第39話 脱走者(女神暦1567年5月1日/グレゴール伯爵領東方国境警備隊基地)

 砦に帰還後、泥だらけの下半身がさぞや不快なのか、冥華ミンファさんは着替えを詰め込んだ手提げ袋を用意すると、城内の浴室前に転移するようつっけんどんに命令してきた。

 こんな風に刺々しい攻撃的な性格じゃなければ、さぞやモテるでしょうに。勿体ない。

 豊かに実った双丘と細く引き締まった肢体は、彼女の内面を知らない異性の視線を釘付けにするだろう。

 手入れをするのが面倒というか、恐らくはケアの仕方一つ知らないのであろう乱雑に切り揃えられた黒髪も、丁寧に梳いて生活習慣を改めれば艶のある美しい髪に生まれ変わる筈だ。

 目鼻立ちも整っているし、瀟洒しょうしゃなドレスや清楚な着物を着て一切身じろぎせず口も開かなければ絶世の美少女の出来上がりだ。

 一度そんな彼女の秀麗な姿も見てみたいものだが、そんな奇跡は天地がひっくり返っても起きないことは先刻承知なので無駄な期待はしていない。

 『狂焔の夜会ラグナスティア』においては同じ【冥炎十二将クリュメノス】で、序列こそ彼女の方が上位だが、今回のようにペアを組むことも多く、彼女の粗雑な性格と強者との戦いへの異常な執念にも自然と慣れていった。というか、慣れるしかなかったという方が正しいか。

 僕はやれやれと肩を竦めながら、彼女の肩に手を置いてご要望の場所へと転移する。

 ぶっきらぼうに「あんがとよ」と言い捨てて、浴室に繋がる脱衣所の扉を開け放とうした冥華さんは、そこでこちらを射殺すかのような鋭い視線を向けて来た。


「俺は湯浴みに向かうが、覗いたり浴室に転移してきたらぶっ殺すからな」


「そんな自殺行為、絶対しませんから安心してください」


「ならいい。そういや、ゴブリン共は魔女共の隠れ里を見つけたらしいが、連中は今どうしてる?」


「独断専行で麓のピゾナに部隊を出兵させた挙句、部下を大勢戦死させたガロン君は名誉挽回を果たすのに躍起で、今回は一番槍として出陣する予定みたいです。ギアン君は何やら良からぬことを考えているのか、今の段階では特に目立った動きは見せてないですね」


「もう一人のダガンだったか? そいつは今どうしてる?」


「ああ、彼は中々面白そうなことをしていますよ。冥華さんがお風呂から上がられたら、詳しくお教えします」


「含んだ言い方が気になるが、まあ別にいい。風呂から上がったら、俺も連中の遠征の見学に行く。頃合いを見て、迎えに来い」


「はいはい、了解しましたよ。冥華さんは、ゆっくりとバスタイムを満喫してて下さい。僕は少し出てきますが、ちゃんと戻ってきますので」


 そう言い残し、僕はその場を後にした。

 背後からはバタンと木戸を開閉する音が響き、相方の少女が入浴の準備に入ったことが分かった。

 粗野で荒っぽい少女だが、彼女は意外と風呂好きだ。

 一日に何度も入浴することも多いし、長風呂なので一度浴室に入れば四十分程は出てこないだろう。

 なので、時間はたっぷりある。

 目当ての場所にこっそりとお出かけしても、彼女が風呂から上がってくる時間には十分間に合う。

 脳内に転移先の大方の座標を思い浮かべ、間髪入れずに錬成した魔力を解放して転移する。

 体に来訪する一瞬の浮遊感を感じつつ、足元が砦の石敷きの固い床から砂利のざらついた感触が足元から伝わってくる荒れ地に変化したことを確認し、視線を左に向ける。

 そこには、唐突に自分達の進行方向に出現した僕にどよめく武装したゴブリン達がいた。

 そしてその先頭に立ち、彼らを率いて行軍していたダガン将軍も。

 彼は動揺する軍勢を手で制し、もう片方の手で背中の大剣の柄を握り締め、こちらを厳めしい面持ちで睨んでくる。


「……アリステス殿、何用で我らの前に顔を出された?」


「いえ、魔女の隠れ里の場所を特定し、そこに向かって進軍する一歩手前の段階で貴方達がこんな荒れ地を先んじて行軍しているのは何故でしょうかと思い、こうして確認に伺った次第でして」


