1-3 勇者とは
異世界。そう聞いて思い浮かんだのはある童話だ。
一人の少女が時計をぶら下げてたウサギを追いかけて、不思議な世界へと迷い込む。しゃべる猫に会ったり、帽子を被った男にお茶会に誘われたりと、少女は様々な出会いを経て元の世界への帰り道を探す。トランプを模した兵隊や罰則の厳しい女王様が少女の行く手を阻み、その困難を乗り越えてついに帰還する。
だが、僕たちが来た世界にはしゃべる猫も、お茶会に誘う帽子男も、ましてやトランプの兵隊はいない。
多種多様な髪色と、荷馬車や質素な飾りつけをした店。見るものすべてが現代と不釣り合いという点では不思議の国と変わりはないけど。
「言う通り来てみたけど……」
顔を上げた先には最も現代とかけ離れている白い石壁つくりの城。
話は二時間ほど前に遡る。
「俺ら、どうしちまったんだ!? これ、夢とかじゃないよな?」
「夢、じゃないと思う」
そう答えてみたものの自信はない。目が覚めたらこの場所にいて、二人して同じ夢を見ているということも考えられる。
「意味が分からねぇ。お前があんなのを使わなかったら、こんなことには」
徐々に苛立っているのが伝わってきた。彼が怒るのももっともだが、僕もなぜあれを再生しようと思ったのかがわからない。右手に残ったテープレコーダーを胸ポケットにしまう。
「とにかく、ここから出る方法を探して──」
彼が言い切る前に茂みからなにかが動く音が聞こえた。
僕らは、確かに音が鳴った、とアイコンタクトし茂みのほうを見つめる。
「誰か、いんのかよ」
金髪の男は茂みに向かって小声で話しかけた瞬間、なにか丸いものが飛び出してきた。
「きゃぁぁぁぁああ!!」
「うぉおおおああああ!!
叫び声がリンクし、僕の耳をつんざく。耳を閉じようとした瞬間、先ほどの丸いものに見えたウサギは僕の顔にしがみつくように飛んできた。
「おおおお、お願いあなたたち! ダッシュで逃げて! できればあたしも連れて!」
「うううう、ウサギがしゃべってる!?」
「常識でしょ! っていうかきたぁぁぁあ!!」
ウサギとは別に音を立てていたものの正体。赤い目をした狼。牙をむき出しにし、首をふるう度によだれが地面に散っている。
間違いなく、おなかが空いている。そう、それは僕も同じ……。
「思い出したらおなかすいてきた……」
「んなこと言ってる場合じゃねぇだろ! 逃げんぞ!」
僕らは狼に追われながらがむしゃらに逃げ出した。
「ここまで撒けばいいだろ……」
「もう、走れない」
僕らは狼を撒いた道の途中で息を切らしていた。僕の頭に乗っていたウサギがぴょんと前に出てくる。
「助かったよ~九死に一生とはこのことよね~」
「お前のせいで追われる羽目になったんだけどな」
「まあまあ、この御恩はいつか返すって」
体力の限界か、金髪の男も応えるのがやっとのようだ。さっきまで僕に怒っていたのに……。
ウサギは近くの石の上にぴょんと乗り、片手を腰に置いてふんぞり返る。
「あたしはウサムービット。この国で一番キュートな女の子よ!」
息を整えているうちに「あなたたちは?」と尋ねられた。
「……俺は
「へ?」
「名前だよ。散々振り回されてんのに聞いてなかったからな」
金髪の男、火山俊也は棘のある口調で僕の名前を尋ねてきた。
「僕は、徳地カルマ」
「カルマさんっていうのね!?」
ウサギが僕の胸元に飛びついてきた。両手両足で制服をつかみ、こちらを見上げている。
「あたしを助けてくれた王子様……前髪で隠れた右目もさぞ素敵なのかしら……」
前髪を触ろうと肩によじ登ってきたが、流石に嫌だったのでウサギをつかんで地面に下した。
「ウサギがしゃべってるのはこの際どうでもいい。どこなんだここ」
ふてくされて頬を膨らませたウサギは、気を取り直して石の上にぴょんと再び乗った。
「ここは、あそこに見えるベルベロッソ王国の領土。今やどっかの魔王と唯一争うことのできる国だけど、国民もおおらかで平穏な人が多くてー」
「ちょ、ちょっと待て。王国? 魔王? なんだってそんなゲームみたいな話……」
