第25話 ゴーレムの軍勢(女神暦1567年4月26日/北の大森林)

 バキバキバキッ!!

 ドスンドスンドスンッ!!

 静謐せいひつさに満ちていた夜の森に響き渡る異音。

 木々が何かに引き裂かれ薙ぎ倒されていく破砕音。

 巨大な質量を有する何かが地面を踏み締める音。

 圧倒的な破壊力を持った何かが、刻一刻とこちらに向かって歩を進めてきている。


「ゼルダ様とカレン様への魔力供給、お疲れ様です旦那様」


「ありがとう、セレス。彼女達なら無事に敵を退けられるだろう」


「その通りでございます。私達は私達の成すべきことを成しましょう」


「ああ、そろそろ本命のご到着だ。よろしく頼むよ、セレス」


 アルトの村の北に鬱蒼と広がる大森林の中で、俺とセレスは徐々に接近してくる敵を泰然と待ち構えていた。

 今の俺はゼルダとカレンの『魔装化ユニゾン・タクト』を発動させたので、多量の魔力が消費してしまった状態だが、残存している魔力量には十分余裕がある。戦闘に支障はない。

 召喚士は身体能力こそ並以下だが、こと魔力量においては他の追随を許さない。

 しかしながら、今回はかなり離れた距離にいる『隷属者チェイン』達への魔力供給を行ったので消費魔力は中々のものになってしまった。

 まだアルトの村までの範囲までしか試してはいないが、更に遠方にいる『隷属者チェイン』を『魔装化ユニゾン・タクト』させる機会があれば、途方もない程の魔力量が必要になるかもしれないな。


「旦那様、まもなく敵が姿を見せる頃合いかと」


「フローラから貰った花の花弁も全て落ちた。来るぞ」


 俺達の足元には小さな鉢植えに植え替えられた一本の黒い花弁を持つ花があった。

 それは、自分の周囲にいる者の悪意を感知すると花弁を一枚ずつ散らしていく性質を持った『神々の花園』原産の植物だ。

 先程まで漆黒の花弁を元気に咲かせていた花には最早花びらの一枚も付いておらず、地面に零れ落ちた萎れた花弁が夜風に攫われて視界から消えて行った。

 強大な悪意を持った人間がすぐ側にまで来ている。

 そして、それは夜闇に紛れて不意打ちをするような暗殺者めいた小技は一切使わず、実に堂々とした態度で木々の隙間から歩み出てきた。

 薙ぎ倒された大木を継ぎ合わせて造られた五メートル越えの巨体。

 何本もの剣を腕から生やした、泥岩や砂礫で構成された細身の体。

 鋼鉄の肉体で、足元の小岩を小粒の豆を砕くかのように楽々と踏み砕いた巨躯。

 統一性のない多種多様な材料で構築された体を持った魂を持たぬ兵団。


「……ゴーレムか」


「その通りだよ、少年」


 悠然とした男の声が闇の奥から這い寄るように響き、ゴーレムの集団がサッと身を引いて人一人が苦もなく通り抜けられる程の隙間を作る。

 そして間髪入れず、即座に首を垂れたゴーレム達の間を紫煙をくゆらせてそこから現れたのは、『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』のギルドマークを肩に刻んだくすんだ茶髪の男だった。


「……アンタがこのゴーレム達を操ってる張本人か?」


「ご明察。『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』ギルドマスター、ジルベスター=ドニエだ。短い付き合いになるとは思うが、よろしく頼むよ少年。いやあ、アジトで岩石や鉄で出来たゴーレムを四十体程見繕ってきたが、この森は良いね。材木を素材にしたゴーレムは前者と比較すると耐久性では劣る部分もあるが、こういう自然豊かな森だと材料に事欠かない。杞憂かと思ったが、ここに来るまでの道中で約六十体程補充させてもらったよ」


「一応、アンタが踏み荒らした森はあの村の住民達が管理してきた大切な場所だ。それを土足で踏み荒らした以上、それ相応の覚悟はできてるんだよな?」


「住民? 生憎あいにくだが、君と数名程度の少女達しかいない村のお家事情や家庭内ルールになんて興味はない。俺が用があるのは、俺らの商売を台無しにした君ともう一人の女の子の命、そして君らの手元にある商品の返還だ。大人しく奴隷を引き渡せば苦しむ間を与えることなく殺す。無駄な足掻きに挑戦するのなら、ゴーレム達に全身の骨が砕け散るまで殴り殺させるが、どちらがお好みかな?」


