティリエの脳裏に先程の狼達の鋭い目線が浮かんだ。途端に受かれていた気持ちはシュルシュルと萎み、レティリエはりんごを切る手を止めた。


「私……迷惑じゃないかな」

「どうしたんだい、いきなり」


 先程とはうってかわった反応に、マザーも何かを感じて心配そうにレティリエの顔を覗きこんだ。


「……私だけ狼の姿になれないから、狩りもできないし……この食材だって他の皆が捕ってきてくれたものだもの。私が食べる資格なんてないわ」

「なんだ、そんなことかい。私だって今は老いぼれになって、他の仲間達が捕ってきた食材のお相伴に預かってるんさね。あんただって木の実や果物を採取してるんだし、できるやつがやりゃあいいんだよ」


 確かにレティリエは狩りができない分、穀物や果物の収穫は人一倍頑張るようにしている。でも、それは本来子供がやるような仕事なのだ。

 肩を落とすレティリエに、マザーは優しく背中をさすってくれた。


「あの子は、グレイルはそんな小さなことを気にする子じゃぁないよ。それに、毎日あんたが作った朝食を食べてくれるんだろ? あんたのことを嫌っていない証拠さ」


「あ、あれは……私からだって言えなくて……マザーからの差し入れってことにしてるの」

「…………」


 マザーは盛大なため息をついて首を振った。一体この子は何に遠慮して生きているのだろうか。グレイルか、レベッカか、それとも狼の一族全員にか。

 マザーはレティリエのことはそれこそ赤子の頃から見てきているが、大人しいながらも真っ直ぐな性格で思いやりもあり、大変好ましく思っている。孤児院の子供達がレティリエになついているのもその証拠だ。

 それでも狼の社会ではその価値を認めてくれない。


「でもね、いいの。一緒にはなれないのはわかってるから、せめて少しだけでも彼の隣にいられたらそれで十分なの」


 そう言ってレティリエは微笑んだ。

 ああ、この子は全てを受け入れてるのだ、とマザーは思った。現実を受け入れ、自分の気持ちに蓋をし、それでも溢れでるほのかな恋心を満たすために毎朝彼に会いに行っているのだ。自分に対する言い訳を添えて。

 マザーはふーっと息を吐くと、レティリエの背中を叩き肉置き場を指差した。


「ほら、さっきの野ウサギはあの子があんたにくれたんだろ? 子供達もウサギは大好きさね。早く捌いておくれ」


 マザーにはなんでもお見通しだったようだ。レティリエは真っ赤になって慌てて肉を取りに行った。



 

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