第9話

 町外れのパン屋が僕の下宿先だった。

 くたびれた風貌の二階建てだけど、作られるパンは逸品だ。店にはまだ明かりが灯っている。でもあと一〇分もすれば閉まる時間だ。

 僕がパン屋の前までやってくると、ドアが開いて中から女の子が出てきた。看板を片付ける彼女はリナ。僕の幼馴染みだ。ショートヘアを揺らし、姿勢が良く、テキパキと働く。

 薄い緑のワンピースに白のエプロン姿がよく似合っていた。

 僕の姿を見たリナはハッとして看板を置いた。そして目に涙を浮かべながら笑顔で抱き付いてくる。ふわっとしたオレンジの癖毛が目の前で揺れた。

「おかえりなさい。よかった……。無事で……」

「うん。ただいま。でもごめん。無事じゃないかな」

「え? どこか怪我したの?」

 不安がるリナに僕は苦笑した。

「いや、その……死んじゃって……」

「そっか……。でも帰ってきてくれたらあたしはそれで充分だから」

 僕の胸に顔をうずめるリナ。その頭を撫でてあげると、後ろから声がかかった。

「おい! まだ仕事中だぞ……ってシルドかっ!?」

「はい。ただいま帰りました。バゲットさん」

 バゲットさんは体の大きなおじさんだ。四角い顔に顎髭を生やした巨漢で、顔や態度は怖いけど、僕らを住まわせてくれる良い人だった。

 僕が買ってきたワインのボトルを見せると、バゲットさんは歯を見せてニカッと笑った。

 その夜、買ってきた肉を焼き、余ったパンと一緒にささやかな晩餐をした。僕もワインを飲んでみたけど、あまり美味しいとは思わない。バゲットさんは早々に二杯もあおってるけど。

「で、ダンジョンはどうだった? 死んだか?」

「死にました。やっぱり甘くないです。今さらですけど、生きて帰れてよかったなあって」

「まあ最初はそういうもんだろ。俺だって三回目でこれだからな」

 そう言ってバゲットさんは左腕を見せる。手首から下がないのは昔ダンジョンで失ったからだ。バゲットさんは元軍人だった。リナが不満そうに頬を膨らませる。

「もう、不吉なこと言わないで下さいよ」

「不吉なもんか。生きてダンジョンから帰ってきたんだ。むしろ幸運だっての」

 いつもなら首を傾げていた僕も今なら意味が分かる。そう。僕は幸運だった。

「ミストは?」と僕はリナに尋ねた。

「今日はずっと起きてるわ。ちゃんと報告してあげないとね」

「うん……。また怒られるなぁ」

「あたしだって怒ってるんだけど? わざわざダンジョンに行かなくて食べられるし、あと三年待てば軍の試験が受けられるんだから。そしたら危険も減るし」

「でも――」

「僕は誰かを守りたいんだ。でしょ? 分かってるわよ。だから悲しいの」

「……ごめん」

 僕が謝るとリナは小さく嘆息した。

 それからバゲットさんの奥さん、ジャムさんが作ってくれた料理がキッチンから出てきて、僕らはそれをお腹いっぱい食べた。

 そこでようやく本当の意味で安心できた。

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