ポエム演説「法」
牛盛空蔵
ポエム演説「法」
どこかのおじさんは、演壇に登り、一礼した。
――諸君、今日は法の話をしよう。
……まずその前に、神の話だ。例えとするのに最も適しているからだ。
諸君は神を強く意識するとき、いつもどのような状態だろうか。
きっと窮地に陥っていたり、難局に直面しているとき、という答えが多いことだろう。いわゆる神頼みというものだ。
普段から常に神を意識しているのは、宗教的に真面目なのかもしれないが、数としては少数であろう。そうでなければ、目の前の問題に神頼みするばかりで、世界が終わる。
神頼み。これがキーワードだ。
つまり諸君は、宗教行事を除くと、困ったり窮したり、救済が必要な時にしか神を意識しようとはしない。
それに見合うほどの、普段からの歩み寄りはしていないはずだ。まして、神の教えとその歴史を、ただ唱えるだけでなく学んで理解しようとしたり、聖典の諸々の論点を検討してより深い理解を得ようとしたり……そこまで行っているのは本職の聖職者か神学者に、ほぼ限られるのだろう。
神はそれでもいいのかもしれない。
しかし……問題は、諸君が人の作り、人が守るべき法規範に対しても、同じ……否、いっそう手前勝手な態度でいることだ!
普段は意識していないどころではない。声高に法の不備らしき何かを主張し、平等と超法規的措置、両立しえないものを当たり前のように求め、それでいて知識は己の都合のいいようにつまみ食い程度しか知ろうとしない……最悪は知識のないまま法の精神を語る!
それでいて自分が窮すれば手のひら返しだ!
己の窮状を招いたのが、法に対する無知であったとしても、人は無節操にも法律事務所に駆け込み、法による救済を求める。
都合のいい時だけ法規範にすがる!
いつも己が上から目線で貶したり、あげつらったり、批難をしたりするその対象に、今度は無様にも泣きついて救いを求める!
法をよく学び、その性質を深く理解した上で使うのであれば、手のひら返しとまでは言うまい。法は断じて信仰の対象ではないが、学ぶことで性質が知れるのは神の教えと同じだ。
法は対価としては、少なくとも信仰を求めない。それどころか「教え」に感化されることも要求しない。法は対価の無い救済の要求にも、それが法的に正当であるなら、応えなくてはならない。
だから、法を知る者だけが救済されなければならない、とまで言う気はない。法は宗教ではない。
だが……救済の要件そのものではなく、求める者の心性を語ろうではないか!
あまりに身勝手で汚いと言わざるをえない!
平時は足蹴にしているものに、いざという時にすがる、あまりにもふざけた心性だ!
恥を知らないのか!
人間相手には決して行わない愚行を、法に対しては行って当然という、そのいやしい根性を私は糾弾したいのだ!
繰り返すが、法を信仰する必要などない。問題だと思うところがあれば、論理的に指摘すればよい。
だが、それは法を深く学んだ上でなければ成り立たないはずだ!
法の複雑な機構を知らない人間が行うのは、機械を知らない人間がその内部をいじるのと同じ、ただの暴挙だ!
諸君。
諸君には、どうか法に対して手のひらを返すことなく、また、法をよく知らないうちに批判することのない人間であってほしい。
以上をもって結論とする。ご清聴に感謝する。
おじさんが壇を降りる際、拍手に迎えられた。
ポエム演説「法」 牛盛空蔵 @ngenzou
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