第45話 発芽(女神暦1567年5月1日/東の山脈)

「退け! 退け!」

「こいつら、強過ぎる!」

「特にあの木刀持ったガキと氷の剣のガキは桁が違う!」

「ガロン将軍の部隊に至急増援を!」


 草木もまばらな荒れ地にこだまするゴブリン達の悲鳴と怒号。

 最初は俺達に全力で抵抗し、魔法弾をお見舞いしようと足掻いていたゴブリン達だったが、今では圧倒的な力量差に恐れおののき、一心不乱に岩場を逃走していた。

 だが、それをみすみす見送る程こちらは慈愛の心を持ち合わせてはいなかった。

 翼竜ワイバーンに騎乗した兵士が撃鉄を下ろし、背を向けて全力疾走するゴブリンの後頭部に標準を合わせて引き金を引いて、乾燥した岩石に血と脳漿のうしょうがべったりと飛び散る。

 それを目撃した他のゴブリン達も一目散に逃げだすが、上空から戦場を俯瞰している兵士達にはその逃走経路は丸見えだ。

 彼らの示す場所に向かって駆けだせば、おのずとゴブリン達の背中が見えてきた。

 俺は足裏に力を溜め、それを一気に解放させて、弾かれたようにその背中に肉薄し、後頭部に大上段からの振り下ろしを加える。


「ギャァア!」


 そんな耳に突き刺さるような濁った声質の断末魔を最期に、ゴブリンは事切れ、地面に音を立てて倒れる。

 

「ふう、これでかなりの数のゴブリンを倒したな。残りの敵も魔女の護衛をしていたゴブリン達や魔女のお仲間さん達が参戦してくれたおかげでほとんど片付いたし、残るは『ゴブリン・キングダム』の本隊だけか」


 魔導士部隊の統率者であった大将格のゴブリンを最初に狙ったのが功を奏した。

 精神的支柱を失ったゴブリン達は、以前のような統率の取れた連携攻撃を行う動作が恐怖や不安が邪魔をして遅くなり、その隙を突いて一気呵成に攻め続ける事が出来た。

 途中から参戦してきてくれた避難民の護衛役を果たしていた少女達やゴブリン達も、即席の連合軍とは思えない程の息の合ったコンビネーションで敵を駆逐していった。

 敵の攻撃を防御術式で防ぐ少女達と、彼女達が攻撃を凌いだ後にその背後から躍り出たゴブリン達の剣閃や弓矢が的確に敵を討ち取っていく様は非常に見事なお手並みだった。

 ここに辿り着く間に、かなりの信頼関係を築いているのが傍から見てよく分かった。

 それぞれが己の役目を忠実にこなしていなければ、ここまで迅速に敵軍のほとんどを討ち取る事は不可能だったに違いない。


「アレン、無事か!?」


「旦那様、ただいま戻りました」


 そうこうしていると、ゴブリン達を氷の彫像に変えていたゼルダとロング丈のエプロンドレスを翻したセレスがこちらの身を案じるように、岩場の隙間から現れた。


「ああ、俺は大丈夫だ。ゼルダやセレスも怪我はしてないか?」


「私は問題ない。ゴブリンの魔導士達も大方排除出来たし、残りの本隊を迎え撃つだけの余力は十分にある」


「私も魔力の貯蔵はしっかりと残っておりますので、戦闘の継続には問題ないかと」


「よし、ならエリーゼ達と合流して、一度態勢を整えよう」


「ああ、そうだな」


「かしこまりました」


 俺の提案に二人は同意し、上空から索敵を行っていたエリーゼに大きく腕を振る。

 エリーゼは敗走していたゴブリン魔導士達もあらかた倒せたと判断したのか、ゆっくりと滑空してこちらに向かって翼竜を飛ばし、華麗に音もなく着陸させた。

 

「皆さん、お疲れ様です。『ゴブリン・キングダム』の先遣隊はこれでほぼ全滅させる事が出来ました。取り逃がした敵も数人程度いるようですが、岩場という地形を巧みに利用して逃走したようです。もうかなり遠くまで逃げおおせているようですから、これ以上の追撃は遠慮しておいた方がいいでしょうね」


「確かに、深追いし過ぎれば『ゴブリン・キングダム』の本隊と鉢合わせしてしまう危険性もあるし、ここで陣形を整える方が効果的かもしれないな」


「そうですね、ゼルダさんのおっしゃる通りだと思います。兵も少し疲弊が溜まっているようですし、一度小休止を挟んだ方がいいですね。他の者達にもその旨を通達してこようと思います」


