第60話 湖上の決闘(女神暦1567年4月30日/ザラの湖・決闘場)

 蜥蜴人族リザードマンの集落から木造の簡素な小舟に乗ってやって来たのは、湖の上に用意された決闘場だ。

 極太の丸太を湖底にしっかりと固定し、それを支柱に板を架けて正確に造られた正方形の舞台が組み上げられている。

 舞台は平坦な板張りで障害物の類はなく、四方の縁には柵のような物もなく、決闘相手に押し出されれば湖に向かって真っ逆さまという訳だ。

 幸いそれほど水面との垂直距離はそれほど離れていないので、湖面に体が叩き付けられても怪我をする事はないが、落ちた時点で敗北が決定するので、無論落ちるつもりは毛頭ない。

 普段は祭りで村の女性陣が演舞を舞ったり、力自慢の男衆が腕試しの為に決闘じみた対戦試合の場として利用しているらしいが、今回はここが決闘の舞台となる。

 舞台の四方の縁には篝火が焚かれていて、舞台上とその周囲の湖を照らし出していて、薄暗い夜の闇の中でもあの光量であれば戦闘に支障はない様子だった。

 船の進行方向に佇む決戦の舞台を視界に入れながら、私はゾランが櫂で漕いでくれている小舟に揺られ、少し離れた場所で並走している2隻の小舟を横目で見遣る。

 今回の決闘に参加するガガンを筆頭に、取り巻きの蜥蜴人族4人は人間の小娘相手に負ける筈がないと余裕綽々の態度で、武器の手入れをする訳でもなくあぐらをかいてこちらを意地悪そうな笑みを浮かべながらニヤニヤと視線を送ってきていたので、

私はプイッと視線を前に戻す。

 あからさまにこちらを舐めてかかっているあちらを嘆かわしいとばかりに嘆息混じりに睨んでいたゾランは、櫂を漕ぐ手を休めることなく頭を下げる。


「カレン殿、誠に申し訳ない。我が愚息がこのような蛮行に及ぶとは……」


「いいの、いいの。私こそ、折角皆が開いてくれた宴会をぶち壊しにするような真似しちゃったし」


「いえいえ、ガガンと仲間達のあの態度には、皆が我慢の限界でしたから、貴女を責める者などいませんよ」


「そう言ってもらえると嬉しいけれど、こんな大事にしちゃって本当に良かったのかな?」


「閉鎖的で娯楽に乏しい故郷を嫌い、傭兵として荒稼ぎをするようになってからガガン達の増長は日に日に悪化していきました。アイツらの鼻っ柱を完膚なきまでにへし折ってやる機会は必要だったのです。皆、これがその良い機会になると感じておりますよ」


ゾランが顎で示した先には、多数の小舟が舞台を取り囲むように展開していて、観戦に来た蜥蜴人族の人々がこちらが見ていることに気が付くと大きく手を振ってくれたり、「頑張れよ!」と温かい声援を送ってくれる。

 同じ蜥蜴人族であるガガン達に対する声援はほとんどなく、集会所での振る舞いを知っている者達は殊更こちらを応援しようとする意気込みが感じられた。

 どうやら随分とガガン一派は村で嫌われているらしい。

 こちらの心境を察したのか、ゾランは気にするなとばかりに茶目っ気を含んだ柔和な笑みを浮かべ、


「連中の粗暴な振る舞いを日頃から鼻持ちならないと感じている者がそれだけ多いのです。カレン殿は遠慮せずにやってしまってください」


「そう? 本当にいいの? ゾランさんにしたら実の息子でしょ?」


「構いません。それより私は、多対一での不当な決闘にこれから挑むことになるカレン殿が心配なのです」


「まあ、私が不利な条件だけど、それを承諾したのも私だから。文句なんて言わずに、こっちは正々堂々実力で勝負してみるつもり」


「……勝算はあるのですか?」


「う~ん、相手の実力を知っている訳じゃないから確実に勝てるとは断言できないけど、やれるだけのことをやるしかないって感じかな」


 気遣わしげにこちらを見遣るゾランを安心させるように、私は腰元のロッドホルダーを軽く叩き、


「まあ少なくても、ゾランさんやシャーロット達の見ている前で醜態を晒さないよう頑張るから、応援してくれると嬉しいかな」






 ゾランが舞台の側まで小舟を近づけると、随伴していた小舟に乗っていた男達が積載していた木製の梯子を慣れた手つきで取り出し、私達の乗っている小舟の舳先の辺りにそれを置く。

