第18話 この世界から悪夢が消えたなら

『つまり不沈、まさに現代の箱舟。世界が沈んでも、この船は沈まないでしょう』

 誇らしげに建造主が言った豪華客船が、深夜の大西洋のド真ん中、氷山にぶつかり沈みかけていた。

 甲板にはオロオロ歩き回る乗客達、少しでもその場を和らげようとしているのか、バンドが演奏を続けている。

 俺は妹のノワルと婚約者である優夢を両手で抱き抱えり、手摺りの向こうに見える月明かりの海を見ていた。

 「お兄ちゃん、私達死ぬでござるか?」

 「ダ~リ~ン、私寒中水泳やった事ありませんよ~、というか泳げませんよ~」

 「落ち着け、俺はこんな時の為にイギリスのホグ何とか言う魔法学校で魔法を学んでたんだ」

 「お兄ちゃん、こんな時に冗談はやめて欲しいでござる」

 「黙って聞け、これは本気で魔法を信じないと成功しない魔法なんだ」

 「魔法を信じないと成功しない魔法、ですか~? 何かトンチみたいですよ~」

 「ともかく聞け、まず衣服を全部脱ぐんだ」

 「むひゃ? な、何ででござるか?」

 「いいから脱げ、そして一心不乱に信じるんだ。ここは南国、常夏の海、あったかーいブリリアントブルーの海、とな」

 「わ~い、何か楽しそうですよ~。信じてみます~」

 獏天が胴をぎゅうぎゅう締め付けてるドレスをせっせと脱ぎ始めた。

 「いいぞ獏天、信じる心が魔法、そしてそれを現実化するのが俺の魔法だからな」

 「むひぃ、まあどうせ死ぬんだからやってみるでござるか」

 「このバカ妹! やってみる、ではない。やる、のだ! そうでなければ魔法は現実にならんぞ!」

 「わ、わかったでござる、お兄ちゃん」

 ノワルがいそいそとフリフリの服を脱ぐ。 

 俺もすっぽんぽんになり、三人揃って

 「ここは南国ー! 太陽が眩しくて暑いなー!」

 と両手を上げて叫んだ。

 甲板上の人々が立ち止まり「恐怖で気が触れたか?」といった眼差しを向ける。そんな人々へ

 「さあみんなも信じるんだ! ここは常夏の海、生あったかい海、太陽が燦々と降り注ぐ海、そう信じるんだ! それは本当になる!」

 と、目力を込めた笑顔を向ける。

 それに何の反応も示さなかった人々だったが、

 「おい、何か暖かくなってないか?」

 と、誰かが口にする。それに周囲の人々が

 「そういえばそうだな」

 「おい! 見ろよ、あれ月じゃねーぞ」

 「太陽? そんなバカな、今は真夜中だぞ!?」

 と、騒ぎ始めた。

 「さあ皆さんもご一緒に信じて叫びましょう! そーれ、ここは青空の常夏、眩しい太陽!」

 何事かと集まってきた人々がそれに続いて叫ぶ。

 「「「ここは青空の常夏、眩しい太陽!」」」

 見る見る夜が水平線に追いやられ、太陽輝く青い空が広がる。

 「みんなー、もう一息だ。今すぐ服を全部脱ぎ捨てるんだ。そして魔法を現実に変えるぞー」

 威勢のいい返事をした人々が、次々と衣服を脱いで海へ投げ捨てる。

 「おい! そこの君、何をボーっと見てるんだ。早くここへ来て一緒に魔法を完成させよう!」

 船内の窓からこちらを見ている少女に顔を向け、人差し指をクイクイと動かす。

 少女は碧眼を大きく開き、束の間驚いた様にこちらを見ていたが、金髪をなびかせドアの方へ駆け出した。

 「そーれ、ヤシの木ビーチ!」

 「「「ヤシの木ビーチ!」」」

 ターコイズブルーの海面にヤシの木が生い茂った白い砂浜が現れる。

 「そーれ、リゾートコテージ!」

 「「「そーれ、リゾートコテージ!」」」

 ヤシの林の前に洒落たコテージが次々と立ち並ぶ。

 「よっしゃあ! 魔法は現実となった。行こうぜみんなー!!」

 俺の声に素っ裸の人々が透き通る海へ我先にと飛び込んでゆく。

 「信じれば魔法は現実になる……成る程成る程」

 一糸纏わぬ姿でメモを取っている金髪碧眼の少女へ、俺は満面の笑みで声をかけた。

 「君も一生懸命叫んでくれてたね。どうだい、信じるものが現実になる魔法を見た感想は?」

 「よくわからない。でもこの風景を見ると、その魔法は凄いなってボクは思う」

 さっきまで沈没の恐怖に怯えていた人々が、はじける様な青空の下、波打ち際ではしゃいでいる。

 「そう思ってくれて嬉しいよ獏天今だ」

 「らりひぇぇぇい!!!!」

 俺の横、船の手摺に両手を置き、ビーチを眺めていた少女が背中をくの字にし、太陽へ一直線に吹き飛んでいった。

 それを見届けた俺は少女が立っていた所へ目をやる。そこにはフェンシングの突きを決めた格好そのままに、真っ裸でファンシーステッキを突き出した獏天の姿があった。

 

 

     

            ◇



 「いや、正直驚いたぞ、優夢りん。心の幹に戻りゅ隙を与えずエスプリに放ったあの突きは、夢香っちん以上のスピードと言える」

 七色に変化する怪しい縄でがんじがらめにされたエスプリを前に、腕を組んであぐらをかいた支局長が感嘆の声を上げる。

 「えへへ~、鍋くんの悪夢をた~っぷり食べましたからね~。嫌でも魔力アップですよ~」

 「待つでござる。そのエスプリをいち早く見つけ、お兄ちゃんに教えたのは拙者でござる」

 「そうだな、きょろきょろ探してから声を掛けたらエスプリも絶対怪しんで、すぐ悪夢に変えて心の幹に引っ込んでたろうからな。咲馬の手柄も絶対あるよ」

 「むひゃはは、どうでござる優夢、お主だけの手柄じゃないのはお兄ちゃんが一番知ってるでござる」

 「む~っ、何で鍋くんは咲馬の肩を持つんですか~? たまには私の肩も持ってくださいよ~」

 「咲馬の肩を持ってるつもりは全く無いよ、今回の獏天の活躍もスゲーって思ってるよ」

 「わ~い、どうですか~、咲馬~? あんただけの肩を持つ鍋くんじゃないんですよ~だ。それより鍋くんが思いついた作戦が一等賞でしたね~。エスプリの覗き見趣味と経験不足な所を利用したハナマルな作戦でした~」

