第12話 潜入作戦(女神暦1567年4月21日/交易都市カザン西市街)

 カザンの西市街。

 精緻な彫刻や、庭師が日々丁寧に剪定せんていしているらしい薔薇の花壇やアーチなどが通り過ぎる者の目を惹き付ける瀟洒しょうしゃな庭が広がる大豪邸が延々と立ち並ぶ高級住宅地を一台の小型馬車が駆けていく。

 馬車にはガラス窓もめられていない質素な造りで、黒色の毛並みの馬の手綱を握る御者も簡素な外套がいとうを纏った身なりで、周囲の豪奢な町並みや鮮やかな花々が咲き誇る花壇と比較すると酷く不釣り合いな印象を受けた。

 街の景観にそぐわない出で立ちで通りを走行する御者と馬車は、上品な衣装で着飾った通行人達からの刺さるような視線を受けながら石畳の通りを駆け続け、周囲の建物の中でも一際広大な敷地を持つ屋敷の前を通り過ぎた後、とある裏路地に滑り込むように駆け込み、御者は馬の手綱を引いて馬車を停める。


「……もう、出てきてもいいニャよ」


 その声を合図に、俺は馬車からゴミ一つ転がっていない清掃の行き渡った路地に降り立つ。

 決して広くはない馬車の中で、普段は身に付けることもないパリッとのりの効いた清潔感のあるスーツを着てジッとしていたので凝り固まった肩を軽く揉む。

 俺は、ゼルダが潜入作戦の決行を宣言した際、単独で奴隷オークションの会場となっている屋敷へ潜り込むつもりだった彼女を説き伏せ、今回の作戦に俺も参加させることを強引に了承させた。

 招待状を使い、招待客に扮して屋敷の内部で証拠を集めようにも、手元にある招待状は夫婦用のペアチケットのようだったので、たった一人で動き回るとどうしても目立ってしまう。

 それに、戦場では勇猛果敢に敵に立ち向かう彼女が、こういった諜報活動じみた任務に向いているともあまり思えなかった。

 本当なら反対するべきところだが、奴隷制を断固として許す気がない彼女に諦めろと言っても、はっきり言って了承することはないだろう。

 なので、俺が貴族の旦那役、ゼルダが俺の奥さん役を演じて招待客として会場に堂々と入り込み、【転写眼】スキルでオークション風景を盗撮し、その画像を証拠として衛兵隊に提出する予定だ。

 この世界にはカメラはないが、景色を記録することができる魔道具や魔法等も稀有ではあるが存在しているらしいので、それを利用したことにして乗り切ろう。

 ニーナの店で購入したスーツは非常に状態も仕立ても良いので、貴族や富豪が集まる会場でもそうそう悪目立ちすることもないだろうし、肩に力を入れ過ぎて不審がられないようにしなくては。


「ニャアァァァァァァァ! 金持ち共のあの汚物を見るかのようなネチネチした視線がクソウザかったニャ!」


「悪いな、ニーナは本来なら関係ないのに、面倒事に巻き込んじまって」


「事の発端はニャ―にある以上、アレン達に全部丸投げしてハイサヨウナラなんて薄情な真似できないニャ」


 意外と責任感が強いらしいこの猫耳少女は、配達用に使用している馬車で俺とゼルダをここまで移送する役目を自ら買って出てくれた。

 カレンは衛兵隊の詰所とその付近にあるというアリーシャ騎士団のカザン支部へ向かい、念のために屋敷の側まで衛兵達を待機させてもらえるように頼みに行っている。

 どうやら騎士領のトップであるアリーシャから、現在のカザンの衛兵隊と常駐騎士達の総指揮権を移譲されているカザン支部長はゼルダの騎士団所属時代の友人らしく、ゼルダの名を出せば屋敷の近くにある程度の兵なら送ってもらえるらしい。

 今回はオークション会場付近まで俺達を運び、これからカレンと合流して兵士達を誘導役を担うニーナとはここで別れ、ゼルダと一緒に任務達成を目指すのだが……。


「……一向にゼルダが出てこない」


 まあ、その理由はよく分かってはいるのだが……。


「ニャに!? まだ恥ずかしがってるのかニャ、あの初心うぶな騎士様は!? いい加減観念するニャ!」


 御者台から弾かれたように飛び降りたニーナは、肩を怒らせながらズンズンと馬車の荷台部分に回り込んで荒々しく乗り込んでいった。

 そして中から誰かが必死に逃げ回ろうとしているかのような足音と、それを追い回すニーナが床を派手に踏み鳴らす音が静寂な通りに少し漏れ出してくる。


「ここまで来たんニャから、さっさと降りるニャ、ゼルダ!」


「い、嫌だ! こ、この格好で外に出るなんて、は、恥ずかしすぎて、し、死んでしまう!」


「ニャ―が着付けして、華美になりすぎないナチュラメイクも施したんだから、ゼルダはどこから見ても名家出身の貴族女性ニャ! 自信を持つニャ!」


「だ、だが、私には、こ、こ、このような、ヒラヒラした衣装は、に、似合わないし……。せ、せめて剣だけでも持たせて……」


「物騒な剣をぶら下げたままオークション会場に入ったら、絶対に目立つに決まってるニャ! 剣はアレンに預けたから、ゼルダは彼氏に買ってもらったそのドレスを着て、愛する殿方に守ってもらえばいいニャ!」


