第44話 守る者、守られる者(女神暦1567年5月1日/東の山脈)
突然上空から飛来した謎の少年が、敵軍の指揮官を一撃で仕留めた後、疾風怒濤の剣速で右往左往する残敵を掃討していく光景に、あんぐりと口を開けて目を見張る魔女達。
絶体絶命の窮地を救われた身であることは確かだが、まさか空から人が降って来るなんて完全に予想の範疇を越えている。
ウチが友軍のゴブリン達に視線を向けると、彼らも突然現れた若草色の髪の少年によって撃破されたギアンとかいう敵軍の将がもうピクリともせずにぶっ倒れている事にかなりの衝撃を受けているようだった。
『ゴブリン・キングダム』は、二千人以上の構成員を抱える大ギルドだ。
そして、その頂点に君臨するゴブリンキングを除き、将軍の地位を与えられているのは僅か三人のみらしい。
ウチらの護衛役を買って出てくれたダガン将軍、さっき木刀で脳天にキツイ一撃を喰らってあっけなく倒れたギアン将軍、先遣隊として前線に出てきたギアン将軍の後を追ってこちらに進軍中であるガロン将軍だ。
その三人はゴブリンロードと呼ばれる上位種で、ゴブリン族の中でもかなり抜きん出た実力の持ち主達で、並のゴブリンでは薄皮一つも傷付ける事無く敗北するであろう圧倒的な実力差。
ゴブリン達が恐れ敬う最強の三人の一角がこうも簡単に敗北した。
一体、あの少年は何者なんや……。
少年が指揮官を失って及び腰になったゴブリン達を殲滅していく中、上空から
サーベルやマスケット銃等、様々な装備で身を固めた兵士達が敵将を討ち取った少年に続けとばかりに敵軍のゴブリン達に肉薄し、一気に畳みかけるように刃を振るい、引き金を引き続ける。
ゴブリンの魔導士達もギアン将軍の突然の死に動揺こそしていたが、このまま狼狽えたままでは自分達も指揮官の後を追う事になると悟ったのか、杖を掲げ魔法を発動させようとするが、遠距離からの狙撃や上空から襲い掛かる翼竜の背に乗った兵士のランスで命を断たれ、ウチらを散々苦しめた魔法弾の弾幕を張る時間すら与えられなかった。
あの調子では、ギアン将軍直属の魔導士部隊といえど、ただ狩り殺されるだけの害獣として殲滅されるだろう。
それを実感出来ただけで、凝り固まっていた肩が大分楽になった気がする。
あの青い軍服はマルトリア神王国の軍隊の物だ。それを纏った兵士達が山中を逃げ回っていたウチらを助けに来てくれたという事は……。
「姫島殿、救援に参ったぞ!」
「この声、グレゴール伯爵か!?」
自分達の頭上から降り注いできた聞き慣れた声に強烈な安堵を感じながら、慌てて空を仰ぐ。
オレンジ色に染まった空を旋回していたのは、自分達に居場所を与えてくれた男性と彼の仲間達だった。
デップリと太った肥満体型から想像出来る通り、戦闘に関してはからっきしの人物だが、翼竜を操る技術に関しては伯爵領の中では最も優れている。
周囲を岩場に囲まれ、平坦な土地なんて僅かしかないこのような山奥にも関わらず、伯爵は如才なく翼竜を滑空させ、静かに地上に着陸させた。
仲間の魔女達や、ウチの仲間達も伯爵が助けに来てくれた事で随分と肩の荷が下りたのだろう。
互いに抱き締め合って涙ぐむ者や、ハイタッチをして喜びを分かち合う者も多く出始めた。
「伯爵様、助けに来てくれたんやな!」
「無論だ。君達を迎え入れた時点で、諸君らは領民同然だ。民を見捨てる事はせんよ」
「おおきに、助かるわ。早速で悪いんやけど、疲労の激しい老人や子供らを先に助けてくれへんかな? ウチらは後回しにしてくれて構わへんから」
「承知した。その者達を先に翼竜で安全な場所まで運ぶようにしよう。だがその前に訊きたい事がある」
魔女達を翼竜の背中に迅速に騎乗させていく伯爵の部下達も、密かに聞き耳を立てているのが分かった。
彼らも伯爵と同様に、ウチの背後におる大剣を手にした偉丈夫のゴブリンと、負傷した者達に軟膏を塗ったり、折れた手足に添え木をして応急処置をしているゴブリン達を訝しげに見遣っていた。
「何故敵である『ゴブリン・キングダム』の者達が君達を守ろうとしている?」
「まあ、当然の疑問やわな。ここにおるゴブリンさんらは『ゴブリン・キングダム』を見限って、ウチらを助けに来てくれたんや」
「ギルドを裏切ってだと? 一体、それはどういう……」
「グレゴール伯爵殿とお見受けする。少しよろしいだろうか?」
更に疑問を挟もうとした伯爵に割って入るようにウチの背後から、厳めしい顔つきのダガン将軍が歩み出る。
「ここにいるゴブリン隊の総指揮官のダガンという者だ。我々が魔女達と行動を共にしている詳しい経緯は、後ほど必ず説明する事を確約する。今、我々は『ゴブリン・キングダム』とは袂を分かち、魔女達の命を救うために戦っている。貴方は貴女の部下達を傷付けるような真似は決してしないと誓おう」
「ウチからも頼むわ。この人らが里に危険を知らせてくれへんだら、今頃ウチらは『ゴブリン・キングダム』に一人残らず捕まっとった。ゴブリン族やからって、そないな警戒心剥き出しの態度をせんといてあげてくれへんかな?」
