第3話 にゅうぶ の巻
そう思った時、獏天が女子に顔を近づけ始めた。
ま、ま、まさか女同士でキス!?
驚いた俺は足がもつれ、その場に尻餅をついてしまった。
そんな間抜けな俺の目に、信じ難い光景が飛び込んできた。
膝枕で目を閉じている女子の鼻や口から、とぐろを巻いた紫色の煙が溢れだしている。それを獏天がすうっと口で吸い込むと、ゆっくり上半身を起こし、顔に掛かった長いもみあげを手で払った。
「はいっ! 悪夢解決しました!」
獏天がパチンと両手を叩く。
それと同時に目を閉じていた女子がむくりと起き上がる。
「どうですか~、気分は?」
「う、うーん。何か怖い夢を見たようだったけど……今はとてもいい気分」
「らりひゃはは、悪い夢を食べ……いえ、悪い夢を見ない様深層意識に暗示をかけましたからね~。もう大丈夫ですよ~」
漠天に礼を述べて立ち上がった女子が、尻餅姿で固まっている俺にちょっと驚いたような顔を見せ、そのままそそくさと玄関へ行ってしまった。
戸を閉める音が部室に響く。それと同時に、
「……ぴぇぇ~、すっぱいですよ~! ああいう、友達から見捨てられる悲しい夢はホントすっぱいですね~!」
と、あぐら姿になった獏天が、レモンをかじった様なすっぱい顔をプルプルさせる。
「あ~あ、たまには美味しい夢をバクバク食べたいよ~、獏なだけに。なんつって。らりひゃはは!」
自分の言ったシャレにお腹を抱え、首を左右に振って笑い出す。その目が俺と合う。
固まった笑顔のまま目を激しくパチパチさせた獏天が素早く正座姿になり、
「お、お待たせです~。さささ、どうぞです~」
と、自らの太ももをペチンと叩いた。
どうぞって言われても……、寝ている女子から何か吸い取ったっぽいし、それに夢を食べるとか言ってなかったか?
俺は精一杯の笑顔でノーサンキューとばかりに手を振った。そして熊に出会った時の対処法よろしく、獏天と目を合わせたままゆっくり立ち上がり、玄関へカニ歩きを始める。
「み、見た?」
青ざめた笑顔で獏天が訊く。
「え、何を?」
目を合わせたままぎこちなく玄関に向かう俺。
「聞いた?」
青ざめた笑顔が小さく震え出した。
「え、何を?」
玄関にたどり着き、そろりと靴へ足を伸ばす。
突如漠天が四つん這いになりもの凄い勢いでこちらへ向かって来た。その勢いたるやゴキブリやフナムシを彷彿とさせ、仰天した俺はまたもや尻餅を着いてしまった。
そんな俺の両足を獏天ががっちり掴む、その姿はまるでショートアホ毛版貞子のようだ。
「見た~? 聞いた~?」
「ひぇぇ!! お助けー!!」
きっとこの時、俺の顔は楳図かずお画風だったであろう。
「ううう~、しょ、正体がバレると私、私……大変な目に遭っちゃうんですよ~」
うつ伏せの獏天が顔を上げた。その顔は涙に鼻水にまみれた酷い有様であった。
さすがに憐れみを覚えた俺は両足を放すよう彼女を促し、それが済むと、座ってちょっくら話をしようと提案した。
「で、結局お前の正体って何なの?」
「獏! 獏一族の末裔なのですよ~!」
「バク? それって、動物園にいる鼻を長くしたブタみたいなやつ?」
「それは想像上で描かれた獏に似てるって理由で名前付けられた動物のバクですよ~! 私は幻獣とか伝説の生物とか言われている方の獏! いわゆる人知を超えた存在っていうんですか~」
「じゃあ、お前って……、人間じゃないの?」
「今は人間の構造体にしてますから、一応人間ですよ~」
「構造体……まあいいや、夢を食べる獏が何しにこんな高校来てんの?」
「それはですね、我ら獏一族は人間の悪夢を食べるという崇高な使命があるからなのですよ~、えほん!」
そう言って、控えめな胸をポンとたたく。
「そうか、絵本でも獏は悪夢食べるってあるもんな。でも膝枕して食べるってのは知らなかったな」
俺の言葉に何故か目が泳ぎ、手の動きが挙動不審になる。
「そ、それはですね~、私だけの発動条件というか、スペシャルスキルというか……」
「じゃ、普通は違うの?」
「うう~、皆さんは寝ている人に意識を集中して見つめるだけで悪夢を食べれるんですよ~。でも何故か私は出来ないダメダメさんなんですよ~、うう~」
獏天がベソかきそうな顔で自分の頭をポコポコ叩く、その姿を見て何故こんな部を立ち上げたのかがわかった。
普通見知らぬ人に膝枕なんかされないだろう。でも、見た目百パー人畜無害そうな女子に、『あなたの悪夢解決しますよ~』と言われれば、それ程抵抗なく膝枕されると思う。恐らく、そんな発想でこの部を作ったのだろう。
獏一族の落ちこぼれなりに一人で頑張ってるんだな、そう思うと、目の前にいる漠という女子に同情心が湧いてきた。
「ところでさっき、すっぱいですよ~とか言ってたけど、夢って味とかあんの?」
