第16話 エスプリ

 「新種悪魔を発見」

 俺は今、夢香先輩の手に引かれ、自分の夢の中を飛んでいるというシュールな状況にいる。

 「スピードを上げてあのケツを追いかけるわよ! 付いてこれるかしら? 支局長さん、夢香ちゃん」

 「ナメりゅな、この夢魔風情が! 夢香っちん、もっと加速すりゅぞ。いいな?」

 「はい、問題ありません。支局長」

 二段目のロケットが点火した様グイっと飛行速度が上がり、眼下の密林が猛烈な勢いで流れてゆく。

 今回の俺の夢は白亜紀が舞台で、遠くにプテラノドンの群れが飛んでいるのが見える。

 「新種悪魔があの火山の火口に入っていったわ。行くわよ!」

 前を飛ぶメディ先生の先には噴煙を上げる火山。

 「えええ! あそこ行くんですか? 一瞬で燃え尽きちゃいますよ!?」

 「何を言っている鍋島、ここは夢の中だ。死ぬわけ無いだろう」

 「そりゃ!……そうですけど!……わあぁぁぁ!!」

 オレンジ色のマグマが噴き上がる火口へ飛び込む。

 一瞬熱い蒸気を体に感じたが、その後は何も感じなかった。閉じていた目を開ける、そこには遠近感が狂う程大きな岩の柱が立ち並ぶ、広大な洞窟があった。

 「わたちと夢香っちんで奴を挟み撃ちにすりゅ。誘導しりょ、夢魔」

 「ダコール」

 ペロリと唇を舐めSっぽい表情で頷いたメディ先生が更に加速。先を飛ぶ新種悪魔から距離を取りつつ後ろへ付いた。

 「わたちは右、夢香っちんは左から行け。あの夢魔の指示を聞き逃すなよ」 

 それに頷いた夢香先輩が左に舵を切った。

 立ち並ぶ巨大な柱をかわす夢香先輩が、

 「……次の次の柱を右……わかった……」

 と一人呟きながら軌道を変える。どうやらメディ先生は人の耳には聞こえ無い、テレパシーの様な方法で指示を出している様だった。

 「わかった……ここだな!」

 右へ急旋回した夢香先輩が巨大ハリセンを背中から抜く。正面の柱と柱の間から金髪の少女が飛んで来るのが見える。追ってくる支局長を気にしてるのか顔を後ろに向けたままだ。

 「うぉぉあ!」

 夢香先輩が巨大ハリセンを大きく振り上げる。

 正面を向いた金髪少女がやっとそれに気付き、口と碧眼を大きく開いた。

 バシィィン! と巨大ハリセンをまともにくらった金髪少女は矢の様に吹き飛び、柱のひとつに背中から激突した。

 「よくやった、夢香っちん」

 「支局長の追い込みが良かったからです」 

 柱に背中からめり込んでしまった金髪少女の正面へ、夢香先輩と支局長、メディ先生が移動する。

 「おい、新種悪魔、観念しりょ」

 支局長が被ってるフードの猫耳がドリルの様に変化すると、金髪少女の面前まで素早く伸びる。

 「ボクは新種悪魔という名前じゃ無いよ」

 「ほお、いっちょ前に名前がありゅのか、言ってみりょ」

 「ボクの名はエスプリっていうんだ。よろしくね」

 「あらあら、フランス語ね。日本語だと精神や魂という意味かしら」

 「ふふん、悪魔の“魂”てとこか。わたちはD・E日本支局長の獏府夢幻。隣にいるのが部下の獏炎夢香、この夢主の鍋島卓巳。そして夢魔のナントカだ」

 「ふむふむ、ばくふむげん……ばくえんゆめか、なべしまたくみ、なんとか……と。あのさ、嫌いなモノとかある?」

 「わたちはキモチやピーマン、辛いモノや苦いモノが苦手だ……って教えるか!」

 「おのれ! 支局長の人の好さを利用して弱点を聞き出すとは、やはり悪魔、狡賢い奴め!」

 「辛いモノや苦いモノが苦手……と。成る程成る程」

 勝手に俺や夢香先輩まで紹介したり、うっかり口を滑らせたりと支局長の言動は迂闊と思えた。だが夢香先輩の言葉とは裏腹に、エスプリの表情やメモを取る仕草は至って真面目で、悪魔に付き物の狡猾、傲慢というイメージはまるでなかった。

