第15話 銀鎖(女神暦1567年4月21日/ゲルグ邸裏門近辺)

 吹き荒れる魔力の奔流で舞い散る花弁の嵐を切り裂くように若草色の魔法陣から出現したのは、不機嫌そうに頬を膨らませる美しい少女だった。

 少女は肩に掛かった髪を荒々しい手付きで振り払い、眼前で呆然とこちらに不躾な視線と武器を向ける男達の姿を胡乱うろんげに観察する。

 そして、はぁぁぁぁぁぁぁ、と落胆と諦観を全く隠す気のない長々とした溜め息を漏らす。

 あっ、これスゲー怒ってる時だ。

 別の場所で活動している『隷属者チェイン』を召喚士のいる場所に強制的に転移させる強制召喚を行ったのだが、どうやら喚び出すタイミングと状況がお気に召さなかったようだ。


「はあ、果樹園の摘果作業と収穫作業の真っ最中だったていうのに、今度は見るからに面倒臭そうなシチュエーションに呼び出されるなんて、今日はツイてない」


 フローラは、何の連絡もせずに唐突にこんな明らかに戦場っぽい場所に強制召喚した主の方を恨めしげに見遣るが、俺もこれには苦笑を返すしかない。


「無理矢理引っ張り出したのは悪かったけれど、今は緊急事態なんだ。愚痴もお説教も後で幾らでも聞くから、今は手を貸してくれ」


「まあ、私はアレンの『隷属者チェイン』だし、指示には従うけどアイツらは何? なんかガラの悪いチンピラ共ばっかだけど、何かしたの?」


「何の罪もない子供達を売り捌いて、私腹を肥やし続けてきた悪人達だ。あと、ゼルダに性的な奉仕をさせる気らしい」


「よし、全員再起不能になるまで一切の容赦なく叩きのめす」


 一瞬で彼女の闘志の炎が灯ったことに安堵する。

 そして、突如地面に出現した謎の魔法陣から露出の多い服装の細腕の少女が顕現した状況に、男達に動揺と困惑が波のように広がっていく。


「な、なんだ? 突然妙な格好をした女が出て来たぞ?」

「こいつ、妙な魔法を使いやがるぞ!」

「怯むんじゃねえ! たかが一人、それもあんなひ弱そうな小娘が増えたところで何が出来るってんだ!」


 目にしたことのない魔法を前にして、及び腰になりかけた仲間達を大剣の男が叱責して士気を保とうとするが、もう片方の魔法陣に変化が生じたのを皮切りに再び男達にピリッとした緊張感が生まれるのが見て取れた。

 まず最初に、魔法陣全体から灰色の霧が立ち昇り、陣を灰のベールですっぽりと覆い隠していく。

 数秒後に魔法陣の中央から人影のような物が浮上してきて、霧が晴れると同時にその姿が露わになる。

 禍々しいデザインの魔法陣から何が出現してくるのかと、不安と懸念を丸出しにしていた男達は、現れた者の外見を見て、目を白黒させ呆けたように口をポカンと開ける。

 しかし、連中のその反応とは裏腹に、俺はグッと拳を握り、召喚成功の喜びを噛み締める。

 まず目を引いたのは、魔法陣の中心で背筋をピシッと伸ばした直立の姿勢で佇む少女の服装だった。

 丁寧に梳かれたストレートの灰色の髪を肩より少し上の位置まで伸ばし、頭の上にチョコンと載せたフリル付きのホワイトブリムが可愛らしい。

 胸元に結ばれた群青色のリボンの中心に取り付けられたすみれ色の宝石、しわ一つ見当たらないエプロンドレスと、ほっそりとした足を包み込む編み上げブーツ、豊かな胸元と無駄な肉のないしなやかな肢体にフィットしているロングドレス。

 紛うことなきメイドさんの姿がそこにあった。

 一蹴即発の死地には似つかわしくない装いをした端正な顔立ちの少女は、洗練な仕草で軽く乱れた髪を整えると、チョコンとスカートを摘まんで俺に一礼する。


「お久しぶりでございます、旦那様。貴方様の忠実なる侍女セレス、ここに参上致しました」


 蜂蜜と生クリームがたっぷりと盛られたパンケーキのような、耳がとろけそうになる甘く痺れる声音で紡がれる彼女の定例の挨拶についつい口元が綻ぶ。

 怒りでヒートアップしていた思考も、少しだけ彼女との再会でクールダウンしていくのを感じる。


「やあ、セレス。召喚するのが遅れてすまなかった。それもこんな緊迫感のある状況で喚び出して悪いな」


「いえいえ、何をおっしゃいますか。私は、旦那様の命があればどのような場所にでも馳せ参じる所存でございます!」


 花が咲いたような生き生きとした表情でこちらに歩み寄り、もし犬なら尻尾を左右に激しく振っているだろうほど瞳をキラキラ輝かせたセレスは非常に愛嬌があるが、今は痺れを切らしたように気色ばんでいる悪漢達がいる自分の背後のことも少しでもいいから意識してほしい。