 俺達は一旦後退し、散開していた者達をかき集めて一度情報の整理と負傷した者達の治療に専念する事にした。

 『ゴブリン・キングダム』の本隊が具体的にどの位置にいるのかは不明だが、少なくともあまり悠長にしている余裕はないだろう。

 俺の魔力はまだ余裕があるが、実力も不明瞭な大軍に単独で向かっていくのはあまり好ましくないし、ゼルダにまた心配をかけさせるのは止めておきたい。

 

「『ゴブリン・キングダム』との最終決戦まで、あと少し。本腰入れるとするか」







 周囲に霧が立ち込める寂寥とした岩石と枯草しか生えぬ荒れ地を汗だくで走る四人のゴブリン達がいた。

 身に纏っていた法衣は所々が引き裂かれていたり砂埃が纏わりついていて、先の戦闘で魔力も使い果たしたので自慢の杖も松葉杖として活用していた。

「クソッ、何なんだ、アイツらは!」

「まさかギアン将軍が一撃でやられるとはな!」

「だが、ガロン将軍とゴブリンキング様の部隊に合流すれば、あんな連中一捻りだ!」

「そうだぜ、早くお二人の元に戻らなければ」


 『ゴブリン・キングダム』の襲撃計画を謀反を起こしたダガン将軍が魔女達に伝えた事で、魔女達との逃走劇に四苦八苦する羽目になった。

 しかし、ギアン将軍から魔法の手ほどきを受けた俺達魔導士部隊の総攻撃を受け、連中はほぼ虫の息で、全員を捕縛するのも時間の問題だった。

 皆が勝利を確信し、ゴブリンキング様から褒賞を賜る事は確実だと思った時だった。

 空から現れた謎の少年の一撃を皮切りに、この領地を治めている伯爵軍の奇襲を受けるまでは。

 平時であれば十分に対応出来ていただろう。

 そうすれば、あのように一方的に殲滅される事もなかった。

 だが、魔導士部隊の総指揮官であるギアン将軍が一瞬で撃破されたのが痛手となった。

 ギアン将軍は、いつも最前線での白兵戦を押し付けられていたダガン将軍、女と弱者を暴力でいたぶる事しか考えていないガロン将軍に比べて実戦に出ず、狡猾な計略や不意打ちを用いて労せず手柄を立て続けてきた聡明な人物だった。

 前線で陣頭指揮を執る事も数少ない上司だったが、だからといって実力が伴っていないという訳ではなかった。

 『ゴブリン・キングダム』の最高幹部である三人のうちの一人で、魔法技術に関しては最強クラスだった。

 ゴブリンキング様からもその魔法の破壊力は高く評価されていた。

 そんな大魔導士が、真価を発揮する間もなくあのようにあっけなく敗れ去った。

 その信じがたい現実が受け入れられず、本格的な反撃を行う機会を逸してしまった。

 その結果が、このようなプライドも投げ捨てた無様な敗走だ。

 だが、これは後の勝利に繋がるための礎となる。

 幸いなことに逃走している途中に岩場の陰に隠れるようにポッカリと開いた縦穴に足を踏み外して落下してしまった際、縦穴の壁に奥へと続く洞穴を発見し、そこを通って霧の多いこのような場所に迷い出たおかげで追手を巻くことには成功した。

 からくも生き残った俺達が敵の情報を本隊に伝達し、今度は万全の態勢で連中を一掃してやる。


「本隊は本当にこの方向にいるんだろうな!?」


「ギアン将軍が立案された進軍ルート通りに進んでいるのであれば、もうすぐ出くわす筈だ!」


 今回はギアン将軍の計略によってその本隊から離脱し、自分達で手柄を独占するために魔導士部隊のみでの魔女達の戦闘行為に及んだが、まさかあれほどの手練れが助っ人として参戦するとは思っていなかった。