「え、味?……そーですね~、人間の味的に表現するとですね~。可笑しく楽しい夢はジューシーなお肉の味! フォアグラーな味! わくわくどきどきする夢はピリ辛スパイシーな夢、四川料理にサムゲタン、激辛カレーな味なのですよ~」
目を輝かせ、溢れそうになるヨダレを拭く。
何その表現、引き合いに出したその料理食べた事あんのかよ! と突っ込みたくなったが黙ってる事にした。
「で、悲しい夢はすっぱい味。お婆ちゃんが漬けた梅干しみたいな味。手が滑ってお酢まみれになった、ちらし寿司の味」
今度は眉間に皺を寄せ、口をすぼめる。
「そして~、怖い夢とかの悪夢は……うっ!」
口に手を当て、今にも嘔吐しそうな顔になる。
「お、おい、大丈夫か?」
という、俺の問いかけに
「ってな位、マズッ! マズッ! 激マズッ! 恐らく人間でいう闇鍋、ジャイアンシチュー」
と、ベロを出した顔を左右に揺らし、腕でバッテンを作る。
「驚いた。悪夢を食べるっていうから、てっきり美味しいんだと思ってたけど、そんなマズかったんだ」
「そう! そうなんですよ~、やっと人間に知って貰えた~。本局からの命令と魔力を上げる為だから仕方なく食べてるんですよ~」
崇高な使命で食べてるんですよ~、えほん! とか言ってたけど、本音はそれか。まあ、大体そんなもんだよな、実際のところは。しかし……
「魔力上げるって何?」
「魔力というのはですね~、夢を収める胃袋を広げる為の元というか~。ともかく悪夢を食べれば食べるほど夢をた~くさん胃袋に収められるんですよ~」
「ロープレの経験値みたいなもんか。お前食べるの好きそうなんだから、悪夢ガシガシ食べて胃袋広げればいいじゃん」
「そこまで無理して悪夢食べなくても、今のままで十分かな~、と思ってるんですよ。てへっ!」
と、獏天が自分の頭をコツンと叩く。
ダメだコイツ、俺と同じ落ちこぼれ思考のタイプだ。
「ふーん、で、本局とかもあるんだ」
「地球の中心にあるんですよ~。ちなみに私は日本支局に所属してるんです。ほら、これが証です」
そう言って、前髪の脇に付けてあるヘアピンを指差す。俺はそれに目を近づけた。
ファンシーな造形の、鼻を長くしたブタみたいな生物を模った紫色のヘアピン。生き物の足元には小さな日の丸とアルファベットの文字がある。
「ふーん……D・Eってあるけど何の意味?」
「ドリーム・イーターの略ですよ~」
目の前のヘアピンが上に移動し、獏天の顔が現れる。
「そういえば自己紹介してなかったね~。私、獏天優夢っていうんですよ~。あなたは?」
「は?」
「そのネクタイの色、私と同じ一年生だね、何組の人?」
「に、二組だけど……」
「えっ、私の組?」
ま、まさかこいつ。
「……あー! わかった、鍋……倉くん、だっけ?」
「鍋島」
「そうそう、鍋島くんだよね、窓際の後ろの席にいる」
言いようの無い屈辱感を味わいつつ頷く。
「ごめん、休み時間とか鍋島くん、いつも机で寝てるからはっきり顔憶えてなかったんですよ~」
はい、クラス全員のお言葉を代弁しちゃいましたね。しかしまあ十分自覚しているつもりだったが、ずばり言葉に出されると面白くない。
「じゃあ、頑張って」
内心むっときた俺は、ここを出ようと彼女に背を向けた。
「待ってください~!」
獏天が俺の肩を掴んできた。
「ちょっと、な、何?」
「行かないでください~! ここの部員になってくださ~い」
「ええ!?」
肩に食い込んだ獏天の手を放そうと体を動かしたが離れない。運動神経は鈍いクセに力はあるみたいだ。
「放課後ここに来たって事は、部活入ってないんでしょ~、悪夢見たりするんでしょ~。いつでも悪夢食べるから部員になって~、せめて体験入部だけでも~」
俺は暴れるのを止めた。
そうだ、その為にここへ来たんだった。さっきの女子も悪夢を食べて貰ったようだし、こいつ本当に獏なんだろう。あの寝汗びっしょりの恐ろしい悪夢とおさらば出来るなら、体験入部位してやってもいいかな。
「わ、わかった。悪夢を何とかしてくれるなら体験入部するよ」
「やったあ! あ、ありがとうございます~、私の他に三人部員を集めないと、この部立ち消えになっちゃうんです。ほんと助かりますよ~」
三つ指ついて何度も頭を下げる獏天を見て、何とも気恥ずかしくなる。
「いいよ、そこまでしなくても」
俺の言葉に満面の笑みを浮かべた獏天が立ち上がる。
「じゃあ私が部長で~、鍋くんが副部長ですね~」
「だから体験入部だって」
「そうでしたね~、じゃあ副部長(体験)にします~」
「何だよ(体験)って!」
つづく
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