第16話 魔装化(女神暦1567年4月21日/ゲルグ邸西棟)

 わなわなと歯を食いしばりながら怒り心頭といった面持ちでこちらを見下ろすガイオンは、見るからに焦燥感に駆られているのが容易に推し量れた。


「あ、貴方! 一体何者なのですか! 奇天烈な魔法を操り、我が『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の兵達を容易く蹴散らすその技量、そこいらの中堅ギルドの者ではないでしょう!」


「別に俺が何者かなんて知る必要はないさ。お前とお前のギルドはここで終わりだ」


「ふんっ、馬鹿な奴め! 貴方が逃がした女子供が騎士団や衛兵隊の詰所に辿り着き、ここに応援が辿り着く迄どれほどの時間が掛かると思っているのですか! 貴方が私と外の連中を相手取っている間に、ゲルグ様や他の客達は別の出入り口から易々と逃げ切るでしょうね!」


「……」


 どうやらガイオンは、この邸宅の近辺に騎士団と衛兵隊が身を潜めて突入の機会を窺っていることには全く気が付いていないらしい。

 この様子では、ゲルグや他の招待客達も妙なスパイが潜り込んでいて、屋敷中を必死に逃げ回っている程度にしか考えていない可能性もあるだろう。

 悠々と今日の戦利品である奴隷達を連れて屋敷から退去し、カザンの外へ逃亡する腹積もりかもしれない。

 彼らがこの屋敷の敷地を出る頃には、ゼルダの連絡を受けた騎士団が屋敷を包囲していることを願うしかないが、俺はここでガイオンを捕えることに集中しよう。

 この男さえ捕縛出来れば、奴隷売買に関わった他の人間達も芋づる式に逮捕できるかもしれない。

 だが、俺がそんなことを考えているなど知る由もないガイオンは、慇懃いんぎん無礼な態度でこちらを睥睨へいげいすると、おもむろに両手を高く上げる。

 すると、彼の両手の真上に黒く濁った人の顔ぐらいの大きさの球体が、風船が膨らむように形作られていく。


「私はこれでも魔導士なのですよ! いかに貴方が強者であろうとも、私の最大魔法を喰らえばひとたまりもありますまい!」


 勝ち誇った笑みを浮かべながら悦に浸るガイオンを冷めた目で見上げ肩をすくめると、傍らで控えていたフローラに命じる。


「フローラ、『魔装化ユニゾン・タクト』だ」


「はいはい、分かったわよ。手早く終わらせてね」


 その瞬間、億劫おっくうそうに嘆息したフローラの全身が、新緑の若葉を想起させる若草色の光に包まれる。

 そして、まばゆきらめきに覆われた肉体は、ホロリと静かに崩れて細かな光の粒子に姿を変え、俺の全身を繭で覆い隠すかのように集束し始める。






「な、何をする気は分かりませんが、今更何をしようと後の祭りというものです! 死になさい、『穢されし黒陽珠ネグロ・アスワード!』


 己の頭上に掲げた黒球にありったけの魔力を注ぎ込んだガイオンは、黒球の直撃を受けて肉片一つ残さず消滅した哀れな男の末路を思い浮かべる。

 この魔法は彼が行使できる魔法の中では最も威力の高い攻撃魔法であり、その破壊力には絶対の自信と威武があった。

 そして、彼が解き放った黒球は寸分違わぬ精度で若草色の光に包まれた階下の少年を直撃し、大きな爆発音を響かせながら爆風を四方八方に撒き散らし、辺りは四散した床の石材や立ち込める黒い煙で見るも無残な姿に変貌した。

 口内と鼻腔に吹き込んでくる黒煙に咳き込みながらも、ガイオンは勝利の喜びに酔いしれる。

 どうやらあの鎖を操る従者は優秀であったようだが、肝心の主は大した実力も持たない蛮勇の過ぎたただの無力な若造だったらしい。

 身の程知らずめ。くだらぬ正義感と憐憫れんびんにほだされるから、こんな惨めな死に方をするのですよ。

 屋敷内を荒らしてしまったことは後にゲルグに詫びなければならないだろうが、今日のオークションを台無しにしてくれた男をこうして自分の手で葬れただけでも多少の溜飲が下がるというものだ。

