第40話 グレゴール伯爵(女神暦1567年5月1日/ピゾナ)

 ピゾナの町の南の外壁へ息せき切って駆け付けた俺とゼルダ、エリーゼは、砕けた煉瓦や物見櫓の残骸が積み重なった瓦礫の山を縫うようにしながら外壁の外へ躍り出る。

 あまり草木も生えずに茶色っぽい土だらけの荒野には、切り伏せられたゴブリンの骸や焼死体がちらほらと目立ち、苦痛に歪めた表情のまま空を仰いでいた。

 町の住民の手当てや、逃げ出した町民の捜索と保護で手一杯な現状では、敵兵の遺体の処理などは必然的に後回しになっているのだろう。

 ピゾナの町の惨劇を引き起こした彼らが丁重に弔われる事は期待できそうにないが、あのまま数日も放置すればうじや死肉を喰らいにきた鳥や魔物の類が湧いてくる可能性もあるので、簡単な穴を掘って土葬するのも手かもしれない。

 そんなことを思いながら荒野に降り立った俺達の前には、武装した兵士が騎乗した翼竜ワイバーンの群れが一塊になっている一団があった。

 翼竜に騎乗するため重厚な大鎧ではなく、鋼の胸当てや手甲を付けた軽装備の兵がほとんどだが、兵士の多くが精悍な顔つきをしていて、どこかグッタリとした印象の翼竜に付けられた鞍の近くに括りつけていた荷物をテキパキと取り外していた。

 あれは軟膏か? 傷薬や包帯とかの医療品が結構入っているな。

 翼竜が運搬していた麻袋には、医薬品の入った薬瓶やカンシや包帯、薬草等が大量に収められていた。

 ピゾナの町の人々の負傷者の治療に使うのかもしれない。

 いや、伯爵が翼竜隊を引き連れて自分の居城を出立したにしては到着するのが早すぎる。あの薬品類は、本来別の場所に運ぶ予定の物だったんじゃ?

 俺達がピゾナの町の異変に気付いて駆け付けた時は、伯爵はこの町で起きていて惨劇については全く知りえていなかった筈だ。

 伯爵が暮らしている町とこの町とはそれなりの距離があり、俺達がこの町でゴブリンや屍冥華シー・ミンファと戦っていた頃よりも前にこちらの方角に向かって飛行してこなければ、まだこの町には到着している筈がないのだ。

 これは一体どういう事なのだろう?

 だが俺がそんな疑問を口にする前に、エリーゼは目当ての人物を見つけたのか慌ててそこに向かって駆けだした。


「アレン、私達もエリーゼについていこう」


「あ、ああ、そうだな。俺達が持ってきた情報が役立つ前に『ゴブリン・キングダム』が活動を始めたのは誤算だったけど、一応グレゴール伯爵には挨拶はしておかないとな」


「情報は無駄にはなったかもしれないが、私達にも何か出来ることはあるかもしれない」


「連れて来た奴隷の女の子はこの町でとりあえず待機ってことになっているけれど、伯爵が来てくれたのなら早く両親に会えるように取り図ってくれると思うから、そっちの方の依頼は達成できそうだけど、問題は『ゴブリン・キングダム』だな」


「ゴブリンは山野や荒野を縄張りにする集団戦法を得意とした種族だ。地の利は魔女達にあると思うが、あの山脈を縦横無尽に駆けるだけの脚力や持久力はゴブリンに軍配が上がるだろう。早く救援に向かった方がいい」


 ゼルダはそう言い、腰にいた剣の柄を握った。

 そして、どこか自嘲的な笑みを浮かべ、


「あのような悲惨な光景はペルテ国時代には何度も見てきたし、国軍が支配する都市を陥落させた時は味方も敵もあのように血の海に沈んだ。見慣れた光景と言えばそれまでだが、たとえ他国の町であってもあのような惨劇は繰り返したくない」


