第14話 逃亡(女神暦1567年4月21日/オークション会場)

 結局、俺の8臆5000万ユリスを超える落札者は現れず、無事に3人の奴隷の少女達を競り落とすことができた。

 運営側の男達に背中を押されながら俺達の元へ連れてこられた少女達は、皆表情が強張っていて、まだ怯えた様子だった。

 しかしながら、自分達に剥き出しの欲望を曝け出していた豚のような体型をした男に比べ、優しい笑みを浮かべるゼルダや、彼女達に余計な不安を与えぬように真摯しんしな表情を浮かべるように努めている俺の姿を見ると、ほんの僅かではあるが、体の震えも収まってきた。

 少なくとも、あの男に買われるよりはマシだと思ってくれたようだ。

 その姿を見て安堵しながら、俺は男達から手渡された鍵で手早く枷を外していく。

 ふう、ゼルダも我慢の限界だったみたいで協力してくれたけど、この達を救ったのは決して間違いではなかったようだ。

 先程ステージに向かって放り込んだのは、俺が『ブレイブ・クロニクル』時代に必死に貯め込んだ金を詰め込んだ革袋だ。

 別段欲しいアイテムもなく、しがらみの多いギルドに属してレイド戦に挑むこともなく、ダンジョン探索に必要な物資や都市等での食べ歩き程度にしか金を使う機会もなかったので、サービス開始から貯め込み続けてきた全財産を、俺は躊躇ちゅうちょなく所持金ストレージから取り出して実体化させ、無事に彼女達を落札することができた。

 目の前では、屈辱感と自分の玩具を取り上げられたことに対する憤怒を込めた凄まじい形相でこちらを睨み付けるゲルグと、オークションのパトロンを務めてくれているゲルグの機嫌を損ねたことに狼狽ろうばいするガイオンが頭を抱えていた。

 ゲルグが怒髪天を衝く勢いでこちらを指差す。


「おい、貴様ら! 見かけん顔だが、私の招いた招待客の中には貴様らのような人間はいなかった筈だ! どこから入り込んだ鼠だ!」


「な、なんですと!? ゲルグ様、それは本当でございますか!?」


「無論だ。私は招待客の顔と名前は全て記憶している。あんな者達は知らんぞ! こんな連中を通すとは、全く門番の無能共は何をしておるのだ!」


「それでは、彼らは不法侵入者という訳ですな。正規のお客様でない以上、そちらの商品は置いていってもらいましょうか。勿論、頂いた金額を返金する気は毛頭ありませんが」


 ガイオンが舞台袖に控えていた『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の男達に目配せし、男達は腰にいていた剣やダガーを抜き、こちらに殺到する。

 やっぱり、こうなるか。

 オークションに飛び入り参加した時点で、こういう展開に陥ることは想定済みだ。

 ここからは事前の打ち合わせ通りにいかせてもらう!


「全員、壁際に走れ! 壁に着くと同時に手を繋ぐことを忘れるなよ!」


「了解した! 君達も突然のことで混乱しているだろうが、今は私達を信じてくれ!」


 少女達は一瞬目を見合わせて逡巡するが、背後から迫る男達に捕えられればどんな未来が待っているのかは誰よりも理解していた。

 自由を取り戻した手足を振り、殿しんがりを務めるゼルダに背中を見守られながら、懸命に俺が向かう壁目指して駆け出す。

 『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の男達も必死に追い縋ろうと駆け寄って来るが、ステージの舞台袖から俺達がいた場所とはある程度の距離があったので、ほんの少しだけ時間の猶予があった。