「やっぱりこの世界の人じゃないのね、あなたたち」
「この世界?」
「風貌も合ってないし、別の世界から来たんでしょ?」
「お前、何か知ってんの!?」
俊也は取り乱しながらウサギの耳を両手で掴んだ。その手を外そうとウサギも押しのけようと踏ん張っている。
「おおおい! なに耳掴んでるの! ちょっとぉ!」
「いいから教えろ!」
「わかったから! よく知らないけど、あたしもいつの間にかここにいて、その前も別の世界を転々としてたの! だからあなたたちもそうじゃないのか──なって!!」
ウサギは息切れしながら俊也の手を払う。
「僕らも彼女みたいにいろんな世界に行けるかも」
「なんでそういう発想になるんだ! まずは帰るのが先だろ!」
よほど取り乱しているのか、怒りながら身振り手振りをしている。会った時とはだいぶ印象が違うけど、こっちが本当の俊也なのか。
「とりあえず、もっと俺たちの状況を確かめる必要があるな」
俊也は一呼吸を置くと、振り返って王国を見つめていた。
そして現在、インフラ整備の最中であろう西洋風景を目の当たりにして、隣の男は手で顔を覆っている。
「まじで……頭おかしくなったのか俺」
「落ち込むな俊也」
「気安く名前で呼ぶな!」
せっかく仲良くなろうと思ったのに、肩に置いた手が無駄になってしまった。
手掛かりを求めて、ウサギを肩に乗せた僕と俊也は城下町を散策していると、人だかりができた大通りに出てきた。
「カルマさん、ここ何が始まるんでしょう?」
「凱旋パレードでもやるんじゃねぇか?」
「あなたには聞いてなーいんですけど??」
「ああ!?」
「喧嘩はいけない」
僕の肩と背後で言い争われると気まずくて仕方がない。
大通りを渡ろうとすると、鎧をまとった大男が進行を遮った。
「おい、君たち。そこの道はこれから使うんだ」
「その、道に迷ってて」
「どこに向かいたいんだ」
「別の世界?」
「何言ってんだお前!!」
俊也が後ろから肩を掴んで発言を撤回させた。
「変なこと言ったら、俺たちが疑われるだろ! この世界から出る方法もわかってねぇのに」
まくしたてながら詰められているのを見て大男は笑っていた。
ヘルメットを開け、こちらの様子を見ながらうんうんと頷いている。
「君たちは不思議な恰好をしている……」
汗が額から頬へと伝っていき、俊也の顔を強張らせる。確かに一般人からしてみれば、異世界から来たと話す人間は異端だし、警察や兵隊から見れば危険人物だろう。
「もしかして……」と大男はまじまじとこちらを見ている。生唾が喉をゆっくりと落ちる。
「勇者様のファンなのか!?」
「へ?」
そうかそうか~と大男は嬉しそうに話を続けた。
「勇者様の恰好は変わってるからねぇ。うちの兵士から服の仕入れを頼まれるくらいには流行ってるもんなぁ」
「勇者……」
俊也は思いつめた表情でつぶやいた。僕の肩をつかんだ手はゆっくりと離れ、震えながら宙を泳いでいた。
「勇者ってどんな人?」
「ん? 気になるかい、それならここで待っていれば見れるだろうさ」
なるほど。俊也の言う通り、この人だかりはパレードのせいでできているのか。
そして、そのパレードで勇者がこの大通りに現れるようだ。
たださっきまでの威勢とは違い、俊也がずっと下を向いているのが気になる。
「お、言ってる傍から」とその声と同じくして人々から黄色い歓声が沸き上がる。
「勇者様~! おかえりなさ~い」
「手を振ってくれたわ~!」
「カッコイイ~!」
老若男女、通りすがる勇者一行に手を振りながら声をかける。
馬に乗った勇者一行はただ笑みを浮かべながら、国民に手を振り返していた。
「あいつだ」
いつの間にか、俊也が顔を上げて勇者を見ていた。
「あの人って……」
あの顔、僕も知っている。
俊也は歯を食いしばり、宙に浮いていた手は固く握りこぶしを作っていた。
「あいつが、俺の大事な人を殺したんだ」
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