第37話 死神との一戦(女神暦1567年5月1日/ピゾナ)

 開戦の火蓋を切ったのはセレスの銀鎖だ。

 左袖から弾丸のように射出されたのは、象ほどの大きさの猛獣を一滴で死に至らしめる劇薬がたっぷりと塗られた刃が取り付けられた一撃必殺の鎖。

 そして、僅かにタイミングをずらして右袖から射出されたのは、鋭利な鉄杭を先端に溶接した破壊力抜群の鎖による一突きだ。

 二本の鎖の速度に微妙に緩急を付けることで、初撃を防いでも二撃目を回避することは容易ではなくなる。

 また、セレスは鎖の軌道をわざとカーブさせるなどして、相手が見切れないような工夫を織り交ぜ、屍冥華シー・ミンファの体を突き刺さんと銀鎖を疾走させる。

 手加減をすれば確実にこちらが殺される。

 この戦いにおいて一瞬でも緊張を解く瞬間や腑抜けた攻撃を相手に見せれば、彼女は容赦なくこちらの首級を取りに来る。

 それを理解しているからこそ、俺とセレスは毒花を思わせる赤椿色の刀を片手に手にした少女の一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らし続ける。

 だが、自分に猛然と襲い掛かる鎖を前に一切動じることもなく、


「そんな小細工が通用するかよ!」


 冥華は、紅色の軌跡を描くように片手で握った愛刀を大きく上に振り上げて弾く。

 一本目の鎖を斬り上げたことで胸元目掛けて放たれた二本目の鎖を防ぐ手立てはなくなったと思ったが、彼女は鉄杭が己の心臓を穿つ直前で杭の側面に自由な左手で掌底を打ち込んだ。

 胸に大穴を拵える予定だった鉄杭はその衝撃で冥華の左脇腹を虚しく通過し、標的を喰らいきれずに伸びすぎた鎖に冥華が刃を静かに走らせる。

 その刹那、セレスの銀鎖は破砕音を響かせながら両断される。

 セレスは軽く息を飲んで追加の鎖を出すモーションを取るが、その隙を見逃す気は毛頭ないらしい冥華が砕け散った鎖の残骸を踏み越えてこちらの懐に疾走してくる。


「旦那様、申し訳ございません!」


「構わない! 魔力を練る時間は十分稼いでくれた!」


 俺の握り締める木刀に、可視化ほどの魔力が込められた若草色のオーラが灯る。

 セレスの銀鎖による攻撃は、俺が魔力を錬成するための時間稼ぎをするためのものだ。

 『狂焔の夜会ラグナスティア』の幹部である冥華という少女相手に、初手で勝負を決められると豪語するほど思いあがってはいない。

 ゴブリン達を始末していた時には、木刀に大した魔力を込める必要はなかった。

 得物自身の攻撃力の高さもあり、ゴブリン程度なら魔力を無駄に消耗するのは馬鹿らしかったからだ。

 しかし、今度はそうもいかない。

 神聖さを帯びたこの木刀は、心悪しき者に多大な破壊力を発揮する能力が備わっている。

 その力に俺の魔力を上乗せし、更に一撃の火力を底上げした。

 仮にこの一撃で王手を決められなくても構わない。

 冥華の肌の薄皮を一筋でも裂かせれば、『スキルホルダー』にセットした【感覚切断】スキルが発動する。

 唐突に五感の一つを喪失すれば多少の動揺は生じる筈。

 そこを畳みかけるように何度も打ち込んで、五感を全て奪ってしまえば逃亡できるだけの隙が生まれるだろう。

 大上段に構えた木刀に錬成した魔力を一気に注ぎ込み、そして開放する。


「『森獣王の大鉤爪ヴァルドゥング』!」


「面白れえ! 受け止め切ってやるよ!」


 大地に根を張り、土壌の栄養素を貪欲に喰らい尽くす大樹の生命力を宿した若葉色の一閃。

 斬った者を生き血を啜り続け、刃自体がその色に染め抜かれたのかと錯覚しそうになる赤椿色の一太刀。

 それが互いを食い破ろうとするかのように、激突する。

 両者共に一歩も退くつもりなんて一切考えていない一撃同士のぶつかり合い。

 冥華を両断する勢いで振り下ろした唐竹割りの一撃を、冥華は涼しげな顔で躱すことなく真っ向から受けた。

 下段からの斬り上げで俺の一閃を受け止め、そのまま鍔迫り合いに持ち込まれる。

 互いの刀が拮抗し、押し負ければそこで終わりの命懸けの力勝負が始まる。


「いいじゃねえか! 刀と刀の正面切ったぶつかり合いなんざ、本当に久方ぶりだ!」

 ぐっ! 全力で腕に力を集中させているのに押し負けそうだ!