 完全にこちらを見下した冷徹な笑みを張り付かせた男は、微塵も己の勝利を疑っていない強者の優越感と尊大な自尊心に浸りきっていた。

 恐らく今までも、自分に刃向う者を雑草を刈り取るかのように良心の呵責に苛まれることもなく排除してきたのだろう。

 そして、それだけのことを平然をやってのけるだけの確かな実力も有しているに違いない。

 ギルドの構成員達を誰一人伴うことなく、自前のゴーレムだけを引き連れて戦場に身を隠す素振りもなく姿を現しているのがその証左だ。

 絶対的な支配者であり、抗う者を徹底的に叩き潰す胆力を備えた高い力量。

 他者を寄せ付けないその実力が、男の不動の自信に繋がっているのだろう。

 相手にするのは中々骨が折れそうな手合いだ。

 だが、そのお高く止まった自信をへし折ることさえできれば、一気に戦局はこちらに傾く。


「残念だけど、どっちも俺は選ぶつもりはない」


「ほう、ではどうすると?」


 俺は全身に魔力を張り巡らせ、傍らではべていたセレスはこちらの背中を優しく抱き締める。


「アンタをぶっ倒して、村も皆も全て守り通す。それが俺の答えだ!」


 体内で錬成していた魔力が大きく弾け、周囲の木々の枝葉をしならせるほど溢れ出た魔力の余波がゴーレム達の巨体を僅かに押し戻し、ジルベスターの口元が一瞬硬く強張る。

 どうやら予想以上に俺の魔力が高かったことが意外だったようだ。

 そのことに口元を綻ばせながら、俺の背後に寄り添っていたセレスの肉体が灰色の粒子に姿を変え、こちらの体と溶け合っていく心地良い感覚に身を委ねる。

 足元に展開した灰色の魔法陣に全身を包まれていくと、体中にセレスの魔力が激流のように流れ込んでくるのを感じた。

 それが全身にくまなく行き渡った刹那、灰色の魔法陣は砕け散り、魔装を纏ったこの身が白日に晒される。

 暖炉に積もった灰の如き色彩の髪、全身をすっぽりと覆うような黒ローブ、左腕全体を覆う一切の光を反射せずに飲み下してしまうような黒曜石の如き漆黒の手甲、右手に握られた水気のない枯れ木のような身の丈程の長さの黒木の魔杖の先には、蛇や竜のような縦長の瞳孔を見開いた眼球が中央に漂う黒水晶が取り付けられていた。

 銀鎖を自由自在に操る、幽鬼を統べし少女の力をその身に宿した魔装に、ジルベスターが軽く息を飲むのが見て取れた。


「……見たことのない魔法だな」


「俺のオリジナルでね。悪いが手は抜かないから、そっちも全力でかかってきな」


「ほう、中々言うじゃないか。少年の衣替えした衣装の力と、俺の『傀儡師の奴隷工房シェム・メフィオラ』のどちらが格上が、試してみようじゃないか」


 鈍い光沢を放つ銀色の指輪を見せつけるように腕を前に伸ばしたジルベスターの動作に反応したゴーレムの軍勢が、巨体に似合ぬ素早い動きで稼働し、駿馬しゅんめのような軽やかな走りで静かに拳を後ろに引く。

 所々から若い新芽を芽吹かせている木製のゴーレムは全力のぶちかましをお見舞いしようとタックルを敢行し、大量の武器をその身に溶接したゴーレムはそれらを振り回しながら疾走してくる。

 一撃でも食らえば致命傷、反撃しようとしても頑強な肉体に阻まれ成すすべもなく蹂躙される。

 絶体絶命の死地。

 生身の状態なら背中を見せて全力ダッシュするような勝機ゼロの展開だが、セレスと同化した今の俺ならこんな状況でも打開できる!

 殺到する凶器の群れを目前にしながらも、なんとか平常心を保つ。

 いつも通りだ。いつも通り落ち着いてやれば、問題ない。

 そう頭の片隅で唱えながら、右手に握った黒き枯れ木の杖の石突を地面に突き立て、体内でき止めていた魔力を杖に注ぎ込む。



「『悪徳を飲み干す死泥門ディオトート・ラ・モルテ』」



 杖の石突が直接している地面から、黒く濁った大量の泥がダムが決壊したかと思うような猛烈な勢いで溢れ出し、猛然と向かってきていたゴーレム達が走る土壌も瞬く間に泥の海に浸食される。

 俺の頭蓋を果物を握る潰すかのように叩き潰そうと振り上げられたゴーレムの腕は、俺の脳漿のうしょうを地面に撒き散らすことなく虚しく空を切る。

 それでも幼児が駄々をこねるように腕を振り回すが、それ以上泥の激流に押し流されて俺の体に近づくこともままならない。

 唐突に流れ出した泥の海に飲まれる寸前で近場にいたゴーレムの肩に飛び移り、そこから側の大木の太い枝に飛び移ったことで難を逃れたジルベスターは、兵力過多だと思いながら連れて来たゴーレムの軍勢の大半が泥の海に沈没していく光景に目を見開く。


「ば、馬鹿なっ!? 俺のゴーレムは海の底ですら余裕で走り回れるほど頑強なんだぞ! たかが泥の海に沈んだだけで一向に浮上してくる気配がないのはどういうことだ!」


 数分前の余裕ぶった態度を投げ捨て、狼狽した口調で頭を掻くジルベスターの姿を俺は見上げる。

 俺が杖を突いた先の地面は一面黒い泥の大海だが、杖より手前側は普通の地面のままで術者であるこちらの安全は保障されている。


「『悪徳を飲み干す死泥門ディオトート・ラ・モルテ』は、冥界に存在する闇の魔力を帯びた泥を召喚する魔法だ。その泥に飲み込まれた者は何者であれ、魂を焼却されただのむくろに成り果てる」


