第54話 リザードマン、拾いました(女神暦1567年4月29日/北の大森林)

「お米が食べたい」


 アルトの村の北に広がる大森林で薪拾いをしていたカレンは、背中に背負った木籠にポイっと大ぶりの枯れ枝を放り込んでそう呟いたフローラに視線を移す。


「どうしたの、フローラ? お米って東大陸で栽培されている穀物の事?」


「東大陸で栽培されているお米っていうのがどんな物かは知らないけれど、小さな粒状の実を付ける植物で色々な料理にも使えるし、おかずとセットで食べれば特に美味しくなる穀物ね」


「お米か~、旅に出ていた時に色々な所に行ったけど、私は食べた事ないんだよね」


「あら、そうなの? そういえば、カザンの町に前に行った時にも商店にお米らしき物は置いてなかったわね」


「アリーシャ騎士団領の主食はパンだから小麦栽培は盛んみたいだけど、お米を栽培している農家はこの辺りだと聞いた事ないね」


「そっか、ならこの先もお米を食べれる日は来ないのかしら。元の世界にいた頃のお友達のリースの作るパエリアが絶品だったから、久しぶりにお米の食事もいいかなと思ったけれど、手に入らないなら諦めるしかないわね」


 無念そうに嘆息しながらも未練たらたらといった様子でポイポイと枝を籠に放り込んでいくフローラに苦笑すると、自分も薪集めに戻ろうかと手頃な大きさの薪が落ちていないか視線を地面に移すが、ふと思いついた疑問をフローラにぶつけてみる事にした。


「フルーツと野菜の栽培をアルトの村の貴重な財源にまで成長させたフローラなら、お米とかも作れるんじゃない?」


「う~ん、まあ、お米の苗もある事にはあるんだけど普通の品種とはちょっと違って、栽培環境が限定されてるのよね」


「? アルトの村だと、栽培出来ないの?」


「私が今持っている苗の品種を育てるには大量の水がいるのよ。普通の稲ならアルトの村でも栽培出来るだろうけど、そういった苗をまた手に入れる前にこの世界に召喚されたものだから手元にないのよね」


「大量の水か……。それだとアルトの村じゃ難しいかもね」


 アルトの村は北を今私達がいる大森林、他の三方は僅かな木々しか生えていないコントラルト平原が広がっているばかりで、河川や湖沼のような水源はない。

 アルトの村の地下には水脈が通っているので井戸から水を汲んでおり、元々の人口が少ない事もあって村での生活用水には事欠く事もなく、小規模経営だった農業に必要な水も自分達の村で賄う事が出来ていた。

 私は稲作には詳しくないのでどれだけの量の水が栽培に必要なのかは分からないが、村の井戸水だけで事足りる訳ではないのはなんとなく分かる。

 カザンの町で水を買って来るという手もあるが、お米作りに必要な量の水を買い続けていればこっちが破産してしまうのは火を見るよりも明らかだ。

 どうやらアルトの村での稲作事業は断念する他ないらしい。

 

「パンが主食の食生活に対して不満がある訳ではないけれど、たまにはお米が食べたいのよね。まあ、セレスの作るご飯も十分美味しいし、贅沢を言うのは止めておくわ」


「私もお米は食べてみたいけど、アルトの村の周辺の水資源を考えるとそうするしかないかもね」


「そうね。儚い夢は脇に置いておいて、素直に薪拾いに戻る事にするわ。私は向こうの方を見てくるから、カレンはこの辺に薪になりそうな物がないかもう少し探してくれる?」


「了解。あんまり遠くに行っちゃ駄目だよ」


「もう、子供扱いしないで。迷子になるような年齢じゃないんだから」


 頬を膨らませて茂みの奥へと姿を消したフローラの背中を見送り、地面に転がっている枝を拾い集める単純作業に戻る。

 北の大森林を管理していたのはアルトの村の住民達だったが、半年ほど前のペルテ国軍の虐殺によって皆殺しの憂き目に遭って以降、この森を利用する者は一人遺されたゼルダと途中から村の住人となった自分だけとなってしまったため、森の手入れはほとんど手が回っていない。

