第2.5章 リザードマン篇(メイン舞台国家:アリーシャ騎士団領)

第53話 図書館オープン初日(女神暦1567年4月28日/大図書館)

「おおっ……読める……読めるぞ……。文字の手習い等も受けさせてもらえんかった儂にも何が書かれているのかが分かる。ありがたや、ありがたや」

「この騎士とお姫様の物語とってもロマンチックだわ! 早く続きを読まなくちゃ」

「なんとこんな調理方法もあるのか!? 長年料理人をしている私が知らない調理技術がこんなに存在していたとは……」


 アルトの村の大図書館オープン初日。

 館内はまさに大盛況といった様相を呈していて、今も重厚な木扉からは様々な書物を閲覧するために馬車に揺られてやってきた者達がひっきりなしに館内に流れ込んでくる。

 カザンからの定期便を一時的に増やしたもらったが、よもやこれほどの来館者が殺到するとは露ほども想像だにしていなかったドロシーは、多くの来館者から本の場所やオススメの本はないのかといった様々な質問攻めに遭い、すっかり疲れ切ってしまった。

 少しだけでも体力を回復しようと休憩を取る事にし、一般公開されている広大な開架書庫スペースを離れて室内の奥にある事務室の扉を開ける。

 ドアノブを回した先に待っていたのは、かぐわしい香りを湯気と共に立ち昇らせている珈琲の芳醇な芳香だ。

 簡素な調度品や図書館業務に必要な資料や道具が置かれた代わり映えのしない部屋では、黄褐色のエプロン(暫定的な図書館司書の制服だ)を身に付けたフワフワとした髪質の金髪をロングにした少女が珈琲を口に運びながら、机上に置かれたフルーツタルトに舌鼓を打っていた。


「このサクサクのビスケット生地と見た目華やかな瑞々しいフルーツがマッチしていて、最高ですわ~♡。流石、巷で話題沸騰中のアルトブランドのフルーツですわね。お屋敷で暮らしていた頃に食べたフルーツも美味しかったですけれど、これを食べてしまった後ではどうしても見劣りしてしまいますわ。あら? ドロシー様もお昼休憩ですの?」


「は、はい。フランソワさんもお昼の休憩中ですか?」


「ええ、そうなんですの。この村の果樹園を取り仕切っていらっしゃるフローラ様が最近アルト産のフルーツを使ったお菓子の研究に没頭されているそうで、味の感想を後でお伝えする代わりにこうして試作品を持ってきて頂けますの。これだけでもこの図書館に就職した甲斐があるというものですわ。

 ドロシー様の分も当然ちゃんとありますから、一緒に召しあがりません?」


「ご一緒してもいいですか?」


「勿論ですわ! 私、貴女様のように多彩なジャンルの書物に造詣が深い方はこの図書館の館長様を除けば、ほとんど会った事がありませんの。また、色々とお話をお聞かせ頂きたいですわ、先輩」


「せ、先輩なんて……。フランソワさんの方が年上なんですから」


「いえ、図書館業務に関してはドロシー様の方が長く携わっておられる先達である事は事実ですわ。こういった事に年齢は関係はありません」


 先輩という魅惑の響きにくすぐったさを感じつつも、頑として先輩呼びを止める気はないという面持ちの後輩少女に苦笑しながらも、紙製の小箱に収められていたカット済みのフルーツタルトと珈琲を受け取り、彼女の隣に腰掛ける。

 フォークで軽く押し込んだだけでサッと綺麗な断面を覗かせたタルトにゴクリと思わず唾を飲み込み、まずは一口。

 口の中でホロリと崩れ、サクサクとした歯ごたえのビスケット生地と、口内で泉のように噴き出す葡萄やオレンジの果汁が渾然一体となっていて、これなら何個でもペロリと食べてしまえる。


「美味しいですわよね、そのケーキ」


「そうですね。今もホールで業務に忙殺されている他の職員さんがいるのに、私達だけこうしてゆっくりとケーキと珈琲を味わっているのは、少し気が引ける気がしますけど……」


「他の司書の皆様も、私達の昼休憩が終われば交代で休憩に入られますし、フローラ様も人数分のケーキを置いていってくださったので、そんなにお気になさらなくてもいいと思いますわよ」


「ま、まあ、それはそうなんですけど。性格的に少し気になってしまって……」


「ふふふっ、ドロシー様はとってもお優しい方なんですのね」


 片手で口元を優雅に覆いながら微笑するフランソワは、一つ一つの所作が大人びているというか上流階級の人々のような高貴さを感じさせる少女だ。

 だが、商業ギルドに掲示した図書館司書募集の求人票をその場で目にした瞬間、即座にギルドの窓口に面接申し込みを行ったらしく、図書館での勤務に並々ならぬ情熱を燃やしている。

 それは正式採用後の日々の業務の中でも顕著に表れていて、オープン前の短期間研修の際でも一度失敗したミスは繰り返さずにテキパキと仕事をこなし、一緒に採用された同期の司書達の成長を数段飛ばしで越えていく勢いでスポンジのように知識を吸収していく姿は圧巻で、ルイーゼさんから直接お仕事を教えてもらっていた私も油断すれば追い越されてしまいそうで少し怖い。