 「むひゅーっ! お兄ちゃんがその作戦思いついたのは拙者と二人きりの時でござる!」

 「え……二人きりってどういう事ですか~?」

 「むひゃひゃ、夢の中でお兄ちゃんとHな事してた時エスプリが変質者みたいに覗いてたでござる。それでその作戦を思いついたでござるよー!」

 「え、えっちいな事……してた!? そんな! そんなの嘘ですよね、咲馬の、あんにゃろ~の嘘ですよね~、そんな事やってないですよね~!」

 「わあ! 落ち着け獏天! 本格的なHじゃないって! その、触ったり触られたりした程度で……」

 「さ、触るって! どこですか~!? あんなトコやそんなトコじゃないですよね~!?」

 魔力が上がってレベルアップしたせいか、俺の胸ぐらを掴んで揺する力はハンパなかった。

 「言い加減にするでござる!」

 これまた魔力が上がって身体的にも力が強くなった咲馬が、獏天の両手を振りほどき、俺を脇に引き寄せる。

 「もう拙者達兄妹は、愛の契りを結ぶ一歩手前なのでござる。ほっぺにチュウまでされたでござるよーだ。そんな事もされた事無い優夢は蚊帳の外、しっしっ」

 そう言って手を払う。

 全身を震わせ、頬をプクっと膨らませた獏天の目に、涙が満ち溢れる。そして

 「らりひぇ~ん!!!! 咲馬のバカ~! 鍋くんのえっちい~!」

 と泣き叫びながら部室の外へ飛び出してしまった。

 「獏天ー! 違うって、戻って来いってー!」

 「むひひ、エスプリも捕まったし優夢もトンズラ。これで拙者の邪魔をする者はいなくなったでござる」

 口に手を当てほくそ笑む咲馬から視線を外した俺は溜め息を吐いた。

 ――――俺がちゃんと説明出来なかったせいで獏天を泣かせてしまった。後で謝らなきゃ。

 「意中の相手にライバルがいるなら先に既成事実を作る、と。成る程成る程……ってペンとメモが欲しいよ」

 グルグル巻で横たわるエスプリを台車に載せた支局長が、

 「どりぇ、わたちは支局へ帰り、このエスプリを調べてから本局へ引き渡すとすりゅか」

 と、台車を押し始めた。

 「支局長、ただ今帰りました」

 戸の向こうから現れた夢香先輩が、玄関まで来た支局長の前で敬礼する。

 「む、夢香っちん。アメリカの緊急任務が終わったのか、随分早いな」

 「は、はい、手強そうな悪夢でしたが実際は大した事がなく……」

 何故かぎこちない表情で答える夢香先輩がこう続けた。

 「ところで泣いて走る優夢とすれ違ったが何かあったのか?」

 「ああ……その……」

 俺は一連の出来事を説明する。

 「ふうむ、それは対応を誤ったな。ああ見えて優夢は頑固だ、暫くここへ顔を見せんかもしれんぞ」

 やはりここは追いかけて謝った方がいいか。

 そう思った俺が玄関へ歩き出すと、夢香先輩の横からメディ先生が現れた。そして

 「支局長さん、エスプリを捕獲したんですね。じゃあこのアメリカ土産のビスケットで成功祝いでもしませんか? 鍋島くん、あなたも付き合いなさい」 と、手に持ったいかにもアメリカンな模様が描かれた紙箱を揺らした。

 