 木こりに伐採される事もなくなった木々は自由気ままに天を目指してグングンとこずえを伸ばし、収穫する人間もいなくなった果樹には熟れた果実を狙った野生動物が沢山寄り付くようになった。

 村の破壊された建物の修繕用の木材は欲しいが大工を雇う資金の余裕もないし、果物も村の果樹園で商売用と自分達で消費するための分も十分確保出来ているので、その辺りは大きな問題ではないのだが、


「アレンを召喚した魔法陣のあった遺跡って一体何だったんだろう?」


 籠の中で枝が擦れ合う鈍い音を立てる中、私は遺跡のある北の方角を見遣る。

 『隷属者チェイン』という不思議な魔法や能力を操る少女達を従えているあの変わった少年と初めて出会ってから一週間程度が経ったが、あの地下遺跡の正体は未だ不明なままだ。

 周囲の木々と茂みに隠れるように存在していたあの場所には、アレンと出会って以降足を運んでいない。

 突然異世界から不思議な力を持った男の子を召喚してしまうという夢物語のような出来事に遭遇し、その後も『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』との騒動が立て続けに起こったので、ゆっくりと遺跡探索の時間を設ける暇もないままズルズルと日々を過ごしてしまっている。

 アルトの村で生まれ育ったゼルダも、北の大森林にひっそりと隠れるように存在していた遺跡に困惑していたので、アルトの村民達も今まで発見した事のない場所である事は確かだと思うが……。


「アレン達、昨日はお城で一泊した筈だから今日の朝に首都を出立したら、今日の夕方か夜ぐらいには帰って来るよね」


 アレンとゼルダ、その付き添いであるエルザとセレスは騎士団領を治めるアリーシャという女性のお膝元である首都ライオネットに赴いていて、ドロシーとルイーゼは大盛況が続いている図書館の運営に忙殺されている頃だ。

 シャーロットは、私達が薪拾いをしている間だけ非番で村に遊びに来ていたニーナがギルドハウスで遊び相手を務めてくれているのできっと大丈夫だろう。

 謎の遺跡の正体も気になるところであるが、今は居心地の良いこの時間を目一杯満喫しよう。

 図書館業務で多忙な現在は頼み事をする訳にはいかないが、雇った司書の人達が業務に慣れて円滑に仕事が回っていくようになった頃にでもルイーゼに遺跡の調査を頼んでみようかなと思っている。

 私やゼルダには到底思い付きもないような発想力や博識な知識で思わぬ発見をしてくれる可能性もある。

 我ながら他力本願だなあとしみじみと感じるが、生憎あいにくと考古学は門外漢なので、こればかりはそういった学問や見識に多少でも精通した人物にお任せするしかない。


「その代わりといってはなんだけど、皆が疲れて帰ってきた時に美味しいご飯を用意して『おかえり』って迎えてあげないとね」


 流石に、セレスが作るような一流シェフ顔負けの絶品料理の数々と比較してしまうと私の料理なんて全然大した物ではないけれど、料理は愛情っていうし皆喜んでくれる筈……だよね?

 そのためには今日の夕飯の煮炊きに使用する薪を手に入れない事には何も始まらない。

 再度薪拾いに戻ろうと身を屈めた時だった。


「カレン、ちょっと来て!」


 木立の奥から響いて来たフローラのどこか緊迫感を孕んだ声に、私はその場ですぐに立ち上がると声のした方へ駆け足で向かう。

 フローラがあんな慌てた声を漏らすなんて、只事じゃない! 魔物でも出たの!?

