第1話 『ライル・ベルクール』
雲ひとつない空。
太陽の光が
こんな晴天の日は、青々とした草が生い茂る場所で仰向けに寝転び、ゆっくり瞼を閉じて気持ちのいい爽やかな風を感じるのが最高のひと時ではないだろうか。
ベンチに男女二人仲良く座って、彼女の作ったお手製の弁当に胸を踊らせながら甘く仕上がった卵焼きを頬張るのもいいだろう。
だが、芝生で寝転ぶことも、ベンチの上でイチャイチャランチを楽しむことも、学生食堂内で一人佇む彼の頭には毛頭ない。
ここは行政中心都市ゾルティア。
国の重要機関が集まる国内最大都市。言わば国の心臓部。
その最大都市の一角に、若者の心身および教養を育む教育機関として構える国立の学園――コルトニア学園が存在する。
そんな学園の中でも千を軽く超える座席数を有する学生食堂。十数台設置されている券売機にはうどん、カツ丼、日替わり定食等々、多種多様なメニューが揃っている。
初見であれば豊富なラインナップを前に目移りし、メニューを決めるのに時間を要するだろう。
実際、入学シーズンには新入生がメニューを決めるのに手間取り、ものの数分もしないうちに入り口の外にまで列を成す。機を逃し、運悪く後方に並んでいた学生が昼食時間内に食券を買うことができず、学園生活一番最初の学食の思い出が「時間切れにより不食」なんてことは、この学園では有名な話だ。
そんな券売機の前で、一人の少年は膝を屈めて頭を抱えていた。
「・・・あぁ、なんでだ、なんでなんだよ」
彼は悲痛と困惑が混ざったような情けない声で呟く。
華奢な体つきで、高くもなく低くもない、至って平均的な身長。中性的な顔つき、はっきりした二重瞼。赤いパーカーを身にまとい、制服のジャケットを羽織った姿はやけにしっくりくる。
身体的特徴だけをみれば、異性から好意を持たれそうな風貌である。
しかし、現状の彼は独り言を呟きながら年甲斐もなく縮こまっている。
傍から見れば、変人に見えること間違いなしの状態だ。
「今日はハンバーグの気分だったってのに」
事の始まりは眠りから覚めた早朝六時まで遡る。
前日の晩に肩までしっかり湯船に浸かり、ストレッチで体をほぐし、床に就いてからは七時間、深く心地よい健康的な睡眠から意識が覚醒した瞬間から、彼の胃はハンバーグを求めていた。
それも普通のハンバーグではない。彼が求めていたのは学食のハンバーグだった。
学園に在学する男子学生不動の人気ナンバー1メニューであるハンバーグ定食。
ビーフ100%でこねられた肉塊は、蓋をして蒸し焼きにされているため、ふっくらジューシーに仕上がっている。
ナイフをスッと通しただけで溢れ出す肉汁。噛みしめるほどに玉ねぎの甘味が合わさって、口の中が幸せになる。学食で提供される食事だと思えない、まるで星付き洋食レストランで食べているようなクオリティで、学生の胃袋を鷲掴みにする。
そんな学園生から高い評価を得ているハンバーグ定食。何一つ悩む要素が無いように思えるのだが、彼にとって、この日の限定ランチが想定外だった。
「まさか、今日の限定がオムカレーだなんて・・・」
オムカレーライス。それは数ヶ月に一度、それも決められた日に出てくるとは限らない稀有なメニュー。
しかも登場したとしても限定三十食と数少ないため、学食が開いて瞬く間に売り切れ必至の超人気メニュー。
チキンライスの上に乗せられた楕円形の黄色い個体を、これまたスッとナイフで真ん中に線を作ると、両端に艶がかった黄色の美しいドレスが現れる。
その上にピリッとスパイスが効いているにも関わらず、コクと奥深さを兼ね備えた確かな旨さが人気のカレーを満遍なく掛ける。
一口食べれば思わず感嘆の吐息を洩らしてしまう程の至高のメニュー。一度もお目にかかることが叶わず、泣く泣く学園生活が終わってしまう学生もいると聞く。
事前告知もなく突如現れるため、毎日限定ランチを調査しに学食に出向く学園生もいるほどだ。
コルトニア学園に入学して一年程経った彼もまた、一度も賞味することができていない学園生の一人だ。
「なんでまた、こんなタイミングでッ・・・」
いつもであれば悩むこと無く素直にオムカレーライスを選択していただろう。
しかし、彼は早朝。今日という一日が始まったその瞬間から、ハンバーグを堪能する腹積もりでいた。
彼にとって自らの意思を覆すことは、何とも罪深い行為なのだ。
再び正面の券売機に目を遣る。