「か、か、か、彼氏だとぉ!? ア、アレンと私はそういう関係では……」


「自分が興味津々だったドレスをアレンがこっそり買ってくれていたことを知った時の、ゼルダのあのとろけ切った幸せそうな笑顔は今も脳裏に焼き付いてるニャ。ぶっちゃけ、あの少年のことだいす」


「よし、張り切って任務に臨もうじゃないか! 私はここで降りるから、ニーナは可及的速やかにカレンの所に全速力で向かってくれ! というか、頼むから行ってくれ!」


 中では何やら一悶着あったようだったが、馬車の荷台からニーナに手を引かれながらおずおずとゼルダがプルプルと震える両足を地面に下ろす。

 まるで金糸のようなレモン色の髪は綺麗にかれており、白磁のように白く美しい素肌と相まって、高名な人形師が手掛けた人形を彷彿とさせる人間離れするような容姿を遺憾なく引き立てていた。

 だが、そのような秀麗な体の持ち主の顔色は火傷しそうなほど紅潮していて、今にも倒れそうな状態だった。

 彼女のドレス姿を一目見た時は、心臓が止まりそうになるほどの衝撃が全身を雷のように駆け巡った。

 天使が地上に降臨した。

 冗談抜きでそう思った。

 だが、手放しで十人中十人が振り返るであろうの美を兼ね備えた(本人は本当に無自覚だが)少女は何故、こうにも恥じらっているのか。

 それは……その、あの、どこがとは明言しないが、



 ゼルダはめちゃくちゃ着痩せするタイプでした。



 普段は鎧で覆われていたのであまり意識はしたことはなかった。

 ゼルダのドレスの着付けを終えたニーナが、店内のカウンターの近くで待っていた俺の近くにヨロヨロと生気を吸われたかのように憔悴しょうすいした表情でやって来て、「……メロン」と呟いて自分の慎ましやかな平原を両手で押さえたまま崩れ落ちた時はマジで何事かと思ったし、(メロンなんて収穫したっけ?)と首を傾げたものだが、ドレスアップした彼女を目撃した瞬間にその言葉の真意を理解した。

 車中でも、「あ、あまり、こ、こちらを、見ないで、く、く、くれ……」と蚊が鳴くような声で懇願し続けていたので、マジマジと見詰めることはしなかったが、やはり視線が向きがちになる。

 あまり今の自分の姿を見られないよう、両手を胸の下で組んで前屈みになって身を縮めるゼルダの努力も、逆にその見事な谷間を見せつけるような体勢に移行してしまっているので、完全に逆効果になっている。

 清楚なドレスの筈だったのだが、身に纏う人間によってここまでエロ……魅力的な物に変わるとは。


「ア、アレン、行くぞ! くっ、ヒールのある靴というのはやはり歩き辛いものだな」


「ゼルダ、履き慣れない靴で走るのはやめておいた方がいいって! あっ、ニーナも気を付けてな! 送ってくれてありがとう!」


 砂糖水を一気飲みしたような甘ったるそうな顔で手を振るニーナに別れを告げ、俺とゼルダはオークション会場の屋敷に向かった。






 重厚な赤い絨毯が部屋の隅まで敷かれた大ホール。

 天井から吊り下がるシャンデリアは大量の水晶で豪奢に装飾され、精緻なレリーフが彫り込まれた柱にはどれほどの美術的価値があるのかを何気なく【鑑定】スキルで見た時は、目玉が飛び出しそうになった。

 ホール内の各所に置かれた円卓には、ミディアムレアに焼かれたステーキやバターソースで香ばしく焼かれた白身魚のソテー、ベリーソースのかかったケーキ等々、一流の料理人達が趣向を凝らした華やかな料理の数々が鎮座しており、出席者達は気泡が弾けるシャンパンをたしなみながら時折それらを口に運び、感嘆の声を上げている。

