第2話 カレンとゼルダ(女神暦1567年4月20日/アルトの村近郊の地下遺跡)

 魔法陣のあった部屋から出ると、石造りの廊下が左右に続いていて、等間隔に壁に取り付けられた燭台が煌々と薄暗い通路を照らしていた。

「とりあえず、ここから外へ出ようか」と言って、出口へと先導するゼルダの背中を追いながら、自分のせいで突然知らない場所に呼び出される事になった事に何度もごめんなさいと謝罪の言葉を口にしながら頭を下げるカレンに、何度も「そこまで気に病まないでくれ」とやんわりとした言葉を返しつつ通路を進んでいく。

 

(こんな通路見覚えないし、この二人とも面識はない。本当にここってゲーム世界の中なのか?)


先程の魔法陣と目を覚ましたあの部屋での二人の少女達の会話の限りだと、自分はどうやら他者を強制的に別の場所へ転移させるような魔道具の発動に巻き込まれたと考えられるが、『ブレイブ・クロニクル』には本人の許諾なしに他のプレイヤーを転送させるような魔法や道具の類は実装されていなかった。

 一度侵入したダンジョンの入口付近に任意でワープする機能は搭載されていたが、少なくともこのような場所には見覚えが全くなく、マッピングした記憶もない。

 ログアウトの操作時に誤ってそちらの機能を使用するウィンドウをタッチした覚えもないので、普段なら自室で目を覚ましている筈なのだが……。

 アレンが燭台の灯でオレンジ色に照らされた通路を内心で頭を傾げながら歩いていると、先程まで申し訳なさそうな態度を貫いていたカレンも、アレンが何度も謝罪の必要はないと言い続けていたおかげか、幾分罪悪感も薄れて、こちらに肩を近づけてきた。

 

「そういえば君の名前を聞いてなかったね。教えてもらってもいい?」


「ああ、そういえば名乗ってなかったな。アレンだ、よろしく」


「アレンだね、よろしく。私はこの遺跡の近くにあるアルトの村の冒険者ギルド『四葉の御旗フォルトゥーナ』の魔導士よ。色々混乱してるだろうから、簡単だけど今の君の状況について説明するね」


 カレンと、時折彼女の説明を補足を入れてくれたゼルダの解説を要約すると、ここはアルトという田舎の小村近辺に広がる大森林の中で最近発見された遺跡で、冒険者ギルドに所属するカレンとギルドマスターであるゼルダ(ギルドを結成してから日が浅いらしく、二人しかギルドの人員はいない超小規模経営状態らしい)は、自分達が暮らす村の比較的近辺に埋もれる様に眠っていた地下遺跡の調査をギルドの仕事の合間に個人的な興味から行っていたそうだ。

 だが、いざ調査開始と意気込んでいたものの、基本的には石造りの回廊ばかりが続き、いくつか発見した小部屋には金銀財宝や遺跡に関する文献史料のような物もない殺風景な空間がポッカリと広がっているだけで、次第に退屈し始めていた中偶然見つけた謎の魔法陣の部屋にテンションが上がったカレンが、部屋に置かれていた本の中に書かれていた文字を読んだ瞬間に魔法陣が唐突に輝き出し、その輝きの眩しさに反射的に目を閉じ、光が収まった後に恐る恐る目を開けると俺が魔法陣の中央で仰向けの状態で横たわっていたらしい。


「これくらいで説明は終わりかな。他に訊きたい事はある?」


「いや、今のところは大丈夫だ。というか、分からない事が分からないっていう方が大きい感じかな」


「ああ、確かにね。君が元いた場所が分かれば何とかそこに帰れるように努力するから、安心してね」


「本当か? じゃあ、クルーシュって町に聞き覚えはないか? ダレイン王国の城塞都市なんだが」


 ダレイン王国は『ブレイブ・クロニクル』において最大の版図を誇り、世界中の富や食材や腕自慢の傭兵や冒険者が集束する城塞都市クルーシュは世界最大の都市と称される程の巨大都市だ。

 世界最大規模の大市場と鍛え抜かれた精強な軍隊が常駐する金と軍事力の両方を兼ね備え、都市一つで国一つ落とす事も可能だろうと周辺国家から恐れられていた大都市の名と威光は、辺境の村々や亜人の隠れ里にも伝播していて、『ブレイブ・クロニクル』のプレイヤーとNPC達でその名を知らない者はいない場所だ。