 両腕に込めた俺の全身全霊の膂力りょりょくに任せた一閃を見事に受け切った冥華は、禍々しい魔力を宿らせた刀に徐々に力を込めだし、俺は思わず後ずさりする。

 華奢な見た目の割りに、このとんでもない馬鹿力だ! このままいけばこっちが押し切られる。だが!


「こんなところで負ける訳にはいかないんだ!」


「吼えたところで強くなんかならねえんだよ、馬鹿が! このままテメエの木刀を押しのけて、その首を刎ね飛ばし……っ!? おい、何だその刀は」


 終始余裕を保っていた冥華の表情に、この瞬間に初めて歪みが生じる。

 自分の体を突如襲った脱力感に苛立たしげに、眉を寄せる彼女に精一杯の強がりの笑みを返した。


ようやく気付いたみたいだな」


「その刀を通して俺の魔力と体力を吸い上げてやがるな」


「ああ、ご明察。『森獣王の大鉤爪ヴァルドゥング』は相手の魔力や体力を根こそぎ吸収し続ける技だ。こういう鍔迫り合いの状況下では、地中の水分や栄養を植物の根っこが吸い上げるかのように延々と木刀と接触し続けている君の刀を経由して、たっぷりと君の魔力や体力が俺に流れ込んでくるのさ」


「爽やかそうな面の割りには、中々エグイ技使ってきやがるじゃねえか!」


生憎あいにく、自分と相手の力量差ぐらいは理解しているさ。君と渡り合うには、こうした搦め手も使わないと俺に勝機はなさそうだからな!」


「いいぜ、搦め手だろうが何だろうが、最後に戦場に立ってさえいりゃいいんだからなあ! 俺の魔力と体力が尽きるのが先か、テメエの刀がへし折れるのが先か根比べといこうぜ!」


 凄絶な笑顔を浮かべ、俺との勝負を心の底から楽しむつもりらしい冥華は、現在進行形で力を吸い上げられているのにも関わらず、まだまだ余力を残しているのかより刀身に宿る魔力を膨れ上がらせる。

 木刀が吸い上げた魔力や体力は全て俺の物になり、彼女の刀を押し返すためのエネルギーに供給しているが、それが追い付かないスピードで俺の命を刈り取ろうと迫る凶刃が木刀を押し返していく。

 徐々に体に近づいてくる二つの刃。

 一方は、禍々しい魔力を噴出させながら喰らい付こうとする赤い刃。

 一方は、その刃に押し負けそうつつある俺の木刀だ。

 拮抗していた両者の自力の差が、ここに来て如実に現れだした。

 『魔装化ユニゾン・タクト』による武装と戦闘能力の底上げをもってしても、俺だけではこの少女には勝てないということを痛感させられる。

 そう俺だけは勝てない。

 だが、この戦場に立っているのは俺だけではない。



「『子羊が眠るのは絶望の釜の中デス・ヘースティア



 俺が冥華を抑え込んでいる間に完成したセレスの魔法が発動する。

 冥華の足元にドロリとした粘性の沼が召喚され、彼女の両足が一気に足首の辺りまで沈み込む。

 そして己の悦楽のために命を刈り取り続ける罪人を引きずり込もうと、泥にまみれた白骨化した無数の腕が彼女の外套や足を掴み、沼の底へと誘おうと一斉に手を伸ばす。 


「クソッ! あの女の魔法か! 気色悪いもんを出しやがって!」


 足が泥に埋まって腰の踏ん張りが利かなくなったのか、幾分か弱まった彼女の剣圧を感じ取り、ここで一気にねじ伏せようと俺は木刀にありったけの魔力を注ぎ込む。

 膨張した若葉色の魔力が爆風のように吹き荒れ、冥華は舌打ちしながらそれを片手に握った剣だけで受け止め続ける。


「その沼は、快楽殺人者達によって命を断たれた者達の怨念が集合化したものです。彼らの憎悪の対象である貴女は容易には抜け出せませんよ」


 セレスの言葉は正しく、何とか足をばたつかせて泥の中から両足を出そうと試みている冥華だが、その抵抗は無駄のようで、力強く衣服と両足をあざが出来そうなほど固く握りしめた亡者の執念が彼女を両膝の辺りまで飲み込んでいた。