 だけど、「あら、旦那様、髪にお花の花びらが引っ付いていらっしゃいますよ。お取り致しますね」と鼻歌を歌い出しそうなほど俺の世話を焼くのに夢中な彼女にキツイ言葉で命令を下すのも気が引けるしなあ。我ながら優柔不断だと反省する。

 俺にじゃれつくように身を寄せるセレスのやや距離感の近すぎるスキンシップに、「またいつものが始まった……」と呆れがちにフローラが嘆息する中、完全に放置状態になっていた男達が激昂したように武器を振り上げる。


「テメエら、いい加減にしやがれ!」

「無視してんじゃねぞ!」

「女だろうが関係ねえ! ぶっ殺してやる!」


 武器を構えて牽制していた前列の集団からそう叫びながら一気呵成に飛びだして来たのは、三人の厳つい顔つきの男だ。

 大上段からの振り下ろしの一撃を放とうと躍りかかった、頬に傷のある男。

 心臓を目掛けて乾坤一擲けんこんいってきの突きを猛然と放とうとする鉢巻きを巻いた男。

 無防備な腹に必殺の一撃を放つべく、腰を落とした姿勢で這い寄るように疾走する落ち窪んだ目の男。

 たかが奴隷三匹のために自らの身を盾にした愚か者の命を断とうと、脱走した奴隷の子供達を処分した時のように手に馴染んだ凶器を振りかざした男達は、



 メイド服に身を包んだ少女の袖口から凄まじい速さで滑り出てきた白銀の鎖の横薙ぎの一撃を喰らい、一瞬で意識を刈り取られた。



 目にも止まらぬ速度で一閃された鎖の薙ぎ払いを受け、受け身を取る暇もないまま離れた位置に植樹されていた高木に激しい音を立てて叩き付けられた男達は、白目を向いてグッタリと昏倒し、起き上がる気配もなかった。

 一瞬も鎖の軌跡を目で追うことも出来なかった男達は、先陣を切った男達の末路に目を剥き、艶めかしく身をくねらせる銀鎖を袖口から生やした少女に恐々と視線を向ける。

 先程まで晴天のような天真爛漫な笑みを浮かべていていた顔は、何の感情もない人形のような無表情なものに一変していた。

 青筋を立てて烈火の如く激怒していたり、危険に晒された主人の身を案じるような献身的な姿のような何かしらの感情が表情に伴っていればまだ人間味を感じられたが、一切の感情も映していないまるで亡霊のような面持ちに、男達の背筋に悪寒が走る。


「あ~あ、死んだわねあの連中」

「セ、セレス! 殺すのは駄目だぞ! 気絶程度に留めておけ!」


 俺が必死に宥めようと声を掛けると、セレスは不承不承といった感じでこちらに視線を戻す。


「申し訳ございません。久方ぶりの旦那様との逢瀬を妨げられそうになり、はしたなく手を出してしまいました」


「いや、俺の身を守ってくれたんだ、ありがとう」


「いえ、勿体ないお言葉にございます。遅ればせながら、真っ先に確認すべきことであった本日のご用向きでございますが、どういったものか拝聴させて頂いてよろしいでしょうか?」


「ああ。セレスはあの連中を殺さない程度に痛めつけてほしい。俺はフローラと一緒に、屋敷の奥に用があるから、この場を任せたいんだ。頼めるか?」


「かしこまりました。彼らの相手は私が謹んでさせて頂きます。お引き留めしてしまいましたが、旦那様とフローラ様は先へお進みください」


 コクンと静かに頷くセレスに、俺は笑みを返す。

 この少女の戦闘能力は、現状召喚可能な『隷属者チェイン』の中では最強だ。

 多対一というこちらが数で劣る局面ではあるが、不覚を取られることは万に一つもないだろう。


「頼んだ。いくぞ、フローラ!」


「ちょっと、アレン! 今の状況がよく分かってない私に道すがらでもいいから説明しなさいよね!」


 追手の集団の視線が最も脅威であると判断したメイドの少女に集中している不意を突き、俺はフローラの手を引いて左手に建つ建物の窓まで一気に駆け出し、躊躇ためらうことなくガラス窓を蹴破り、若草色の髪の少女を伴って建物内に侵入する。

