第19話 シン・バクテン


 支局長の夢から抜け出して数分後、D・Eの局員と名乗る三人が部室へ訪れた。 

 俺はその一人に見覚えがあった。

 初めて支局長が訪れた時、涼しげな眼差しの長身女性というだけで支局長と勘違いしてしまった人だ。

 「獏音夢戯(ばくおんむぎ)と申します、副支局長をやっております」

 そう自己紹介した彼女が、両膝を抱え座り込んでいる支局長のもとへ行く。

 「支局長……いえ、獏府、あなたをこれから本局へ連行します。気付いているでしょうが、あなたにはモルペウス様の抑制魔圧がかけられており、ほぼ魔力が無い状態です。抵抗は無駄という事を忘れずに」

 魂の抜け殻の様な顔を上げ、獏音さんを見る支局長。その虚ろな目にぼんやりと光が宿り、口元が不気味な笑みを作る。

 「うひっ、うひはははっ、この下っ端共がー!」

 突如立ち上がった支局長が、獏音さんを拒む様手の平を突き出した。

 「獏府! 今のあなたは人間以下の力しか無いのです。無駄な抵抗をして私達に取り押さえられるという無様な真似を晒すつもりですか!」  

 「こりでわたちは魔界の監獄送りだ。その上これまで通り悪夢を毎晩見続けなければなりゃない……そんな生き方をすりゅ位なりゃば!」

 正気を失った目が素早くこちらに向き、支局長……ではなく獏府が俺目がけ走り出した。

 「鍋島! 逃げろ! いや、今の支局長ならお前でも軽く倒せる。何とかやれ!」

 夢香先輩の声に、獏府を迎え撃つべく構えの姿勢を取る。が、異様な光を放つ目と糸引くヨダレを垂らしながら突進してくるちびっ子相手に少々腰が引けてしまう。

 射程距離に入った俺は両手で獏府を掴もうとした。が、絶妙のタイミングでしゃがみ込まれる。そして両膝へ抱き着かれた俺は、後頭部から畳に激突!! 一瞬で意識が飛んでしまった――――




         ◇



 気付くと俺は部屋のベッドで寝ていた。

 「夢?」

 起き上がり、卵形の時計からスタジオ治部煮のカレンダーへと目をやる。

 午前七時、四月八日。

 うえっ、今日入学式じゃん……しっかしなげー夢見てたな、何だありゃ。獏とサキュバスが出てきて……あと、なんだっけ? 殺されそうになった気がする。夢って起きるとすぐ忘れるよな。

 寝間着代わりのジャージを脱ぎ、クローゼットを開ける。そこにはこれから通う高校の制服が吊られてあった。

 あーあ、高校生活の始まりかー、またぼっちなんだろうな……まあいいや、中学ん時みたいに夢見三昧の三年間にすっか。 

 着替えを終え、階段を下り、洗面所で身だしなみを整えてから居間へ向かった。

 ……母さんが居ない。おかしいな、朝食の準備もまったくされてないぞ。何か急用でもあったのか? なら書置き位あるはずなんだが……。

 そこへサイレンの音が近づいてきた。

 何だろうかと窓に寄ると、赤色灯を回した警察らしき車が垣根の向こうを走っている。そして

 「緊急避難警報発令中です。まだこの付近にいる住民の方がいらしたら、この車に近づいて下さい。または大きな声で呼びかけるか大きく手を振ってください」

 と、スピーカーから音声を流しつつ通り過ぎて行った。

 「緊急避難警報って何だよ!?」

 事態は飲み込めずとも何やらヤバイと思った俺は、靴を履いて玄関を飛び出し、辺りを見回す。

 かなり遠くから、何か大きな建物でも取り壊している様な音が聞こえてきた。

 その方角へ目をやると、街の中心部である高層ビル群が遠くに見えた。

 「え?」

 立ち並ぶ高層ビルの一つが突如崩れ落ち、灰色の煙があっという間に周囲を包み込む。

 唖然とする俺の耳に、布を引き裂く音に金属音を混ぜた様な、何とも不気味な音が空気を震わせ響いて来た。

 灰色の煙の中に、高層ビルとほぼ同等の、巨大なシルエットが浮かび上がる。

 「な、何だありゃー!!」

 それは白地に幾何学的な赤い模様が入った、巨大なネコの着ぐるみだった。

 着ぐるみネコがネコパンチを繰り出し、高層ビルの上部を叩き壊す。粉塵を巻き起こしながら破壊された部分がスローモーションの様に、建物がびっしり並ぶ中へ落下、噴火でも起こした様な煙が上がる。

 何だあのふざけた巨大生物は!!!!

