第38話 守るための強さ(女神暦1567年5月1日/ピゾナ)

 ……冥華ミンファだけでも手一杯だったのに、幹部クラスの援軍が来るなんて想定外だぞ。

 周囲にゴブリンや町民の死体が転がる血生臭い場所には不釣り合いなタキシード姿の少年の丁寧な態度に思わず毒気を抜かれそうになるが、油断は禁物だ。

 序列だけで判断すれば、あのアリステスという少年は格下なのだろう。

 冥華ほどの実力はないと考えていいのかもしれない。

 そして、全身を突き刺すような鋭利で禍々しい凶悪な魔力を放っていた冥華に対し、彼にはそういった邪悪な気配は感じない。

 いや、感じ取れないと言った方が正しいか。

 彼からは他者を害そうという悪意や、他の追随を許さないような強大な魔力の類を一切感知出来ないのだ。

 それを額面通りに受け取れば警戒する程の相手ではないが、彼が巧妙に自分の力を隠していた場合を想定すると、迂闊に武器を下ろす訳にもいかなかった。


「……セレス、気を抜かずに魔力の錬成に集中しよう」


「はい、旦那様」


 俺とセレスがそんな言葉を交わしていると、肝心の二人はこちらのことなど何処吹く風といった様子で、不機嫌さを隠そうともせずに白髪の少年に食って掛かる冥華と、のらりくらりとした口調でそれを躱すアリステスが、


「つーか、テメエは何しにここまで来たんだよ?」


「いや~、ギアン君の部隊が山脈の魔女の隠れ里を発見したようでして、ゴブリンキングが全軍を指揮して魔女狩りに向かったんですが、それをお伝えしに来たんですよ。あと、血気盛んに独走しっぱなしの貴女の回収もありますがね」


 アリステスが軽く指を鳴らすと、彼の掌にあったドス黒いもやの塊が即座に消失し、俺はひとりごちる。


「……転送系の魔法や魔道具を使っているのか?」


「おや、中々鋭いですね、貴方。手抜きプレイモードだったとはいえ、僕らのギルドでもかなり上位の猛者である冥華さんと戦って五体満足でいられている訳だ」


 初めて興味を示したという風に俺を見たアリステスは、おどけたような笑みを張り付かせる。


「僕は物体や魔法などを別の場所に転移させるのが得意でしてね。幹部とは名ばかりの、運び屋として利用されることもしばしばでして、特に冥華さんのように猪突猛進な方の回収も任されることも多くて…‥」


「おい、俺とそいつの勝負に水を差しといて、テメエはこんな所に愚痴を零しに来たのか?」


 冥華にゲシゲシと泥まみれの足で臀部を蹴飛ばされ、不快な感触が布地にじんわりと染み込んでいく感覚に苦い表情を浮かべながら、アリステスは懐に手を入れ、内ポケットから折り畳んだ紙を取り出し、再び軽く指を鳴らす。

 すると、彼の手元にあった紙が消失し、俺の足元にそれが転移されてきた。


「……これは?」


「『ゴブリン・キングダム』がこれから強襲するとある村の襲撃計画をまとめたものですよ。是非、ご活用頂ければと」


「襲撃計画!? 『ゴブリン・キングダム』はこの町で行った虐殺をまた繰り返す気なのか!?」


「ええ、その通りです。我がギルドの配下ギルドである『ゴブリン・キングダム』の監査を行うために派遣された我々はその襲撃には関与する気は毛頭ありませんが、別段彼らの野望成就のために尽力もするつもりもありませんし、冥華さんがご迷惑をお掛けしたことに対するお詫びだと思ってくれれば幸いです」


「……」


 彼が言っていることが事実であれば、これから『ゴブリン・キングダム』が実行しようとしているどこかの町や村に対する襲撃計画を事前に入手出来たのは僥倖だといえるだろう。

 今思えば、この町を本気で落として女性達を誘拐するのなら、冥華一人いれば十分に町の制圧は可能だったはずだ。

 しかし実際はそうではなく、冥華に斬り殺された指揮官も彼女が戦場に馳せ参じたことに驚きと歓喜を露骨に露わにしていた。

 そう考えると冥華がこの町に足を運んだのは、彼女の気まぐれによるものだった可能性が高い。

 『ゴブリン・キングダム』と『狂焔の夜会ラグナスティア』が一枚岩という訳でもないのかもしれない。

 ラキアが『狂焔の夜会ラグナスティア』は傘下ギルドへの愛情はかなり薄いという説明をしていたが、それは正鵠を射ているのかもしれない。

 正直言えば、闇ギルドの頂点に君臨する大ギルドを敵に回して勝てる見込みなど微塵もなかったが、彼らが『ゴブリン・キングダム』に助力しないというのであれば、彼らの悪逆非道な計画を叩き潰すことがより現実味を帯びてくる。

 あの二人が大人しくしている確証はないが、ないよりはあった方がマシっていうのは事実だ。これは貰っておいた方がいいな。

 眼前の二人から視線を外すことなく、紙が風に攫われる前に足元の紙を取りポケットに押し込む。

 その姿を確認したアリステスは、


「こちらからのお詫びの品も受け取って下さったようですし、もうここに用はありませんね。冥華さん、一度砦に戻りましょう」


「……テメエの乱入で興が覚めたからな。もう一度そいつらと殺り合う気分でもなくなっちまったし、帰ってシャワーでも浴びるとするか」


「それでは僕の手を握って下さい。砦まで転移しますので」


「その前に……おい、テメエら! 名前を教えろ!」


「……アレンだ」


「セレスと申します」


 アリステスの手に腕を伸ばしながらそう叫んだ冥華の言うことに従う義理はない。

 だが、偽名を名乗って後々それが露見した時の面倒を考えると、ここで正直に名を告げておいた方が良いと直感的に感じた。

 冥華は俺達の名を聞き、戦っている際に見せた闘争心の塊のような凄絶な笑みを浮かべ、赤椿色の刀身の刀の切っ先を俺達に向け、

 