        ◇




 「ほお、このビスケット、美味しいじゃないか」

 「……お口に合って何よりだわ」

 部室の長テーブルに向かい合って座り、微笑みを交わす支局長とメディ先生。それを尻目に、俺は両隣に正座している夢香先輩と咲馬へ目をやった。

 夢香先輩はきっと唇を横に結び、必死に何かを抑えた表情を浮かべている。咲馬といえばそわそわ落ち着きなく部室の天井やら壁やらに目をやっていた。

 俺も改めて上下左右に目をやる。

 ――――天井の古臭い木の梁。ポプラ並木が見える大きな窓。所々ほつれているボロい畳。玄関脇の台車の上で身動き出来なくなっているエスプリ。夢部の部室――――

 俺は頭を左右に振って、両頬を叩きたい気分になった。

 「支局長さん、ひとつ尋ねていいかしら?」

 「なんだ?」

 「悪夢を含め、人間の夢ってどう思ってるの?」

 「どう思ってりゅも何も、獏の食べ物、それ以上でもそれ以下でもない。むぐむぐ」

 「うふ、その夢というものを見たいと思った事ない?」

 箱のビスケットへ伸ばした支局長の手が止まる。

 「獏は夢を見りゅ事が出来ない。だかりゃ考えた事も無いな」

 「夢を見る獏が現れたとしたら?」

 勢いよく握った手をテーブルに叩きつけ

 「何が言いたい!」

 と、支局長が睨む。

 「捕獲された新種悪魔、つまりエスプリの分身ね。それをアナタは調査と称してある実験を行っていたわね」

 無言のまま支局長はメディ先生を睨み続けている。

 「人間に悪夢を見続けさせる特性、それを人間に悪夢を見させなくする特性にする改造実験。何十というエスプリの分身を犠牲にしてね」

 「何をバカバカしい事言っていりゅ」

 呆れた様な顔で目を閉じた支局長がモグモグとビスケットを頬張る。

 「支局長! メディの独自調査で我々は知ってしまったのです! 潔く全てを話してください!」

 ビスケットを頬張る音だけが部室に響く。

 「いつ……わたちが夢を見るようになっている事を知った?」

 「アナタが鍋島くんの夢の中でエスプリを追っている時よ。こっそりアナタの頭の中を覗いたの」

 「支局長……何故です? 何故獏である支局長が夢を見る様になってしまったのですか?」

 無言で箱からビスケットを摘まんだ支局長が口へ運ぶ。

 「むぐむぐ……わたちはな、何百年も前から人間の夢に興味があった。興味はいつしか願いに変わってな、ひたすら夢を見たいと願う様になった」

 妙な緊張感に包まれた部室は、耳鳴りがする程静まり返っていた。それこそゴクリとビスケットを飲み込む音が聞こえる程だった。

 「その願いが届いたのか、わたちは一年前から夢を見れりゅ様になった。だが……」

 支局長の手がテーブルのビスケットの箱を思い切り払いのける。

 「あ、悪夢だった。そう、見る夢全てが悪夢なのだ。お、恐りょしい……きっとわたちが悪夢ばかり食べていたせいだ」

 顔に両手を這わせた支局長が体を震わせる。

 「そんな時にエスプリ脱走事件が起きた。これ幸いとアナタはエスプリを利用しようとしたのね。そしてこの世の人間から悪夢を消そうとした」

 「そうだ! そのエスプリを改造して放てば、数ヶ月で全人類から悪夢が消えりゅ! 人間から感情の起伏が消えりゅという副作用がありゅが些細な事! どうだ、夢香っちん! あのマズイ悪夢を食べなくていいんだぞ!」