 あまりにも巨大過ぎて一つ一つの動作がゆっくり見えるのも怪獣映画さながら。そんな動作で着ぐるみネコがゆっくりと向きを変えた。

 おい……ちょっと、まさか……!!

 明らかに俺へ向かい、ゆっくりと着ぐるみネコが歩き出した。

 俺は慌ててそれに背を向け走り出す。

 花火が打ち上げられるドンッという音にそっくりな足音。恐らく家やマンションなんかの建物だろう、踏み壊される音。それらがどんどん背中へ迫ってくる。

 ゆっくり歩いてる様に見えてあっちの歩幅は数十メートル。こっちは良くて二メートル。

 無理だ、絶対追いつかれる!

 そう思い、恐怖で頭が真っ白になった時、制服の襟を誰かに掴まれ俺の体がすうっと宙に浮いた。

 「大丈夫でござるか、お兄ちゃん」

 顔を横に向けると、コウモリみたいな翼を羽ばたかせている咲馬の顔が目に映った。

 「咲馬!」

 「助けに来たでござるよ」

 「随分頼もしくなったな咲馬、本当にサキュバスみたいだぞ」

 「失敬な、拙者もともとサキュバスでござるよ、お兄ちゃん!」

 「悪い悪い、でもこれは夢か。なら死なないな、ちょっと安心した」

 眼下に広がる街の景色を前に、ほっと溜息を吐く。

 「夢は夢でもこれは悪夢だ、鍋島」

 声の方へ目をやると、こちらからちょっと離れ夢香先輩が飛んでいた。

 「悪夢でもそのハリセンで叩けば俺の目が覚めて現実に戻れるじゃないですか」

 「うふふ、そう簡単にはいかない状態なのよ、ボウヤ」

 夢香先輩の横に、後ろから飛行してきたメディ先生が並ぶ、夢の中なのでドS顔だ。

 「獏府がとんでもない行動を取ってしまったのです、鍋島さん」

 咲馬に襟を掴まれ飛んでいる俺の下へ、副支局長の獏音さんがエメラルドグリーンの長髪をなびかせ現れた。

 「とんでもない行動?」

 それに一同無言になる。

 「わひゃひゃひゃっ!」

 背後から、体にビリビリ響くバカでかい声がした。

 「人間! わたちはお前の心の幹に入り込んで、お前と一体化したのだ。わかるか? もう誰もわたちをここから引きずり出す事はできん! わひゃひゃー!!」

 「獏府! この人間は何の関係も無い者です! 私達はあなたを捕まえる事を諦めましょう。だからこの人間におかしな事はせず、じっとおとなしく過ごして……」

 「バ~カめぇ! この人間さえいなければわたちの計画は成功していたのだ! こいつでは無く他の人間にエスプリが身を潜めていりぇば、絶対、絶対、ぜ~ったい成功していたのだーっっ!! だからこの人間にはわたちが何百年食べて溜め込んでいた悪夢を全部放出してやりゅ、わひゃひゃ! どーなりゅかなー? 狂い死にすりゅかな? 髪真っ白になってコロリと死ぬかな?」