 もしここが『ブレイブ・クロニクル』の世界なら、この二人もその名前を聞けば何かしらの反応がある筈だと、つい先程までリースと一緒に串焼きを食べながら雑談に興じていた都市の名を挙げてみたのだが、二人はキョトンとした表情で疑問符を浮かべていた。


「ダレイン王国のクルーシュ? ねえ、ゼルダはそんな場所訊いたことある?」


「いいや、どちらも知らない国家と都市だ。それに、この世界にはダレイン王国なんて国家は存在しないぞ?」


「えっ、マジで!?」


「ああ、間違いない。この世界には五つの大陸と数十の島国が存在するが、そのどこにもそのような国も都市も無い筈だ」


 おいおい、マジかよ……。それじゃあ、本当にここは『ブレイブ・クロニクル』なんて一切関係ない、ファンタジー世界って事か!? いや、まてよ……ああっ、そうだ! ウィンドウを開いてログアウトボタンやインベントリが開けばゲーム世界にダイブしっぱなしって事の証明になるんじゃないか!

 アレンは大慌て虚空に指を這わせ、数え切れない程操作して見慣れたウィンドウを開こうと指先に力を込める。

 頼む、開け、開いてくれ!

 だが何度ウィンドウを出現させようと指を懸命に上下に振るうものの、指先は虚しく空を切るばかりで、アレンはがっくりと力なく項垂れる。


「……ああ、マジか。俺、本当に『ブレイブ・クロニクル』から全く別の世界に召喚されちまったって事か。リースに手伝って貰いながら必死に掻き集めた武器や防具もドロップアイテムも一つも取り出せず、無一文状態で異世界に放置された事なのかあ……」


「あ、あの、大丈夫? 何もない場所に必死で指を振り出した時は『い、一体何をしてるんだろう?』ってビックリしたけど、何かあったの?」


 唐突に奇行に走り、そしてまた突然勝手にブルーな雰囲気を醸し出したこちらの背中をよしよしとさすってくれるカレンの優しさがスゲー胸に染みる。


「ま、まあ、今の反応を鑑みるに全く知らない場所に着の身着のままで投げ出された事に愕然となっているという感じなのだろう? 故意ではなかったとはいえ、君を召喚してしまったのはこちらの不手際だ。元の世界に帰還する手段が見つかるまで、好きなだけ私達の村にいてくれて構わないから、元気を出してくれないか?」


「えっ、いいのか? 俺、今手持ちの金とか何も持ってないから宿代とか払えないんだけど……」


「ああ、構わない。私とカレンも日々の生活に困窮している訳ではないからな」


「そっ、そうなのか。じゃあ、申し訳ないけれど、お世話になっていいか? 宿代代わりといっちゃなんだけど、薪割りでも畑仕事でも何でもやるからさ」


 流石に自分と同い年ぐらいの女の子達に養われ続けるのは、どうにも居心地が悪いし。

 ログアウトボタンも表示出来ず、インベントリに溜めこんだアイテム類も取り出せない現状では、召喚魔法の行使も可能なのかも怪しいが、もし『ブレイブ・クロニクル』で契約した『隷属者チェイン』達が召喚できれば、彼らと召喚士固有のある能力を使えば日々の生計を立てることは十分可能な筈だ。

 ちゃんと世話になった分の礼ぐらいはしないとな。そのためにも召喚士の力がこの世界でも使えるのか早いうちに確認しよう。

 そう密かに決心したアレンは、「もうそろそろ出口だ。階段を上がるぞ」というゼルダの声で顔を上げ、外から木漏れ日が差し込んでいるのか、温かな光が上から降り注ぐ階段に足を掛けた。






「おおっ、外だ!」


 アレンが階段を上がった先に広がっていたのは、日光を全身で浴びようと空に向かって枝葉を伸ばし、青々とした葉を豊富に茂らせた広葉樹が乱立する緑豊かな森の中だった。

 首を上げると快晴の青空と広く平たい緑の葉のコントラストが見事で、内服の上に革鎧を纏っただけの軽装だけの今の状態でも十分温かく感じる心地良い気温から考えると、この世界は春の半ば頃辺りを迎えているのかもしれない。


「はあ~、やっぱ外は落ち着くね。遺跡探検もダンジョンに潜ってるみたいで楽しいけど、私はやっぱり空気の美味しい森や草原の方がいいなあ」


「ダンジョン? この世界にもダンジョンがあるのか?」


「うん、世界中の色々な場所に点在してるんだよ。アレンがいた世界にもあったの?」


「あ、ああ。前の世界では数え切れない程のダンジョンで冒険したよ」


 まあ、ほとんどレアドロップアイテムに目がくらんだリースのダンジョン探索の同伴や、俺の新しい『隷属者チェイン』探しみたいなほぼ趣味同然の冒険ばっかりだったけどな……。