「フランソワさんは昔から本がお好きなんですか?」


「ええ、両親や教師の方々からは小難しい学術書や参考書ばかり読みなさいと言われて育ってきたのですが、その反動なのか物語といった架空のお話の本が大好きになってしまいまして、こっそり買ったその手の本を夜中に一人静かに読むのが好きでしたの」


「へえ~、私の家もかなり厳しい家系だったんですけど、お父様は魔法の才がない私の事を完全に見限っていたんです。なので、読む本の内容にまで口を挟まれる事はなかったけれど、好きな時に好きな本が読めないのは辛いですよね」


「ええ、本当に。本好きと首都のお城の敷地内にある図書館でのアルバイト経験が高じて、私が司書になりたいと言ったら両親に大激怒されてしまいましたわ」


 プンプンとヒマワリの種を頬に詰め込んだハムスターのように憤慨するフランソワは、騎士団領でも貴族階級に属する人間だったらしく、彼女の両親は厳しく淑女としての教養と品位を叩き込んだ娘には貴族の子息に嫁入りして煌びやかな生活を送って欲しいという願望を抱いていたらしい。

 だが、図書館司書になるという夢を捨てきれなかったフランソワは家を出奔し、一般の人々に無料で開放されるという珍しい図書館(騎士団領に限らず、豊富な知識の宝庫である図書館の利用は有料であるところがほとんどで、無料で貴賤を問わずに利用可能な図書館の話は聞いた事がない)の噂を聞きつけ、今こうしてその図書館の司書として勤務している(しかも、アルトの村に天幕を持参して、それを村内に張って暮らしている)。

 ルスキア法国にも貴族階級は存在していて、魔法の技術が人としての序列すら左右される事もあり、そういった名家出身の子供達は己の立場とプライドを守るために他者を蹴り落とそうと躍起になっている者達も多くいた。

 法国でもトップクラスの魔導士の名門一族出身の自分が言う資格があるのかは分からないが、魔導学院時代に受けた苛烈ないじめの主犯格もそういった貴族階級の子女達だった事もあり、貴族階級の人々には苦手意識があった。

 だが、新しく入ったこの後輩の少女は上機嫌な時は常に笑顔だし、不機嫌な時はこのように怒りを露わにするなど感情表現が豊かで、この裏表のない性格も好感が持てる。

 そんな事を思いながら、白い湯気を昇らせる珈琲を飲んでいると、


「あら、そういえば館長様は今日は非番でしたでしょうか?」


「あっ、確か今日は所用があるとかでお休みだそうです」


「あらあら、そうですの。折角のオープン日ですのに、この図書館の主である館長様がご不在なのは少し残念な気も致しますが、私用があるのでしたら致し方ないですわね」


 心底残念そうに溜め息を零すフランソワは、自分を軽く超えるぐらいの本好きである黒髪の上司の事を大変気に入っているようで、館内に収蔵してある本についても熱心に質問をしていた(しかし、最初はニコニコと質問に答えていたルイーゼさんも、質問攻めの時間が一時間を越えて来た辺りで【神眼】スキルを使用した直後のようにグロッキー状態にまで追い込まれたという事実もある)。

 今回、ルイーゼさんは『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』に潜入してアルトの村の襲撃情報を密告してくれた女性と面会しており、女性の身元を確認するために【神眼】スキルを行使するので今日は自分は疲れ果てて使い物にならないから図書館には顔を出さないと事前に聞いていた。

 ルイーゼさんやアレンさんはかなり警戒していたみたいだけど、その女の人ってどんな人なんだろう?








「はあぁ~、疲れた~、もう働きたくな~い」


『情けない。貴女はそれでも偉大なる『聖浄管理委員会ギャラルホルン』の幹部なのですから、もう少し慎み深さというものを身に付けなさい。

 具体的にはベッドにダイブした時の衝撃でめくれ上がって、フリル満載のピンクの下着をフル公開しているスカートを直しなさい、はしたない』


「別にいいじゃない、女同士なんだから」


『良くはありません。異性のいる場でそんな醜態を晒す事はないとは思っていますが、貴女はもう少し女性らしさを身に付けた方が得策かと友人として忠告します」


 カザンの一角にあるとある宿屋の一室。

 真っ白なベッドシーツに寝転がり、亜麻色の髪を純白の海に漂わせながら、開け放たれた鎧戸から飛び込んできた烏と言葉を交わす少女は、鬱陶しそうに目元に掛かった亜麻色の前髪を手で払う。


「うるさいわね。細かい事ばかり気にし過ぎるのは貴女の悪癖の一つだと思うのだけれど」


『貴女が楽観的過ぎるのですよ。私が厳しいぐらいでちょうどいい釣り合いになると思います』


「そういうものかしらね……。まあ、今日のお仕事は無事に終わったし、今日はルームサービスでも頼んでのんびりしようかしら」


『私も窓から見ていましたが、あのルイーゼという少女が何かしらの精神攻撃を加えて来た時は焦りましたよ』


「ああ、確かにアレはヤバかったわね」


 今日はアルトの村で『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』のスパイとして潜り込んでいた時の詳細な情報や、自分がアルトの村に敵意はないという事をアピールするための面会があった。