「それは俺も同じだよ。俺はペルテ国の頃の時代は知らないけれど、罪のない人達が一方的に殺されていくのを見過ごすことはできない」


「アリーシャからの依頼では『ゴブリン・キングダム』の襲撃計画を伯爵に伝えるだけだったが、乗りかかった船だし、可能なら魔女達の救出戦に加わりたいところだな」


「伯爵に頼んでみるさ。駄目だと言われれば、また別の策を考えよう」


 ゼルダと互いの意思を確認し合ったところで、一組の男女を連れて戻って来たエリーゼが、小さく手で二人を示す。


「アレンさん、ゼルダさん。伯爵がお二人にご挨拶をしたいそうです」


 そう言ったエリーゼの隣に立ったのは随分と恰幅のいい男性と、仕事のできる秘書風の理知的な雰囲気を纏った凛々しい真紅の髪の少女だった。

 香油の香りがする金髪とちょび髭が特徴的な男性は、ベルトのバックルの上からはみ出した腹の肉を無理矢理服の中に押し込んだかと思うほど太っていたが、青色の地の軍服を纏った姿は生真面目そうな面持ちと意外とマッチしていて、ただの肥満のおじさんという残念な印象は受けなかった。

 男性の傍らに寄り添うに付き添っている少女は、セミショートにした真紅の髪とシュっとしたスリムな体型をしていて、男性と同じデザインの軍服を流麗に着こなしている。

 怜悧そうな面持ちはアリーシャの補佐官であるラキアに、真紅の髪はエルザに似ているなと何となく感じた。

 まず俺とゼルダを順繰りに品定めするかのように見詰めた男性は、その場で険のある顔で頭を下げた。


「エリーゼ隊長から事の次第は先程報告を受けた。アレン殿に、ゼルダ殿だったな? 闇ギルドに囚われていた私の領民を助けてもらっただけでなく、ピゾナの町の住民達の保護にも助力してくれたようだな。

 神王陛下からこの地をお任せ頂いた身で、他国の冒険者ギルドの者の手を借りねば事態の集束もできなかったような不出来な男ではあるが、謹んで礼を言う」


「伯爵様。そのような強面で頭を下げられても、お二人が困ってしまいますよ」


「ええい、やかましいわ! この顔は生まれつきだ!」


 真紅の髪の少女の指摘に声を荒げながらも頭を下げ続ける伯爵らしき男性に、俺達は慌てて居住まいを正す。

 不敬罪でしょっぴかれることはないと思うが、騎士団領と直に国境を接する領地を治める貴族が相手だ。

 失礼な態度をして不興を買うような真似はしたくないと、自然と背筋が伸びる。


「頭を上げてくださいグレゴール伯爵。俺達が到着した時には町は陥落寸前で、数多くの民衆や騎士達が亡くなってしまいました」


「私も町の外縁を取り囲んでいたゴブリン達の掃討の手伝いは致しましたが、町に甚大な被害が出たのは事実ですし、そのように頭を下げるのはお止め下さい」


「いや、お主らのおかげで救われた人命が多くいることも事実だ。本来なら、それ相応の報酬をこの場で支払いたいところだが、我々は魔女達の救難信号を受信して救助に向かう途中でな。その途中で見るも無残な有り様に成り果てたピゾナの町の光景に気付き、こうして一時的に着陸したが、すぐに出立せねばならん」


 憤然とした面持ちで東の山脈を憎々しげに睨み付けるグレゴール伯爵は、今回のピゾナの襲撃と魔女の里の強襲計画が余程腹に据えかねているのか、活火山のようにいつ噴火するとも知らぬ煮え滾る怒りを体から全力で溢れ出させていた。

 それを諫めるように、真紅の髪の少女が伯爵の耳元にそっとささやく。


「伯爵様。お気持ちは分かりますが、ゴブリン軍の掃討に尽力してくださった方々を前にそのような態度は失礼ですよ」


「むっ、た、確かにそれは正論だが……。まあ、翼竜達も休憩なしでここまで飛び続けて疲労が溜まっておるし、すぐに出撃するのは無理か。

 私一人ではもう対処できないところまで状況は逼迫しておるし、ここにおる君達や町の中にいるという君達の仲間達、そしてエリーゼ隊長にも魔女の隠れ里とは一体何なのか説明し、状況を整理することも必要か……」


 グレゴール伯爵は、デンと突き出た腹を張るように腕を組むとピゾナの町を顎先で示し、


「翼竜達が回復するまでの数十分程、町の集会所で君達に色々と説明しよう」

 



