第17話 下手な考え休むに似たり

 金髪碧眼で見た目は凄く可憐なエスプリが俺の心の幹に潜り込み、一週間が経った。

 苦しめると宣言した通り、俺は寝れば悪夢という恐ろしい循環に陥っていた。家のベッドで、学校の机で、悲鳴を上げる一歩手前で目覚めるというのは肉体的にも精神的にも大層キツいもので、三日も経つと俺の目の下にはクマが出来ていた。そんな俺に

 「らりひゃ! 死のノートに出てくる天才探偵みたいになってますよ~」

 と、獏天が心配してくれ、部室での居眠りで、エスプリが調合して作り出す悪夢を食べてくれたのは涙が出る程嬉しかった。が――――

 「ら、らりひゅえ~、悪夢食べ過ぎで具合が悪いです~。た、楽しい夢が食べたいです~、うぇっぷ……」

 と、なってしまった。当然俺は悪夢以外見れない状態、頼りになる夢香先輩はモルペウス様とかの命令でメディ先生と共にアメリカへ出張中、困り果てた俺は自分でも驚きの、思い切った行動に出た。

 「頼む、一回でいいから夢部行って夢診断受けてくれないか?」

 そう頼んで回る俺に、クラスの連中は「え!? は、はあ……」や「へえ、お前喋れんだ」とか「獏天とデキてるってホント?」など様々な反応を見せた(三つ目の反応には当然「NO!」と答えたのは言うでもない)。

 そんな柄にも無いアクティブな行動の対価で、とりあえず口直しになる夢を獏天へ供給することが出来た。

 誰も居なくなり、穏やかな顔で眠る獏天を見ながら、ほっと一息ついたのもつかの間、今度は咲馬が

 「お、お兄ちゃーん、血の繋がった可愛い妹に精気を恵んでくだされー」

 と、やつれてヘロヘロになった状態で部室に現れた。

 「人間の俺には血の繋がったサキュバス妹などいない」

 「お兄ちゃんが悪夢しか見ないから精気を吸えないでござる!」

 そう言って俺の前にヘタリ込んだ。

 「しょうがねーな、さっき獏天が悪夢を食べてくれたからちょっと元気が出てきた。ちょっと位ならいいぞ」

 俺の言葉に目を輝かせた咲馬が

 「やったでござる! お兄ちゃん大好き!」 

 と、抱き付いてきた。

 「それはいいから、ちゃちゃっと終わらせろよ」

 手で顔を押しのけた俺はポケットティッシュを一枚取り出し、口を隠す様に覆った。

 そこに咲馬が唇を合わせる――――直接口づけが嫌でやむなくこの方法にしたが、それでもやはりサブイボが出そうになる。

 ぱあっと視界が切り替わり、うらぶれた六畳一間の風景に切り替わる。

 夢の中だ。

 今回はそう……両親を亡くし、慎ましく生きる兄妹の設定だ。

 

 「あそこは遠いからキツイな」

 俺はスマトラフォンを見ながら溜め息を吐いた。

 今までのバイト先が潰れ、新しいバイト先の候補を見ていたのだがいかんせん距離が遠すぎる。

 「ただいまでござる、お兄ちゃん」

 妹のノワルが帰宅してきた。手にはバイト先のコンビニ弁当。

 コタツを挟んで向かい合い、廃棄されるはずだったコンビニ弁当を黙々と食べる。

 このままじゃ生活が行き詰る。何とかしないと……。

 ぼんやりと俺はストーブに目をやった。湯気を揚げるヤカンの上に洗濯物――――俺のシャツや妹のパンツ――――がぶら下がっている。もぐもぐと動く俺の口が止まった。

 そうだ、この手があった。だが……。

 「あ、あのさ、ノワル」

 「何でござるか? お兄ちゃん」

 「お、お前のパンツ何枚ある?」

 「え? じゅ、十枚位あるけどでござる」

 「頼む! その半分俺にくれないか!」

 「ええー!! お兄ちゃん何考えてるのよでござる!」

 「ネ、ネットオークションに出すんだよ。顔写真付きで出品すると結構いい値段がつくって聞いた事あるんだ。お、俺から見てもお前可愛いと思うし、高く売れると思うんだ……」