 村の代表の代理人と名乗った赤髪の少女と、片眼鏡モノクルを掛けた黒髪の少女、カザン支部の騎士団員数名が立会人として同席したのだが、黒髪の女の子が魔眼のような魔法かスキルの類を行使してきた時はほんの少しだけ動揺しそうになった。

 精神攻撃系、それもこちらの記憶を覗き見するような系統のものだ。

 あの村の中心人物となっているアレンという少年とのファーストコンタクトがアレだった分、容易に警戒を解けるとは思ってはいなかったため、ある備えはしていたのだが、それが功を奏した。

 ベッドに投げ出していた体を起こしてベッドの端に腰掛けると、スカートのポケットの中に手を突っ込む。

 中から出てきたのはジャリジャリとした感触の細かい石の破片だ。

 これは精神汚染系や記憶に干渉するような魔法を受けた際にそれを緩和したり、こちらが事前に石の中に念じておいた偽りの情報を術者に流し込む効果がある魔導具だ。

 本来なら数十回魔法を喰らっても砕け散る事等ないのだが、あの黒髪の少女の発動した能力の負荷に耐え切れず、こちらの用意した偽のプロフィールを彼女に閲覧させる事に成功した時点で自壊してしまった。


「この魔道具、姫様に頂いたレア物だったんだけどな~」


『あの少女の発動した力がそれだけ強力だったのでしょう。ですが、そのおかげで貴女は『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』に誘拐された妹を探していたフリーの冒険者として無事に認識されたのでしょう』


「ええ、こちらの記憶に干渉して私の偽造された過去を見た事で警戒も解かれたみたいだし、これからは堂々とあの村に通えるわ」


『あの村に移住はしないのですか? 万年人不足の過疎化した村のようですし、人口が増えるのはあちらとしも喜ばしい事かと思いますが』


「う~ん、それは時期尚早かな。するにしても、これからじっくりと信頼関係を結んで完全に警戒心がなくなった頃にするつもり」


『まあ、例の『彼女』の安否が分かればこちらから言う事は今のところはありませんから、いいでしょう。ちなみに、これからの予定は?』


「そうねえ~、あのゲルグとかいうクソ野郎も殺したし、欲をいえばこの国にいる悪人ももっと殺して回りたいけれど、下手に暴れすぎて彼らに不審がられるのも面倒臭そうだし、別段する事はないかな」


 背中からベッドに再び倒れ込み、退屈そうに欠伸をする少女にジト目を向けた烏は翼を広げ、布地を押し上げて激しい自己主張をしている少女の胸元に着陸する。


「……あの、脚が胸に食い込んで痛いんですけど」


『我慢しなさい。私にはないその肉塊をこのまま引きちぎって持ち去りたいところですが、それは我慢しておきましょう』


「自分が貧乳だからって、他人の胸を引きちぎろうって発想をするような猟奇的な女が私の胸元にいると思うと気が気でないのだけど」


 不満げに翼をバサバサと扇いで苦情アピールをする烏だったが、その翼を畳むと亜麻色の髪の少女の方の側に降り立つ。

 そして、どこか慈愛を含んだ声音で少女の耳元にそっと囁いた。


『アイリーン、私達『聖浄管理委員会ギャラルホルン』は世界から邪悪な心を持つ人間を完全に駆逐し、心正しき者だけが生を謳歌出来る世界の実現を目指しているのは分かっていますね』


「ええ、勿論。何の罪もない善人を貶め穢し犯すような『害虫』の駆除なんて腐るほどやってきたわね。闇ギルドの頂点である『十二冥神ラグナレク』の一角に名を連ねているにも関わらず、悪人だらけの闇ギルドを数え切れない程壊滅させ皆殺しにする、闇ギルドを狩る闇ギルド、それが私達よね」


『その通りです。ですが、今の貴女は闇ギルド狩りのアイリーンではなく、一人の少女を陰ながら見守るフリーの冒険者です。ですから、今の時間だけは普通の少女として過ごしてもいいのでは?』


「……」


『貴女の過去は悲惨という一言で言い表せるような生温いものではありません。だからせめて普通の女の子としての時間を今だけは……』


「それは無理よ、シュカ。私の両手は普通の女の子と呼ぶには大量の返り血で真っ赤に染まり過ぎてる。私はいずれ姫様と共に汚らしい心を持った人間を一人残らず消し去り、この世界を漂白する。そんな人間に町娘のような穏やかな時間なんて、不要なのよ」


『……』


 悲しげに押し黙ってしまった友人に微笑を返し、数多の邪悪な人間を殺し続けてきた亜麻色の髪の少女は、眼前に広がる木目調の天井に手を伸ばし、


「いずれ訪れる破滅の時間まで『彼女』を守り通すのが私の今の使命。それが私の一番やりたい事で、一番成さなければならないことなのよ」

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