第57話 大切な人達(女神暦1567年4月30日/北の大森林)

 オレンジ色に焼けた空が頭の上に広がる中、私達は森の木々に情報提供してもらいながらゾランの暮らす蜥蜴人族リザードマンの集落を目指して歩き続けていた。

 昨日のお昼頃にアルトの村を出立し、適度に休憩を取りながら歩き続けてきたけれど夜を迎え、皆で天幕を張って簡単な煮炊きをして夕飯を食べてから就寝。その後、早朝に火の始末をしてから再び出発し、適度に休憩を挟みながら森を進んできたがそろそろ皆の顔に疲労が色濃く溜まってきた頃合いだ。

 小柄ながらもがっしりと筋肉の付いた体格のゾランは汗一つ掻く事無く進んでいるが、毎日鍛錬を続けているゼルダとは違い、日頃から体を鍛えている訳ではない私達は歩行速度はみるからに減速していた。

 ゼルダのように毎日鍛えている訳ではないと思うけれど、案外筋肉隆々なマーカスはそれほど辛そうな素振りや表情は見せていない。

 だけど、腕っぷしはからっきしな魔導士職である私や長時間の歩行に慣れていないシャーロットの額には汗が滲んできていて、正直これ以上歩き続けるのは体力的にキツかった。


「ねえ、ゾランさん。貴方の暮らす集落まではまだ遠いの?」


「いえ、ここまで来たら集落まであと少しだと思います。この辺りの地形には見覚えがあります。狩りや果物の採集で来た時に集落から来た事がありますから、ここから数十分程の場所に集落はあるでしょう」


 そう言い、ヒクヒクと鼻腔をすぼめたゾランは、


「微かですが、藻の臭いを含んだ水の臭いが風に流れて漂ってきています。毎日嗅いでいる臭いですから、ここまでくれば私でも集落の場所は分かります」


 ゾランが指差す方角に目を細めてみるけれど、湿気で苔むしった大木や枯れ木、シダが繁茂した茂みが広がっているだけで湖の影も形も見えず、藻の浮かんだ水特有の泥臭い悪臭もここからでは感じ取れない。

 蜥蜴人族リザードマンの生態については詳しくないけれど、人間よりも嗅覚が発達しているのかもしれない。


「皆さんもお疲れでしょうから、集落に着きましたら心ばかりのお食事と宿をご用意させて頂きます。稲作についての相談も、その時にさせて頂ければ前向きに考えさせて頂きたいと思っていますので」


「ニャニャ、ようやく休めるニャ! 昔は行商で足腰は鍛えていたから体力に自信はあったんニャけど、やっぱり自分の店を構えると前よりも体が鈍っていかんニャ~」


「お腹空いた……」


「割と結構な距離を歩いたからな、へばるのも分かるぜ。ほら、シャーロット。おぶってやるから、もうちょい頑張れ」


「うん、ありがとう、マーカス」


 約半日以上も木の根が地面を這いまわっているような足場の悪い地面と時折遭遇する急勾配等を歩き続けるのは大人でも大きく体力を削られる。それをこの中では最年少であるシャーロットが何とか皆についていこうと頑張っていたのは皆が気付いたので、休憩も長めに取りながらの移動だったのだが、疲労で強烈な睡魔に襲われたのか、マーカスの背に背負われたシャーロットはゴシゴシと目元をこすった後にスヤスヤと可愛らしい寝息を零しながら微睡まどろみに落ちて行った。


「可愛いニャ~。ねえ、マーカスお父さん、ニーナもおんぶして欲しいニャ~」


「お前みたいに金にがめつい守銭奴の娘なんぞ知らないな」


 猫撫で声を出し揉み手をしながらにじり寄るニーナの額を人差し指で軽くデコピンしてあしらったマーカスを見て、思わずクスッと笑みが零れる。

 ニーナも可愛らしい寝顔を皆に見せながら眠るシャーロットを起こさないように声を押さえてじゃれついているし、自分の背で安心しきった表情で眠る少女の眠りを妨げないよう最低限の体の動きでニーナのおねだりを躱しているマーカスも、シャーロットのことをとても大切に思ってくれている事がよく伝わってくる。

 奴隷だった彼女を優しく見守り支えてくれている人達がここにいる。

 シャーロットだけじゃない。

 ドロシーは図書館でルイーゼやフランソワ達と一緒にお仕事をしている時に、どこか安心しているというか、ここは自分がいても良い場所なんだと安堵にも似た気持ちを抱いているような肩の力が良い意味で抜けた安心した表情で過ごしている。(というか、たまにアレンのことを目で自然と追っている時があるんだけど、その時の表情が凄く幸せそうなの!)

