第13話 奴隷オークション(女神暦1567年4月21日/オークション会場)

 会場内は異様な熱気に包まれていた。

 舞台袖からステージ上に、帯剣した『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』の男達に背中を押されながら現れた、怯えた表情で震える少年少女の手足には、無骨な鉄のかせめられていて、逃げる手段を奪われていた。

 先程までにこやかに談笑と食事を楽しんでいた紳士淑女は、気に入った容姿の奴隷を我が物にせんと金切り声じみた声を張り上げてとんでもない金額を提示し、無事に目当ての商品を落札した時は喜色満面の笑みを浮かべて嬌声きょうせいを上げる。

 反対に、競り落とされた『商品』達は絶望と諦観の感情に支配されていて、落札者の元に連れて行かれる際にもほとんど抵抗せずに全てを諦めきった顔つきで淡々と歩いて行った。

 ギルドの構成員に奴隷の拘束具の鍵を渡された落札者の目には、彼らを解放する考え等微塵もなく、新しく買った玩具でどうやって遊ぼうかという、子供じみた嗜虐的な快感と期待しか映っていない。

 吐き気がする。

 壇上で恐怖に震え続ける人間や亜人の子供達に品定めする大人達。

 商品の値段が次々と吊り上がっていく度に、口角が上がっていく闇ギルドの男達。

 その全てが気に入らない。

 歯を食いしばりながら、血が滲みそうになるほど拳を握り締めながら、俺は傍観者に徹していた。

 目の前に広がる光景を全て記録し続ける目でずっと。


「……ゼルダ」


「……分かっている。浅慮な真似はしない。アレンがこのふざけた連中の醜悪な姿を、【転写眼】スキルとやらで記録してくれている以上、決定的な証拠はこちらが既に握っている」


「ああ、しっかりと記録している。招待客や闇ギルドの人相も全部な。連中がここで楽しいお買い物を終えても、安全に帰路に着くことはない」


「その通りだ。例え連中をここで取り逃がしたとしても、アレンの記録を元に手配書も発行される筈だ。遅かれ早かれ、ここにいる連中は全員独房行きになる筈だ。だから今は、目立つような真似は避け、ここで観客になりきることが最優先。だけど……」


 数秒声を詰まらせ、煮えたぎる溶岩のような苛烈な怒気を孕んだ声で彼女は言った。


「私達は見ているだけしか出来ないんだな」


「……」


 その怒りの矛先は招待客か、闇ギルドの者達か、それとも自分自身のどちらへ向けられたものかは判然としなかった。

 もしかしたら、どれかではなく全てに対してだったのかもしれない。

 何かを言わないといけないと思った。

 だけど、張り詰めた表情で自分が命がけで打ち砕いた筈の陰惨な光景から目を背けずにいる少女に掛けられる言葉を俺は知らなかった。

 ペラペラの紙の束と金色の光沢を放つ小さな円形の金属で、平然と人が売り買いされていく景色を二人で拳を握り締めたまま見続ける。

 すると、オークションも佳境に入ったのか、司会役のガイオンが大仰に手を振り上げ、舞台袖にてのひらを向ける。


「さて皆々様、次は本日の商品の中でも最高の物となっており、3つ同時にご紹介させて頂きます! それではご覧くださいませ!」


 その言葉を合図に、今までの奴隷と同様の枷を付けられた3人の奴隷がステージ上に姿を現す。

 それと同時に、会場中のボルテージが跳ね上がり、椅子から勢い良く立ち上がる者も続発する。

 非常に目の肥えた招待客達をそうさせるほど、登壇した商品は魅力的だったのだ。

 まず1人目は、美しいサファイアブルーの長髪と瞳が目にした者を釘付けにする薄幸そうな少女だ。整った目鼻立ちと均整の取れた細身の体躯が魅力的で、憂いを帯びた俯きがちな目元も印象的だ。

 2人目は獅子の耳と真紅の短髪が特徴的な獣人の少女だ。ステージ上に立った他の二人を庇うように自分の背で隠そうとするが、近づいてきたガイオンに襟首を掴まれ強引に引き剥がされる。しかし、その瞳には野生の獣のような獰猛さが宿っていて、鋭い犬歯を剥き出しにして威圧的な圧力を振り撒いている。