 舞台まで架かった梯子を上って舞台上に立つと、四方を水に囲まれた舞台は意外と広さがあり、思いっ切り走り回れる程度の幅がある。これなら、魔法を放ちながら舞台上を駆けて懐に入り込まれない程度の距離を開けたまま戦闘を行えば勝機があるかもしれない。

 舞台の様子を確認していると、舞台を取り囲むように舞台上を注視している観客の蜥蜴人族達の乗った小舟が辺り一面に目に入ってくる。

 他にも、思いっ切りぶちかましてこいと不敵な笑みを浮かべながらテンガロンハットの鍔を指先で軽く押し上げるマーカス、酒酔いと船酔いのチャンポンのダブルアタックで顔面蒼白になりながらもプルプルと震える親指を上に突き立てささやかなエールを送ってくれていたニーナ。

 そちらにこちらも親指をグッと突き立て、不安げに小舟で立ち尽くすゾランにも軽く会釈をする。

 そして、悄然と項垂れるシャーロットを優しく後ろから抱きすくめているフローラにも視線を送る。

 自分のせいで私が戦う羽目になったと後ろめたさを感じて顔を上げられない様子のシャーロットの姿にチクリと胸が痛む。

 彼女は何も悪くなんてない。

 ただ私が相手の物言いに腹を立てて啖呵を切って、それで大喧嘩になっただけ。

 だからシャーロットがそんな風にしゅんと項垂れて自分を責めたてる責任なんてないんだ。

 それを伝えたいのに、安心して顔を上げて私を見ていてほしいと、ただそれだけを伝えたくても、その気持ちを上手に言葉に出来なくて喉元までせり上がってきた想いが尻すぼみに胃の中に落ちていくような感覚に胸が苦しくなる。


「……シャーロット。私……」


 何か言わないと、ええと、何を言えば……。

 ああ、肝心な時に気の利いた台詞も出てこない自分が嫌になる。

 そんな煩悶に頭がショートしそうになっていると、そんな私の苦悩が余程丸わかりだったのだろう、フローラは口元に手を当てて苦笑すると、そっとシャーロットに何かを耳打ちした。

 フローラの言葉を戸惑いがちに聞いていたシャーロットだったが、ハッとした表情を浮かべ、アワアワとした仕草で胸元に両手を交差させるようにしてギュッと拳を握る。

 言っていいのかと逡巡する様子のシャーロットの背中を軽く押すフローラに不安そうな視線を送り、たじろぐ姿が印象的だった。

 しかし、遂に覚悟を決めたのか何度も深呼吸をして気を落ち着かせると、スウ~と息を吸い込み、


「カレン、私頑張って応援するから! ええっと、大怪我だけはしないでね!」


「!!」


 今まで聞いたことのない程の大声でそう叫んだシャーロットの気恥ずかしさからか若干上気した頬に可愛さを感じながら、シャーロットが全力で想いを私に届けようと自責の念に押し潰されそうになりながらもそう声援を送ってくれた事実が本当に嬉しい。

