1-4 必ず帰る

 異世界から帰ってきた勇者は、俊也の大事な人を殺した。

その勇者は僕と同じ学校で、俊也をパシリにして威張り散らしていた。


 けどその勇者とやらと同じ顔の勇者が、今目の前を通りすがろうとしている。


「変な髪じゃないけど、顔はみたことある」

 前見た時とは印象の違う優しい表情で、どちらかというと小心者のような面影がある。

 だが俊也は、間違いない、と言わんばかりにその男を睨んでいた。


「こんなところでも勇者気どりしやがって……くそ!」


 僕を押しのけ、大男の制止を抜けて大通りに飛び込んだ。

「きゃっ!」

「あれ?」

 ぶつかった勢いでウサムービットが飛んでいってしまったのか。


 勇者についていく人の流れと歓声が大きく、彼女の行く末がわからなくなってしまった。


「待ちやがれ!!」

 俊也が声を荒げると、勇者一行は馬の脚を止める。

勇者と呼ばれた男は怪訝そうに声のする方を向いた。


「き、君たちは誰?」

「誰、だと? お前のせいで、こっちは最悪な目にあってんだよ」

「知らないよ……ボクたち初対面じゃないか」

「シラ切ってんじゃねぇよ。てめぇがあの人を、飛鳥を殺したんだろうが!」


 歓声はざわめきへと変わる。勇者の仲間と思われる魔法使いの恰好をした女性たちは、心配そうに勇者を見る。

 勇者は馬から降り、俊也の前に歩み寄る。

「ボクは人を傷つけたりしない。ましてや殺人なんて絶対に」

「てめぇいい加減に──ぐっ!」


 騒ぎを聞きつけた兵士が俊也を取り押さえる。体を地面に押さえつけられながらも必死に抵抗している。

 様子を見ていると、僕の視界は地面へと落ちた。

顔だけ背後に向けると、先ほどの大男がこちらを押さえつけているようだ。


「お前もあいつの仲間だったな! おとなしくしろ!」

 ああ。これは捕まったんだな。そのうち処刑でもされるんだろうか。


 でも、それならいっそ、人知れず消えるなら、兄さんと一緒みたいでいいのかもな。


 近寄ってきた兵士に心配された勇者は「大丈夫」と返事をしていた。

再び俊也の前に行き、見下ろしながら口をかみしめている。


『こんなところにまで来て、ざまあねぇな』

「!」

 驚いた顔で俊也は勇者を見上げた。勇者は、口を動かさないまま話しかけてきた。

『どうやって入ってきたかはわからないが、捕まっちまうなら元も子もないぜ』


「て、てめぇ! 何抜かしてやがる!」

「え? ボクまだなにも……」


 あの勇者の声、もしかして僕らにしか聞こえないのか?しかも勇者自身は話している記憶がない。


 なら、一体あの声は誰なんだ?