 3人目は小柄な金髪のセミロングの少女で、今までの奴隷達の中では一番の怯えを見せていて、真ん中に立つ真紅の髪の少女の服にすがりつくようにして引っ付いている。

 三者共にタイプこそ違うが、容姿に関しては今まで購入された奴隷達の中では容姿で頭一つ抜きん出ていた。

 すぐさま、今日のメインディッシュに喰らい付かんと続々と手が上がる。


「俺は青い髪の奴隷だ! 1億ユリス出す!」


「私は獣人の娘を頂こう! 1億2000万ユリスでどうだ!」


「あの怯えた表情が堪らなく嗜虐心をくすぐる! 1億3000万ユリスでどうだ!」


 我先にと金額を声高に叫びながら、ステージの近くに押し寄せていく客達に冷徹な視線を向けながら、俺は無力感に苛まれる。

 自分達に血走った眼を向けながら札束を取り出す者達に怯え切った少女。

 仲間を守ろうと必死に二人を抱き寄せようとする獣人の少女。

 頭を抱えてうずくまろうとするが、ガイオンに無理矢理髪を掴まれて前を向かされる少女。

 3人の少女達が、自分と少し年下ぐらいの女の子達が、醜悪な欲望に憑りつかれた大人達に取り囲まれている。

 そんな反吐が出るほど胸糞が悪くなる姿を前に、俺は……俺は……


「俺は一体、何をしてんだよ!!」


 衝動的に近くの壁に拳を叩き付ける。

 ゴンっ、という鈍い音が響くが、幸い会場は商品を掌中に収めるべく甲高い声を上げ続ける客達がたんまりいるおかげで、こちらに不審そうな視線を向ける人間は皆無だった。


「おい、アレン。気持ちは分かるが、今は堪えてくれ。ここから無事に出なければ証拠を騎士団と衛兵隊に渡せなくなる。彼らを捕縛できれば、今回とそれ以前に購入された奴隷達も保護される筈だ」


「ああ、それは分かってる。だけど、何もできない自分に凄く腹が立つんだ!」


「それは私も同様だ。しかし、今は自重するしかない。どうか、抑えてくれ」


 そう諭してくれたゼルダの拳からは僅かに血が垂れていて、必死に胸の中で暴れ回る感情を押さえつけている彼女の姿を前にして、俺も悔しげに歯を食いしばって耐え忍ぶ。

 そして、視線を向け直した先では、次々と膨れ上がっていく金額に脱落する者も出始め、落胆した表情で力なく腕を下げる者の姿が多くなる。


「さあ、現在1番の商品は1億7800万ユリス! 2番の商品は1億7300万ユリス! 3番目の商品は1憶8000万ユリスとなっております! 他にこれ以上の額を提示できる方はいらっしゃいますでしょうか?」


 ガイオンの声に会場内にどよめきが広がるが、腕を上げる者はおらず、これで落札かと思われた刹那、




「3人セットで6億7000万ユリスだ」



 

 その声に会場内が騒然となる。

 そして、誰がそのような額を提示したのかと声の出所を探ろうと招待客が視線を巡らせた先にいたのは、ステージの真下付近まで近づいていた一人の男だった。

 だらしなく贅肉が付いたデップリとした体型の男で、大きく突き出した腹はベルトのバックルの上からはみ出し、肉の垂れ下がった頬に脂汗を浮かべながら下卑た視線で壇上の少女達を見上げる男は蛙が押し潰されたような耳障りな声を上げる。


「その深海のような色合いの髪の娘は、存分にいたぶって更にその顔を苦痛と絶望に歪めれば、より一層玩具として完成度が上がりそうだ! その卑しい獣の耳を生やした娘はその威勢がどれだけ持つか、存分にけがしてやりたい! その幼子のような娘も、その無垢な肌にどれだけ傷を付ければ泣き叫ぶことを忘れるほど壊れるのか試してみたいものだ!」


 歪み切った性癖を垂れ流しながら、色欲に塗れ切った視線で全身を舐められるような感覚を感じ取った壇上の3人が更に身を強張らせたのを見て機嫌良さそうに笑みを浮かべる男をガイオンが見遣り、媚びたような甘ったるい声で彼を掌で指し示す。


「なんと! 貴方様はオークション会場を提供して頂いたゲルグ様ではありませんか! 流石はカザン一の大銀行の経営者ですなあ! 他にゲルグ様に続かれる方はいらっしゃいますでしょうか?」


