第58話 蜥蜴人族の村・ザラ(女神暦1567年4月30日/蜥蜴人族の村・ザラ)

 湖の水の香りを嗅ぎ分けることが可能なゾランを先頭に、私達は薄暗い森の中を進み続けていた。

 既に陽は沈みかけており、空を覆い隠すカーテンのように強靭な生命力で枝葉を伸ばした大木が天然の天蓋てんがいを形成しているせいで、周囲は既に薄闇に閉ざされている。

 それに加え、頭上の木の方から聞こえてくる夜行性の鳥類が放つ掠れた鳴き声や、雑草と枯れ葉で見分けづらいぬかるみが所々に点在していて、森全体の不気味さを底上げしているせいで自然とこんな所に長居はしたくないと早足になってしまう。


「ニャア、これじゃあお気に入りのブーツも泥だらけニャ……」


 肩を落として、足元の泥に恨み目を向けるニーナには私も同情する。

 既に皆服のあちこちに泥や汚れが付着していて、どことなくツ~ンと鼻腔を刺激する植物の汁が服に付いた時は気が滅入りそうだった。


「集落に到着すれば、皆さんの衣服も洗濯できますので申し訳ありませんが、今しばらくはご辛抱頂けると……」


 恐縮した様子で頭を下げるゾランに、私達は慌てて手を横に振り、


「ああ、別に気を遣わないでね。旅人だった頃は突然の土砂降りで全身水浸しになった事もあるし、湿地帯を抜ける時に髪まで泥まみれになったこともあるから、この程度の汚れなら別に気にしないし」


「ニャニャ、ニャーも別に嫌味で言った訳じゃないのニャ! 気を悪くしたら謝るニャ!」


 そんな私達の反応に安心したようでゾランはホッと胸をなで下ろすと、指先を森の奥に向ける。

 頑丈な鱗に覆われたその手には目立った傷跡はないが、行く手を遮るようにこんもりと茂った茂みや枝葉を蜥蜴人族リザードマン特有の強力な腕力でへし折って道を切り開いて進んできたので泥や植物の汁で汚れが目立っている。

 彼が無事に集落に辿り着いた時には、感謝の言葉と相応の贈り物でも適当に見繕った方がいいかもね。


「あの木立を抜ければ、私の暮らす集落です」


「おお、漸く到着か」


 背中でスヤスヤと寝息を立てるシャーロットを落とさないよう、慎重に「よいしょ」と軽く背負い直したマーカスが、ゾランの指先を見据える。

 近くの木々の樹皮を一撫でし、一言二言小さな声でささやくように言葉を漏らしたフローラも、


「この子もこの先に蜥蜴人族リザードマンの村があるって」


「遂にゴールって訳だね」


 北の大森林には何度も足を運んでいるが、こんな奥地の方まで足を踏み入れた経験がなかったので当初は二の足を踏みそうな気持ちもあったけれど、こうして実際に目的地まで大きな怪我もなく辿り着けたのは、フローラの植物と話す能力の賜物といっていいだろう。

 アルトの村の農業に革命を引き起こしただけでなく、森林という植物が多く生育する地形に限定されるかもしれないが、人間社会から隔絶された秘境の地まで地図もなしに到達できる能力の規格外さには目を見張らされてしまう。

 相変わらず、アレンの『隷属者チェイン」ってとんでもないなあ。

 私はそんなことを思いながら、鬱蒼と草木が生い茂って見通しの悪い森の更に奥へと足を踏み出した。





 ゾランとフローラの言葉通り、泥状の滑りやすい地面に難儀しながらも、木立を抜けた先には開けた展望が広がっていた。

 所々に藻や水草がプカプカと水面に浮かんでいる湖が目の前に広がり、その水際には背の高い葦原が延々と続いていて、岸側には巨木をくり抜いて造られた木船と、植物の蔓で精緻に編まれた漁網や岩石を研磨した磨製石器を木の棒の先端に取り付けた簡易的なもりが無造作に雑然と置かれていて、普段はこの湖に漁に出ている漁師がいることを窺わせる光景だった。