 外で奮闘しているだろう男達はこの際切り捨てて、ゲルグや常連客達と共に都市の外へ逃れれば再起の時は必ずやってくる筈だ。

 そう結論を出したガイオンは、煙が晴れた先に広がっているだろう凄惨な光景を最後に目に焼き付けようと目を凝らすが、煙に微かに浮かび上がった妙な陰影に片眉を上げる。

 な、何ですかあの丸い影は? あんな物はこんな所にはなかった筈……!?

 爆発の余波を受けて破砕した窓ガラスから一陣の風が吹き込み、黒いベールを引き剥がしていく。

 黒煙の中から出現した物を見て、ガイオンは瞠目どうもくする。



 巨大な根が絡み合った繭がそこに鎮座していた。

 大理石の床をチーズを裂くかのように容易に引き裂いて地中から伸長する、鍛え上げた筋骨隆々の偉丈夫の二の腕よりも太く硬い大樹の根が繭玉のような球体を形成していた。



「一体なんですか、アレは!? あのガキはどうしたというのです!?」


「俺ならここにいるぞ」


「っ!?」


 ガイオンの目の前で分厚い根の壁で硬く閉ざされていた繭が、内側から花が花弁を咲かせるように綻んでいき、その中から歩み出てきたのはスーツ姿の少年ではなく、白いローブを身に纏った奇妙な若造だった。






 白地の生地に若草色の刺繍が施されたローブ。

 数枚の桜の花弁が中央に眠るように浮かんでいる桜色の琥珀こはくが杖先にめられている木杖。

 自然を操り、その恩恵と加護を仲間に与える爛漫らんまんな少女の髪と同じ色合いの髪色と瞳の色。

 自身の肉体的特徴さえも変化させ、一本一本強大な魔力を蓄えた糸を精巧に編み込んで作られたローブの肌触りの良い質感に笑みを零しながら、俺は更に魔力を高めていく。

 『魔装化ユニゾン・タクト

 それは召喚士自らが戦闘に参加できるようにするための自己強化スキルだ。

 召喚士が契約した『隷属者チェイン』と一つに融合し、彼らの能力や魔力を秘めた数種類の武器や防具を身に付けることが可能となる。

 『隷属者チェイン』と肉体と魂が溶けあっている状態なので、今のように髪や瞳の色、場合によっては角や尻尾といった、肉体的な部分も変化することもある。

 本来なら召喚士というジョブは、『隷属者チェイン』を使役し、彼らに指示や魔力供給を行いながら戦闘行為を行うのがデフォルトだ。

 だが、『魔装化ユニゾン・タクト』で一心同体状態になると、ATKやDEFが著しく低かった分、魔法職としても異常な程のMPを保有していた俺は、その無尽蔵に近い魔力で『隷属者チェイン』が自己の魔力量だけでは普段使えないような強力な技や魔法を行使できるようになる。