 「それは間違っています、支局長! 人間の精神を健全にする為、悪夢を食べる我ら獏の本分とは完全に違っています!!」

 涙を浮かべ否定する夢香先輩を前に、怒りとショックで支局長の顔が歪む。

 「わたちの素晴りゃしい考えを理解出来ないのか」

 「うぐぉ!?」

 「むひゃ!?」

 俺の両脇に正座していた夢香先輩と咲馬が後ろに吹き飛んだ! 

 驚いて吹き飛んだ先へ目をやると、支局長のフードから伸びたネコ耳ドリルが夢香先輩と咲馬の腹に突き刺さり、部室の壁に串刺しになっていた。

 「お前達は死ぬしかない」

 ぐったりとなった二人から引き抜かれたネコ耳ドリルの一本が、ムチの様にしなりメディ先生へ猛然と襲い掛かる。両手でそれを受け止めようとしたメディ先生だったが、片腕と頭部の左半分を粉々にされてしまった。それに恐ろしい形相で口の端を持ち上げた支局長が俺に目を移す。

 「おっと、人間お前もだ」

 その声が耳に届いた瞬間、これまで体験した事の無い衝撃が俺の腹部を襲う。

 驚きつつ目をやると、日本刀のように濡れた光を帯びたネコ耳ドリルが腹に突き刺さっていた。

 それは途方も無い力で腹の中を進み、痛みをまったく感じないまま背中へ貫通した。

 俺は畳へうつ伏せに倒れる。

 「バカな奴りゃだ。わたちの計画に賛同してくりぇりぇばこんな目に遭わなかったものを……」

 そう言って溜息を吐く支局長の声。そこへ

 「……自分の部下や人間まで殺す、これがアナタの言う悪夢ね。支局長さん」

 と、メディ先生の声が耳に入る。

 「な! 夢魔!! 何でお前生きてりゅ!?」

 「さあ? 何でかしらね。ふふふ」

 このやりとりを聞いた俺も、頃合とばかりに立ち上がった。

 素早くこちらに目をやった支局長が顎も外れんばかりの表情で、

 「に、人間まで!? バカな、あの傷は絶対即死のはず! 立ち上がりゅなんてありえない!」

 と裏返った声で叫んだ。

 「自分の頬つねってみたら? 支局長さん」

 右半分しかない顔でメディ先生がニタリと笑う。

 俺は自分の腹に目をやる。そこには片腕がすっぽり入る穴が開いて、血も無ければ内臓も見えなかった。ただぽっかりと穴が開いていた。

 「このー!! 死に底無いがー!」

 支局長が二つのネコ耳ドリルでメディ先生の腹部に、右肩に穴を開けていった。

 「ノン、ノン」

 穴ぼこだらけのメディ先生が右手の人差し指を左右に振る。

 「な、何故だ? 何故生きていりゅ?」

 血走った目を大きくし、両肩で息をしている支局長が混乱の極みといった声を上げる。そこへ

 「死なないよ、だって夢だから」

 と、部室の隅、台車の上で身動き取れないエスプリが言う。

 「うふ、エスプリの言う通り、ここはあなたの夢の中よ。さっき食べてたビスケット、実はあれ愛人のベリアルさんが差し入れしてきた魔界産のビスケットなの。獏は魔界の食べ物を口に入れると眠り込んでしまうって知ってた?」 

 それに支局長が引き攣った顔で口に手を当てる。

 「私のザ・バクアイで、D・E本局にもこの夢はリアルタイムで流れています。支局長、どうか潔い決断を」

 腹に大きな穴が開いた夢香先輩が吐き出す、悲しみを押し殺した声に、支局長は力無く両膝を着いた。



 つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る