 「獏府! そんな事をすればあなたも死ぬ……いけない、逃げて!!」

 獏府へ顔を向けていた獏音さんが俺達に叫ぶ。

 それに俺の手を強く握りしめていた咲馬が大きく上昇、するとさっきまで俺達が飛んでいた所へ、青白くてぶっとい光線が通過した。

 幸いにも素早く散開したおかけで全員無事だった。

 「この人間を道連れにわたちは死んでやる! そうすりぇばあの悪夢からもさよならできりゅ!! わひゃひゃひゃ!」

 巨大着ぐるみネコへ振り向くと、顔の部分がエレベーターの様に開き、獏府の顔が現れた。

 「お前りゃ、これでもくりゃえー!!」

 獏府が口を大きく開き、青白い光線をこちらに向け発射した。

 「これはマズイ! 当たったら死なないしても精神的に大ダメージを食らってしまう」

 「夢香先輩! 早く俺をそのハリセンで叩き起こしてください!」

 「無理だ! 獏府が心の幹にいる限り、お前は目を覚ます事が出来ない!」

 「お兄ちゃん、あいつの様子がおかしいでござる!」

 その声に巨大着ぐるみネコへ目をやると、その巨体から黒と紫の炎というかオーラの様なものを放ち始めていた。

 「あれは獏府が何百年も食べ続け、魔力に変換していた悪夢!! とんでもない量だわ!!」

 獏音さんが信じられないといった顔で口に両手を当てる。

 「わひゃーーーーーー全悪夢ーーーーーほ・う・しゅ・つーーーーーー!!!!」

 巨大な獏府から黒と紫の悪夢が弾ける様に飛び出し、空と大地を勢い良く侵食し始めた。

 その悪夢は濁流の様に押し寄せ、あっという間に獏音さんと夢香先輩、メディ先生を飲み込んでしまう。

 物凄い勢いで迫る悪夢の濁流に体が動かない! そんな俺の前に咲馬現れ、濁流から俺を守る様両手を広げた。

 濁流が咲馬に襲い掛かり、激しい飛沫を上げる。

 「咲馬! 無茶するな!」

 魔力が大幅に上がった証しか、両手を広げた体で押し寄せる悪夢の濁流を物ともせず受け止めている。

 「お兄ちゃんを守るのは優夢じゃなく拙者でござるよっ!!」

 張り詰めた声の咲馬は正面を向いたままで、その表情は窺い知る事は出来なかった。

 「うわっ!!」

 濁流に流されてきた郵便ポストが足元に当たり、俺はあっという間に転倒、濁流に巻き込まれてしまう。

 「お兄ちゃん!」

 咲馬が振り返り様に濁流へ襲われる姿を最後に、俺は完全に濁流の中へ飲み込まれる。

 咲馬っ! くそっ、俺のせいだ!! にしてもスゲー流れ、どうにもならない!!

 奔流に揉まれ、意識が朦朧としてきた! そこへ

 「鍋く~ん」

 と、獏天の声が頭に響いてきた。

 「あの~、これどうなってるんですか~? 何か~、モルペウス様が急に出てきて~、鍋くんの夢の中に行け~! って命令されたんですよ~」

 再びほわほわした獏天の声。

 「あそこにいるのって~、支局長に見えるんですけど~、何か大き過ぎませんか~?」

 夢の中だというのに息が詰まってきた! ぐ、苦しいー! 

 「この黒い水っぽいの、悪夢ですよね~、何で支局長が自分の魔力を悪夢に戻してるんですか~? っていうか~鍋くんはどこにいるんですか~? 鍋くんの夢なのに居ないなんておかしいですよ~」

 こっちが苦しんでるのに何ほわほわくっちゃべってんだ、頭きたー!

 「悪者になった支局長がこの悪夢で俺を殺そうとしてんの! 早く何とかしてくれ、獏天!!」

 声にならない声でそう叫んだ。すると

 「らりひゃ! そうなんですか、待っててくださ~い」

 と声がし、あっという間に俺の体から濁流の感触が消える。恐る恐る目を開けると黒と紫の悪夢が急速に後退しているのが目に映った。

 その先を目で追うと、空中に浮かんだ獏天が握った両手を胸に当て、猛烈な勢いで濁流を起こしていた悪夢を口から吸い込んでいた。

 俺は周囲を見回す。

 後ろに咲馬が、そこからちょっと離れて獏音さんとメディ先生が倒れていた。咳き込んでいたり、手足が小さく動いてる所を見ると気絶しているだけの様だ。

 俺は咲馬へ駆け寄り抱き上げた。

 「おい、しっかりしろ咲馬!」

 悪夢の波で濡れたまつ毛が動き、薄く目が開けられた。

 「お兄ちゃん、無事でござるか。良かったでござる……」

 「ゴメンな、俺を庇ってくれて、ありがとうな」

 「むひー……拙者は大丈夫でござるよ。それより、優夢が来たでござる。あ、あのへっぽこ獏、悔しいけど拙者と同じ位お兄ちゃんが大好きでござる。だからお兄ちゃんの為ならとんでもない無茶をするでござるよ……だから……お兄ちゃんがしっかり見守ってないとダメでござるよ……」