  



 グレゴール伯爵と共に集会所に帰還すると、飼い主を見つけた犬を彷彿とさせるような喜色に富んだ表情で駆け寄って来たエルザに抱き締められた。


「おかえりなさい、アレン様!」


「ただいま、エルザ」


 ゴブリン達の軍勢に俺が飛び込んでいった際、エルザもかなり俺の事を心配してくれていたようで、俺の姿を見つけると安心感からか、こうして胸に飛び込んできてくれた。

 ずっと緊張が抜けないシリアスな状況が続いているせいで擦り切れ気味な精神を潤してくれる極上の癒しだ。


「先に席に着いておるぞ」


 伯爵は俺とエルザの抱擁をどことなく温かみのある目線で一瞥すると、さっさと席に着いてしまった。

 突然来室した伯爵の登場に、南の砦から俺達に同行してきた兵士達が直立不動の姿勢で敬礼するが、


「今は非常時だ。楽にしてよい。君達にも説明したいことがあるから、何か作業をしているのならその片手間に話だけでも聞いていてくれ」


 そう言って、ドスンという音を立てて肉厚な尻を椅子に沈め、額に滲んだ汗をハンカチで拭った。

 伯爵も休憩なしで翼竜の手綱を握り続けていたのだから、翼を羽ばたかせ続けていた翼竜達ほどではないにせよ、疲労が溜まっているのだろう。

 荒野で休息中の翼竜達が回復し、魔女の救出作業に支障が出ない体調に戻れば、伯爵も救出作戦に参加するとの事だが、大丈夫だろうか?


「あら? そこの真紅の髪の獣人の女の子、もしかしてサルディナ族の血が入っていますか?」


 青軍服の少女の声に反応したエルザが怪訝そうに顔を上げた。


「うん、お母さんがサルディナ族だけど……」


「こんな所で同族の血筋に出会えるとは思いませんでした。私も貴女のお母さまと同じサルディナ族です」


「本当に!? あっ、私やお母さんの髪と同じ色だ!」


「ええ、この真紅の髪の色は部族の多くに見られる共通点ですから、貴女の髪色を見てもしかしたらと思って、声を掛けてさせてもらったの。私はアニス=ヴァレイン。仲良くしてくれると嬉しいわ」


 思わぬ所で自分の母親と同じ部族の女性と出会えたことでテンションが上がったのか、エルザは青軍服の女性に母親の故郷である国のことについて質問し、彼女も丁寧にそれに答えながら伯爵の側の椅子に腰掛け、エルザがその隣に着席した。

 俺とゼルダもその近くの席に座り、


「なあ、ゼルダ。サルディナ族ってどういう部族なんだ?」


「アリーシャ騎士団領にはほとんどいない部族だから私もそこまで詳しい訳ではないが、世界地図でいうと右下の辺り、南の海の南東部に位置する小大陸にあるサルディナ王国を治める部族だ。獣人に匹敵する程の身体能力の高さを有し、精強な者は鍛え抜かれた鋼の肉体を武器に傭兵として各地の戦に参加することもあるらしい」


 どうやらサルディナ族とは、常人離れした身体能力を秘めた戦闘部族らしい。

 そういえば、エルザと北の大森林を散歩している時に、高木に実った果物をもごうと猫のように枝から枝へ軽々と飛び移っていった時は、スゲー驚いたっけ。

 獣人の父親とサルディナ族の母親のハーフであるエルザなら、それだけの芸当を易々と行えるのも頷ける。

 そんな事を考えている間に、兵士達への賄い飯を配膳していたセレスとフローラ、曲刀シャムシールの手入れをしていたアールタも席に腰を下ろした。

 一同を見渡し、今回の一件に深く関わっている人員が揃った事を確認したグレゴール伯爵は、重々しく口を開いた。




「それでは魔女の隠れ里の真実をこれから話そうと思う。彼女達の存在が何故一般兵士達に秘匿されていたのか、彼女達がどこからやってきたのか、『ゴブリン・キングダム』の奴らが彼女達を執拗に狙うおおよその予測。全てここで開示しよう」

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