第70話 マトラの遺児(女神暦1567年5月7日/アリーシャ騎士団ロクレール支部)

 エルザがアリーシャから贈られた樹宝アーク、『地竜の鉄装爪アーシー・ファング』を履いてみたところ、樹宝はエルザを拒絶することなく、彼女を新たな所有者として認めてくれた。

 エルザ曰く、「最初に履いた時に樹宝の中から私の中に魔力のパスみたいなものが流れ込んできてゾワッとなったんだけど、その後は別に何にも感じなくなった」とのことで、樹宝はエルザと自分との相性を何かしらの方法で探り、合格判定を出したのだろう。

 ゼルダや綴といった樹宝の所有者達も、最初に樹宝に触れた時に似たような経験をしたと話してくれたので、別段異常な現象が起こった訳ではないらしい。

 樹宝を手に入れたエルザはご機嫌で、何度もブーツを履いたり脱いだりを繰り返してしげしげと自分の相棒を惚れ惚れとした眼差しで眺めていた。

 そんな彼女の様子を微笑ましく見守っていると、カレンとエリーゼが何やら血相を変えて部屋に飛び込んできた。


「大変、大変!」


「ドロシーさんが見つかったんだけど、ちょっと面倒なことになっていて……ちょっと来てくれますか?」






 カレンとエリーゼは市街地を捜索していた所、港の方に見慣れない銀色の服を身に纏った一団に取り囲まれたドロシーが見えた為大急ぎで駆け付けたところ、金髪をツインテールにした一人の少女から一方的に「アンタのことも絶対に許さない! レザーランスの一族なんて大嫌いよ!」と怒鳴り散らされているドロシーが唇を噛み締めて立ち尽くしていたという。

 周囲を囲んでいた彼女の仲間達はどう対応しようか手をこまねいている様子で、彼女の突然の豹変ぶりに戸惑っているようだったそうだ。

 そんな一瞬即発のピリピリとした雰囲気の中、金髪の少女がドロシーの胸倉を掴み取ろうと間合いを詰めてきた際にカレン達は即座に間に介入しようとしたが、周囲から雷光の如く飛び出して来た女性に脳天に思いっ切り拳骨を落とされ、キュウッと昏倒させてしまったという。

 その後、気を失った少女が目を覚ます間にその女性と遅れてその場に姿を現したギルドマスターを名乗る女性からドロシーに世話になったお礼として魔力錬成が可能になる施術を施したことや、ドロシーをギルドメンバーに紹介した際に一人の少女が唐突にギョッとした表情を浮かべ憎々しげに突っかかって来たこと等の説明を受けたという。

 アリーシャ達に席を中座する事を謝ってから部屋を出て、支部内の廊下を軽く駆けながらカレン達の説明を聞いた俺は、ドロシーを絶対に許さないと激昂してきたという少女の行動の謎に引っかかるものを感じつつも、同時に胸の中に大きな幸せを感じていた。

 ドロシーが魔法を使えるようになった。

 落ちこぼれだと迫害されていたあの子が。

 辛いいじめの日々に心がへし折れそうな苦しみに苛まれながらも、大好きなお母さんを悲しませない為にグッと心の中にそれを押し込め続けていた強くて、とても頑張り屋で優しい女の子が。

 どんなに手を伸ばしても届かなかった魔法を使う力を手に入れた。

 ああ、どうしよう。

 カレン達に情けない顔を見せたくないのに、自然と顔が俯いてしまう。

 今の俺の顔は見せたくない。

 涙でクシャクシャになった顔を悟られないと顔を背けると、ポロポロを滴を目元から零しながら、「良かった……本当に良かった」と俯いた目元に掛かるレモン色の髪の隙間から涙を覗かせるゼルダの素顔が視界の端に映り、俺はそっと彼女の背に手を伸ばし優しくさすった。






 俺達がカレン達に案内されて辿り着いたのは、支部内を来訪した客人をもてなす為の応接室で、伏し目がちに目の前に置かれた紅茶に視線を落とすドロシーと、銀色の服装に身に付けた4人の見知らぬ人達がテーブルを挟んで向かい合っている様子だった。

 ドロシーから見て左端に座っているのは、はち切れんばかりに隆起した筋骨隆々とした禿頭の偉丈夫で、逞しい筋肉で銀色の団服がはち切れんばかりにパツパツ気味になっていた。