 「……わかった、咲馬」

 俺は咲馬の濡れている頬と前髪を手で拭き、そっと地面へ下ろした。

 そこへ獏府の地響きを立てる声が聞こえてきた。

 「優夢りんか? ほほお、いっちょ前に魔力が上がってりゅじゃないか」

 ちょっと感心した表情を浮かべた獏府だったが、

 「だがまだまだだな、わたちは下っ端なお前の何百倍も悪夢を食べてきたんだ。ほりほり、悪夢はまだまだまだまだまだありゅぞー?」

 と、更に黒と紫の悪夢を大放出する。

 「んんん~!! ん~ん~!!」

 苦悶の表情で悪夢を吸い込んでいた獏天がついに口に手を当て、地面へ落下した。

 「獏天!」

 俺は体をくの字にして苦しそうに地面へ横たわる獏天の所へ駆けつけた。

 「うう~、ちょっとヤバイです~。何かヤバイです~」

 「無茶するな、前にも俺の悪夢食べまくって死にそうになったろ!」

 「それとは別なヤバさなんですよ~、うぇっぷ」

 両手で口を押さえる獏天の目は虚ろ。獏府の吐き出す悪夢と、俺の悪夢では何かが違うという訳か。

 脂汗を浮かべ、真っ青な顔の獏天が両手を着いて立ち上がろうとする。それに俺は

 「よせ! これ以上食ったら本気で死んじまうって!」

 とふらつく肩を両手で支える。

 「エスプリの時は鍋くんの作戦のおかげで~、悪夢を食べ過ぎで死ぬの免れましたけど~、今度はダメです~、私が食べないとダメなんです~」

 抑えつける俺の手を物ともせず獏天が立ち上がった。

 その拍子で俺の体がふらつく、そして尻餅を着いてしまう。

 あれ? 何だ? 体に……力が入らない?

 鼻水が垂れてるのを感じた俺は鼻に手をやった。それは鼻血だった。

 「わひゃひゃひゃ! わたちの悪夢が効いて来たようだな、人間。そのままお前は悪夢に浸食さりぇ、わたちも想像出来ない死を迎えりゅのだ。喜べ、人類初だぞ! 悪夢で死ぬ人間は。わひゃひゃひゃ!」

 「支局長~~~~!!!!」

 獏天の体から突風が巻き起こった。それに飛ばされそうになった俺は慌てて地に伏せる。そして獏天を見上げた。

 いつものほわほわ笑顔は鳴りを潜め、怒りに燃える顔になっていた。

 「鍋くんによくも、そんな事を~~~~~~!!!!」

 人間の俺でもわかる、空気を振動させる波動! とでもいおうか、それが悪夢で黒く染まった電線やブロック塀を揺らしている。 獏府も初めて獏天に脅威を感じたのか

 「な……何をすりゅ気だ? わ、わたちを攻撃すりゅ気か、わたちはそいつの心の幹に同化していりゅんだぞ? 攻撃すりぇばそこの人間を攻撃すりゅのと同じだぞ?」

 それに何も答えず、獏天は大きく息を吐き出した。それは長く――――とても長く続いた。

 息がピタリと止まり、口を大きく開け、上を向いた。そしてとんでもない勢いで悪夢を吸い始めた!