「へえ~、っていうことはアレンって凄く強いんだね!」


「いやいや、そんなことはないよ」


 強いのは俺じゃなくて『隷属者チェイン』達だし、皆の力を借りないと戦えない召喚士おれだしなあ……。

 そんな風に内心では思いつつも、キラキラと羨望の眼差しで見つめてくるカレンの表情を見ると、知り合いも誰もいない異世界に突如召喚された不安もスッと消えていくようで、思わず頬がにやけてしまった。

 右も左も分からない別の世界に呼び出されたけれど、少なくともこの二人に最初に出会えたことだけは感謝しないとな。

 もし彼女達がいなければ、自分はこの森の中を彷徨って魔物に襲われたり、絶望と飢えの苦しみにもがきながら野垂れ死にしていた可能性だってあるのだ。

 今は何もかも手探り状態だが、再び元の世界に戻る可能性だってゼロじゃない。

 リースに会えない事や彼女を一人残してきた事が気懸かりだが、まずはこれからお世話になる町で生活の基盤を築いていく事が最優先だな。


「ここから二人が暮らす町までは結構遠いのか?」


「徒歩で三十分程歩くけど、それほど離れている訳じゃないよ」


「町と呼べる程の集落ではないがな。今ではほとんど誰も立ち寄る事のない廃村だ」


 表情に憂いと寂寥感を浮かべながら少し俯きがちになったゼルダの様子に、思わず地雷を踏んだか……っ!? という焦燥感を感じたが、若干脂汗を滲ませたこちらの様子を察したカレンがパンッと両手を叩いて硬くなりかけていた空気を吹き飛ばすような笑顔を浮かべた。


「ま、まあ、確かに他の村に比べると物寂しさが目立つ場所だけど、私達やアレンの衣食住に支障が出るような所じゃないから安心してよ!」


「お、おう、よろしく頼むぜ。二人に出来る限り迷惑はかけないようにはするし、村の中が少し閑散としてたとしても全然気にしないしな!」


「……そう言ってもらえると、少し肩の荷が下りるな。アレン、気を遣わせてすまないな」


「いやいや、前の世界じゃスゲー険しい崖だらけの山脈の奥にある山村やら、滅多に定期船も停泊しない孤島の寒村にも行った事あるし、廃村とかも見る機会もあったから、別に気を遣ってるとかじゃないんだ。それに、自分が暮らす事になる村なんだ。どんな所でも悪く言うつもりなんてないさ」


「君は優しいんだな。それに随分と見聞が広いらしい。君には知恵を借りる機会が多くなるかもしれないな」


「おう、前の世界で使えた技やらスキルがこっちの世界でも使えるかは分かんないけど、俺にできることなら何でも頼ってくれ」


 召喚魔法やそれに関するスキルが使えなければ、ほとんど一般人同然の元男子高校生だが、それでも女の子に悲しそうな顔をさせたままというのはどうにも居心地が悪いものだ。

 思わず自信満々に言い放ってしまったが、目の前のゼルダの表情からは先程の悲しそうな感情が消え、心なしか頬の強張りもなくなった気がする。


「うんうん、アレンはいい子だね~。アレンの言葉を聞いて内心では結構上機嫌なゼルダも可愛いし、いい子だね~」


「おい、カレン、私は別にそんなチョロイ人間では……」


「あのカレン、そんなにくっつくと腕にむ……」


「はいはい、うちの子達は皆いい子ばっかりでお姉さんはとっても嬉しいですよ~」


 先程までの少し気まずい空気を察してか、からかい混じりの口調でそう言い、アレンとゼルダの間に割り込むように体を滑り込ませてから、二人の肩をグイっと両腕で自分の方へ引き寄せて屈託のない笑みを浮かべるカレンはとても嬉しそうで、こちらも最初は面食らったものの気が付けば笑みが自然と零れていた。

 異世界から来た召喚士と、鎧を纏ったレモン色の髪の少女騎士と、そんな二人の肩を愛しそうに抱き寄せる女魔導士。

 三者三様の出で立ちと過去を持つ三人の影は、森を越えた先にひっそりと佇む村に辿り着くまでの間、片時も離れることはなかった。

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