 異世界に来てから初めて使用するスキルだったので、発動できるのかという不安はあった。

 しかし、『召喚』と『スキルホルダー』が発動可能であった以上、このスキルも使用可能であると予想した俺の読みは的中したようだ。

 全身から湧き上がってくるフローラの新芽のように若々しい魔力の高まりを肌に感じながら、狼狽し切ったガイオンを見据える。


「ガイオン、あれがお前の全身全霊の一撃なら、もうお前にこの状況を打開できるすべはないぜ」


「な、なんですと!? たった一度だけ、私の攻撃を防いだぐらいで粋がるんじゃありませんよ!」


「何度やっても同じだ。お前の攻撃は絶対に俺に通らない」


「つ、強がりを言うなぁぁぁぁあああああああああ! クソガキがぁぁああああああ!!」


 遂に丁寧口調もかなぐり捨てたガイオンは再び頭上に腕を伸ばし、僅かに残存する魔力で新たな黒球を生み出そうとするが、


「『我が愛しき花乙女の愛ファブール・グレナーデ』」


 桜色の宝珠をいただく木杖の石突で割り砕かれた床を打ち据えた瞬間、周囲一帯を振動させる地響きが突発的に発生する。

 そして、足裏を襲う唐突な揺れに体をよろめかせるガイオンの真下から、一気に何かが硬質の床材を貫通して殺到する。


「ぐぁああああ! な、何だこれは!? 太い木の根が全身に絡みついて離れんぞ!」


 素っ頓狂な声を上げて困惑するガイオンの四肢は、足元から突如束のように生えてきた巨大な根に絡み取られて全く身動きが取れなくなっていた。

 必死に抜け出そうと全身に力を入れてジタバタと悪足掻きをしているが、強烈な力で締め付ける根は微動だにしなかった。

 さらに、懸命に振り回していた手足の動きも鈍くなり、急速に訪れた疲労と睡魔によって焦点が定まらない虚ろな瞳がゆっくりと下がっていく。


「ち、力が抜けていく……。ね、眠気と疲労に、抗え……な……い……」


 その言葉を最後にグッタリと全身の力を失って微睡まどろみの底に堕ちたガイオンの姿を見届ける。

 そして、彼の黒球から守ってくれた大樹の根の繭、『花乙女の守護樹檻クローリス・ラディーチェ』に手を触れ、中に込められた魔力の残滓ざんしを吸い出して回収し、消滅させる。

 体内に流れ込んでくる精錬された魔力の木漏れ日のような温もりに身を委ねていると、



「き、騎士団が突入してきたぞ!」

「ば、馬鹿な早すぎる! どうなっているんだ!」

「こんな所で捕まるなんて嫌よ! 誰かどうにかしなさいよ!」



 廊下の先から招待客達の甲高い悲鳴と泣き声や、屋敷の入口付近から聞こえてくる大勢の人間が踏み込んでくる激しい足音、「全員拘束しろ! 一人も逃がすな!」という指揮官らしき女性の厳格な声色の指示がこちらにまで響いて来たのを感じると、ゆっくりとその場で息を吐く。

 俺の仕事はここまでかな。

 どうやらゼルダと奴隷の少女達、そしてカレンとニーナは無事に自分の務めを果たしてくれたようだ。

 騎士団達がこれほどの速さでやって来るなど想像だにしなかった招待客達は、あの慌てようだ。

 混乱し切った頭で、一国を落としたほどの実力を持つ騎士団を前にして逃げ切ることは至難のわざだろう。

 彼らに購入された奴隷達も保護され、これ以上辛い思いをすることもないだろう。

 オークションの主催者であるゲルグと、捕縛した者の体力と魔力を根こそぎ吸い上げて術者に供給する『我が愛しき花乙女の愛ファブール・グレナーデ』で体内の魔力を吸い尽くされて昏倒したガイオンが逮捕されて連中の本部が判明すれば、『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の完全壊滅も夢物語ではない。

 これで、この奴隷売買事件も一旦は幕を下ろすのだ。

 無意識のうちに、奴隷の子供達が暗い闇の底から救い出されたことに安堵し、その場で軽く息を吐く。

 今までの人生では、自分が奴隷オークションに潜入し、こんな往立ち回りを演じることになるなんて考えられなかった。

 だが、これからは違ってくるのだろう。

 今日みたいな出来事に否応なく遭遇して、大慌てしたり悩み込んだりする日もきっとくる。

 だけど、ゼルダやカレン、マーカスにニーナ、そして『隷属者チェイン』達。

 彼らが側にいてくれれば、どうにか前を向いて歩いて行けそうだ。

 深呼吸をして、胸に灯った温かさを感じるように胸元を押さえる。


「とりあえず、ゼルダ達と合流するか」


 異世界に来て初めての戦闘を勝ち星で終えた俺は、全身の魔力を鎮めてゆっくりと『魔装化ユニゾン・タクト』を解除しながら、新しい世界で出会った新しい仲間達の元へ帰ることにした。

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