 「わひゃ!?」

 あわやブラックホールか? という、とんでもない吸引で、獏府の巨体がよろける。

 「獏天! よせー、死んでしまうぞ!」

 獏天の足元にしがみついた俺の声は届いてないのか、とどまる事無く悪夢を吸い込んでいく。

 黒と紫の悪夢に覆われていた空と大地が、徐々に元の姿を取り戻してきた。

 「獏天! よしなさい! あなたは今D・E全員が食べる年間悪夢量を一人で食べているのよ! そんな事をしたら……」

 「優夢! いますぐ吐き出せ! おい! 聞こえているのか!」

 「あらあら、獏天ちゃんは何かスイッチが入っちゃったのかしらね」

 「むひゃー、優夢、無茶するなでござる! あいやわかった、お主が死した後は拙者がお兄ちゃんを幸せにするでござるよー! おろろーん」

 いつの間に四人が電柱に鯉のぼりの様しがみついていた。

 先程までと同じ景色――――青い空、いくつか半壊した高層ビル、そこに立っている巨大獏府――――が戻ってきた。

 全ての悪夢を吸い込んだ獏天が膝から崩れ落ちる、それを

 「獏天!!」

 と、俺は両手で抱き抱えた。

 「しっかりしろ!」

 獏天が穏やかな顔で俺を見る。

 「やりましたよ~、鍋くん~」

 「なんて事するんだよ、俺なんかの為に……」

 「何で泣いてるんですか~?」

 「俺なんかの為に死んじゃダメなんだよ! お前みたいにいい奴がさ、俺なんかの為に死んじゃいけないんだ!」

 「鍋くん、自分の事をダメダメさんみたく言っちゃダメですよ~。私は美味しい夢を食べたいから鍋くんの所にいるんじゃないんです、鍋くんが見る夢を食べたいからいるんですよ~。だからダメダメさんじゃないんですよ~」

 「獏天……」

 「あ~……何か体が……おかしい……です~」


 そう言うと、獏天はゆっくり瞼を閉じた。


 「獏天! おい、死ぬな獏天! おい!!」

 俺は無我夢中で獏天の体を揺すった、何度も、何度も――――

 「ちきしょうっ……獏天っ!!!!」

 思いきり獏天を抱きしめた。嗚咽が込み上げ、涙が頬を伝う。

 「最後まで優夢りんはバカだったな。だがこれから死ぬわたちの道案内役になったと思えば悪くないか。わひゃひゃひゃ」

 獏天を抱きしめる俺の腕に力が入る。

 「獏天はほわーんとしてるがバカじゃね……」

 そこまで叫んだ所で俺は違和感を覚えた。抱き抱えた獏天の体から何かが伝わってくる。

 何年か前、親戚の叔父さんが映画なんかに出てくるハーレーみたいなバイクに乗ってきた。俺はそれに跨らせて貰った事がある。全身に響くエンジンの鼓動に、とてつもないパワーを秘めているのが伝わってきた。何というかそれと同じ感じ――――。

 「う~ん……ふわああ~」

 大きなアクビをしながら獏天が目を開いた。

 「獏天!」

 「あ~、なんか体の中が燃える様に熱かったんですけど~、治まりましたよ~。あれ? 何で泣いてるんですか~」

 「な、泣いてなんかねーよ! それよりあんなに悪夢食べて大丈夫なのか」 

 「そうそう、それなんですよ~。悪夢って~、すっごくマズイって言ってましたよね、私~」

 「う、うん」

 「でも~、実はすっごく美味しいって食べてる途中気付いちゃったんですよ~」

 「は?」

 獏天のうっとりした目が輝きだし、口からはヨダレが流れ始める。

 「ま、まさか獏天、あなた目覚めたの?」

 「ば、獏音様、目覚めたとはどういう事ですか?」

 「悪食よ! 悪夢だけをひたすら食べ続けた者のみが辿り着ける悟りの境地。私もそんな獏は……ゴクリ……初めて見たわ」

 獏天が上体を起こし

 「支局長~、もっと悪夢出してください~」

 と、両手をメガホンの様にして叫んだ。

 「バ、バカな……ありぇを全部食べて何とも無いなんて、ありえない……」

 これには心底驚いたのか、後ろによろめいた獏府が高層ビルの一つを崩してしまう。

 「なにはともあれ」

 すくっと立ち上がった獏音さんが

 「これであなたの魔力の全てだった悪夢は無くなったわ。この人間の寿命が尽き、共に死ぬまで心の幹という牢獄で暮らしなさい、獏府!」

 と指を向けて叫んだ。

 「……わ、わひゃひゃ……心の幹という牢獄で暮らす? バカ言うなー!!」

 獏府が歪んだ顔で叫び声を上げた。

 「出来るかどうかわかりゃんが、心の幹からこの人間の生命エネルギーを根こそぎ奪ってお前りゃに叩きつけてやりゅ!」

 獏府が着ぐるみの手の平をこちらへ向けてきた。

 「む、むむ? 出来りゅ、出来りゅぞ!……この人間から生命エネルギーを奪っておりゅ。わひゃひゃ」

 手の平に眩い光がみるみる溢れ出る。

 「くりゃえ、名付けて生命エネルギー波!!」

 ――――――プスン! 