 そして、漁船を横目に葦原の奥へと視線を移すと、湖にせり出すようにして突き出すようにして蜥蜴人族リザードマンの集落は存在していた。

 湖上の小村。

 パッと見た印象はそんな感じだが、その村の在り方が中々興味深い建築様式をしている。

 頑丈そうな極太の材木を湖の底に向かって深く突き刺し、それを柱にして木製の板を通路のように架けて繋ぎ合わせることで、湖の上に木製の陸地が構築されている。

 森で伐採した材木で作られた円形の一軒家がボツボツと点在していて、湖に悠々と蔓延っている葦を編み物のように編み込んだ垣根が家々の境界線として各家の敷地を明確に区切っていて、蜥蜴人族リザードマンの男性が弓のやじりを丁寧に研いでいたり、民族衣装のような見慣れない衣服を纏った蜥蜴人族リザードマンの女性が夫が獲ってきた物なのか動物の生皮を庭先(板張りの通路だが)に広げたボロ布の上に敷き、丹念に塩をすり込んでなめす下準備に精を出している。

 そして親たちが仕事に精を出す中、子供の蜥蜴人族リザードマン達は溌剌とした笑顔を浮かべながらおいかけっこに興じていて、「お前たちも手伝いなさい!」と鉄窯で夕餉を煮炊きしている母親からどやされる声が響く。

 姿形は違えど、目の前に広がっているのは何気ない人々の日常の一幕だった。

 私達人間と何一つ変わらない、家族の営みが当たり前のようにそこにあった。


「へえ~、てっきり湖の側の陸地で暮らしているのかと思ったけど、湖の真上にまで住居をああして広げてるのね」


 片手を眉に当ててひさしを作りながら蜥蜴人族リザードマンの集落を見渡すように眺めているフローラが、感心した口調で言う。

 それに対して面映ゆそうな笑みを浮かべながらも、どこか誇らしげにゾランが胸を張る。


「私が若い頃は湖畔に葦を編んだ簡素な住居で暮らしていましたが、人口が増えるに従って、湖の比較的頑丈な地盤の箇所に杭を何ヵ所も打ち込んで柱を作り、そこを視点に木板を組んで木の陸地を築いたのです。ちょっとしたおかず程度なら、漁に出ずとも家の軒先で釣り糸を垂らせば調達できますよ」


「ほう、家にいながら飯も手に入るのか。そいつは中々便利だな」


「家にいながらお魚食べ放題とか理想的な暮らしだニャ~」


 仕事はきっちりとこなすが、基本的に怠けられるならいつまでも怠けていたい気質のマーカスと、獣人の中でも魚を好物にしている人が多い猫人族の性なのか家にいながら魚にありつける生活環境に羨望混じりの声を上げるニーナ。

 そんな二人の反応に口元を綻ばせるゾランだが、悩ましげに顎先に手を当て、


「まあ、近頃は若手の漁師達が調子に乗って湖の魚を乱獲してしまい、漁獲量が落ちていますので、最近は釣果が芳しくない時も多いです。だからこそ……」


 ゾランはフローラに向き直り、


「フローラさんの提供して下さる稲? お米でしたか? それをこの湖やその周辺で栽培することが可能になれば我々の食糧事情も改善しますので、あのお話は渡りに船だったんです」


「実際に植えてみないことには分からないけれど、私の持っている品種ならこの湖の浜辺近くや湖畔に近い場所なら比較的栽培に適してるから、きっと大丈夫だと思うわ」


「ほう、それは何よりです。今日は歩き通しで大変でしたから今晩は我々の集落でお泊り頂き、翌日にでも詳しいお話をさせて頂いても可能ですか?」


「ええ、勿論。私としても久しぶりにお米が食べられるから嬉しいわ」


 フローラとゾランはどちらからともなく互いに手を差し出し、


「後でアレンやゼルダに相談しなくちゃいけないから確約はできないけれど、アルトの村のフルーツや野菜を、この村で栽培されたお米や魚とか、民芸品とかもあれば物々交換になっちゃうかもだけれど、交易みたいなことができればと思っているのだけれど……」


「ほほう、それは面白い。この村は大森林の奥地にある為、外部との交易はおろか交流もない陸の孤島だったので、これを機に外の世界と繋がりを築いてみるのも悪くないかもしれませんな。ふふっ、そう考えると私が森で生き倒れていたところを貴女方に救われたのも、何か縁のようなものかもしれませんな」