 恥ずかし気にオッドアイを向けたノワルが

 「お、お兄ちゃん、嬉しいでござる。拙者の事可愛いと思ってくれてるなんて……」

 と、立ち上がり、俺の横に来るとこう言った。

 「パンツ脱がせて、お兄ちゃん」

 「え?」

 「拙者のパンツを手に入れる最初の人……になって欲しいでござるよ?」

 そう言ってそろそろとスカートの裾をめくり始めた。

 ちょ……こ、これ、マジモロでやばい! スゲー興奮する! よく見るとノワルの顔、アニメのキャラになってんじゃねーか? しかも俺の好きな治部煮作品『猫の倍返し』の主人公そのまんま! このシチュエーションにこのキャラはヤバイ! 生まれてこの方こんなに興奮するのは初めてだー!!

 

 「いやあ、満足満足。お兄ちゃんがあんなに精気をほとばしってくれるなんて、拙者驚いたでござるよ!」

 艶々な顔で笑みを浮かべる咲馬を前に、俺は頭を抱える。

 夢の中とはいえ、咲馬相手に無茶苦茶興奮して、あんな事やこんな事をしてしまった……。いやいや、あれは『猫の倍返し』の主人公に迫られたから興奮した訳で……って俺、アニメキャラに性的興奮を覚えるタイプだったのか!? うおー、もうわかんねー! 俺って奴がわかんねー!

 「むひゃひゃ、お兄ちゃんの好みがわかったでござるよー。次も精気をたーくさん出してくれる様頑張るでござるねー♪」

 ふと疑問が湧き上った俺は、ご機嫌な声を上げる咲馬へこう訊いた。

 「そういや、どんな夢もエスプリのせいで悪夢になるはずだったのに、そうならなかったな?」

 「ああ、エスプリでござるか。彼奴なら拙者とお兄ちゃんのHな行為を、窓ガラスに顔をひっつけて外から見てたでござるよ」

 「へ? あいつ見ているだけで悪夢に変えなかったんだ?」

 「エスプリはおぼこなのでござるよきっと。それで拙者らの淫らな行為に目を奪われ、悪夢にする事を忘れていたのでござる。むひひ」

 「研究所で生れてすぐに脱走したからな。エスプリは無垢っていう、その線はありかもな……って!!」

 顔を上げ、ペタンと女の子座りをしている咲馬を見た俺は思わず息を飲んだ。

 何故なら咲馬の体つきが変化していた。具体的に言うとブカブカだった制服にサイズが近づいた様成長していた。子供っぽかった顔も幾分縦に伸び高校生らしい顔つきなっている。特に驚いたのは胸、ぺったんこだったのがAカップに成長していた。

 俺が大量に出した精気で成長した? そういえば人間から精気を多く出させれば夢魔の魔力が上がるって聞いてたもんな。しかし――――

 「むひゃ? どうかしたでござるか?」

 オッドアイを大きくし、小さく首を傾げる咲馬。その高校生らしくなった容姿は以前のガリチビメガネとは別人の様で、思わず俺は

 「いや、なんでもない」

 と、平静を装いつつ横を向いてしまった。

 


        ◇



 その後も、悪夢は寝る度に襲ってきた。そのせいで俺は眠りに落ちそうになると恐怖で目が冴える、いわゆる睡眠恐怖症に陥ってしまった。

 そんな俺に獏天は

 「鍋く~ん、昨日も寝なかったんですか~ヒドイ顔してますよ~。悪夢は私が食べますから寝てくださいよ~」

 と、天使の様な事を言ってくれた。

 その言葉に甘え、部室の壁に背を預けた俺は獏天と向かい合う形で眠りについた。そして泥の様ぐっすり眠った。

 ――――目を閉じたまま意識が戻った。

 ひえー、こんなに爽快な気分で目が覚めたのは久しぶりだ!