 エンストでも起こした様な音を立て、眩い光は消えてしまった。

 「んえ!?」

 獏府が何とも間抜けな顔で自分の手を見る。

 「なーにが『生命エネルギー波!』だよ! バッカじゃねーの?」

 誰もいるはずがない後ろからの声に、俺は振り返った。

 そこにはオレンジ色のジャージに手を入れ、だらしなく腹を掻いている女の子の姿があった。

 「モ……モモ、モルペウス様! なななな何でこのような所に……」

 物凄い速さで正座した獏音さんと夢香先輩が女の子へ何度も頭を下げる。

 「何でって……ちょっと退屈だったんでよー。そんでほれ、クソふざけた事しようとしてる獏を見にな」

 そう言ってモルペウスと呼ばれた女の子は、ヒトデみたいな五角形の頭をポリポリ掻いた。

 「おい、獏天。モルペウスって確か、お前達が話してた夢の神様ってヤツか?」

 「はい、そうですよ~、物凄く我が儘で物ぐさな神様なんです~。わ~いモルペウス様~、また会いましたね~」

 「また会いましたね~、じゃねーんだよ! 今オレ様の事なんつった、コラ!」

 「ら、らりひゃ~、ゴメンなさい~」

 眉をハの字にして凄むモルペウスのジャージにはご丁寧に“神”という文字がプリントされてある。

 奇抜な髪形にジャージという、田舎のヤンキーにしか見えない風貌だが、どうやら本当に神様のようだ。

 「まあいい勘弁してやらあ、ところで間抜けなカッコしたお前、そうお前だよ」

 巨体をビクリとさせる獏府。

 「人間の心の幹からてめーを分離させといた。もうふざけた事できねーからな、ボケ」

 成る程、だから俺の心の幹から作り出した、生命エネルギー波とかいうのが尻すぼみに消えたんだな。

 「モルペウス様、全人類の夢を己の勝手で捻じ曲げようとした獏府にどうかご神罰を」

 獏音さんが地に額を着け、願い出る。

 「ああ? そんなメンドくせー事やってられっか」

 「そこを何とか! 荘厳かつ華麗といわれるご神罰を何卒お願いいたします。何でもモルペウス様のご神罰は他の神々も一目置かれているとか……」

 「んへへ、何だよ、そこまで言われちゃやるしかねーじゃねーか、ったくよお!」

 見え見えのおだてに、手の平を振りながらモルペウスが照れ照れになった。もしかして単純神様?

 そこへ賛美歌みたいなメロディが鳴る。

 さっとトーマスフォンらしき物を取り出したモルペウスが

 「げっ! ミカエルバンドがグラズヘイム通りでゲリラライブ中だと!?」

 と、声を上げた。そして獏天の肩をポンと叩く。

 「ちょっと調子こいて、オレがやる! って言っちまったが、本当はオメーにアイツやらせるつもりだったんだ、メンドくせーからよ。じゃ、後は頼むぜ」

 「ええ~? ダメですよ、私じゃ全然! 全然! 敵いませんよ~!」

 「ああ? メンドくせーなあ! いいからやれ! 一回魔力全開にしてみろや、わかったな? って、うわああ! ライブ別な場所に移動したじゃねーか! こんな事してる場合じゃねー!!」

 そう言ってモルペウスは一瞬で消えた。

 「そ、そんな、ご神罰は? この目で見る又と無い機会だったのに。モ……モルペウス様ーーー!!」

 意外にもミーハーだった獏音さんの声が空しく響く。

 「ぬうう! モルペウス様のご神罰で死ねると思ったのに! 何で行ってしまったのだ! もういい、お前りゃをぶっ潰す力は何とか残っていりゅ、覚悟しりょ!」

 数回地団太踏んだ獏府がこちらに向き直ると、建物を踏み潰す煙を立て、こちらに向かってきた。

 ――――目を閉じた獏天が両手を広げ、大きく息を吸い込んだ。そして

 「魔力全開、しますよ~!」

 と力強く叫び、カッと目を開いた!!――――が何故か力が抜けた様ヘロヘロと座り込んでしまう。

 「おい! どうしたんだよ獏天!」

 「な、何か全開にするのが怖いです~」

 「怖がってる場合か! ほれ、あのマヌケな着ぐるみネコが迫ってるんだぞ!」

 「ぜ、全開にしたら、みんな私の前から居なくなっちゃう、そんな気がするんですよ~」

 「はあ? 何フラグっぽいイヤな事言ってんだよ。ならしょうがない。夢香先輩ー、ハリセンでこの夢から俺を目覚めさせてくださいよー。心の幹から獏府出たから出来るますよね?」