 完全に住む世界が違う。

 食後にスーパーで買ったケーキが食卓に出てきただけでテンションが上がっていた俺にとって、ここはもう一つの異世界のようだ。

 無意識のうちに渇いた笑い声が漏れる。


「アレン、どこか遠い目をしているが大丈夫か?」


「大丈夫、未知の世界を前に呆然としてただけだ」


「それならいいのだが。あと、どうして私を壁際にさりげなく寄せて、立ち塞がるように私の前に立っているんだ? 前が見えづらいのだが……」


「いや、特に深い意味はないから! 俺達は壁際に寄ってできるだけ目立たないように、オークションが始まるまで待っていよう!」


「それはその通りだな……。了解した。目的の催し物が開かれるまでの間はここで大人しく時間を潰すとしよう」


 ゼルダは少々いぶしげだったが、とりあえず俺の側を離れることはなく、給仕に勧められた上質な白ワインを酔わない程度に嗜む。

 会場内で一切他の招待客と歓談せずにいるというのも居心地が悪いと思うが、他人の招待状を使って潜り込んでいる以上、下手に会話の席に混ざればボロが出る可能性が高い。

 また、会場の中央で棒立ちしていれば声を掛けられる機会も増えると考え、こうして会場の隅の壁際に退避してみた。

 会場内では空になった皿やグラスを片付け、料理や酒を補充しに歩き回っている給仕からたまに度数の低いシャンパンやワインを勧められたが、俺は元の世界では高校生で飲酒の経験もなく、自分のアルコール耐性も把握していないため、「この後に、また別の用事がありますので……」と当たり障りのない返事で誤魔化した。

 ゼルダも日本の法律では未成年の筈だが、少なくとも騎士領では飲酒の年齢制限はないようで、もう既に2~3杯ほど口にしている。

 ……俺も少しぐらいなら。

 思わずそう魔が差そうになるが、それを胸の奥に押し戻す。

 俺には現在進行形で遂行中の新たな任務があるのだ。

 それを果たすためには、酔い潰れる訳にはいかない!

 そして、その任務とは、


「アレン。さっきから周りの招待客達がチラチラと横目で私に視線を向けてくるのだが、私の所作やマナーに何か失礼なところがあるのだろうか?」


「いやいや、きっと俺達が、あまり見ない顔の二人だなあって、不思議に思われてるだけだって。大人しくしてれば、変に絡まれることもないさ」


「そ、そうか。なら良いのだが……」


 ゼルダは安堵したように胸をなで下ろすが、俺はその胸元に集まる視線を遮るようにすぐさま立ち位置を修正する。

 そして、彼女の胸に下卑た目線を向けてくる男性達に内心で舌打ちする。

 連中がゼルダの胸元に欲情めいた粘着質な視線を不躾ぶしつけに向けてくるのが、個人的に何故か腹立たしく感じてしまう。

 男性客以外にも数名の若い女性客もゼルダに視線を向けているが、そのほとんどがゼルダの整った容姿や引き締まったバランスの良い体形に対する賞賛と羨望が込められたものであり、これに関しては特に気にしていないが。

 不謹慎だとは思うが、早くオークションを始めてくれ!

 そうすれば周囲の関心もそっちに移るから!

 その願いが天に届いたのか、会場の北側に設けられた大きなステージの中心にスーツを着た痩せ型の男が登壇し、招待客達は歓談を中断してステージに体を向ける。

 ステージ上の男が会場内にいる招待客に恭しく一礼した。


「お集りの皆様、本日は当ギルド『従僕せし餓狼ヴァイ・スレール』主催のオークションに足をお運び頂き、誠にありがとうございます。私は、本日の司会進行を担当させて頂くガイオンと申します」


 招待客達が一斉に拍手で彼の登場を歓待する中、俺は視線をステージ上から離さずに小さな声量で呟く。


「ギルドの名前やあの男に心当たりはあるか?」


「いや、どれも聞き覚えがない。少なくとも、ペルテ国時代に活動していた奴隷売買を生業なりわいにする闇ギルドの中に連中はいなかった筈だ」


「すると、騎士領建国以降に流入してきたギルドってことか」


「ああ。招待客達の反応の良さから察するに、オークションの開催自体はこれが初回ではないのだろう。招く側も招かれる側も、衛兵隊や騎士団が干渉しにくい立地を随分と活用しているようだ」


 ゼルダは眉を寄せて不機嫌そうに口元を歪める。

 自分達の身近な場所で、駆逐した筈の奴隷売買が平然と行われている実情にこみ上げてくるものがあるのだろう。

 彼女の剣は万が一に備え俺のアイテムストレージに収納してあるので、激昂する場面に遭遇したとしても短絡的な暴挙に出ることはないと思う。

 俺も奴隷売買なんて即刻摘発すべきだと思うし、できることならこれから行われる人間を商品とした競りも、『隷属者チェイン』を召喚して徹底的に叩き潰してやりたい。

 だかそれよりも、確実な証拠を押さえて、オークションに関わった人間に司法の場で正しい罰を受けさせる方が良いだろう。

 自分の胸に片手を当て、ゆっくりと体から無駄な力を抜いていく。

 まぶたを閉じ、目元に神経を集中させる。


「……【転写眼】スキル、発動」

 

 瞼を開け、聡明な読書狂ビブリオ・フィリアの少女の力を開花させる。

 目にした物を全て記憶し、記憶した画像や映像、音声等を何度でも虚空に映し出すことができる力を宿した両目を見開き、招待客達と壇上の男の姿を網膜に焼き付けながら、オークションの幕は上がった。


「それでは、本日のメインイベントの開幕でございます!」


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