 その隣には十字のラインが入った銀色の服の上に同様の色彩のブレザーを羽織り、健康的な素足を剥き出しにしたミニスカートを着用し、金髪を白いリボンでツインテールに結び、両手に白手袋をはめた強気そうな女の子が座っており、ドロシーをジロリと忌々しそうに睨んでいた。この少女が、港でドロシーに食って掛かっていたという少女で間違いないだろう。

 そしてその少女の首根っこを片手で掴みながら、平然とした表情でお茶請けのお菓子を頬張り、「おっ、美味い。これ、結構いけるわ」と呑気な声を上げていたのはクリムゾンレッドの髪を適当にポインテールに束ね、額に黒色のバンダナを巻いた、団服をへその上までまくり上げてお腹の横側で適当に結んで大胆にほっそり引き締まったお腹を露出させている20代前半の女性で、今にも飛びかからんばかりの敵意を放つ金髪の少女の首輪代わりの役目を果たしてくれていた。

 そして一番右端に座っていたのは、「ああ……ドロシーさんの魔力回路の修復は問題なく行えたのに、シャーリーとお会いさせてしまったのはあまりにも時期尚早でした……。私はギルドマスター失格のダメ女です……。ごめんなさい、ドロシーさん」と頭の上に雨雲でも浮かんでいるのではないかと錯覚する程ドンヨリとした虚ろな目で謝罪の言葉を漏らし続けている薄幸そうだが、とても整った容姿をした銀色の髪の女性だった。

 予想以上に濃い面々に一瞬気押されるが、ドロシーがこちらを振り返った時に見せたホッと安堵した表情を見ると自然と口元が綻ぶ。


「あっ、アレンさん」


「カレン達から大体の経緯は聞いたよ。色々と大変みたいだったな」


「いえ、私は酷い目にも遭っていませんし、逆にちょっとした人助けのつもりがかなり大事になってしまって、少し困惑しているんです」


「そうか、落ち着いたらまた改めて話を聞かせてくれると嬉しい。……ドロシー、魔法が使えるようになったって聞いたんだけど、本当か?」


「……はい。こちらの『銀翼の天使団』のギルドマスター、アイリス=ゼルフォードさんが私に『ブルー・ジュエル』という特別な宝石を使用した特別な治癒魔法を施して下さったおかげで」


 ドロシーの謝意のこもった視線の先にいたのは、どんよりとお通夜のように悲壮感を漂わせている銀髪の女性で、俺はドロシーにとても素晴らしい贈り物をしてくれた恩人である彼女の前にそっと歩み出る。


「アイリス=ゼルフォードさん」


 一度声を掛けてみるも、何やら自分のギルドの少女がしでかしてしまった不始末の罪悪感に絶賛押し潰されそうになっているアイリスは上の空のようでこちらの言葉が届いていない様子だった。

 禿頭の男性は、「またギルマスの悪い癖が出てるな……」と額に手を当てて嘆息し、見かねた様子のクリムゾンレッドの女性が菓子を食べる手を休めてアイリスの鼻をキュッと指で摘まんでしまう。


「おい、アイリス。アンタに挨拶したい人らが来てるんだから、いい加減自虐モードは止めな」


「ふにゅっ!? ひゃにふぉっふるんでふぅか(何をするんですか)!?」


「はいはい、私に抗議するのは後でいいから前を向きな」


「ひゃい? ……ひゃっ、ふぉれはふぉれはふぁふぁひぃとひぃたふぉふぉが(はい? ……はっ、これはこれは私としたことが)って、アルギナは一体いつまで私の鼻をつまんでいるのでしょうか! 先程から話辛いですし、手に付いたお菓子の甘くて香ばしい香りがとてもかぐわしいのですが……」


「この菓子なら後で売ってる店の場所訊いて、出航の前に買っといてやるから、安心しな。それよりも、ドロシーちゃんにお仲間さん達が来てるんだから、挨拶挨拶」


「はっ!? そうでしたそうでした。お菓子の誘惑に屈しそうになりまして、大変お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ございません。私、こう見えて『銀翼の天使団』のギルドマスターを務めております、アイリス=ゼルフォードと申します」