 マーカスも、ニーナも、フローラも、ゾラン達蜥蜴人族も、一様に口元を綻ばせながらこちらを温かな視線で包んでくれている。

 この舞台で戦う私は一人だ。

 突然助太刀が現れて共闘することもなく、相手がわざと舞台の外に落ちて勝ちを譲ってくれるなんてオチもない。

 だけど、私は一人じゃない。

 ここにいる皆が。

 ここにいる全員が。

 私の背中を押してくれる皆が私の力だ。

 自分自身の力に彼らの想いを重ね合わせて絶対に勝つ。


「絶対に勝つ。それが私を信じてくれている人達への一番の恩返しになるんだ」


「ふん、随分と偉そうな口をきくな人間の小娘風情が」


 獰猛さを孕んだ声が空気を引き裂く。

 梯子を上って舞台上に降り立ったガガンと取り巻きの4人が、こちらを忌々しげな視線を無遠慮に突き刺しながら顔を顰めて舞台中央に向かって歩き始める。

 どうやら前から舞台には上がっていたものの、何か言いたげに逡巡していたシャーロットが言葉を発するまで待っていてくれたらしい。

 案外、律儀な性格なのかもしれない。


「ごめんなさい。お待たせしちゃったみたいで」


「構わん。俺達の勝利が揺るぎないものである以上、決闘が始まる前に貴様が多少の戯れに興じる暇ぐらいは与えてやるぐらいの度量は持ち合わせている」


「へえ~、随分と余裕たっぷりみたいだけど、こっちは負けるつもりはサラサラないからね」


「ふん、我が蜥蜴人族は白兵戦においても優秀な種族だ。流石にレグルス・キングダムにいるような武闘派の獣人やサルディナ族のような生まれついての戦闘種族には敵わんが、人間の小娘一人をいたぶる程度であれば十分釣りがくる」


「これでも一応冒険者ギルド所属の魔導士なの。だから、甘く見ると火傷しちゃうかもよ」


「魔導士共とも戦場で相まみえた経験はある。要は魔法を発動される前に懐に潜り込み斬り伏せればチェックメイトだ」


 自信満々にそう言い切ったガガンは、フンッと鼻を鳴らすとズンズンときびすを返し、所定に位置に立つ。

 取り巻き達もリーダーに付き従い、各自自分の立ち位置に駆ける。

 さて、私も決まった位置に立たないと。

 決闘の舞台には私達以外に審判役の蜥蜴人族の老人が舞台中央に立っており、彼が試合で不正や行き過ぎた暴行が加えられそうになった際に制止する役割を担っている。

 見た目がお爺ちゃんなので大丈夫かなと一抹の不安がよぎるが、恐らくはこういった決闘や喧嘩が起こる度にレフェリーを務めてきたベテランなのだろうと納得し、視線を正面に戻す。

 敵は5人。

 前衛に手甲を構えた武闘家と、バトルアックスを持った前衛2人。

 大盾を構えた防御特化の重装の戦士と、大槍を構えた武闘家の中衛2人。

 大将であるガガンは後衛、最後尾。

 恐らくこれが、彼らの戦闘陣形のスタンダートな形なのだろう。

 この陣形で彼らが幾つもの戦場を駆け抜けてきたのだ。

 精錬されたフォーメーションと、有り余るほど満ち足りた敵愾心。

 油断すれば食い破られる。

 あれを自分一人だけで打ち破ることがなければ、冷たい湖の中に突き落とされるか、自分から身を投げるかの2択だ。

 そして、私が選ぶのはそのどちらでもない。

 勝負が始まる前から負けること前提の手札を頭の中に無数に並べ立てたところで、はなっから使うつもりのない選択肢を羅列するだけ無駄だ。

 貪欲に勝ちに行く。

 美しい勝ち方に拘る必要はない。

 だけど、あからさまに悪辣な手で勝利をもぎ取っても堂々とシャーロットに胸を張ることはできない。

 なら、最初から私は私らしく、『四葉の御旗フォルトゥーナ』の魔導士として戦うだけだ。

 腰元に感じるロッドホルダーの重み。

 私が持つ『樹宝アーク』の力。

 アルトの村に来てからこれを対人戦で使うのは初めてだ。

 久方ぶりの戦闘で腕が鈍ってなければいいけど……。


「それでは、双方よろしいですかな?」


 腰の曲がった老人審判が両者にヨボヨボの目を向け、


「相手を全員舞台から落とすか降参させれば勝ち。舞台から落ちたり、降参をしたら負け。相手を殺すような真似をした場合は即座に敗北が決定する。異論はあるまいな?」


「ありません」


「ふん、殺しはなしか。まあいいだろう。身の程を弁えれば二度とこの村に近づこうとは思うまい」


「それでは、両者共に異論なしということで。……両者、構えて!」


 ガガンはゆっくりと背中の大剣の柄に手を伸ばし、取り巻き達がそれぞれの得物に手を掛ける。

 私も腰元の6つの杖が収まる収納スペースがあるロッドホルダーに手を添え、いつでも『樹宝』を抜き放てるよう構える。

 両陣営がそれぞれ戦闘態勢に移行したのを確認し、審判を片手を大きく腕を振り上げ、


「始め!」


 開戦の火蓋は切られた。

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