 この森には兎や鹿といった野生動物も生息しているが、そんな動物達を糧にしている魔物も多くいる。

 強力な魔物は森の奥で暮らしているので、広大な森の入口付近に近いこの周辺一帯でそういった相手と出くわす事はないと思うが、群れからはぐれた個体がこんな所にまで迷い込んできてしまった場面に遭遇してしまったのかもしれない。

 外出時には護身用として魔法の発動をアシストしてくれる杖を左右に三本ずつ収めた縦長のロッドホルダーを腰に帯びているので、いざとなればこれを使って迎撃するしかない。

 大慌てで行く手を阻む鬱蒼と生い茂った茂みを両手で掻き分け、たまに皮膚を掠める枝葉の先端に痛みを感じながら前進を続けると、木々の切れ間から木漏れ日が差し込む開けた場所に出る事が出来た。

 そして、その場所で膝を突いて「ちょっと、アンタしっかりしなさいよ!」と声を上げているフローラを見つける。


「フローラ、どうしたの!?」


「カレン、来てくれたのね。薪拾いしていたら、この子が倒れていたのだけどさっきから様子がおかしいのよ」


「この子?」


 小首を傾げて疑問符を浮かべながら、フローラの側に歩み寄ってみる。

 彼女の膝元でぐったりとした表情で仰向けになっていた者の姿に、思わず目を見張る。

 胴長短足の特徴な体躯。

 首元とお腹の一部を除いた全身を覆っているうろこ状の外皮。

 前後に長く伸びた頭と、蛇のような細長い舌。

 爬虫類じみた肉体に、あしのような植物で編み込んだ腰布を纏ったわりと小柄な体躯の人物は……。


蜥蜴人族リザードマンじゃない!? どうしてこんな所に行き倒れてるの!?」


 蜥蜴人族は湖沼や湿地帯を好み、集団で集落を形成して集団生活を送る獣人種の一種だ。

 人間と同等の知識や思考力を保有しており、水辺での戦闘では並の兵士では全く敵わない程精強な一騎当千の武人となる事で知られており、傭兵家業で身を立てる者も多くいるらしい。

 その代わり、変温動物と同様に外気温で自分の体温が左右されてしまうため冷帯や寒帯の気候では生存が非常に困難な種族だ。

 しかし、今は4月の終わり頃で肌寒い秋や冬でもないし、今日は快晴でポカポカ陽気なので寒さが原因で倒れている訳ではないと思う。


「意識はあるの?」


「声を掛け続けると『うっ、あ……』とかか細い声で反応はするんだけど、意識がかなりおぼろげな感じみたい」


「怪我とかは?」


「泥で体が所々汚れているけれど、目立った外傷はない感じね。魔物に襲われた訳でもなさそう」


「それじゃあ、一体どうしてこんな所に倒れているんだろう?」


「それが分からないのよね」


 怪我を負っている訳でもないが、意識は朦朧もうろうとしている。

 う~ん、一体どうしたらいいだろう?

 二人して頭を悩ませていると、問題の蜥蜴人族が「は……は……」と蚊の鳴くような声を漏らした。

 互いに口元に人差し指を当て、(静かに、静かに)と目配せしながら、蜥蜴人族の言葉を一言一句聞き逃すまいと耳をそばだてる。


「は……は……」


「「は?」」


「は……はら……へっ……た」


 ガクッと全身の力が抜けて、思わずその場にへたり込んでしまった。


「お、お腹が空いてただけみたいだね」


「ひ、人騒がせな人ね」


 先程まであんなに心配していたのに、こんなにあっけなく徒労に終わるとは思っていなかった。

 だけどまあ、命に別状はないようだし、大事にならなくて良かったかもしれない。


「で、どうするカレン。この人空腹でぶっ倒れてただけみたいだけど」


「このままここに置いていくのは流石に良心が痛むから、とりあえず台車を持ってくるね」


「その方が良さそうね。沼地を抜けて来たのか分からないけれど、体中に付いた泥や藻から臭い匂いがプンプン漂ってきているからお風呂にも入ってもらいましょう」


 拾い集めた薪を入れていた木籠を乗せるための台車を曳いて来たので、それに移せば村まで連れて行く事が出来るだろう。

 スペースを確保するために既に積み込んでいた薪の一部は森にお返しする羽目になるが、背に腹は代えられない。

 フローラに蜥蜴人族の見張りを任せ、青々とした葉を茂らせた草陰を通り抜けるのに苦心ながら、


「まさか薪を拾いに来たのに、蜥蜴人族を拾う事になるなんて思いもしなかった」


 そう独り言をポツリと漏らして、愛車が待っている場所に向かって歩を進めた。

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