 ゾランが村の出入り口にある簡素な物見櫓を備えた葦を編んだ垣根で作られた門番の前に姿を現すと、村中が大騒ぎになった。

 血相を変えて村の中に駆け込んでいった壮年の蜥蜴人族リザードマンの男性の後に何人もの村人がそれぞれの仕事をほっぽり出して門へと足早に現れたのだ。

 ゾランは村人にもみくちゃにされながら、族長の帰還に嗚咽を漏らす同胞達に私達を紹介してくれた。

 森の奥地で昔から暮らしてきた蜥蜴人族リザードマン達は最初は初めて見る人間に興味半分恐怖半分といった面持ちでこちらを警戒した様子で遠巻きにしていたが、ゾランの命を救ってくれた恩人であることや若い頃に森の外に出て傭兵家業で身を立てていたという長老衆が蜥蜴人族リザードマンを見た目で忌避する人間もいるが、差別や偏見もなく分け隔てなく接してくれる人間もいるし、私達は後者だろうと、眠りから覚めたシャーロットが自然とゾランの手を握って葦原の近くに咲いていた野花をプレゼントしている姿を微笑ましげに眺めながら太鼓判を押してくれた。

 その甲斐あって、村人達から是非歓迎と感謝の宴を催すので是非参加してほしいと懇願されて、村一番の大きさを誇る集会所へと案内されたのだけど……。



「流石にこの量は食べ切れないわね…‥」


「右に同じく……うっぷ、あのすみません、お水頂いてもいいかしら?」


「食える時に食えと、見習い時代に先輩達に教えてこられたけど、もう食べられないニャ……」


 集会所の中央に設けられた賓客用の座椅子に腰掛けながら、私達は目の前に所狭しと置かれたご馳走に我ながら贅沢な悲鳴をあげていた。

 大皿に盛られた巨大魚の焼き魚は表面に狐色の焼き目が美味しそうな香ばしい香りを醸し出し、皿に添えられていた柑橘類の輪切りから果汁を滴らせて口に運ぶと、ホックリと解れた淡泊な魚の身の味わいとそれを引き締める果実の酸味が風味をより一層引き立てる。

 たっぷりと旨味を凝縮した肉汁滴るこんがりと焼かれた獣の串焼きは最初は獣肉ということもあり獣臭さがキツイだろうと思ったけれど、臭み消しとしてこの村で昔から使われている香草で生肉をしばらく包んでから焼くらしく臭みもなくて食べやすい。噛み締める度に肉の繊維が何の抵抗もなく切れ、これぞ肉! っていう感じの野性味溢れる味わいが癖になりそう。

 湖の底にいる渡り蟹と海老を塩と香草で薄味に仕上げたスープも、甲殻類の海鮮出汁がスープ全体に染み込んでいてその滋味に舌を唸らされる。

 そんなご馳走が続々と食べても食べても並ぶのだから、こっちの胃袋ももう限界。

 そうした食事の最中に酒精のたっぷり効いた火酒も勧められたが、これはかなり度数が高いそうなので私は辞退。

 軽い気持ちで木製のジョッキを受け取ったニーナは一杯目でノックアウト状態となり、上気した顔でクルクル目を回す彼女は集会所の隅で宴会騒ぎに飽きた蜥蜴人族リザードマンの子供達や酔い潰れた亭主の世話を長年焼いてきたという年配の女性が蓮の葉で作った団扇でそよそよと風を送って介抱されていた。

 一方、食べ過ぎてグロッキー状態の筈だったフローラと元々健啖家で食事もあっさりと平らげてしまったマーカスの酒豪組は飲み比べを挑んできた男性蜥蜴人族リザードマン達をもう既に十人以上撃沈させており、「ほらほら、もっと骨のある奴はいないのかしら!」「俺達はまだまだいけるぞ!」とグビグビと酒樽を丸ごと空けるのではと心配になる程飲み続けている。

 あれ、絶対明日二日酔いで泣きを見るんじゃないかな。

 仲間達が次々と醜態を晒している光景に気恥ずかしさで頭が痛くなるけれど、私の横で小皿に盛られた橙色に色づいた木苺を上機嫌に頬張っていたシャーロットが私の頬をプニプニとつつく。可愛いなあ。


「どうしたの、シャーロット?」


 食べ過ぎたせいで腰に巻いているベルトが若干苦しくなってきたお腹をさすりながら、私の両膝の間にスポンと収まってきたシャーロットを見下ろすように視線を合わせる。

 ああ、流石にこれ以上食べたら、確実に体重がヤバいことになるな。

 シャーロットは先程まで食べていた木苺をスッと私の口元に差し出し、


「これ、とっても美味しくて、カレンずっと頑張ってたから食べてほしいなあって思ったんだけど……駄目?」


「はい、頂きます」


 体重? 知らないなあ、そんな人。

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