第46話 恐怖の群れ(女神暦1567年5月1日/東の山脈)

 『ゴブリン・キングダム』の本隊が到着するまでの間、グレゴール伯爵軍と森羅教、ダガン将軍率いるゴブリン隊は一同に会し、ここに至るまでの経緯を互いに確認し合った。

 グレゴール伯爵は森羅教の首領である姫島綴から事情を聞いて不躾な態度をダガン将軍に謝罪し、ダガン将軍も『ゴブリン・キングダム』のピゾナ襲撃を止める事が出来なかった事を陳謝した。

 互いにわだかまりも解け、現在は魔女達の移送作業もかなり順調に進んでいて、このままのペースでいけば後ニ十分程すれば魔女達の救助も完全に終了するとのことだ。

 だが、そう簡単に救援作業が滞りなく進むとは思っていない。

 先程のゴブリン魔導士部隊の殲滅戦において、数名のゴブリンを取り逃がしてしまった。

 今頃は本隊と合流して、俺達の戦闘スタイルや装備等、情報を指揮官に報告している筈だ。

 こちらも手の内を全て明かした訳ではないが、それ相応の対応策を練ってこちらに進軍していると思われる。

 気を抜いていれば、思わぬ反撃に遭う可能性もあるだろう。

 全員がそう結論付け、装備の点検や魔力や体力の回復に専念している中、それは突然来訪した。

 魔女達を守るように円形を描くような陣形を形成していた俺達を取り囲むように、唐突に白い霧が吹き荒れる。

 何も存在していなかった場所に出現した謎の霧に兵士達の間でどよめきが広がり、あちこちから困惑した声が漏れ始める。

 その不気味な靄に見覚えがあった俺とセレスは、互いに目を見合わせる。


「セレス、この霧は!?」


「はい、旦那様! ほんのごく僅かですが、ピゾナの町で出会ったアリステスという少年の魔力を感じます!」


「クソ、今の状況であの二人の相手なんかする余裕なんてないぞ!」


 屍冥華シー・ミンファとアリステス。

 彼らが今回の戦いに参戦するのであれば、とても『ゴブリン・キングダム』の本隊の相手をするだけの余力など残りはしないだろう。

 ダガン将軍や綴という少女もかなりの手練れだが、体力や魔力も消耗しているだろうし、あまり戦闘で無理強いは出来ない。

 比較的体力も魔力も余裕があるのは、俺やゼルダ、エリーゼだが、俺達が束になっても勝てる見込みはかなり薄い。

 いざという時は、俺が身を挺してでも皆を守らなければ。

 そんな風に決意を新たにしながら、霧が晴れるのを待つ。

 最初は面食らって棒立ちになっていた兵士達も、今はそれぞれの武器を手に臨戦態勢を整えており、怯えている避難民達に寄り添う者や、急いで移送担当の翼竜の背中に乗せて避難準備を再開しようとしている者もいる。

 グレゴール伯爵を庇うように立ち、両手に嵌めた鈍色にびいろの手甲を打ち鳴らすアニスも腰を落とした構えを取っており、エルザとアールタも手の届く距離で寄り添っている。

 全員が何が出てこようとも、すぐさま迅速に動けるように態勢を整えていた。

 そして、張り詰めた糸のような緊張感がピンッと辺りに漂う中、乳白色のベールが取り払われた。

 霧が晴れた先には無数の岩のような物がすし詰め状態で密集しており、最初はただの岩かと思った。

 しかし、不揃いな牙を生やした口が体中から大口を開けて耳障りな、キィイイイイイイイという叫び声を上げ、その奥から伸長する触手には大量の吸盤がびっしりと付随しており、見ただけでも全身に鳥肌が立つ。

 それらには眼球や鼻のような周囲の状況を察知するような器官は見当たらなかったが、何らかの方法で周囲の情報を獲得しているのか、こちらに向かって甲高い奇声を咆哮しながら這いずって進軍を始めた。