「その人を食ったかのような笑顔は止めろ。……大方、予想は付いているのだろう?」


 彼が大剣を握る拳の血管が浮き上がる程獲物を握り締め、凄みを増した双眸に射貫かれる。

 う~ん、ここらが潮時ですかね。どうやら、ダガン将軍は気付かれているようですし。

 意図的に貼り付けた笑顔は、交渉や会談を円滑に進めるために身に付けたものだが、相手がそれを望んでいなければただの挑発として捉えられることもある。

 にこやかに上げていた口角を戻し、シルクハットのつばを下げて若干目元を隠すようにして、涼やかな声で告げる。


「貴方とその部下が砦から非戦闘員達の多くを逃がし、魔女の里へ避難させて彼女達にも避難を促すように言い含め、『ゴブリン・キングダム』による襲撃が始まる前に全員を安全な場所に逃がし、今はこうしてギルドを脱走して、逃亡中の彼女らの護送を行う為に奔走しているのでしょう? 砦の人員の脱出計画に一部始終は私も密かに見学させて頂きましたから当然貴方の思惑も見抜いていましたし、貴方が腐敗し続けたギルドをこの機に乗じて抜けることも予想はしていました」


「……見ていたのか。ならば、ここにわざわざ赴いた目的は我らの粛清であろう? 本来であればガロンが先陣を切って里の襲撃に向かう手筈の筈が、我らが独断で魔女達の救出に向かうのを見て、始末しに来たのではないのか?」


「いやいや、全然違いますよ。裏切りを断罪するのであれば、砦で逃がせるだけの非戦闘員や一部の騎士達を砦の外に逃がした時点で始末していますし、僕は貴方の計画をわざと見過ごした身でもありますから、今更掌返しで粛清なんて薄情な真似はしませんよ」


 砦攻めの際、部下の兵士の消耗を渋ったガロンやギアンに代わり、ダガン将軍麾下の部隊と気まぐれで参戦することになった冥華さんが砦の兵力の掃討を行った際、僕も密かにその様子を観察していた。

 襲い掛かる者もそうでない者も分け隔てなく血祭りに上げていく冥華さんの血生臭い戦いは相変わらずで見慣れている僕からすれば特筆すべき点でもなかったが、ゴブリン達の多くが文官や侍従といった非戦闘員や一部の騎士を武器で牽制しながら砦の外壁部分へ誘導しているのを偶然見かけ後を付けてみることにした。

 恐怖に怯える彼らを連れて行ったのは、ガロン将軍の大剣でぶちぬかれた大穴を拵えた城壁で、ゴブリン達はそこから疑問符を浮かべる彼らを外へ次々と逃がしていったのだ。

 どうやらダガン将軍が出来る限りの人間達を逃がし、魔女の里に危機を知らせるように命じてギルドの野望を潰そうとしていたらしい。

 根っからの武人気質だった彼と彼に付き従う部下達が、人間の女性を攫って孕ませて一族を復興させると息巻いている王や他の同族達を見限るタイミングとして砦攻めの舞台を選んだのだろう。

 無論、砦の人間を全員逃がせば後から入城してくる同胞達に不審がられるため、自分達に鬼気迫る表情で刃を向けてくる者達は一掃しなければならなかったため、多くの血を流させる顛末にはなったが、彼らは徹頭徹尾人員の避難を最優先にしつつ、器用に立ち回っていた。

 砦の常駐人員数なども把握していなかったため、それが露見する事もなかったが、避難民が逃げた方角に向かって少しずつ砦から抜け出す将軍の部下達を遠目で見た時に裏切りを確証した。

 だが、別に彼らを糾弾するためにこんな場所にまで足を運んだ訳ではない。


「『狂焔の夜会ラグナスティア』は、大規模な作戦等で手駒を揃えたい時等を除けば基本的に傘下ギルドに何かを命じることもありませんし、その活動内容や方針に干渉することもありません。貴方達が一族繁栄のためにどのような悪辣な手段を用いようとも気にしませんし、仲間割れを起こして内部分裂しても一向に構いません」