 当然のことながら外の男達も追撃しようと駆け出すが、俺達に視線を向けたことで先頭を走っていた男の横っ腹を先端に無骨な分銅を取り付けた鎖の一撃が打ち据え、何度も地面をバウンドしながら吹っ飛んでいく。

 それを視界の端に入れながら、俺は召喚されて以降困惑が続くフローラに事情を大まかに説明しながら、建物の奥に向かって走り出す。

 俺がゼルダ達を逃がした後に追い付いた男達の最後尾に隠れるようにしながら立っていた男がいた。

 そいつは商品を持って逃亡した男が無惨な死体に成り果てる様を遠い観覧席から見物しようと、俺の姿をずっと見ていた。

 セレスの鎖の一撃を見て戦線に不安や恐れが続々と伝播していく光景と、強大な力を有しているらしい妙な少女の登場に臆病風に吹かれたのか、この棟にこっそりと逃げ込んでいった男の姿を俺も見ていた。

 豪華な調度品が並んだ長い廊下を駆け抜けていくと、アワアワと焦った足取りで階段を駆け上がっていく男の姿がそこにあった。

 忌々しそうに口元を歪めながら逃げていた男の背中に、突き刺さるような声量で叫ぶ。


「見つけたぞ、ガイオン!」


 





「ぐはぁあ! 目がぁぁ、目が見えねえぇ!!」

「耳が聞こえねぞ! どうなってやがんだ!」

「口の中を切って血が出てんのに、鉄臭い味がしねえぞ。こいつは、一体……」


 死屍累々ししるいるい

 華やかに手入れされ、綺麗に掃き清められていた石畳の地面には体の様々な器官の異常を訴えながら地に沈む男達が大勢横たわっていた。

 三十人以上いた集団の三分の二が使い物にならなくなり、僅かに残った手勢は仲間を容易に戦闘不能にしたメイドに再度武器を向ける。

 震える拳で大剣を握り締める男が問い詰める。


「おい、テメエ! こいつらに何をしやがった!」


 両手の袖口から飾り気のない銀鎖を垂らした灰色髪の少女は,彼らに興味がないような冷淡な視線を向ける。


「貴方は五感というものをご存知ですか?」


「五感だと? それが何だってんだ!」


「人間には視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚の五つの主な感覚があります。細分化すれば、また細かく分けることも可能ですが、今は省きましょう。私の鎖で傷付いた者は、五感の内一つの感覚を一定時間失う。それが私の【感覚切断】スキルの能力です」


「な、何だと!? そんな馬鹿なことが……」


「一度攻撃を受ければ五感の一つを失い、二度目の攻撃を受ければ残っていた他の五感の一つも失われる。最終的には、何も聞こえず、何も見えず、香りを感じることもなく、肌に触れる物の感覚もなく、何の味わいも感じない存在に成り下がる。そんな無の世界に堕ちた人間の命を手折ることなど、赤子の手をひねるよりも容易いことでしょう」


「ひっ、ひいぃぃぃぃ!」


「まあ、今回は旦那様より無用な殺害行為は禁止されておりますので、命だけは見逃しましょう」


 その言葉を聞いた男達は、ホッと胸を撫で下ろす。

 最低でも命だけは助かるという光明が、麻薬のように精神を安定させていく。

 だが、少女は無慈悲に彼らの希望を摘み取った。



「しかしながら、旦那様を害そうとした先程の愚行。許すわけには参りません」



 少女の袖口から、もぞりと蛇が這い出るかのように新たな鎖が現出する。

 地面に垂れる度に、ジュウゥゥゥゥゥゥという音を立てて地面を溶かす、鼻を突き刺すような臭気を放つ毒液を塗り込んだ針。

 人間の頭蓋など容易に砕くだろう、拳大の大きさの鋼鉄の分銅。

 鋭利な刃が陽光を受けて映えている、丹念に研がれた短剣の刃。

 触れれば皮膚が焼け爛れることは必至の、赤い輝きを放つ焼きごて。

 無数の針がびっしりと生え揃った茨の如き鎖。

 人体を破壊する事だけを追求した様々な凶器を先端や各所に取り付けた銀色の鎖が、侍女服を纏った少女の袖口やロング丈のスカートの下から零れ落ち、鎌首をもたげるように男達に先端を向ける。


「毒殺、撲殺、刺殺、焼殺、絞殺……その他諸々、色々と取り揃えております。死なない程度に加減は致しますが、他にもご要望があれば別の物もご用意致します」


 もはや言葉も継げぬほどに全身を恐怖で震わせる男達や、失禁しながら腰を抜かす男達に、自らが仕える主の前では決して見せることのない冷徹な視線を浴びせる。



「さあ、皆様はどれがお好みでしょうか?」

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