 そして彼らの最奥にそびえていた、二十メートル越えの巨大な肉塊も緩慢な動きで周囲から遅れがちに侵攻を始める。


「な、何だ、あの化物は!? あんな魔物はこの山には棲息していない筈だぞ!」


「……伯爵様、決して私のお側から離れないようお願いします。あの魔物のような生き物、何か嫌な気配がします」


「わ、分かった。総員、武器を構えろ! 避難民達の移送を急ピッチで進め、彼女達の避難が完了するまでの間、なんとしてもこの場を死守せよ!」


「「「はっ!」」」


 グレゴール伯爵の指示を受けた翼竜ワイバーン隊の面々は瞬時にサーベルを抜刀、撃鉄を下ろし、不気味な肉塊に切っ先と銃口を向ける。

 その統率された無駄のない動きは、彼らが平時から訓練を丁寧に積み重ねている事を窺わせるものだった。

 『ゴブリン・キングダム』の本隊との最終決戦を前に、こんな訳の分からない怪物達の相手をする事になったが、あの霧はアリステスの能力で生み出されたもので間違いないだろう。

 つまり、あの醜悪な生き物をここに運んできたのは『狂焔の夜会ラグナスティア』の差し金という訳だ。

 出奔したダガン将軍に手を貸したり、『ゴブリン・キングダム』の魔女の隠れ里強襲計画を故意に漏洩させたりするなど、いまいち何がしたいのか分からない連中だが、少なくとも味方ではないらしい。

 あの数を相手にするには木刀だとキツイか……なら!


「『魔装化ユニゾン・タクト』スタイルチェンジ! 魔導士ウィザードフォーム!」


 今の『剣士』フォームは、対人を想定した白兵戦では卓越した戦闘能力を誇ってはいるが、今回のように本能で戦う魔物を大量に相手取る場合は、剣術を主体とした武装よりも、広範囲攻撃に秀でた魔導士のような戦闘スタイルの方が戦いやすい。

 そういった、戦う相手によって『魔装化ユニゾン・タクト』の戦闘フォームを即座に変更し、自分が有利なジョブスタイルに装備や技、魔法を一新することが出来るのも、『魔装化』の強みの一つだ。

 足元に展開された大輪の花が中央に描かれた若草色の魔法陣がせりあがって俺の体を通過し、頭の先まで通過したそれが音を立てて砕ける。

 白地の生地に若草色の刺繍が施されたローブ。

 数枚の桜の花弁が中央に眠るように浮かんでいる桜色の琥珀こはくが杖先にめられている木杖。

 ゲルグの屋敷でガイオンを捕縛した時と同様の姿に変化した俺に、伯爵やアニス、エリーゼや翼竜隊の皆から驚愕の視線を向けられるのが分かった。

 まあ、それも無理ないよな。

 俺は瞠目する彼らに十分な説明をする時間的な余裕がない事を心の中で謝りながら、杖先を魔物の群れに向ける。

 体内で魔力を錬成するが、それはガイオンに対して魔法を行使した時の魔力量とは桁が違う程の量だ。

 あの数相手に一体ずつ始末していれば、あの肉塊の波に完全に飲み込まれ食い殺されるだろう。

 だからこそ、こちらも物量で勝負させてもらう!


「『我が友を守り給え、神樹の守護騎士団グレイバース・パラディン』!』


 杖の石突を大地に突き立て、地中に大量の魔力を流し込む。

 すると、若草色の巨大な魔法陣が俺だけでなく、伯爵達やエリーゼ達の足元にまで展開するほど大きく広がり、若草色の燐光が一斉に噴き出す。

 蛍火のようなそれらが皆を照らし出し、「綺麗……」という賞賛するような声が誰からともなく漏れ出した。

 だが、不気味な肉塊の群れはそれを意にも介すことなく這いずり続け、俺達の陣列に向かって徐々に肉薄していた。

 銃士が懸命に引き金を引いて、肉塊のブヨブヨとした質感の皮膚に弾丸を叩き込んでいるが、腐った卵のような臭気を放つ紫色の血を噴き出しながらなおも臆する事なく進軍を続ける奴らに及び腰になり始めている。

 何度狙撃しても効果のない強靭な生命力と、俺達を食い殺してやるという圧倒的な飢餓感に支配された肉の侵攻を阻む者はないと思われた。

 しかし、魔法陣の輝きが一層光を増した刹那、魔法陣から無数の人影のようなものが浮上してくる。

 それは、木製の騎士だった。

 大樹がそのまま姿を騎士に変えたのであろうかと思うほど巨大な大鎧姿の騎士が身の丈程もある大斧を振り回して、肉塊を真上から十匹以上まとめて真っ二つに両断する。

 木製の駿馬しゅんめに騎乗した騎士が、魔女達に近づこうとした肉塊を馬上槍で刺し貫く。

 横一列に整列した銃士の軍勢が一斉に木製のマスケット銃を構え、大粒の種子が詰まった弾丸を装填し、何の合図もなしにほぼ同時に発砲する。

 翼竜隊の撃ち込んだ弾丸をものともせずにいた肉塊達の肌を突き破った種子の弾丸はその血肉に根を張ると、周囲の脂肪や血液を養分にして急成長を始め、内側から肉を突き破って血に塗れた枝葉が怪物の口や皮膚から顔を出す。