『無駄だ。こいつは俺であって、俺じゃない。こいつの絶望によって生まれた心の一部』


 勇者は気味が悪いそぶりをしながら、振り返って一行の先頭に向かって歩き始める。


『お前があの世界の事実を言っても、こいつは何も知らない。だが……』


 馬にまたがり、先導する兵士についていきながらパレードが再開する。


『俺は知っている。あの女の死んだ顔も、何度も殴りかかってきたお前の顔もな』

「……くそがぁぁぁあ!!」


 怒声は、不気味に上がる歓声に打ち消された。勇者が崇められ、何食わぬ顔で兵士は僕らを馬車の中へと連れていく。


 僕らだけが知っているその声と現実が、その世界では無力であることがわかった。



 冷たく、鉄と湿気の混ざったにおいが辺りを包む。長いこと腕を掴まれながら、馬車に揺られていた気がする。

 馬車から降りた先は、当初目指していた城だった。壁にはなんだか不気味な怪物をかたどったトーチが、深紅の炎を立てていた。


 無言のまま螺旋階段を歩かされ──あれだけ怒号を飛ばしていた俊也でさえ足音だけ響かせていた──僕らは牢屋に収監された。


「追って刑を命ずる。ここでじっとしてろ」

 兵士はそう言うと来た道を戻っていった。兵士の行く先を見ている僕だったが、一方で俊也は片膝を立てて座り込んでいた。


「大丈夫?」

「……」


 返事はない。ただその場でうつむいて地面を見ている。


「……悪い。こんなことになっちまって」

 少し間をおいて俊也が口を開く。

僕は彼のほうを向いて話を続けた。

「こちらこそ、こんなところに連れてきてごめん」

「いや……」


 天井のどこからか落ちた雫が沈黙を破った。次に沈黙を破ったのは俊也の「俺さ……」だった。


「異世界から帰ってきた勇者の話しただろ?」

「そういえば言ってたね」

「……お前と会ったあの場所で、飛鳥っていう女の子を殺されたんだ」

「!」


 俊也が怒っていたことに関して半信半疑だったが、話の筋が見えた気がした。

あの勇者と言われていた男が人を殺していて、それを知らない勇者に俊也が怒っていたということなんだろうか。


「俺、こんな見た目だしよ。なんも目標もなく生きててよ。それなのに、あの子だけが俺を知った風に話しかけてくれたんだ」


 震えてか細った声が、狭い牢屋に反響する。悔しさ。奮い立たせていた衣は、厚いのに脆く。

俊也は目の前で起きた絶望に打ちのめされていたんだ。


「初めて俺の中身を見てくれた人だった。なのに、俺は……何もできなかった」

「……苦しかったな」

「え?」


 思わず出た言葉に、二人して目を合わせる。なぜ、大事な人を守れなかったことに、ただの他人の過去の話に、苦しかった、と同情したのだろう。


 わからない。ここに来てから、いや、それよりも前からもう生きるのはどうでもよくて。

 どこかに消えてしまえばいいのにと思うほどだった僕が、彼の物語に飲み込まれてデジャブを得たような感覚を得ていた。


「もうその人はいないのかもしれない。だけど、その人からもらったものは大事にしなきゃ」

「お前……」


 また口走っていた。誰に教わったわけでもなく、誰かに言わされてるわけでもない。

でも、僕の言葉じゃない。僕は、何がしたいんだ。


 話を戻すように、ふと思った疑問を彼にぶつけてみた。


「そんなに憎んでたのに、なんであの勇者のパシリをしていたの?」

「──! それは……」

 唇を固く閉じ、こちらから目を背けてしまった。言いたくない事情があるのか。

これ以上訊くのはやめようと思った時、かわいらしい足音がだんだんと近寄ってきた。


「ねぇ元気してる?」

「あ、ウサギさん!」

「ウサ公!」

「誰一人名前呼んでくれないんだけど⁉ウサムービット!りぴーとあふたーみー!」


 大通りではぐれたウサギみたいな生物が柵越しに話しかけてきた。


「お前いつ逃げたんだよ」