 「ら、らりひゃ~、ゼーゼー……やっと追いついたです~」

 「むひゃー、し、心臓が破裂するかと思ったでござるー」

 その声に後ろを見ると、獏天と咲馬が大きく肩で息をしながら飛んでくるのが見えた。

 夢香先輩が呆れ顔を二人に向ける。

 「何だお前達、わざわざ追ってきたのか」

 「当然ですよ~、鍋くんの中に隠れていた悪魔をこのステッキでコテンパンにしないと~」

 「そ、そうでござるー。支局長とやらと夢香殿がその悪魔をギタンギタンにするのを拙者見守るでござるー」

 そう言う二人をじっと見ていたエスプリが

 「何だ、ザコか。メモする必要無し、だね」

 と、支局長へ再び顔を向ける。

 「むき~!」「失敬なでござるー!」

 そんな声をよそに、壁にめり込んだエスプリへ猫耳ドリルを向けている支局長が、

 「わたちの方が強いのはわかるだりょう。悪い様にはしない、わたち達と一緒に現実世界へ戻りぇ」

 と猫耳ドリルを更にエスプリの顔面へ近づけた。

 「ボクより君の方が強い、確かにそうだね」

 クスリと笑ったエスプリが体半分めり込んでいる柱へ吸い込まれる様消えた。

 「んん!? 逃げ……いや、違う……この悪魔、まさかそんな事が出来りゅとは!」

 「ど、どうしたんですか~、支局長。 エスプリさん掃除機に吸い込まれたみたいに消えちゃいましたよ~?」

 「ザ・バクアイでもどこに行ったのか見えません!」

 「……信じらりぇんが、心の幹に入り込んだ様だ」

 「鍋くんの心の幹に入り込むなんて、許せませんよ~。私も入り込んでこのドリームステッキで倒してきます!」

 「優夢りん、よせ! 獏が心の幹に入り込んだら二度と出られなくなりゅぞ」

 「そ、そうなんですか~? ぞぞぞ~……」

 「人間の心の幹に入り込めるのはモルペウス様など神々だけのはず。悪魔ごときが出来るなど……支局長! どう致します?!」

 「落ち着け、夢香っちん! ともかく、こうなりゅとあのエスプリとかいう悪魔には手を出せん。そりぇにきっと……」

 地響きの様な音が洞窟に響き始めた。

 「わたち達を攻撃してくる! ほりゃな」

 巨大な柱に次々とヒビが入り、こちらに向かい倒れてくる。その圧倒的な光景は、さながら高層ビル群崩壊のど真ん中にいる様だ。

 「こりはまずい! 夢香っちん!」

 「はい、支局長!」

 夢香先輩が巨大なハリセンを俺に振り上げた。

 「え? ちょ……待っ」

 続きを言う間もなく、頭のてっぺんにハリセンが炸裂! 俺の目の前は真っ暗になった。


 「そんな!! ダメです! 絶対、絶対ダメですよ~!!」

 これはもしかして獏天の声? ほわほわしたいつもの声と別人みたいじゃないか。一体どうしたんだ?

 「取り乱すな優夢! まだ決まった訳では無いと言っただろう!」

 「でも、でも……そんな事鍋くんにするなんてヒド過ぎますよ~、ふえ~ん!」

 顔にぽたぽた水滴みたいの落ちてくるが……これ、まさか獏天の涙か?

 「お、お、お兄ちゃんの精気が拙者の生き甲斐でござるのに……ひっく、ひっく」

 そんな咲馬の声と共に、柔らかく温かい手が俺の手を握る。

 何これ、俺の事で凄い話をしてるみたいなんですけど。獏天と咲馬のすすり泣きも聞こえてくるし、何か目を開けずらい雰囲気。

 そこへ支局長が衝撃の発言。

 「エスプリを退治すりゅ為そこの人間に死んで貰う、そりは最終手段でまだ決まった訳では無い」 

 ――――ガーン!!!!

 俺の頭の中が真っ白になった。

 獏天と咲馬といえばすすり泣きが大泣きに変わり、とめどない涙の粒が俺の顔や、手の甲を濡らす。

 俺が大泣きしてーよっ! 何で悪魔捕獲に巻き込まれて死ななきゃならないのだ!

 鼻の頭に落ちた涙が鼻の穴へと流れ込み、俺は思わずクシャミをして起き上がってしまった。

 「ら、らりひゃ!!」

 それに驚いた獏天が後ろに仰け反り、俺の視界から消える。

 「わ、悪い悪い、って、うわっ!」

 振り向いた俺の目に映ったのは、両足を広げパンツ丸見えで倒れこんだ獏天の姿。

 「お、お兄ちゃーん!!」

 勢いよく咲馬が抱きついてきた。鬱陶しく思えたが、不思議な事に嬉さも少々あった。

 「鍋く~ん、も、もしかして見ちゃいましたか~?」

 起き上がった獏天が顔を赤らめ、両手でスカートを太ももの間に押しこんでいる。

 「いや、その、一瞬だけしか見てないから。もう覚えてないから」

 それに

 「えへへ~、ちょっと恥ずかしかったけど、鍋くんならいいかな~って思ってますよ~」

 と、更に顔を赤らめ両手の人差し指をツンツン合わせる。

 「せ、拙者もお兄ちゃんが見たいならパンツ見せるでござるよ!?」

 咲馬がふた回り大きい制服のスカートをめくろうとしたその時

 「いい加減にしろ! こんな事態に何破廉恥な事をやっている!」

 と、破廉恥な性癖を持つ夢香先輩が怒鳴る。そして俺に素早く目をやった。

 「鍋島、さっきの夢の中ではハリセンで叩いてしまい悪かったな。ああやってお前を目覚めさせないと崩れる柱に全員巻き込まれ、死ぬ事は無いにせよ精神的に結構なダメージを受ける所だったのだ」

 小さく頷いた俺は、難しい顔で腕を組み、何やら考え事をしている支局長へ目を移した。

 それに気付いたのか、支局長の目がギロっと俺を睨む。その目はお子様の顔つきから遠くかけ離れた鋭くも冷徹な光を放っていたので、先ほどの『エスプリを退治すりゅ為そこの人間に死んで貰う』という発言は本気なんだと実感した俺は背筋がゾッとなった。

 「あらあら、どうしたの鍋島くん、体が震えてるわよ。余程さっきの夢が堪えたの?」

 いつの間にか背後にメディ先生がいて、俺の両肩に手を載せていた。

 「いえ、その……」

 どう返せば良いのかわからない。そんな俺の耳元に

 「大丈夫、あなたを死なせはしないわ」

 と、囁いた。

 俺が振り向くと同時にメディ先生は立ち上がり、夢香先輩の方へ歩き出した。



 つづく

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