 そして、その僅かな時間があれば十分だ。

 ……ついつい入れちまったスキルだけど、まさかそれが大活躍する状況になるとはな。

 壁際まで走り切った四人の少女達に手を繋ぐように促す。

 こんな危機的状況でのそんな指示に目を白黒させる奴隷の少女達だが、俺とゼルダが手を差し伸べたことで覚悟を決めたらしい。

 互いに手を繋いで、全員で一本の線のようになったのを確認すると、壁に向かって俺達は一気に駆け出す。

 奴隷の少女達は顔面を壁で強打する鈍い痛みを覚悟してギュッとまぶたを閉じるが、その痛みは全く訪れることもなく、不思議そうに瞼を開けて周囲を見渡している。

 まあ、それも無理はないだろう。

 自分達が今立っているのは、様々な色彩の花が咲き誇る花壇が広がる屋敷の裏庭の中なのだから。

 【透過】スキル。

 俺の『隷属者チェイン』であるセレスの固有スキルであり、魔法等による結界が張られていなければ基本的にどのような場所もすり抜けることができるチートスキルだ。

 今頃壁一つを隔てた先のオークション会場では、大口を開けて呆然と立ち尽くすガイオンやゲルグや他の招待客がいる筈だ。

 連中がここへ駆け付けてくるのも時間の問題だろうから、早々に動き出した方がいいだろう。


「ゼルダ、屋敷の裏門の位置は覚えてる?」


「ニーナがわざと馬車で通り過ぎてくれたから、場所は把握している。この庭も会場に入る前に手洗いに行くふりをして下見に来ているから、この庭から裏門までの道順は覚えている」


 よし! 逃走経路もバッチリだな。

 俺は茫然自失となった少女達に向き直り、目線を合わせる。


「いいかい、皆。ここから門まで走ることになる。外には騎士団や衛兵隊の人達が待機してくれている筈だから、君達を保護してくれる筈だ」


「君達は足枷を外したばかりで、思いっ切り走るのも体力的にきついだろうが、もう少しだけ辛抱してくれないか?」


 すると、おずおずとした表情を残しながらも、サファイアブルーの瞳の少女が恐る恐る尋ねてくる。


「あ、あの、ど、どうして、私達を助けてくれたのですか?」


「そ、そうだよ。私達は奴隷で、買った人間に酷い目に遭わされるとばかりに思ってたのに」


「や……や……優しそうな目で……見てくれて……た……助けて……くれたの」


 他の二人の少女達もせきを切ったように、当然の疑問をぶつけてくる。

 まあ、奴隷達が買われた先でまともな扱いを受けることはないことは3人も理解していたのだろう。

 それも、彼女達は女性なのだから、想像したくもない責め苦が待っていることも漠然と思い浮かべたこともあったのかもしれない。

 だが、実際は素性も分からない謎の男女に買われ、壁を自在にすり抜ける不思議な技を使う人間に逃げ出すように促されている。この状況に混乱しても無理はない。


「今は非常時だから、俺達が何者なのかとか、どんな理由であの場にいたのかはここから無事に出られてから、しっかりと説明するよ。だけど、一つだけ言うならば……」


 俺は美しい海原のような髪の少女の頭をそっと撫で、


「君が『たすけて』って言ってくれたからかな」


「……えっ? き、聞こえていたんですか?」


「ああ、少なくともここにいる俺と、こっちの女の人にはね。それがなければ、俺達も踏ん切りが付かなかった。君が皆を救ったんだ」


「ああ、私はどんなことがあっても静観する気でいたが、君のあの言葉で腹を決めたよ。君達を絶対に救うと」


 息を飲んで硬直する少女達は、痛々しい枷の痕が残る自分の手足を見遣り、その枷をすぐさま外し、今もそんな言葉を向けてくれた二人の救世主の顔を見る。

 憂いとかげりで濁っていた目にゆっくりと塩辛い雫が湧き出してくる。

 それは最初は数滴程度のものだったが、とめどなく溢れてくるそれは頬を何度も撫で下ろしていき、豪華絢爛な花園に三人の嗚咽おえつが静かに響く。

 そのまま彼女達に今までの辛い思い出を全て洗い流してしまえるような静謐せいひつな時を甘受してほしかったが、俺は彼女達に再度手を差し伸べる。


「さあ、皆。裏門まで行けば俺達の勝ちだ。もう少しだけ、頑張ってくれ」






「いたぞ!」

「連中、裏門から逃げ出す気だ! 絶対に逃がすな!」


「ちっ、気付かれたか!」


 複雑に入り組んだ花壇の迷宮を越え、裏門の存在を遠くに目視できる場所まで移動できたものの、苛立ちを多分に内包した男達の大声に思わず振り返ると、大剣や短剣、大槍や斧等、様々な武器を携えた男達が猛烈な勢いでこちらに向かって疾駆してくる。