「なっ!? さっきからゴーレムに思念を送っても全く反応がないのはそのせいか!」


「さて、今の攻撃でそちらのゴーレムを半分は無力化させてもらったけれど、まだ降参する気はないか?」


「当然だ! まだ俺の手元には泥を逃れた四十体以上のゴーレムが生き残っている。そんな強力な魔法はそう何発も連発できはしない! 一気に畳み込ませてもらうぞ!」


 ジルベスターが指を鳴らすと、泥の左右に散開していたゴーレム達に魔力が充填され、立ち塞がる岩や木々を簡単に粉砕しながら突貫してくる。

 だが、泥の海を迂回しながらの突進ではあるため、回り道の分ブレーキが掛かる箇所が多く、俺の体を撥ね飛ばすまでに十秒は要する。

 もう一度『悪徳を飲み干す死泥門ディオトート・ラ・モルテ』を発動すると、僅かな差で俺の体がミンチにされる方が早いな。なら、次は……。

 まずは杖の石突に集中していた魔力を断ち切り、泥の発生を停止させる。

 そして、漆黒の手甲を身に付けた左腕に魔力を通わせる。

 すると、俺の頭上の虚空に横長の黒い亀裂が一文字に走り、亀裂が大口を開けるように大きく裂けると、大量の鎖が絡み合って構成された二つの腕が一切の音を立てずに現出する。


「鎖で出来た腕だとっ!?」


 これも予想通りに出せた。そして次は……。

 俺は大きく左手で拳を握り、大きく後ろに振りかぶる。

 すると、頭上の鎖の拳も俺の動きに連動して同様の動作を行い、ジャラジャラという鎖が擦れ合う擦過音が響く。その音が今この時だけは、非常に心地良く、俺の胸を熱くさせる。

 黒曜石の如き漆黒の腕をギュッと力一杯握り締め、あと十歩程度という所まで突進してきたゴーレム達に多少の憐憫れんびんを感じながらも、俺はニヤッとした笑みを向ける。



「ぶっ飛べ!! 『冥府を守護せし黒巨兵の剛拳ギガント・グロンドモア!』



 疾走するゴーレムをピタリと見据えながら勢い良く拳を前に突き出すと、上空に浮遊する両拳もそれと同じ動作を行う。

 眼前に迫っていたゴーレムに向かって。

 空気を切り裂くような風切り音が吹き荒れると同時に、神速の拳が前進するゴーレムの巨躯をビスケットを砕くかのように粉砕した。

 三階建てのビルほどの高さのゴーレムがボロボロに分解されて、大量の瓦礫が足元のゴーレムを押し潰して圧殺する。

 岩石の巨兵がただの石のつぶてに変じて辺り一面に四散し、大木のゴーレムは小枝の一片に至るまで粉微塵に爆散して自然に回帰していった。

 また、鎖の剛腕が通過した跡は大きく地面がめくり上げられて地中の土壌が大きく露出し、黒泥も辺り一帯に飛び散ってしまっていた。

 そして、拳が凄まじい勢いで通過したことで発生した爆風に吹き飛ばされたのか、大木の下敷きになって呻くジルベスターが、必死の形相で脱出しようともがいていたが、案の定ビクともせず、苛立たしげにえる。


「『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』のギルドマスターであるこの俺が、こんな無様な敗北を晒すだと!? まだだ、まだ終わらねえ! この石の魔力を使えばまだ逆転の目は……!!」


 ジルベスターが血走った眼でふところに手を伸ばし、何かを取り出そうとした刹那、静かに歩み寄っていた俺が杖先でその腕を横薙ぎに払う。

 彼の拳の中に握り込まれていた透明な水晶が地面をコロコロと転がる。


「がっ!? クソ、おいガキ! それを返せ!」


「何かは知らないけれど、はいそうですかと返す訳がないだろう」


 そう当然のように言い放ち、口汚く悪態をつくジルベスターを完全に無視して、屈みこんで拾い上げた奇妙な石を観察する。

 とりあえずそれがどんな代物なのか【鑑定】スキルを使って、分析を試みることにする。

 ジルベスターが最後にすがりついた品だ。

 少なくともただの無価値な石ころというオチはあるまい。

 そう思いながら【鑑定】スキルを発動する。

 ん? この石に含まれる魔力の構成や成分、どこかで見覚えが……っ!? おいおい、マジか!?

 全ての分析を終えた俺は、その場で飛び上がりそうになるほどの喜びに支配されて相好を崩す。

 この世界に存在しているのか、全く分からなかった。

 もしかしたら、一生見つからないのかもしれないとさえ思っていた。

 それが今こうして、自分の手の中に確かに収まっている。

 これほどの喜びはない。


「四人目の『隷属者チェイン』を召喚するのが、今から楽しみだ」


 手の中に握り込まれた『霊晶石』の感触を感じながら、俺は満足げにそう呟いた。

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