 ガイオンが会場内を見渡しながら声を張り上げるが、流石にゲルグという男に追随する者は現れず、目当ての品を取り逃がした客達の憎々しげな顔が散見される。

 誰もゲルグの提示した金額を超える額を支払うことができず、その様子に優越感と喜悦を滲ませながら、ゲルグはガイオンに唾を飛ばしながら喚きたてる。


「おい司会者! 他に私以上の金額を払う気がある者はいないようだぞ! 落札者は私で決定だろう!」


「そ、そうですなあ。見たところ、他に希望者もいないようですし、ゲルグ様でほぼ決まりかと」


「ふはははははっ、そうだろう、そうだろう。これから毎日可愛がってやるぞ!」


 実に愉快そうに哄笑こうしょうを上げる肥え太った男のだみ声に賛同するように取り巻きの客達が手を打ち鳴し、壇上の3人の表情が絶望に染まる。

 俺はそんな目の前の光景に歯ぎしりしながら、3人の少女達に視線を向ける。

 助けたい。

 だが、今回の潜入作戦では不要な言動は慎んで、騎士団と衛兵隊が強制捜査に踏み込めるように安全にオークションの様子を克明に記録することが最優先だ。

 感情に流されれば、ゼルダの身も危険に晒すことになる。

 だから、今は……。

 しかし、ステージの上で肩を震わせるサファイアブルーの少女の口元が小さく動いたのを見た。

 見てしまった。

 そのか細い声はゲルグの高笑いで掻き消えてしまうが、その口の動きで彼女が心の奥底から絞り出した言葉が何であったのかを瞬時に理解してしまう。




『たすけて』




 その瞬間、俺は今回の任務の失敗を確信した。

 そして、俺と同様に少女の姿を見遣り、その言葉をしっかりと受け止めていたゼルダに向き直って告げた。


「ゼルダ、すまない。ちょっと面倒事に巻き込むことになりそうだ」









(実に最高な気分だ! あの娘達で自由に遊べるかと思うと笑いが止まらん!)


 ゲルグは内心でもニタリと笑みを零しながら、資金援助をしてやっている小貴族の若造が差し出したワインをグイグイとあおる。

 今回招待した客共は、自分よりも資産の少ない大商会の重役や地方の零落貴族ばかりだ。

 そこそこの財力はあるが、騎士領の陸の交易の中心地であり、この国の経済の大きな柱であるカザン全体に根を張る大銀行を治める王である自分の足元には及ばない者を揃え、こちらの資金力に驚嘆し平伏する姿を見るのは何度でも良いものだ。

 ほくそ笑みながら司会役のガイオンに視線を向けると、向こうも同様の笑みを浮かべて僅かに会釈を返してくる。

 『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』は、騎士領建国後の不安定な情勢下のうちに領内に招き入れた子供の奴隷を専門に取り扱う闇ギルドであり、子飼いにしてからもう半年ほどの付き合いだ。

 父である国王を討った忌々しいあの小娘がペルテ国を滅ぼし玉座に座したと同時に、奴隷制度も終焉を迎えた。

 だが、ペルテ国王に豊富な資産を献上して取り入り、お気に入りの奴隷達を貪り集めていた頃の快楽を忘れることなどできる筈もなかった。

 そして、国境警備隊の兵士共を買収して監視の目の届かない空白地帯を作り、美しい容姿の子供達を連れてくる働きアリを引き込むことなぞ、造作もなかった。

 ふん、大した価値のない奴隷は慰めに他の客達にくれてやるが、あの3人は私の物だ!

 ガイオンにサッサと終わらせろと目配せると、こちらの意図を汲み取った男はもう一度だけ観客達を見渡しながら声を張り上げる。


「さあ、他にこれらの商品をお買い求めのお客様はいらっしゃいませんでしょうか? ……いらっしゃらないようですね。それでは、今回の落札者は……」


 ガイオンが栄誉ある落札者の名を声高に宣言するため息を吸い込み、ゲルグが歓喜の声を上げようと腹に力を込め、壇上の少女達がこれから待ち受ける地獄の日々を想像して顔を伏せた瞬間、




 ステージに突如放り込まれた革袋がけたたましい音を会場中に鳴り響かせ、溢れ出した大量の金貨の海が壇上に広がる。




「……はっ?」


 そんな間抜けな声しか出なかった。

 そして会場中にいる客達も、高らかにゲルグの名を呼ぼうとしていたガイオンも、自分達の前に突然バラ撒かれた大量の金貨を目にして思わずキョトンとした表情を浮かべる少女達も、最初何が起こったのかを理解することが出来ずにその場に縫い留められたように立ち尽くす。

 だが、それだけでは終わらなかった。

 ステージの斜め下辺りから次々と新たな革袋が投げ込まれ、零れ出した金貨が雪崩のように壇上を埋め尽くし、天使が舞い降りたかのように白い札束が宙を舞う。

 全員が革袋が飛んできた方向にぎこちなく視線を向けると、そこには見慣れぬ顔の男女が立っていた。

 彼らは毅然きぜんとした態度でこちらに冷ややかな視線を向け終わると、壇上で呆然と立ち尽くす少女達に慈愛に満ちた視線を向ける。

 そして、宙に浮かんでいる奇妙な文字が躍った文字盤のような物を片手で操作していた男は、それを指を下に滑らせてすぐに消滅させると、会場中にいる者達に向かって言い放った。




「その3人、俺が8億5000万ユリスで買い取らせてもらおう!」

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