 奴隷の少女達の様子をチラリと窺うと、全体的に疲労の色が濃く、足元も覚束おぼつかなくなっていて、荒い息を吐いている。

 だが、それを責めることは出来ないだろう。

 彼女達は今まで四肢の自由を奪われ、まともに運動や自由に食事をすることも出来なかったのだ。

 商品であるため、素肌には目立った外傷は加えられていないが、同じ年頃の少女と比較すると体力も栄養状態も低下しているのだろう。目まぐるしく変わる環境に、精神的にも追い詰められているのも関係しているかもしれない。

 そんな状態でここまで休憩なしでほとんど走りっぱなしなのだから、息が上がってくるのも無理はないだろう。

 しかし、このままのペースでは確実に追いつかれる。


「皆、もうすぐだ! 頑張ってくれ!」


 そう励ましながら彼女達の側に並走するゼルダは、元軍人なだけあって体力的には全く問題がなく息一つ乱れていないが、オークション会場で血がにじむまで拳を握り込んでいた両手は出血の痕が痛々しく残っていた。

 既に彼女にはアイテムストレージに収納していた愛剣は返却済みだが、あの両手では剣を力強く握り込むのも難しそうで、実戦に支障が出るだろう。


(この世界で使うのは初めてだけど、『召喚』と『スキルホルダー』が使えたのなら、あれも使える筈! 一か八かやってみるか!)


 そう決心した俺は一気に足にブレーキを掛けてその場で立ち止まると、反転して必死の形相で武器を構える男達を堂々と待ち構える。


「なっ!? アレン、何をしているんだ! 早く逃げないと……」


「ゼルダ! 三人を連れて先に裏門から逃げてくれ!」


「馬鹿なことを言うな! 君一人を残して行ける訳がないだろう!」


「誰かがここに残って連中の相手をしないと、その子達を逃がすことができないだろ」


「なら騎士である私が残る! 君がこの子達を連れていけば……」


「その手じゃ満足に剣を握り締めるのもキツイだろ? 【転写眼】スキルで撮影した証拠をすぐに提出出来なくても、その子達が奴隷売買の証人であり確固たる証拠になる。外で待機している騎士団と衛兵隊に保護してもらえば、この屋敷に強制的に踏み込む大義名分が立つ。俺を助けたいと思ってくれるのなら、先にここから逃げ切ってくれ!」


「っ!! ……分かった。私が救援を連れてくるまで、なんとか持ち堪えてくれ!」


「おう、任せとけ。ここは俺が全力で食い止める! 絶対に後で合流しよう!」


 後ろ髪を引かれる思いを懸命に振り払い、こちらを心配そうに見詰める三人の少女達を視線で促すと、ゼルダはもう振り返ることはせずに、守るべき者達を連れて裏門に向かって進んでいった。

 それを安堵と共に一瞥いちべつすると、ゆっくりと背後に再び向き直る。

 男達は遠ざかっているゼルダ達の姿を見て、俺を仲間に見捨てられた哀れな男か、女子供を守るために死地にたった一人で無手の状態で残った馬鹿だと思ったのか、俺にさげすむような視線を向け、ニタニタとした笑みを浮かべながら武器を構えた。


「おいおい、一人で俺達とやろうってのかコイツは」

「ははは、自分の実力も分かってねえ大馬鹿らしい」

「ほら、地面に額を擦り付けて命乞いしてみな! そうしたら、できるだけ痛い思いをしないように首をねてやるからよ」


 ゲラゲラと肩をすくめながら、こちらに刃の切っ先を向けてあごが外れそうになるほど大口を開けて大笑いする男達を見据えながら、全身の魔力を静かに高めていく。



 絶望と恐怖に震え続けていた子供達。

 冷たい枷で体を拘束され、まともに寝返りも打つことも出来ずにいただろう子供達。

 欲望でドロドロに汚れ切った大人達の視線に射竦いすくめられながら、「たすけて」と肩を震わせて呟いた少女。

 大切な仲間を守ろうと、自分の中にある恐怖心を無理矢理押し殺しながら、懸命に腕を伸ばした獣人の少女。

 恐怖と絶望に怯えながらも、ここまで走り続けている間仲間の少女達に、「だ……だい……じょう……ぶ……?」と、誰よりも苦しそうに息を荒げながらも声を掛け続け、他者を心配し続けていた心優しい少女。