 その段階まで進んでもなお、より力を込めることが可能な両手で刀の柄を握ることなく、片手のみで俺の木刀を受け続けているのには、感嘆を通り越して畏怖さえ覚える。

 彼女はこの窮地に陥ってもなお、俺やセレスを全力を出すには値しない連中だと断じているのだ。

 だが、このまま沼の底に沈んでしまえば、再び浮上することは不可能だ。

 それは彼女も理解している筈だが、何故本来の力を発揮しない。

 十分の一の力だけで戦うという己の宣言を遵守しているのだろうか。

 そんな疑問が鎌首をもたげる中、冥華は億劫そうに顔をしかめた。


「チッ、こんな面倒臭え状況になるとは思ってなかったが、これで勝った気になってんじゃねえぞ。こんな泥沼なんざ、丸ごと吹き飛ばしやらあ」


 そう言った冥華は、足元に向かって左手の掌を向ける。

 すると、そこにドス黒い帯状のもやのような物が集束し始め、その帯に微かに指先が触れた亡者の腕が一瞬で塵になって消滅した。


「なっ! 私の亡者の腕がそんな風に易々と消し飛ばされるなんて!?」


「はっ、何が亡者の怨念だ。この程度の憎悪に耐えられねえほど俺はやわじゃねえ。怨念も憎悪も全て飲み干すほどの気概がなけりゃ、俺はとっくの昔に憑り殺されてるだろうよ」


 せせら笑いながら帯状の靄を束ねたドス黒い球体を生み出した冥華が、それを沼に向かって放り込もうと掌を傾けようとした刹那、




「は~い、冥華さん。楽しいお遊戯のお時間はここで終了です。そんな物騒な物は私が没収しちゃいま~す!」




 そんな陽気な口調の声が広場にこだますると同時に、沼に沈み込んでいく途中だった冥華の姿が唐突に掻き消えたかと思うと、広場の中央に何かが着地するような音が響く。

 空を切った木刀の手応えのなさに目を白黒させつつも、そこに素早く視線を向けると、両膝まで泥にまみれて不快そうに口元を歪める冥華と、タキシードに赤リボンを巻き付けたシルクハットという奇妙な出で立ちの白髪の少年が立っていた。

 そして驚くことに、彼の白手袋に覆われた手の上には先程の黒い球体が浮遊していた。


「アリステス、テメエ! 俺とアイツらの殺し合いに横槍入れるとは、どういう了見だ!」


「それはこっちの台詞ですよ、冥華さん。貴女、見学に行くと言って出て行った癖に、どうしてガッツリ殺し合いバトル開始してるんですか。それも、実力の一端すら見せない絶賛手抜きプレイで」


「俺が本気出したら、すぐに殺しちまってつまんねえだろうが」


「貴女のその底なしの闘争心というか殺人衝動には困ったものですよ。貴女は十分加減したみたいですが、こんな物をあの沼の底で起爆させれば彼らもこの町も跡形もなく消し飛んでいたでしょうに」


 不貞腐れたようにミニスカートで胡坐をかく冥華の行儀悪さというか、自分がどういう格好をしているのか分かっているのかという諦観じみた視線を向けていた少年は、急な状況の変化に対応出来ずに未だ油断なく木刀を構える俺と、無数の針を生え揃わせた銀鎖をピタリと向けるセレスに柔和な笑みを浮かべ、仰々しい仕草でお辞儀をした。



「はじめまして、うちの第4位がご迷惑をお掛けしたようで、誠に申し訳ございません。私、『狂焔の夜会ラグナスティア』の幹部メンバーである【冥炎十二将クリュメノス】の第12位、アリステスと申します。末席ではありますが以後、お見知りおきを」


 冥華を沼の中から転移で救出し、彼女から取り上げたらしい破滅の力の塊を掌に浮かべたまま屈託なく笑う少年を前に、俺とセレスは警戒心を解くことなく、体内に残された魔力をさらに高め始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る