 しかし、本隊にはまだ千人以上の軍勢が無傷で残っている。

 魔女共が翼竜に運び去られる前に、一気に圧倒的な人数差による攻撃を加えて大打撃を加えてやれば、先の戦闘での屈辱をすすぐ事が出来る。

 そう決意を新たにし、勾配のキツイ坂を越えた先に、求めていた者達の姿が視界に映った。


「っ!? おい、ガロン将軍がおられたぞ!」


「なにっ、本当か!? ……おおっ、本当にガロン将軍だ! 配下のゴブリン隊も健在のようだぞ! 俺が一足先に行って報告をしてくる!」


「ああ、頼んだ。俺はもう足が棒のようだぜ。もう歩きたくねえな」


「弱音を吐くんじゃねえよ。これから、あのクソ共を皆殺しにしてやるんだからよ」


 無事に本隊に合流出来た事に安堵する同僚達は地面に座り込んでしまったが、それも無理もない事かと思ったゴブリンは疲労でふらつく足を叱咤し、先頭を歩いていたガロン将軍の元へ馳せ参じる。

 足早に駆け寄って来たこちらに特に目立った反応を見せない様子に少し違和感を感じたが、情報伝達を行う事が急務だと思い直し、速度を上げた。

 しかし、近づけば近づくほど最初に感じた違和感が大きく膨れ上がって来た。

 霧が残っているので見え辛いが、普段通りであれば美しく整えられた隊列は見る影もなく、自由気ままに集団の中を歩き回り、時折肩がぶつかっても何の反応も示さずに再び酩酊したような危なげな足取りで歩行を再開する同胞達。

 そして、そんな規律もへったくれもなくグチャグチャになった隊列に激怒する事もなく先頭を虚ろな表情で歩き続けるガロン将軍。

 そして、一番目を釘付けにするのは、隊列の最後尾にいる何か巨大な物体だ。

 全長は二十メートルはあるだろう。

 霧のせいではっきりとした輪郭は分からず、その白いベールの向こう側に何があるのかは分からないが、時折巨大な岩石を押し潰して粉砕するような破砕音を立てながら前へ前へと進み続けていて、はっきり言って気持ちが悪かった。


「……なんだ、将軍達の様子が何かおかしい。それに後ろのあれは一体……?」


 その異様な光景に立ち止まり、このままここを立ち去った方がいいのではないかという警鐘が心中で鳴り響く。

 だが、ここで逃亡すればダガン将軍とその部下達と同様に離反者として粛清の対象になるのは明白だ。

 状況が全く不明だというのは、かなりの懸念材料ではあるが、あんな酒に酔ったようなよろよろとした歩調ならば、最悪何か不測の事態が起こったとしても、十分に逃げ切れるだろう。

 ここは無難に当初の予定通り、事の顛末を嘘偽りなく報告し、あの忌々しい援軍を殲滅してもらった方が賢明か。

 そう結論を出したゴブリンは、得体の知れない集団になってしまった本隊との接触を前に警戒心を持ったまま静かにガロン将軍の前に歩み出る。

 無様な出で立ちで、見るからに敗残兵といった見た目になったこちらに何も言うこともなくガロン将軍はガクンと首を俯かせた。

 その瞳には何も映っていないように空虚で、ここではないどこかに意識が飛んでいるかのような印象を受けた。

 まるで危険や薬物でも吸引したのかと思うほどの奇怪な動きにゴクリと喉を鳴らし、額に浮かぶ冷や汗を拭いながら、ゴブリンは首を垂れた。


「ガロン将軍閣下、私はギアン将軍直属の魔導士部隊の者です。逃亡中であった魔女共を発見し、それと交戦中に、救援に訪れた伯爵軍の奇襲を受けギアン将軍は名誉の戦死を遂げ、他の者達もほとんどが掃討されてしまいました」


「……」


「つきましては、我々が持ち帰った敵軍の情報を元に隊を再編成し、ガロン将軍閣下とゴブリンキング陛下のご采配を賜り、魔女共の捕縛戦を再開して頂きたく……」


「……に……」


「? た、大変無礼な事だと重々承知しておりますが、将軍閣下は今なんと?」


「……に……く……」


「肉? 肉がどうしたのですか?」


「く……い……た……い……にくが……くい……たい……」


「「「「くいたい……くいたい……にく……にく……」」」」


 ボタボタボタと臭気を放つ涎を大量に垂れ流しながら、一斉にそう呟き始める千人以上の同胞達。


 ゾオオオオオオオッ、と全身が総毛立った。

 何だこれは?

 一体、これは何だというんだ?