日頃の行いが良かったのだろうか。幸運にも今日は珍しく限定ランチのボタンに「売り切れ」の文字は点灯していない。
念のため後方も確認する。が、彼以外、券売機に並んでいる者はいない。
即ち、他者のことを気にすること無く、ゆっくり、じっくり悩むことができる。
――さぁ、どうする。俺は今日、限りある昼時に一体何を選択すべきか
彼はゆっくり瞼を閉じる。そして、心の奥底に眠るもう一人の自分に問いかける。
――ここだ。この選択次第で俺の今日の運命は大きく左右する
時間が許される限り、それも最後の一秒まで彼は選択に悩むつもりでいた。
「ねーえー、いーつまで悩んでるんだぁい」
そう。彼にとって究極とも言える千思万考の時間を遮る声が無ければ、だが。
「だああぁぁぁ!邪魔すんなよ、クロ!」
思わぬ邪魔が入り、彼は人目を気にせずクロと呼ばれた小動物を怒鳴りつける。
艷やかな黒い毛を小さな体に纏い、思わず頬ずりしたくなる程のモフモフ具合はどこか愛らしさを感じる。太く、立派な尻尾を備えており、目元の赤い線も合わさって、見た人はきっと、この小動物の虜になっていただろう。
クロ曰く、「狐」という動物の仲間だそうで、この世界に生息していない種だそうだ。
自意識が芽生えた時からずっと生活を共にしている、彼にとってクロは親のような存在だ。
クロはピンと立つ耳をピクピクお辞儀させ、大きな欠伸をしながらクロは呆れたような声で話す。
「もー、そんな怒鳴らなくったっていいじゃーん。どっちも美味しそうだし、何選んだって行き着く結果は同じだよ」
「同じ、だって?何を言っているんだ。ここで選んだメニューが後々俺の歩む人生に関わってくるかもしれないんだぞ。ある種、今この瞬間、俺は人生の岐路に立たされているのかもしれん」
眉間に皺を寄せ、冷や汗をかきながら青ざめた顔をしている彼は力説する。
「考えすぎだよ。こんなしょうもないことで運命なんて易易と変わりはしないさ」
クロは思わず嘆息する。傍から見れば彼の言動は余りにも異様な光景であり、滑稽な姿で映っていることであろう。
「しょうもない、だと!?クロ、お前は人間の飯を食わないからそんなことが言えるんだよ」
彼は体の向きを左側に変え、クロと向き合う。
膝を屈め、クロの顔の前に握り拳を近づけ、一つ一つ指を立てながら力説を繰り返す。
「美味い、不味い、酸っぱい、甘い、苦い。食した時に認識される味覚が、自分の感情に大きく左右される。その感情が後の行動にも関わってくるんだ。これ即ち『運命』にも影響される、って思わないか?」
「いや、何言ってるのかよく分からないよ」
目を細め、不可解な面持ちでいるクロ。
そんな冷ややかな目を向けられていた彼だが、ふと、自分に対して視線を向けられていることに気づく。
チラリと斜め左の方角に目を遣る。その視線は、四席ほど離れた場所に座る女学生二人から向けられたものだった。
それは少なくとも好意的な視線ではなく、奇妙な物を見るかのような冷淡な眼差しだった。
「ねぇねぇ、あの人、一人で何話してるんだろ」
「ちょっと怖いよねー。さっきも一人で怒ってたし」
先程までの彼の言動が、周りの空気から逸脱していたからだろう。小さな声でヒソヒソと彼女らは奇異の目を彼に向けながら話す。
彼は自分のことだと気づき、顔を真っ赤に染める。
――まただ、またやってしまった。
俯いて自分の行いを恥じる彼を見たクロは、小さな体に新鮮な空気を取り入れるように大きく息を吸い込み、少しずつ、ゆっくりと取り込んだ空気を吐き出す。
そして、クロは彼に優しく指摘する。
「キミの悪いところだよ。何か選ぶときいっつも悩みすぎるところ。悶え苦しんでいるようにしか見えないもん」
「・・・しょうがないよ。小さい頃からの癖だってこと、クロだって知ってるだろ」
彼自身、治そうと努力して十数年。未だ良い成果を得ることができていない。
正直一生付き合っていくことになるだろうと半ば諦めている程である。
彼は億劫そうに頭を掻く。
その時、右隣から突如「ピーッピーッ」と音が聞こえた。
何の音かと彼は右に視線を向ける。
視線の先には右隣に設置されている券売機と、その券売機の前で発券されたチケットを取る男子学生。
お昼時から少し時間をずらしているとはいえ、学食を利用する学園生は少なからず存在する。
だからこそ、隣から発券音が聞こえたからと気にすることは無いはず。
しかし、彼は見てしまった。男子学生がチケットを手に取る瞬間、視界に入った「オ」の一文字を。