 そう思いながら瞼を開いた俺の目に映ったのは、脂汗を浮かべ、苦悶の表情で目と口をキツく閉じた獏天の正座姿。

 「おい、大丈夫か?」

 俺は慌てて獏天の前へ移動する。

 「あ……鍋く~ん、どうでした~、ぐっすり眠れましたか~」

 どう見ても無理してる笑顔を浮かべる。

 「ば、獏天、もしかして俺の悪夢って見る度巨大化してるんじゃないか?」

 「そ、そんな事ないですよ~。あ……らりひゃ!」

 グラリと後ろへ倒れそうになった獏天の体をさっと両手で止める。

 「フラフラじゃないか、無理し過ぎだって! 俺の為にそんな無理するなよ!」

 「無理なんかしてないですよ~、だって悪夢を食べるのが獏の役目だし、そのおかげで私の魔力も結構上がったんですよ~……うぷっ!」

 「獏天! このまま続けたらお前が参っちまうぞ。いいから俺の悪夢食べるのちょっと中止な」

 俺の背中へ手を回した獏天がゆっくり抱きついてきた。柔らかくも温かい身体の感触、ふわりと顔に触れる髪からは何ともいえない良い香り。

 「鍋くんは優しいです~、獏の私を心配してくれるなんて~」

 「獏も何も関係ねーっての。俺なんかの為に無理されるのが嫌なだけだよ」

 「らりひゃ~……そんな言い方する鍋くんの優しさが大好きですよ~」

 「ちょ……マ、マジ勘弁してくれよ!」

 「らりひゃ~、もしかして今の鍋くんの顔、赤くなってますか~?」

 「バ、バカか!」

 そこへガラリと戸が開く音がした。

 「お兄ちゃん、溢れ出す精気を頂きにきたでござるよ~って、 ゆ、優夢! お主拙者のお兄ちゃんに何抱きついてるでござるか!?」

 玄関で獏天を指差した咲馬がもう片方の手を振り回す。それに俺の体から両手を離した獏天が

 「だ、誰ですかあなた~? って、もしかして咲馬ですか~!? 何かおっきくなってます~。さ、さては鍋くんから精気を奪って成長したですね~」

 と、両手を握り締め、咲馬へ向き合う。

 「何をやっていりゅ」

 こ、この舌足らずな声は――――

 後ろから邪魔そうに咲馬を手で押しのけ、支局長が玄関に現れた。

 「支局長だ~、わ~い」

 咲馬の事など忘れのか、獏天が支局長へ両手を広げて駆け出す。が、それに硬い表情の支局長が“止まれ”とばかりに手の平を向けた。

 「エスプリはどうなった、優夢りん」

 急ブレーキをかけた獏天がトーンダウンした声で、

 「ま、まだ捕獲出来ていません、支局長~」

 と答える。

 鼻から息を吐き、ますます険しい目付きになった支局長が俺を見る。

 「捕えた新種悪魔の分身どもを調べたが、奴らの増殖能力は凄まじい。このままでは全人類が悪夢しか見りぇなくってしまう。そんな事態になりゅのだけは阻止しなければなりゃん」

 「ま、待ってください~!」

 「もう待った無しだ、優夢りん」

 白いゴム長靴を脱ぎ捨てた支局長が俺に向かって歩いてくる。

 『エスプリを退治すりゅ為そこの人間に死んで貰う』ってか、こりゃ本気で俺を殺して心の幹ってトコからエスプリを叩き出すつもりだ。

 断固とした意思を秘めた、恐ろしい眼差しの支局長がどんどん近づいてくる。

 ちっきしょー! 人のHを覗き見する、世間知らずの悪魔なんかに住み着かれたせいで殺されんのかよ!…………ん?……覗き見? 世間知らず? そうだ、あのエスプリって奴は……。

 「ちょ、ちょっと支局長さん! 獏天に一回だけ捕獲するチャンスください!」

 ピタリと支局長が足を止めた。

 「下手な考え休むに似たり、だぞ。人間」

 それに俺は精一杯の作り笑いを浮かべ、首を横に振った。



     

 つづく

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