「あなたがぶつかってきた拍子で落ちて、人ごみに紛れて二人とも見失ったのよ!」

「ごめん、見失っちゃって」

「カルマさんはいいの!心配してくれてありがとう」


 やけに僕には優しいウサギさんだ。対して俊也にはすごく当たりが強く、徐々に彼も調子を戻したようにイライラしている。


「おい、ウサ公。ここから出る方法はねえか?」

「あるわよ、ほらこの通り」

 後ろ手に隠し持っていたものを差し出すと、錆びた鉄製の鍵束だった。


「これ、この牢屋の鍵か?」

「来る途中でもしかしたらと思って取ってきちゃった」

「でかした!それで開けてくれ!」

「えぇ……」

「あからさまに嫌そうにするんじゃねぇ!早く開けろ!」

「カルマさんには助けてもらった恩があるけど、あなたにはないからな……」

「貸しイチだ!絶対に返してやる」

「ふーん?あたしに貸し作るのね?ならいいわよ」


 ウサギはぴょんと鍵穴近くまで登り、持っている鍵を入れた。

「あれ、これじゃないわね。これでもない。あれこれも違う……」

「何もたもたしてんだよ!」

「うるさいわね……ちょっと黙って──」


 次の鍵を入れる直前、牢屋の先からばたんと扉の閉まる音が聞こえた。

「なぜ鍵がなくなったんだ?」

「確かに壁にかけといたはずなんですけど……」

話し声とともに階段を下りてくる足音が近づいてくる。


「ウサギ、もしかしてピンチ?」

「カルマさんどうしよう!!」

「いいから鍵開けろ!!」

「焦らせないでよ!てかなんでこんなに錆びてんのよ!」


 ガチャガチャと音を立てて鍵を入れる。ガチャ、鍵の開いた音が響き渡る。

「よし!」

「これで脱出できるぞ」

でも響き渡るということは、彼らにも聞こえているわけで。


「あいつら!脱獄だ!」

 階段から降りてきた兵士は、こちらを見つけるなり走って追いかけてくる。


「来やがった!」

「こっちの道から出よう!」

 ウサギは兵士とは反対方向を指さし、僕らはウサギの後を追いかけながら逃走した。


「この道から外に出られるのか?」

「あたしはそこから入ってきたの」

「頼りになるぜウサ公……って」

 俊也が声を止める。僕らが走った先は行き止まりで、天井付近に小さな穴が開いていた。


「さああそこから逃げるわよ」

「「できるか(できないよ)!!」」

 二人して大声を出していた。いくらなんでも届かないし、穴のサイズがウサギさんくらいだ。


 人間は猫みたいに頭が抜ければ狭い道を通れる生き物じゃない。


「あなたたち小さくなれないの!?」

「なれるか! お前みたいになれってか!? なれるかぁ!!」


 目の前は行き止まり、二人は戸惑って口論。後ろからは追ってきた兵士。

その兵士も、今足音を止めて様子を伺っているようだ。つまり。


「お前たちを連行する」


 脱出は失敗だ。抵抗も甲斐なく僕らはまた腕を掴まれ、来た道を引き返す。

しかし牢屋に突っ込まれず、螺旋階段を上っていく。

「どこに連れて行く気だ」

「うるさい黙れ」

 俊也は兵士の言葉に一蹴され黙り込んでしまう。

「しくしく……あたしがこんな目に……」

ウサギは泣きながらぶつぶつと呟いていた。



 僕らの前には大きな赤い扉が佇んでいた。

 兵士の一人が扉を開けると、天井高い広間が目に入った。赤い絨毯に三メートルはある窓から差し込む光と、絨毯に沿って等間隔に並ぶ気味の悪い兵士型の銅像の先。

 玉座に腰を据える男の前に僕らは正座させられた。


「お前らが勇者様に罵声を浴びせた愚か者か」

「誰だよお前は……」


 数人の兵士が槍を俊也に向ける。さすがに武器を向けられるのは怖いのか、矛先を見るので精一杯な表情をしている。


「貴様、国王陛下の前で無礼な!」

「……見慣れぬ恰好の若者よ。貴様らの刑は勇者様のご慈悲により、無罪放免と相成った」

「……なんだと?」


 驚いた顔で王様の言葉に耳を疑う。勇者は僕たちを許したのか?