「し、しかし、お前達ゴブリン族によってピゾナの町は滅ぼされた。町民の多くが虐殺され、親を喪って孤児となった子供達も多く出てしまった。簡単に信用する訳には……」
伯爵は語尾を濁しつつ、ゴブリン達に険しい視線を向けるが、彼らが本当に信用に足る者達であるのか判断が付かずに逡巡しているような様子だった。
それが無理からぬ事であるのは、よく理解出来た。
ゴブリン族と言えば、山野を根城にした自給自足の生活体系を形成した種族であり、一時期は他種族の女性を攫い里に連れ帰って自分達の子供を孕ませ続けるという悪習が存在していた事から、他の種族や亜人、特に世界的に人口の多く標的にされる事も多かった人間種達からは凄まじい嫌悪感と差別意識を持たれている。
また正々堂々とした戦いを好まず、多人数による集団戦術で孤立している者を集団でいたぶって惨殺する残忍な性格であるとも伝えられている。
ウチらの故郷である武蔵国にもゴブリン族はいたらしいが、国王直属の忍軍部隊によってほぼ皆殺しにされたそうで、この伯爵領に訪れるまでは、ゴブリン族というのは絵や文献でしかその姿や生態を知る機会がなかった。
里に突然彼らが現れた時は、里の女性達を襲いに来たのかと思い、即座に『
だが彼らは、大切な自分達の居場所を切り捨て逆賊に身を堕としてまでも、ウチらを救いに来てくれた。
彼らのその強固な決意と覚悟がなければ、ウチらは誰一人この場所に辿り着く事は出来なかった。
今ウチと一緒にここにいる者の中に敵なんぞ一人たりともおらん。
生き残りたいという強い願い、大切な者を守り抜きたいという想い、多くの命を奪い続けてきた事への贖罪か武人としての信念か。
この場所に至るまでに胸に灯し続けていた炎の色は違うのかもしれん。
だけど、誰一人死なずにここまで来れたのは、生い立ちも違う、種族も違う、誇りや信念も違う、そんなてんでバラバラな連中が一緒になって必死に足掻いて、泥臭く戦い続けてきた結果や。
ここにおる誰かが一人でも欠けていれば、根を上げて歩みを止めていれば、たった今目の前にやって来た希望の光に照らされる事なんてなかった。
ダガン将軍や他のゴブリン達が過去にどんな悪さに手を染めてきたのかウチは知らへん。
彼らが今まで自分達が行ってきた、洗い流せないほど血の匂いがベッタリとこびりついた過去を清算するつもりでこの場所までウチらを支えてくれたのだとしても、一向に構わへん。
故郷を追われ、居場所を失い、誰からも必要とされずに生き続け来た。
どこへ行っても気味悪がられた。
ルスキア法国の魔女達も、魔法の才や力がないというたったそれだけの事で迫害され続けてきた。
皆に共通していたのは、誰からも己の価値や存在を肯定してもらえた記憶がほとんどなかった事だった。
だからこそ、初めてやった。
里に到着した時、勢いよく地面に額を打ち付けたゴブリン達が放った言葉が。
『我々は貴女達に死んでほしくない。我々は貴女達を救いたい、支えとなりたい。何様だと吐き捨てられても構わない。どうか、我々に貴方達を救わせてくれ!』
死んでほしくない?
救いたい?
支えになりたい?
そんな言葉なんて、今まで過ごして来た場所では一度たりとも聞いた事がない。
そして、その言葉の通りに命懸けでウチらを守ろうと剣を振り続けた物好き達に出会うのも初めてやった。
そんな風変わりな連中を見捨てて自分達だけ助かるなんて真似が出来る訳がない。
だからウチは、彼らがウチらにしてくれたように同じ事をする。
魔力もほとんど残ってないふらつく体に激を入れ、地面に膝を突く。
岩場を何度も越えて所々擦過傷の出来た両手を地に付け、額も同様に地面にこすり付ける。
「「なっ!?」」
背後にいるダガン将軍が驚きの声を漏らし、怪我人の手当てと周囲の警戒を行っていたゴブリン兵達にもどよめきが広がっていく。
グレゴール伯爵も同様に驚嘆というか、こちらの脈絡のない土下座にどう反応すればいいのか困惑しているのが伝わってきた。
だけど、ウチは頭を上げる事はしなかった。
ウチらはダガン将軍達に救われた。
なら、今度はウチらがこの新しい仲間を救ってもいい筈に決まっている。
誰かに守られる事がどれだけ幸福な事なのかは、今日身に染みて知る事が出来た。
ウチらは全力で助けてもらった。
なら今度は、ウチらがこの人らを守る番や。
「グレゴール伯爵、麓のピゾナの町の惨劇はダガン将軍から聞き及んでおります。ですが、町を襲った連中とここでウチらを死ぬ気で守り通してくれた人らとは全然違うんです。ここは何卒、この人達を信用してあげて下さい。
もし仮に、彼らが何の罪のない人を一人でも傷付けるような事があった時は、ウチの首を差し出します。どうか、お願い致します。彼らを信じてください」
顔を伏せているため伯爵の表情は窺い知れないが、これがウチに出来る精一杯の嘆願や。
そのまま額に刺さる砂利の感触を感じていると、何やら翼竜隊の兵士達が狼狽する声が漏れ聞こえてくるようになった。
なんや、何を騒いどるんや?