 彼らをいたぶり、道具として手酷く扱い、私腹を肥やし続けていた男達が眼前で酷薄な笑みで挑発的な声音で叫ぶ。


「まあいいさ。コイツをさっさとぶっ殺して、あの女共を取っ捕まえるぞ。ガキどもはゲルグ様に引き渡すとして、もう一人の別嬪べっぴんを俺達に恵んでもらえないか、ガイオン様に頼み込んでみようぜ。あのデカい胸でたんまりご奉仕してもら」


「黙れ」


 自分でも想像していなかったぐらい底冷えした声が出た。

 ここまで黒い感情が自分の中でうごめいていたのかと胸中で微かに驚きを感じながらも、体内で高め続けていた魔力が外に漏れ出していく。








「聞いたか? 『黙れ』だとよ。この絶体絶命の状況も理解できないほどの大馬鹿者だとは思わなかったぜ! なあ、お前ら!」


 自分の身の丈ほどの長さの大剣を握り締めた男が下卑た笑みで仲間達に同意を求め、短剣や手斧を持った男達もゲラゲラと哄笑こうしょうを上げる。

 だが、例外もいた。

 水晶玉を先端に取り付けた杖を持った魔法職らしき男は、今にも失神しそうなほどに歯をカタカタと鳴らして気圧されていて、その場にへたり込みそうになる足を何とか気力だけで支えていた。

 その男の情けない姿に、先程の男は鼻を鳴らして、苛立った声を放つ。


「おい、お前。何をそんなにビビッてやがるんだ? 相手は一人で、しかも自分の力量も分かっていない馬鹿だぜ。楽勝だろうが?」


 だが、声を掛けられた男はとんでもないとかぶりを振って金切り声を上げる。


「楽勝だと!? 馬鹿はお前だ! あの化物みたいな魔力量が分かんねえのか!? 単純な魔力量だけならあの野郎は、魔法大国であるルスキア法国でも十本の指に入るのは確実だぞ! さっさと逃げた方が賢明……」


 大剣を握った男は拳で泣き言を漏らす男の顔面を殴り倒すと、歯の欠けた口を開けたまま昏倒した男に唾を吐きかける。


「はんっ、腰抜けが。あの馬鹿がそんな大層なもんの訳がねえだろうが。お前らもそう……」


 だが、周囲に賛同を求めようと仲間を見渡そうとするが、何故か皆は警戒した面持ちで自分達が馬鹿にした男に注視していた。

 視線を辿ると、こちらを射殺さんばかりの殺気が込められた瞳でこちらを睥睨へいげいする男が、まるで獲物を全て狩り尽くさんばかりの気迫を放つ狩人がいた。






 今更ながらに、こちらに警戒心を持ち始めた男達を見遣りながら、俺は魔力を一気に解放する。


「いくぞ、二体同時召喚だ。大樹の守護者にて豊穣の女神よ。我が喚び声に応え、その身を現せ! 顕現せよ、フローラ! 白銀の鎖に戒められし幽鬼の王よ。我が喚び声に応え、その身を現せ! 顕現せよ、セレス!」


 中央に満開の花弁を咲かせる若草色の魔法陣が石畳の地面に、色彩豊かな花々を咲かせながら展開する。

 そしてその隣には、鎖で縛り付けられた頭蓋骨が中央に描かれた灰色の魔法陣が出現し、魔法陣全体に広がる冷たい縛鎖の紋様に書き殴られている、怖気が走る程の怨嗟が込められた血文字が男達をたじろかせた。


「ゼルダには全力で食い止めるなんて言ったけど、生憎あいにくと俺はそんなに優しくするつもりはないぞ」


 多大な魔力を流し込まれて、ますます輝きを増していく魔法陣から溢れ出る若草色と灰色の魔力の燐光りんこうに照らされながら、宣言する。




「一人残らず、俺がここでぶっ潰す」

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