その瞬間、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「――まさか」
慌てて顔を左に向け、正面の券売機を見る。
じわり、じわりと一文字から連想されるボタンに視点を合わせる。
――まさか、やめろよ?そんな残酷なこと、こんな――
予感が外れて欲しかった。視界に入った単語が自分の思い違いであって欲しかった。
だが、そんな淡い期待は一瞬にして散っていった。
見えたのは、先程までは無かった限定ランチのボタンに表示された「売り切れ」の文字。
ハンバーグとオムカレーライス、どちらにするか決めかねている最中に、片方の道が閉ざされてしまったのだ。
「あーーーッ!オムカレーが・・・オムカレーライスがぁぁぁ」
悲愴感に満ちた彼の叫び声が、食堂内に響き渡る。
「あーあ。キミが延々と悩んでいるからだろう?」
彼の悲痛の叫びに対し、クロは冷ややかな反応。
だが、彼が膝から崩れ落ちた様を見た時、冷淡な反応を見せたクロも、すぐに我が子を宥めるように優しく語りかける。
「でも良かったじゃん。これで朝から食べたがっていたハンバーグを、心置きなく選ぶことができるのだから」
「そうじゃない、そうじゃないんだよ」
肩を小刻みに震わせ、勢いよく顔を上げ、今にも泣きそうな顔をクロに晒しながら彼は自身の心情を語る。
「分かれ道に立って最善のルートを必死に模索していた俺が、何の関係もない第三者から勝手に片道潰されたこの悲しみを、苦しみを。クロ、お前に、分かるってのか」
他者からみれば些細なことに思えるが、彼にとっては深刻な事態。
だが、それを声と全身使って表現されているのだから、余計に変わり者だと認識されてしまう。
クロは小さな右手を額に当て「ダメだこりゃ」と言わんばかりの大きな溜息を漏らす。
そんな一人と一匹のやり取りに区切りがついたタイミングで、離れたところから自身を呼ぶ声に彼は気づいた。
「おーい、ライルー・・・って、どしたの?」
声の主は彼――ライルが両手を地面に突けて悲愴感漂わせている姿を見て、心配そうに声をかける。
ライルと身長は同じくらいで、体格もほぼ一緒。少々制服を着崩しているが、シュッとした顔つき、整えられた眉に垂れ目が魅力的な少年。爽やかな印象を受ける声の主――エイトは小走りでライルに近づく。
ライルとエイトは幼少期から仲がよく、その付き合いは十二年にもなる。
気弱ではあるが心優しいエイト。その性格からか、小さい頃はよく同い年の子ども達からいじめを受けていた。そんな時は決まってライルがエイトの前に立ち、いじめっ子達から守っていた。ライルとエイトはお互いを支え合う良い関係なのだ。
「・・・あぁ、エイト・・・エイト?・・エイト!ちょっと聞いてくれよ!」
ライルがエイトを認識するや否や、跳ね上がるように立ち上がり、まるでマシンガンのように先程までの経緯を語る。
自分がどれだけ苦しんでいたのか。結果的にハンバーグを選ばざるを得なくなってしまったことを熱心に。
「・・・ってな訳なんだよ」
最初の方は強い口調で語っていたライルだったが、徐々に落ち着きを取り戻したのか、彼の口調は柔らかいものになっていた。
「うーん、えっと、まぁ・・・ドンマイ」
エイトはライルの肩をポンと叩く。
終始苦笑だったエイトであったが、最後までライルの話を聞きながら相槌を打つあたり、さすが旧知の仲と言えよう。
自分の胸の内を語り、少し落ち着いたライルは呆気ない返答に不満を持ったのか、面白くなさそうに話す。
「ドンマイって・・・。もう少し慰めてくれたっていいんじゃねーの?」
「まぁまぁ、そんな時もあるって。また次に期待しようよ」
爽やかな笑顔で答えるエイト。
この顔をされた時、ライルは小さい頃から何も言い返すことができない。
ライルはその居心地の悪さを隠すように頭をかく。
「そうそう、折角だから一緒にお昼しようよ。ライルも学食なんでしょ?」
「おう、いいぜ。あそこの窓際の席座って食おっか」
ライルはエイトの誘いを承諾し、再び券売機に体を向ける。
結局、ライルは当初の予定であったハンバーグ定食を選んだのだが、ボタンを押すときの顔が耐え難いほど苦しんでいるような表情だったことは、後にエイトの話のネタになるのであった。
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