第4話 サキュバス! の巻

 「ん?」

 放課後、部室の戸を開けると漠天がこちらに背を向け横たわっているのが目に入った。

 そういや今日の体育はマラソンだったな、運動が苦手な漠天にとって相当HPを削るイベントだったんだろう。

 そう思いながら靴を脱いで畳へ上がる。

 「な、鍋くん……」

 「何だ、無理しなくていいんだぞ。寝てろよ」

 「こっちに来てくださいよぉ」 

 ゾクっとするような色っぽい声に俺は驚いて立ちすくむ。それに追い打ちをかけるよう背を向けたままの獏天が手を持ち上げ、妙にやらしい動きで手招きして来た。

 「な、何だよ、気味の悪い事すんなよ」

 何やら異性不純交友的な危なさを感じた俺はその場を動かずそう言い返した。

 「ああんっ!」

 持ち上げた手を引っ込めた獏天が苦しそうに体をよじらせ始めた。思わず俺は駆け寄って側にしゃがみ込む。すると――――

 「うふっ、捕まえましたよ~」

 獏天の両手が俺のうなじを掴み、女とは思えない力でそのまま引き倒されてしまった。

 「こっちに来ないからぁ……こうしちゃったんだよぉ?」

 鼻息がかかる程獏天の顔が近い。そこで気付く、いつものほわほわとした目とはまるで違う、潤んだ艶やかな目になっているのを。ちろりと出た舌先が唇をペロリと舐める、それはまさに獲物へ爪を喰いこませた捕食者の口。

 「ちょ、ちょ、ちょっと待って、取りあえず起きようよ。な?」

 震えた声を出す俺のうなじに回された両手に力が入り、顔へ吐息がかかる。

 「鍋くぅん、これから二人っきりでぇ、すっごいことしようよぉ」

 「すすすすっごいこと……って何?」

 「鍋くんのぉ、知ってるえっちぃな事、ぜ・ん・ぶ。ううん、それ以上のぉ、すっごい! こ・と」

 獏天が俺の体に胸を押し付けてきた。

 え? 何だこの感触? 

 昔、遠足で具合が悪くなり、おんぶしてくれた担任(中年男性)の背中の感触を思い出す。つまり、ぺったんこな肉感。

 「獏天」

 「なあに? 気持ち良過ぎてイっちゃいそうなの? いいですよ~、遠慮しないでイちゃってください~」

 「お前、こんなに胸なかったっけ? つーか男の胸だろそれ」

 いやらしい獏天の顔にかすかな衝撃の色が浮かび上がる。

 「何言ってるんですか~、早く感じてくださいよ~! 早く早く~!」

 そう言って俺の体に両手両足を絡み付けてきた。

 「感じられるかー! 何もんだ、お前!」

 そこへ

 「こら~、そこの私、鍋くんに何ヤラシイ事してんですか~!」 

 と、地面と空気を震わす大きな声が部室中に轟いた。

 突如部室の天井が吹き飛び、そこに巨大な獏天の顔が現れた。

 「よりによって私に化けて鍋くんに忍び寄るなんて~!」

 天井から巨大な手が伸び、俺に絡みついている獏天を指先で摘まもうとする。

 「むひゃひゃひゃひゃ……気づかれたでござるか、はいちゃらばい!」

 素早く俺から手足を外した獏天が虹色に変化し、花火のように拡散して消えた。

 

 「あ~、逃げた! こんにゃろですよ~!」

 

 瞼を開けた俺の目に映ったのは、ぶすっと頬っぺを膨らませた獏天の逆さ顔。

 慌てて膝枕から体を起こした拍子に、獏天の顎と俺の頭がゴチンとぶつかってしまった。

 「いてっ!」

 「ふぎゃ!」

 幸いにもお互いぶつけた所は少々赤くなっただけだった。

 「い、今の夢だったのか。しかし何だ今の夢?」

 「何言ってるんですか~、えっちぃな夢ですよ。あ~、熟れ過ぎて腐る寸前のバナナや柿みたいなこの味! いつもの美味しい鍋くんの夢を期待してたのに、とんでもないの食べてしまったですよ~! ベッベッ!」

 顎をさすっていた獏天がベロを出し、顔を左右に振る。

 「にしては変な夢だったな。その……胸が全然無いお前出て来て、最後にヘンテコな事言って消えたぞ」

 「胸が……無い……? 失敬な~、私はブラつける位の胸はありますよ~、ほら~」

 そう言って、揺れるというには程遠い胸をぐっと突き出す。

 「わ、わかったから。それより夢に出てきたお前って何者なんだよ」

 「あれはですね~、私の姿を真似た夢魔ですよ~」

 「夢魔? それってもしかしてサキュバス? RPGとかに出てくるアレ?」

 コウモリの翼が生えた全裸女性の姿が頭に浮かぶ。

 「確か、人に淫らな夢を見させて、精気を吸い取るとかいうモンスターだよな」

 「そう、それなんですよ~。ぬぬ~、鍋くんの夢を食べるという私のかけがえのない楽しみを奪った罪は許せませんよ~!」

 いつものほわほわ顔に見えるが、精一杯怒っているのだろう、ハエが一回りしてから止まるような、何ともノロい猫パンチを両手から繰り出している。

 「今度こそ、コテンパンにして思い知らせてやりますよ~」

 「今度こそって……、そのサキュバス知り合いなのか?」

 「知ってるも何も、百年以上前からの、犬猿の仲ですよ~。」

 猫パンチを止め、人差し指を立てた獏天が俺に詰め寄る。

 「いいですか鍋くん、悪夢無き睡眠は魂を健全にするのですよ。健全な魂の精気が夢魔のご馳走ですからね。つまり、私がマズいの我慢して悪夢を取り除いた人間に、『いよっ待ってました』ってな具合に精気喰らいに行くんですよ。も~、憎ったらしいですよ~!」

 「それが犬猿の仲っていう夢魔、ってかサキュバス?」

 「そうなのですよ! いつもいつも、コバンザメみたいに私の行く先々に付いて来るんですよ~、ああ~思い出すだけで憎らしい~、憎らしい~」

 そう言って、頭を抱え転がりまわる獏天、俺はそれを見て溜息をついた。

 獏も今だ半信半疑なのに、サキュバスとかRPGのモンスターまで俺の身近に現れるなんて。



つづく

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