「アレンにセレス。余興としては、さっきの遊びは中々だったぜ。次に会う時までには、もっと腕を磨いておくことだな!」


 そう声高に叫んだ死神は、側に従者の如く寄り添う道化師が鳴らした指の音が広場に響くと同時に、かすみのように姿を消した。

 もう彼女の肌を刺す強烈な魔力も一切感知することは出来ない。

 既に、アリステスによってここから離れた場所に一瞬で移動したのだろう。

 死の危険は去った。

 俺達は何とか窮地を脱し、生き残ることが出来たのだ。

 だけど……だけど。

 俺の視界に広がっている光景が、恐怖から解放された安堵も生きている喜びも全てを奪い去っていく。



 軒並み破壊された家々。

 赤子を守るように背中を丸め、胸に抱いた我が子を離すまいとしている姿勢で背中から心臓を一突きされた女性。

 足が不自由で逃げるのが遅れたのか、杖を握り締めたまま凹んだ後頭部から出血した老人。

 懸命に町民を逃がすために奮戦し続け、体中に槍や矢が突き立ったまま座り込む騎士。

 無惨に、理不尽に、冷酷に殺された骸の山があちこちにあった。

 

 

 僅か数時間程前までは、ここにはありふれた日常を謳歌する町の人々の暖かな日々があった筈だった。

 家族と笑い合い、共に食卓を囲みながら何でもないような話に咲かせる姿が。

 友とジョッキをぶつけ合い、麦酒を喉に流し込みながら赤ら顔で馬鹿騒ぎする一時が。

 学友達と共に放課後を満喫し、通りの露店で買い食いを楽しむような時間が。

 そんな当たり前の時間が、当然のように訪れていた筈だった。

 だが、それを守り抜くことは出来なかった。

 『ゴブリン・キングダム』がこの領地で非道を成そうとしていることを知っていたのにも関わらず。

 守れなかったのだ。

 

「俺は、守れなかった。この町の人達を」


「……旦那様、私達や外にいるアールタ様がいたからこそ救えた人達もいらっしゃいます。犠牲になった者達も多かったですが、確かに私達が守れた人々もいることをお忘れにならないで下さい。貴方様に命を救われた者が確かにいるということを」


「……セレス」


 優しげに微笑み、俺の背中に頬を寄せてささやくようにそう言ったセレスの温もりが心地よい。

 彼女の言葉は正しい。

 俺と共に町を疾駆してゴブリン達を殲滅し、拘束されていた町娘達を逃がしたことは間違いなどではない。

 町の外周に布陣していたゴブリン達を単独で相手取ってくれたのであろうアールタによって、逃げ延びた町民達の多くが、連中の凶刃から救われたことだろう。

 僅か三人で、六百もの軍勢を相手に孤軍奮闘し、それを全滅させた。

 結果だけ聞けば、大金星だろう。

 誰もその戦果を責めることもないだろうし、侮蔑の目で見る者もいない筈だ。

 だが、どうしても俺は勝利の余韻なんてものに浸る気持ちなんて微塵も湧いてこない。

 分かっている。

 俺の中に湧き上がってくる救えなかった人達への憐憫や申し訳なさ。

 それは思い上がりだ。

 『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』からドロシー達を救い出し、アルトの村を襲った彼らを誰の死者も出さずに撃退した時、俺は召喚士のスキルや『隷属者チェイン』達さえいれば、誰にも負けないんじゃないかと思っていた節があった。

 だから、今回のアリーシャからの依頼を受けた時も、そこまで緊迫感を感じてはいなかった。

 召喚士の力さえあれば、大丈夫?

 『隷属者チェイン』達さえいれば、絶対に勝てる筈?

 ふざけんな! そんなもんただの甘えじゃねえか!



『アレンにセレス。余興としては、さっきの遊びは中々だったぜ。次に会う時までには、もっと腕を磨いておくことだな!』



 最後まで対等な敵だとも認められず、ただの暇潰しの相手としてしか認識されなかった。

 召喚士の力を以てしても、一撃一撃を凌ぐだけで魔力も気力も一気に削ぎ落された。

 上には上がいるということを痛感させられた。

 弱い。

 心も、力も。

 俺は弱い。

 今のままでは、大切な人達を守り抜くことが出来ない。

 それが何よりも恐ろしい。

 カレン、ゼルダ。

 ドロシー、エルザ、シャーロット。

 マーカス、ニーナ、マルガ。

 アリーシャ、ラキア。

 元の世界では守り抜きたい人なんて、あの黒髪の少女を除けばいなかった。

 そんな俺がこの世界で出会い、守りたいと思える人達と沢山出会えた。

 彼らを守り通す力が欲しい。

 それを手に入れるためには、強くなるしかない。

 今よりももっと強くなる。

 あの濡羽色の髪の少女と再びまみえた時に、互角以上の勝負が出来る程強くなってやる。

 

「……大切な人達をどんな相手からも守り通すだけの力を身に付けてやる。慢心することなく、愚直に努力を重ね続けて、もっと強くなってやるからな」


 新たな目標を胸に宿し、俺は広場で横たわる人々に深々と一礼し、その場を後にした。


 

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