 それにハリセンを肩に載せた夢香先輩が近づいて来る。だが、急に立ち止まり、顎に手を当てた。

 「待て鍋島、ここは優夢に決着を付けさせよう。私頼みから卒業するいい機会だ、それに……いや、何でも無い」

 そう言ってニヤっとする。

 「ええー、そんな……おい、獏天! いいから早く全開してみろよ。モル何とかって神様も言ってたろ」

 「そ、そうですよね~。でも~、でもでも~、あ~何か背中を押してくれる事してください~、鍋く~ん」

 「背中押す事って何だよ! あー、頭撫でてやっから、ほれほれ」

 「う、嬉しいけど~、これだけじゃ物足りないです~」

 「何だよ、じゃあ何がいいんだよ!?」

 「え~と、え~とですね~……あっ!」

 「早くしてー!」

 「キスしてくださ~い」

 「はっ!? な、何どさくさに紛れて言ってんだよ! 出来るか!」

 「ほっぺにですよ~、咲馬にもしたんでしょ~、私にもしてくださいよ~」

 「むむっ……」

 獏府の、建物を破壊しながら進む地響きが徐々に大きくなってくる。

 「わかった」

 俺は獏天の正面に移動すると、両肩に手を載せ

 ―――――そっと頬にキスをした。

 「らっ」

 今にも蒸気を噴き出しそうに、獏天の顔が真っ赤になる。そして

 「らりっっひゃぁぁぁ~~~~~~!!!!」

 と叫ぶと、全身をムクムク巨大化し始めた。

 それに驚いた俺はバランスを崩して、尻餅を着いてしまう。

 巨大化する獏天はさながらジャックの豆の木で、あっという間に頭の先が空の彼方へ消えてしまった。

 「な、ななな!?」

 これには獏府も驚きの余り、立ち止まってしまう。

 「こ、これが獏天の魔力……とんでもない力だわ」

 「ふっ、肌で感じていたがこれ程とはな。私の魔力の百倍はある」

 「あらあら、落ちこぼれの獏が麒麟になったわね」

 「ゆ、優夢ー、拙者を差し置いてビッグになりおってー!」

 巨大化が止まった。

 もはや俺の目に映るのは信じ難い程デカイ獏天の靴と白いソックスだけ。そこから上は霞んで見えない。

 どれだけ巨大かというと、高層ビルがチョコボー○の箱、獏府がガチャポンのカプセルトイに見えてしまう大きさ。

 「鍋く~ん、どこですか~。何か私、宇宙っぽい所にいるんですけど~。あ~、太陽さんが燃えてますよ~」

 くぐもった獏天の声が空全体から響いてくる。

 どうやら獏天の上半身は、成層圏を越え、宇宙にまで到達しているらしい。

 「お星様がい~っぱいで綺麗ですよ~……って、みんな私の前から居なくなっちゃいました~、ふえ~ん」

 さっきのフラグっぽい発言の正体はこれかよ。

 「ぬぬーっ、優夢りん! デカクなったかりゃっていい気になりゅな!」

 獏府が二つのネコ耳ドリルを巨大なくるぶしに突き刺すが、あっけなく弾かれてしまう。

 「あいたっ!」

 空全体から声がし、巨大な足が持ち上がる。そして痛みを払う様、左右に振られた。

 「ふぎゃっ!!」

 獏府がそれに当たり、猛烈な勢いで宙を飛んで行くと、ひと筋の光りを残し消えてしまった。

 「い、今チクっとしましたよ~、何ですか~? あ、そうだ、支局長はどこですか~? じ、自信無いけど精一杯戦いますよ~!」

 空全体からほわほわした声が轟く。それに俺は

 「おーい獏天、もう元に戻っていいぞー」

 と戦いが終局した事を伝えた。


 次回、最終回

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