 ソファから立ち上がり、精錬された美しい笑顔を浮かべたアイリスは聖女と称されるように相応しい神々しいオーラを放ちながらも、ガルルルと猛犬のようにドロシーを睨む少女の首根っこを掴んだまま器用にお茶請けのお菓子をパクパクと頬張るアルギナと呼ばれた女性がこっそりと自分の分のお菓子にまで侵攻を開始し始めた様子をチラチラと横目で見て何やら目元をウルウルと濡らしているギャップが面白く、思わず口元が緩んでしまう。

 なんか、可愛い人だな……。

 そんなことを思いながらも、俺は背筋を正して頭を下げる。


「俺はドロシーの暮らしているアルトの村の村長をしているアレンといいます。この度はドロシーの魔力回路の修復をして頂いたと聞きました。本当にありがとうございます」


「いえいえ、お気になさらないで下さい。私が好きでしたことですので」


「いや、ドロシーは俺の家族です。貴女は俺の大切な人に素晴らしい贈り物をして下さいました。是非、お礼をさせてください」


「そんな、お礼だなんて……。そのお気持ちだけで十分ですので……」


 アイリスはお礼は結構ですのでやんわりとした笑みを浮かべるが、ドロシーが受け取った物は、俺では絶対にあげることの出来ない物だった。

 それを何の打算もなく、ただ純粋な厚意だけでプレゼントしてくれたこの女性に何も返すものがないというのは申し訳がなさすぎる。

 まだ会って間もないが、アイリスの性格を考えると金銭や物を贈ろうとしても固辞して受け取ってもらえないだろう。

 う~ん、どうしようか……。

 俺がどうしたものかと煩悶していると、痺れを切らした様子の金髪の少女が俺をジロリを見遣る。


「ねえ、アンタ、このレザーランスの女の仲間なんでしょ?」


 強い敵意を孕んだ射貫くような視線にドロシーがたじろぎ、身を強張らせる様子を見て、俺はドロシーの側へと自然と歩み寄る。


「そうだけど、それがどうしたのかな?」


「アイリス様はお礼なんて要らないって言ってたけど、礼なら物じゃなくて別の形で返してくれないかしら?」


「こ、こらシャーリーったら、そのような言い方は駄目ではないですか!」


「おい、シャーリー失礼だぞ」


「……」


 慌てた様子でシャーリーと呼ばれた金髪の少女を叱るアイリスとたしなめるような口調で注意する禿頭の男性、菓子を食べる手を休めて少女が何を言いたいのかを既に悟っているような訳知り顔で彼女の言葉の続きを待っている様子のアルギナにシャーリーはペコリと頭を下げた。


「すみません、皆さん。アイリス様の善意に付け込んで相手に礼を迫るなんて自分でもとても礼を失する行為であることは重々承知しています。後でどのような罰でもうける覚悟は出来ています。

 どうか、どうか、私に続きを言わせてください。お願いします」


 下唇をギュッと噛み、強い意思を表した表情を向けられ、アイリスはしばしの間ジッとシャーリーの目をジッと見つめていたが、根負けしたように頷いた。


「分かりました。シャーリー、貴女の想いをこの方々に告げてごらんなさい。責任は私が取ります」


 アイリスは俺に向き直り、


「申し訳ございません、アレンさん。私の仲間が大変な無礼な物言いを謝罪いたします。ですが、どうか彼女の言葉に耳を傾けてくれないでしょうか?」


 真摯な面持ちで頭を下げる彼女に俺は笑みを返し、


「はい、勿論です。俺も彼女が何を俺やドロシーに求めているのか興味がありますから」


 シャーリーという少女には並みならぬ程の憎しみの感情が渦巻いている。

 そして、その矛先であるドロシーとの間にどのような因縁があるのか気懸かりだった。

 それがはっきりとするのなら、彼女がドロシーに危害を加えるような内容でなければある程度は聞いてみてもいいだろう。

 俺がシャーリーに向き直り、視線で話の続きを促すと、彼女はドロシーに刺し貫くような視線を向け、手に嵌めていた手袋の片方を外すと、


「ドロシー=レザーランス。私はマトラの民を、私の故郷のマトラ島の皆を皆殺しにしたレザーランスの一族を絶対に許さない! 

 マトラの最後の生き残り、シャーリー=マトラはドロシー=レザーランスとの決闘を申し込む!」


 それを力強くドロシーの足元に叩き付けるように投げつけた。

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