「ボクから話しましょう」

 声が聞こえたほうに視線を向けると、勇者がこちらに歩いてきていた。

「てめぇ……」と俊也が怒りを露わにする度、兵士の持つ槍がギラリと光る。


「あなたは、どこかボクの同郷の人と似ている。そして、なにかの理由でここに来てしまった……違いますか?」

「!」


 僕らの身に起こったことを勇者は言い当てた。

 勇者も同じように、何かのきっかけでこの世界に来てしまった、というのか。

でも、それならなぜ飛鳥という女性を殺したことを覚えていないんだろう。


 勇者は俊也の前にしゃがみ目線を合わせた。

「君となんらかの因縁があったのかもしれません。きっと故郷に戻れる方法があると思います」


 人を殺すような人間性を感じられない。俊也の勘違いで、学校で会った変な髪の男に似てるだけの人なんだ。

 僕はただ、飲み込むように彼とのやり取りを見ていた。


「だから先ほどのことは……その、なかったことに──」


 ばたりと、勇者は真横に倒れた。目を疑う。僕らは勇者の後ろに現れた、着飾ったモノクルをつけた男に気づかなかった。


 俊也が思わず男に向かって叫んだ。

「お前──いつの間に!」

「……勇者様、お目覚めください」


 俊也を気にも留めず、倒れた勇者に話しかける。目の前で王や兵士が不敵な笑みを浮かべたような気がした。


 ばち、倒れていた勇者は目を開き、何事もなかったかのように立ち上がった。



『ようやく気を失ってくれたか。たく、早く殺したくて疼いてたのによ~』

「!!!」


 このしゃべり方、一度は学校で二度目は大通りで聞いたあいつだ。

さっきまでの勇者とは正反対。豹変した勇者はモノクルの男が差している剣を取り高く掲げた。


『今から、罪人を処刑する』

「……んだと!!」


 剣を肩に乗せ、歩き回りながら勇者は話し始める。

『あの野郎はさ、甘いんだよ。危険の種は、摘んでおくのがいいのさ』

「ふざけるな!おい国王、こいつを捕まえろよ!」


 国王にぶつけられた怒りに対置、それを打ち砕くような冷酷さが国王の表情からとれた。


「勇者様が絶対。国賊を処刑する」

「!!! くそ、てめぇらも、てめぇらも……」

 俊也は額を地面につけ顔を伏せた。無力で、悔しくて、自分を見てくれない国王と兵士。

彼は死ぬよりも、辛い現実に打ちのめされているんだ。


『まずは、君からでいいかな』

「!」


 勇者の矛先は僕の首に向けられた。俊也はたまらず顔を上げて固まっている。


『君に恨みがあるわけじゃないけど。俺は、その男の辛そうな顔を見るのが最高に楽しいんだよぉ』

「やめろ……やめろぉおお!」

「カルマさん!! ぐぇ!」


 俊也とウサギは思わず身を乗り出したが、すぐに床に押さえつけられてしまった。

誰も助けてくれる人はいない。もう死ぬんだろうな。


「やめろ!俺なら、俺が変わりに死んでやるから!」

「え?」


 僕の代わりに……なぜ、そんなことをいうの?

『君はそこで見てればいいんだよ』

「お前は俺の苦しむ顔が見てぇんだろ! だったら俺からいたぶっていけばいいじゃねぇか!」


 なぜ、聞き覚えがあるの? 僕は、別に生きていても仕方ない。俊也と同じように、やりたいこともない。

 なのに、胸の奥から来るこの気持ちは、なんだ?


『お前は最後だって。俺の楽しみを奪うんじゃねぇよ』

「頼む……やめてくれ……」


 高く掲げた剣、僕はそれに目もくれず記憶を呼び起こしていた。


 夢の物語、違う、小さいころ兄さんと一緒にいたあの時。

手をつないで神社へ通った。暑い日差しも、冷たい雪も森が守ってくれる。


 守る。そうだ。兄さんは、あの日僕に役目を教えてくれたんだ。


『──お姉ちゃんだけは、一人にしないで』


 嘲笑する人間の中心で、命乞いもむなしく剣は大きく振り下ろされた。


『じゃあな』

「くそおおおおお!!!」

「カルマさあああん!!!」


 一冊の本。不思議な紋が刻まれた茶色の表紙に、青い栞が挟まれた本が淡い光を保ちながら宙に浮いている。

 剣はその本によって食い止められ、勇者は力いっぱいに振り切ろうとしている。


『──んだ……なんなんだよ、それはよぉ!!!』


 僕はゆっくりとその本に触れてみる。


『世界は常に人々の記憶の底にある。その栞は、閉じられた世界を解放せしめんとするものに与えられた記憶の楔』


 王様や兵士も取り乱し、ウサギや俊也でさえ開いた口が塞がっていない。


『世界を消すものよ。 今こそ 記憶の果てへと旅立つがいい』


 頭の中の言葉を最後に僕は栞を手に取る。

温もりを感じたその一瞬、栞が僕の左目に向かってくる。


「ああああああああああああああ!!!」


 痛い。熱い。呼吸も荒く、周りも見えない。左目に……栞が入った!

うずくまって落ち着かせる。少しすると痛みが落ち着いてきた。

呼吸もだいぶ楽になってきた。一部始終を見て俊也が心配そうに声をかける。


「お前、大丈夫か!?」


 ありがとう俊也、思い出したんだ。僕にもやらなきゃいけないことがあるってこと。


「……俊也、僕は自分が死んでも別によかった」

 だから、自分を犠牲にしようとする君がほっとけない。


「でも、僕はあの世界に帰らなきゃいけないんだ」

 左目が、熱く光り始める。顔には栞をかたどったアザが浮かび上がる。



『叫べ、世界を、根源の名を!』

「ジアース!!!」


 突風が僕の周りに吹き荒れ、勇者や兵士のように立っていた人間を吹き飛ばした。

俊也とウサギは腕で顔を避けながらこちらを見ていた。

 そして、その後ろにそびえたつ人型の精霊からも目が離せず唖然としている。


 黒い仮面に三本の角をはやした精霊。クリーム色の剣を持ち、胴体と足はそれぞれ繋がれておらず浮遊している。


 ジアース。根源の大地。 これが、僕の世界の始まりを告げる力との出会いだった。

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