 肉塊の群れから腹を満たす獲物を見つけた時の歓喜の声ではなく、「ギィイイイイイイイ!!」という苦悶の叫び声が上がり、地面をのたうち回って後方の仲間の進路を妨害するものまで続出し始めた。


「……これは凄いな。あの魔物の群れの先頭を走っていた前衛は軒並み仕留められてしまったようだ」


「『我が友を守り給え、神樹の守護騎士団グレイバース・パラディン』は神樹と呼ばれる神聖を帯びた霊木から生み出された樹木の騎士団だ。向こうが数で勝負してくるなら、こっちも数で勝負してやるさ」


「確かにあの騎士団の実力は目を見張るものがあるな。一国の軍隊にも引けを取らないのではないか?」


「魔力の消費量が多いのが難点だが、俺の魔力量は元々かなり多いからな。まだ余力は残っている」


「よく分からんが、でかしたぞアレン殿! これなら連中も一網打尽だ!」


「……いや、伯爵殿。どうやら、そう簡単に諦めてくれるほど、向こうは甘くないらしい」


「な、なんだとっ!?」

 

 油断する事なく群れを見据えるゼルダは落ち着き払っているが、グレゴール伯爵は大仰に驚きを露わにした。

 俺の視線の先では事切れた肉塊に群がってその死肉を喰らい、より肥大化していく肉塊の群れがいた。

 彼らは死んだ仲間の血肉をその身に取り込むことで、己の力をより強大に強化していくらしい。

 同胞の肉を咀嚼し嚥下した肉塊の這いずる速度が格段に増し、喉奥から伸びる触手の本数も倍になった。

 風船玉のように膨らんだブヨブヨの肉塊が、ローションのように粘り気の強い唾液を絡ませた触手を大量に生やしている光景はホラーとしかいいようがなかった。

 あの勢いでは、召喚した騎士団でも捌き切れずに多くの取りこぼしが生じるだろう。

 騎士団の攻撃を逃れた肉塊が魔女達や他の者達の肌を食い破るのも時間の問題だ。

 俺の他の魔法でも、円形に広がった肉塊の群れを一斉に殲滅するのは非常に困難だろう。

 四方八方に蔓延る肉塊を相手取るには、俺以外にも強大な力を宿した者が数名必要だ。

 それを解決する方法はあるにはあるが、それにはにも最前線で戦ってもらう必要が出てくる。

 しかし、彼女を守るにしてもこの魔物の群れを全滅させない事にはどうしようもない。

 ……一か八か、やってみるか。


「ゼルダ、エルザ! 俺の側に来てくれ!」


「分かった!」


「うん!」


 静かに俺の側まで歩み寄ってくれたゼルダと、アールタに付き添われながら走り寄ってきたエルザがやってきた。

 俺の言葉にすぐさま応じてこうして側に来てくれる二人の存在がたまらなく愛おしく思えて来て、こんな状況にも関わらず口元が綻ぶ。

 彼女達にはこれからやってもらいたい仕事がある。

 俺も当然ながら全力でバックアップするつもりだが、了承してくれる事を祈るしかない。


「その表情から察するに何か策があるんだな、アレン?」


「ああ、二人にはしてもらい事がある。それは命の危険性もある仕事だ。断りたければ、断ってくれても構わない」


「この絶望的な盤面をひっくり返すような妙案があるのなら、多少の危険は承知の上だ。命のやり取りなど今まで数え切れないほど経験してきた。今更臆するつもりはないよ」


「私もアレン様とゼルダ様と一緒なら、絶対に頑張れるよ! 私に出来る事なら何でもやるよ!」


 二人は俺が何を命じようともそれを遂行して見せるという気概で満ち溢れていた。

 ……これなら、大丈夫そうかな。

 強い決意の光を灯し続ける二人の少女に向かい、俺は毅然とした態度で告げた。


「二人にはセレス、アールタと『魔装化』してもらいたい」

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