 ガロン将軍とその背後にいた兵士達、その全てが一斉にうわごとのように肉が喰いたいと連呼している。

 ゴブリン族は雑食で、動物や魔物の肉も、亜人や人間の肉も食すことはある。

 しかし、余程の飢餓状態でない限りこのように気が触れたように食欲をドバドバ漏らし続けるような事は無い筈だ。

 だが、ここのところは食糧事情も安定し、砦の兵士や侍従達の肉を腹に収めた事で腹は満ちていたのに、どうしてこのような状態になっているのだ。

 自然と後退りし、足が震えるのを止めることが出来ずにその場に縫い留められる。

 だが、それがいけなかった。

 早くここから離れるべきだった。

 それを悟った時には既に手遅れだった。

 唐突にガロン将軍の巨躯がボコボコと内側から葡萄のように膨れ上がり、それと共に全身の肉がドロリと蕩けて体の輪郭が巨大な肉団子のように変貌していく。

 ガロン将軍だった丸々と肥え太った団子につられるように、他のゴブリン達も続々と体が醜悪な球体にグチャグチャとした粘着質な音を立てながら組み変わっていく。

 まるで内側に潜んでいた何かが無理矢理宿主の体を強制的に造り替えられていくかのように、苦悶の声を上げながら変化していく同胞の成れの果てを大きく目を見開いて見届けてしまい、そこが限界だった。


「うわぁあああああああああ!!」


 棒立ちになっていた足を思いっ切り殴りつけ正気に戻ると、醜悪な肉塊から一歩でも遠ざかろうと背を向けて全力で駆けだす。

 前方では、こちらをとっくに見捨てて逃げ出している仲間の背中が遠ざかっているのが見え、


「ふざけるなよ、貴様ら!!」


 薄情な仲間に腹の底が煮え滾るほどの怒りが沸々と湧き上がってくる。

 生き残ったら、必ずぶっ殺してやる!

 しかし、それが叶う事はなかった。

 足元にべちゃりとした湿った感触がグルグルと巻き付いてきて、バランスを崩して地面に顔面をしたたかに打ち付ける。

 何事かと思い己を足元を見据えると、太長の触手が膝から下をがっつりと掴んでおり、タコのような吸盤がひるのように肌に吸い付いてきて生理的な嫌悪感で体全体が蝕まれる。

 その触手の先には先程の肉塊があり、変化したばかりの時にはなかった牛一頭を丸飲みに出来そうなほど巨大な大口が幾つも開かれていて、その喉奥から伸びる触手が自分の足に絡みついていたのだ。


「俺を食う気なのか!? クソ、一体どうなってやがるんだ!?」


 必死に足を締め付ける触手を振り払おうと拳を叩き付けたり、引き剥がそうと両手で引っ張るが、吸盤がのりのようにへばりついて全く離れる気配がない。


「ぐわぁああああ!?」

「は、離せ!」

「嫌だ、嫌だぁあああああ!」


 前方から響き渡る絶叫。

 どうやら、先に逃げ出した連中もあの触手に絡み取られたらしい。

 ズルズルと引きずられていく音が耳に刺さる。

 どうやら、自分と同じ末路を辿る事になったらしい。

 ボタボタと水溜まりのように地面に滴る涎と、その奥に広がるピンク色の口内。

 それに自分が引きずり込まれていく光景に、思わず渇いた声が零れる。


「はははっははは……」


 触手に導かれて、獲物を貪り喰らう瞬間を夢見て歓喜に震えるかのように身を震わせる肉塊の口の中に放り込まれた瞬間、


「畜生がぁああああああああああ!!」


 荒廃した高山にグチャグチャという咀嚼音が四つ響き渡る。

 そして、一分も経たずに食事を終えた肉塊が、まだ空腹を訴えるかのように触手を地面に何度も叩き付け、肉塊を後ろから見渡すように|聳(そび)える霧の奥に潜む巨大な何かも怖気が走るような声を上げる。

 すると、おぞましい進化を遂げた肉塊の軍勢が唐突に白い霧に包まれその場から忽然と姿を消した。

 もうそこにはただの荒れ果てた大地だけが残されていた。






 敵軍の第一陣を死傷者を出す事無く殲滅したアレン達を高台から見据えながら、


「さて、これより身の毛もよだつような饗宴が幕開きますが、一体何人生き残るのか、はたまた全員が腹に収まるのか。さあ、これが最終章です」


 絶望の群れを転移の力でこの場に呼び寄せようとするシルクハットの少年と、これより開幕する惨劇を楽しみに酷薄とした笑みを浮かべながら舌なめずりする濡羽色の髪の少女が、アレン達をずっと見続けていた。

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