2-2 初めての取引
無事家に帰った僕は、玄関先に立ったまま姉さんに怒られた。制服が汚れているだとか、早く帰ってきなさいとか聞き慣れた言葉だ。
「早く帰ってこないと、わたしもご飯食べられないじゃない」
「先に食べてていいよ」
「だめよ、一緒に食べなきゃ。ほらちゃっちゃと着替えてきなさい」
そう言うとエプロンを取りながらリビングに戻っていく。僕もそそくさと二階に上がり自室に入る。
着替えながら今日の出来事を振り返る。あのファンタジーみたいな世界で僕らは悪者にされて、勇者と呼ばれた織田九太は現実世界とは異なる素振りを見せた。
そして本性を著した彼が剣を振り下ろしたとき目覚めたあの力、あの栞。家に着くまでの間試してみたが、何度やってもこっちの世界では出ないみたいだった。
そしてあの時聞こえた、兄さんの言葉。
僕は、ようやく帰ってこれた。リビングでテレビを見ながら僕を待っていてくれた姉さんのもとに。
約束、守れたよ兄さん。おなかすいたからなのか、すごい怒った顔してる姉さんだけど。
そしていつものように二人で夕飯を食べ、その後はとんでもなく疲れ果てていたのか、いろいろ身支度した記憶がないまま就寝した。
「カルマー起きたー?」
姉さんの声で寝足りない体が自然と起き上がる。
クローゼットの前にはきれいな制服とワイシャツがあった。昨日はあれだけよごれていたのに。きっと姉さんがクローゼットからもう一着用意してくれたのだろう。
ありがたく袖を通しながら、学校に行く準備をする。
今日も向かい合ってご飯を食べる。「授業はどうだった?」とご飯を飲み込んだ姉さんが切り出した。
「うん。なにも変わらず」
「テストやったんでしょ?」
「やった」
「結果は? ちゃんととれたんでしょうね?」
「赤点らしい」
「あちゃー……」
手のひらを額に当てながら残念そうに呟いた。昔から勉強は得意じゃない。というかやる気がない。
「家庭教師でも雇ってみるか……?」
「勘弁して」
「じゃあいい点取ってお姉ちゃんを安心させなさい!」
テーブルを両手で叩きながら立ち上がり、前のめりで顔を近づけてきた。ポニーテールの毛先が机の上を低空飛行をしているかのように浮いている。
「わかった。なんとかしてみる」
「うむ。なんとかしてみなさい」
満足げにまた箸を取って食べ始めた。勉強も僕にとっては強敵というわけか。
「しかし、ご飯だけはぬかりなし」
もちろん授業はいつの間にか終わっていた。寝ることはしなかったが、過ぎることだけを待っていた。いつものように素早く購買に向かい、ようやくクリームパンにありつけた。
ただ、今日も僕のクリームパンを落とした火山俊也は教室に来なかった。
教室で食べようと階段を上っていると、上からなにか動いているものが見えた気がした。
そっと上の階を覗くも、誰もいない。しかもこの先は屋上だ。よほどのことがない限り封鎖されていたはず。
気のせいだろうと戻ろうとすると頭に紙屑が、ぽん、と当たる。
振り向くと見知らぬ手がひらひらと揺れながらこちらを招いている。
なにか用があるのか、仕方なく屋上目指して階段を上がっていく。
「あれ、俊也」
「しっ!」
階段上った先にいたのは俊也だった。だが教室にはいなかったのに、なぜこんなところに?
「織田に見つからないようにこっち来たんだ。今日は休みでいないってことにしといてくれ」
渋った顔になりながら小声で話し始めた。たびたび階段の下の方を覗き、誰も来ないことを確認すると屋上の鍵を開けようとする。
「屋上入れるの?」
「去年、ここに入ることがあってな。窓の淵を押しながらドアノブを回すと……」
がちゃり、と音を立てた。俊也がドアノブを回すと屋上の扉が開き、踊り場にたまったほこりが光に反射しながら宙に舞う。
「すごい……初めて来たよ」
一面の白い床が四月の晴れた陽気を照り返している。お気に入りの森の中より何倍も広く、学校裏を見てみれば裏山も確認できる。
「俊也、なんでそんなところにいるの?」
一方で俊也は扉からすぐ出たところで仁王立ちしていた。
「え、なに。ここがいいだけだけど?」
「え、なにが?」
仁王立ちしている俊也の後ろから何かがぴょんと跳ねた。
「カルマさん!」
「あ、ウサムービット。どうしてここに?」
「ああ名前呼んでもらえるなんて…… あ、そうでした。実は……」
事情を訊くと、あの時金板を掴んだ後僕らと一緒にこの世界に来たらしい。森で座っている俊也に飛び蹴りして家までついて行った後は、相当大変な目にあったらしく、俊也も仁王立ちしたまま手で顔を覆っていた。
「こっちに来て大丈夫なの?」
「特に異常はないですけど、あ、クリームパンでしたっけ? ごちそうさまでした!」
ウサギさんに半分わけたクリームパンは、彼女の両手にしっかりつかまれながら胃の中へと消えていった。
「話はそれだけじゃない。あの異世界のことだ」
そうだ。俊也たちが来た理由は他にある。僕は胸ポケットからテープレコーダーを出し、試しに押してみる。
「いや、何押してるんだよ! 今じゃねぇから!」
だが、押してみても何も起こらない。まだ何かにぶつかったわけでもないし、時代にそぐわない見た目だが防塵防水機能を備える逸品らしい。
「何も起きませんね」
「こいつ、変な度胸はあるんだよな」
「ところで、なんでそこにいるの」
「どうにかしてあの異世界に行き来できる方法があれば……」
僕の言葉を無視して考えにふける。すると僕の肩の上にウサギさんが乗りかかり、小声で話す。
「もしかして、あの人高いところ苦手なんじゃ……」
「なるほど」
「聞こえてっから!! 別に苦手じゃねぇから!!」
先ほど静かにしゃべっていた本人が、打って変わって全力で怒声を上げた。
「あっちの世界に行けば、織田の力の正体を知ることができるかもしれねぇんだ」
そうすれば、と続けたところで俊也は黙ってしまう。
「でもあそこに行くのは危険だよ」
「……力があるのはお前だけなんだ」
足を震わせながらこちらに歩いてくる。僕の目の前で止まると目を瞑ったまま頭をさげた。
「……頼む」
初めて人に頭を下げられて、正直どんな反応をすればいいかわからない。
あの世界に行ったら帰れる保証はない。兄さんの約束通り、姉さんを放ってはおけない。
「俊也って勉強できる?」
「は? あ、いや、それなりには」
顔を上げて唐突な言葉に戸惑っている。
「なら、もう一度帰ってきたときに勉強を見てほしい。それが条件でどう?」
でも目の前で大事な人を失って、その仇の手掛かりを見つけるために頭を下げる人を、見捨てることなんてできない。
ならば、いっそ帰ってきた時のことでも考えながら、あの世界の謎を解いていけばいい。
「へ、いいぜ。 クリームパンだろうが勉強だろうが見てやるよ」
交渉成立。と一応握手を求めたが、俊也は後ろを振り返るとすぐさま扉のすぐ傍まで戻った。
「じゃあさっそく今日の放課後だ。商店街に来いよ」
俊也が屋上から出ると同時に昼休み終了のチャイムがなり始める。
僕はつかみそこなった右手を、ウサギさんの頭に置いて撫でた。
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