 エルザはセレスに炊事等の家事全般を教わっているが失敗続きで落ち込む時もあるけど、食事の準備中にショボンと肩を落とす彼女の目を盗んで、私を含めアレンや他の皆がこそっと彼女の皿に自分のおかずをそっと足したりとささやかなプレゼントをしている事は内緒。

 奴隷に堕とされ、絶望に支配された人生を辿る筈だった少女達は、異世界から私が連れて来てしまった不思議な男の子によって闇の底から救い出された。

 そして、今はアルトの村で、自分達の新しい居場所で自分にできることを手探りで探している。沢山の人達に愛されながら。

 今はここにいないアレンとゼルダもまるで自分の娘のように三人を愛している。

 目の前で穏やかに眠るシャーロットを見ていると、ほっこりとした温かさで胸が灯っていく感覚に浸ってしまう。

 すると、私のそんな気持ちが顔に出ていたのか、ゾランは蛇のような細長い瞳を優しく細めながら、


「このはとても素晴らしい人達に囲まれているようですね」


「ええ、本当に」


「その素晴らしい人達には貴女も入っているのでしょう?」


「う~ん、そうなのかな。この娘は私の事を慕ってくれるし、他にも私を頼ってくれる娘もいるんだけど、私ははっきり言って皆を守れてるのかなって不安になることがあるの」


「ほう?」


 意外そうにパチパチと目をしばたたくゾランにどこか愛嬌を感じながら、私はずっと心にしまっていた本音をついポロリと吐き出してしまう。


「私はアレンやゼルダのようにすごく強く訳でもないし、気配り上手な訳でもないから、自分の何気ない言葉が三人を傷付けてないかたまに不安になるんだ」


 自分の大切な人には幸せに笑っていてほしい。

 だけど、私は故郷にいた頃に大切な人を傷付けて、置き去りにして、逃げ出した。

 幸せにしなくちゃいけない人に、恩返ししなくちゃいけない人に何も返すこともなく、ただただ逃げて、逃げて、逃げ続けてきた。

 そんな自分が他人を幸せにする資格なんて……。


「てやっ」


「痛っ!?」


 どんどんマイナスな思考に囚われてズーンとした空気をまき散らしていたのか、唐突に後頭部に軽い衝撃を感じ、思わず反射的に振り返るとプウッと頬を膨らませたフローラが片手でチョップを繰り出したままの状態で立っていた。

 彼女は察しの悪い生徒を見るような、ふう、やれやれだぜ、といった眉を寄せた表情でこちらを見遣っている。

 えっ、私何か悪いこと言っちゃった?

 突然の事態にオロオロと混乱する私の鼻の前にフローラはピシッと指先を突き付け、


「いい、カレン。貴女はそうやって自分の行動が大切な人を傷付けてしまわないか怖がってるけど、普段のあの三人の様子見てたら、そんなの完全な杞憂だって誰だって分かるわよ?」


「えっ、そうかな?」


「居間で繕い物をしている途中に寝落ちしたドロシーに毛布を掛けてあげるのはいつも貴女が一番。

 エルザが料理や力仕事の最中に軽い怪我をした時に、私が治癒の術を掛ける前に大慌てで薬や包帯を戸棚から取り出して駆け付けるのも貴女。

 カザンに用事で行った時に、花屋でシャーロットが気に入るような花を見繕って、そっと庭の花壇に植えているのも貴女。

 アレンもゼルダも勿論皆を気遣っているけれど、貴女のその行動も皆しっかり見ているの。だからちゃんと胸を張りなさい、カレン=カーヴァディル。貴女は、アルトの村の……皆の家族なんだから」


 そう口元を綻ばせながら、自分で言っていて後から恥ずかしさがこみ上げてきたのか頬を紅潮させているフローラの姿に私は目を伏せる。

 ああ、嬉しい。

 目頭が熱い。

 私のやりたいことはアルトの村を復興させて、ゼルダに幸せな人生と居場所を作ること。

 最近そこに異世界から来た少年と、元奴隷の年下の少女達が加わって、焦っていたのかもしれない。

 幸せにしなくちゃいけない人が、大切な人が予期せず増えて、私は本当にそんなことができるのかとか、逆に傷つけてしまうんじゃないかと不安になっていたんだ。

 だけど、今は分かる。

 私は大切な人を幸せにするために一人で気負い過ぎていた。

 とっくの前から私自身が皆に幸せを貰っていたんだ。

 そんな簡単なことにも今までも気付かなかったことが恥ずかしいなあ。

 目尻に浮かんでいた雫をそっと指で拭うと、私は堂々と顔を上げる。

 そこにはアルトの村を共に闇ギルドから守り抜いた若草色の髪の少女がいる。

 スヤスヤと寝息を立てながら、時折「う~ん……カレンお姉ちゃん……」と私の名前を愛らしい寝言で呼ぶ女の子がいる。

 私やゼルダの為に毎日忙しい中馬車を走らせ、未踏の地への冒険にもこうして心配して同行してくれる、たまにいじわるしてくるけれど心優しい男の人がいる。

 お金が大好きな商人だけど、本当に困った時にはお金なんて関係なく全力で手を差し伸べてくれる女の子がいる。

 私は一人じゃないということが嫌でも理解できる。

 こんなに沢山の人達に支えられているのに自分は一人だなんて言ったら、本気で怒られる。というか、自分に対して凄く怒る。


「皆、しんみりとした空気にしちゃってごめんね。私はもう大丈夫。行こう、ゾランさんのお家へ!」

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