そう思い、少しだけ顔を上げると、信者の少女達やルスキア法国出身の魔女達、ゴブリン兵やダガン将軍までもウチと同じ格好で伯爵に頭を下げていた。
「お願いします、伯爵様! ここにいるゴブリンの方々は私達を襲ってきたゴブリン達とは全く違うんです!」
「この険しい山中を進む間、ずっと私達を守り続けてくれたんです!」
「私が足を滑らせて崖から落ちそうになった時も、必死に引き上げてくださったんです!」
「我々がここにいる皆さんを守り抜きたいという気持ちに偽りはありません! どうか、我々も共に戦わせてください!」
「我らは数多くの罪を重ねてきた。その罪滅ぼしになるとは思っておらんが、少なくともここにいる者達を『ゴブリン・キングダム』に一人たりとも渡したくないという気持ちは真実です。どうか、寛大なご判断を頂きたい」
ここにいる全ての者達の心はとっくの前から一つだった。
自分達に手を差し伸べてくれた人達を、
真っ赤に血塗られた手を取ってくれた人達を、
守りたい。
そんな当然の想いを皆が胸に灯しながら、伯爵の返答を待ち続けていた。
救いに来た者達から元侵略者を信用して欲しいと頼み込まれ、元侵略者が魔女達を守るために共に戦いたいと許しを請う。
そんなちぐはぐとした光景に面食らい、額に手を当てて悩ましげにしていた伯爵は、「はぁああああ~」と長い溜息を零して、
「ええい、これではまるで私が悪者ではないか。……君達の気持ちは痛いほど伝わってきた。ここにいるゴブリン軍を暫定的に我が翼竜隊の同胞とする。魔女達と負傷した者達は、順次誘導員の指示に従って翼竜に騎乗して戦線から離脱!
ゴブリン軍の諸君は残敵とここに向かっている『ゴブリン・キングダム』の本隊を側面から叩く! 異論はあるか! なければさっさと立ち上がって、自分達のなすべき事をしろ!」
グレゴール伯爵はそう言って踵を返し、秘書官らしき真紅の髪の少女と「全く、伯爵様は素直ではありませんね」「やかましい! 君もさっさとエルザくんとアールタくんと一緒に避難民の誘導をしたまえ!」「ええ、賢明な決断をなされた伯爵様の仰せのままに」「君、絶対私の事を敬っておらんだろう!」というコントのような会話を繰り広げながら、翼竜達の方へ歩き去って行った。
「……さて、いっちょやりますか。ダガン将軍、へばってへんやろな?」
「……ふん、当然だ。伊達に将軍の看板をぶら下げておる訳ではないのでな。この肉体が見掛け倒しではない事を証明して見せよう」
「そら、頼もしい事やわ。ウチも魔力は底を尽きかけとるけど、あと数十体程度ならド根性でどうにかぶった斬れるかもしれん」
「ならば俺は、綴殿の背中を守る剣となろう。其方が剣を握り続ける限り、俺は其方の剣と共に戦場に立ち続ける」
「はははっ、か弱い乙女を守るにしては随分とゴツイ剣やな! やけど、その剣の強さをウチは知っとる。ウチがアンタに守られて、ウチがアンタを守る。互いに互いを守る剣として、一緒に戦ってくれるか、ゴブリンさん?」
「ああ、共に戦おう。これより我が剣は同胞を守る剣、友と共に戦場に並び立つ双剣の片割れだ。さあ、行こうか人間」
肌の色も、瞳の輝きも、体格も、背負ってきた過去も、何もかも異なる二人の王は互いの剣をバツ印を描くように交差させ、自分達の声を待つ者達に向かって毅然と言い放った。
「『
「ゴブリン軍、総員に命じる! 負傷した避難民の応急処置を行う者と魔法による大きな負傷を負った者を除き、こちらに接近しているガロンの部隊とゴブリンキング率いる本隊の迎撃に当たるぞ!」
「「「「「はいっ!!」」」」」
「「「「「おおおぉぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!」」」」」
山脈を揺れ動かす勢いで轟く両陣営の
「反撃開始や!!」
「反撃を開始せよ!!」
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