「……その傍観的な姿勢を好んで傘下に下った我らが言う義理ではないかもしれんが、随分と配下に無関心なものだな」


「まあ、好き勝手暴れたいけど強力な組織の後ろ盾が欲しいと考えている闇ギルドにとっては、こんなに緩い方針を掲げている『十二冥神ラグナレク』はうちだけですし、そのおかげで『十二冥神ラグナレク』最大規模の人員数を誇る大ギルドになりましたからね。今回のように、僕達が時折監査でやってくることはありますが」


「……ふん、ではその監査役が何をしに我々の前に来た? 虫のいい話だとは思うが、我らは魔女と落ち延びた砦の人員をギルドの者達の手の届かん場所まで送り届けるつもりだ。それを阻むというのなら……」


「いえ、僕がこうして貴方の前に来たのは、これから僕と冥華さんが『ゴブリン・キングダム』を来訪した本来の目的を遂行するため、貴方達には一切の危害と妨害を加えないことを宣言するためです。存分に魔女の皆さんを救って下さい。僕達が冥主様ギルドマスターから命じられた勅命には関係のないことですので」


 その言葉に絶句し、大口を開けるゴブリン達と、訝しげに目を細めながら大剣を握る力を一向に弱めることもないダガン将軍も、若干の震えを滲ませた困惑した口調で尋ねて来た。


「お前達の本来与えられていた任務というのは、一体何だというのだ……?」


「まあ、貴方は『狂焔の夜会ラグナスティア』の情報もほとんどご存知ありませんし、冥華さんも少し評価していたみたいですからの苗床にはしていませんので、特別にお教えしてもいいですかね? 僕と冥華さんが『ゴブリン・キングダム』にやってきた本当の目的は……」





 

 殺戮の嵐が吹き去ったピゾナの町の集会所の大広間で、俺達は魔女の隠れ里への救援に向かう部隊と、町の生存者達の手当てと避難を担当する部隊の編成と、それに伴う物資の準備に奔走していた。

 町の外縁のゴブリン達の掃討を行っていたアールタと、彼女がゴブリン達の殲滅を始めたのを確認し、上空からの奇襲を行ってゴブリン達の陣列を搔き乱した後にアールタの助太刀に回ったゼルダやエリーゼ達と合流した俺は、ゼルダに真摯に謝罪した。

 ゼルダから無謀にも六百体ものゴブリンの軍勢にほぼ単独で突っ込んでいった事に対して幾つか注意を受け、今後あんな無茶はしないようにと厳重に念押しされて、何とか放免してもらえた。

 その後は、アリステスから提供された『ゴブリン・キングダム』による魔女の隠れ里の襲撃計画書をエリーゼに見せ、ピゾナの町から逃げ出した町民の保護と手当てと並行して急遽救援部隊が組織されることになったのだが、エリーゼ達も魔女の隠れ里の存在はグレゴール伯爵からは教えられておらず、寝耳に水という状態だった。

 もし仮に、その魔女の里が不法入国者や犯罪者達が築いた集落であれば、人命救助を行った後の処理が非常に面倒なことになる。

 また里の所在地は山脈のかなり奥まった所にあり、南の砦から連れて来た数頭の翼竜ワイバーンではどれだけの人数が定住しているのかも不明な里の住人全てを運ぶのは時間が掛かりすぎる。

 十中八九、『ゴブリン・キングダム』の襲撃が開始され、住民の移送は断念しなければならなくなるというのがエリーゼの見解だった。

 

「里の住人達を全員救うのは絶望的かもしれないわ……」


「だが、みすみすこの町で起きた虐殺のような悲劇を繰り返す訳にはいかない」


「ああ、ゼルダと俺が『ゴブリン・キングダム』の連中の相手をしている間に、移送作業に専念してくれたっていい。どうにか、魔女の里の人達を救うことは出来ないか?」


 俺とゼルダ、エリーゼが車座になって円卓に広げられた地図と計画書とにらめっこしていると、一人の兵士が大慌てで広間に駆け込んできた。


「エリーゼ隊長! 隊長に火急のご用件が!」


「今は取り込み中なの、悪いけれど後にしてもらって……」



「グ、グレゴール伯爵とその配下の翼竜部隊百人がたったいま町の外壁の外の荒野に着陸されました!」



「……えっ?」

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