第03話 危うしの猫

 今度もまた、広い敷地に建てられた豪邸だった。

 塀に囲まれ、中庭に咲く花が淡い月の光を得て煌めいている。

 入口の門には、見張りが二人。

 エイネとアートスは、四輪車を豪邸から遠く離れた草村に止めていた。

 双眼鏡を覗きながら、アートスが呟く。


「妙だな」

「何が?」

「これ、覗いてみろよ」

「うん?」


 アートスに渡された双眼鏡で、エイネも覗いてみた。


「二人しかいないな」

「ああ。予告状は確かに送った。郵送でしっかりとな」

「届かなかったんじゃね?」

「そんな筈はねえと思うけど……かもしんねえな」

「ま、こっちは予定通り、ちゃちゃっと片付けちゃお」


 得物の鞭を腰に振ら下げ、猫の仮面を付ける。

 エイネが降りようとしたその時だった。


「ちょっと失礼」


 突然、アートスがエイネの後頭部に手を回すと、鼻を近づけた。


「お前、シャンプー変えたのか?」

「あ、わかる? 今度のはね、涼しくて仄かな蜂蜜みたいな香りの奴にした」

「これから盗みに行くっていうのに――まあ、この程度ならいけるだろ」


 数回嗅いだ所で、エイネから離れた。

 エイネは外へ出ると、得物の鞭を腰に、豪邸へゆっくり歩んで行く。

 水玉に輝く耳のピアス。


 ――裏をずっと歩けば、入口がある。


 耳に伝わるアートスの声の通りに進んでいく。

 反対側へ回ると、確かに小汚い小さな入口が見えた。

 周りを見渡してから、エイネは入り口を潜り、豪邸へ入った。


 多分、ここはキッチンだろう。

 エイネは壁を背に、キッチンから出た。

 真夜中なので、当然ながら明かりは付いていない。

 だが、エイネは問題なく進んで行った。


 今、彼女が見えているものは赤い絨毯が敷かれた廊下。

 その横に扉が一つずつ存在し、それがハッキリ見えていた。

 つまり、エイネは昼間とほぼ同じ感覚で歩いているのだ。


 ――突き進んだ先に、ひと際大きい扉が見えないか。


 アートスがいうひと際大きい扉は確かにあった。

 今、エイネの目の前にある。

 しかし、エイネは扉に手を掛けようとはしなかった。


「ねえ、アートス」


 腕輪に声を伝えると、アートスから「何だ?」と返って来る。

 異様だ。

 この家に、一人しかいない様な気がしてならない。

 虫一匹が飛んでいる音が欲しい程である。


 ――取り敢えず、用心しとけよ。


 アートスの回答はそれだけだった。

 まあ、暗闇で無音な空間は何もこれが初めてではない。

 深呼吸をして、エイネは扉を開いた。


(あれかな?)


 殺風景の空間。

 白い板が、部屋中に敷かれている。

 その部屋の中心には、目的の水差しがあった。


 透明のケースの中に、ポツンと寂しく置いてある。

 エイネは腰にある得物の鞭を手にし、豪快に振るった。

 鞭はギリギリ水差しに届くか、届かないかくらいまで離れている。


 鞭が撓った範囲には何も無さそうだ。

 床にも一撃を与えてみるが、特に何も起きない。

 エイネは一歩ずつ、踏み出していく。


 慎重に、罠がないかと心掛けて進んだ。

 そして、いよいよ水差しが届く所まで近付いた。

 ケースを外そうと手を伸ばすが、触れようとしなかった。


 やっぱり何かがおかしい気がする。


 この広い空間に、寂しく置いてある水差しが一つ。

 そして、ここまで何も異常が起きていない事。

 エイネは触れるのをやめて、鞭を手にして一歩下がった。


 その時だった。


 入って来た扉が突然固く響き、更に真っ白だった空間が一気に照明で光りだした。

 エイネは閉ざされた扉へ向かって、全速力で駆け出すが、それよりも先に何処からともなく飛んできたリングがエイネの両手、両足に付けられた。


 白い床から現れる、長方形の台座。


 リングは台座に導かれる様に、エイネを連れて飛んで行った。

 台座に寝かされるエイネ。

 リングが枷となっていく。

 両手と両足を大胆に広げられ、エイネは捕らわれてしまった。

 縛られた腕を交互に見ながら力を入れてみるも、枷が外れる事は無かった。


「良い格好だな。シャドウキャット」


 部屋の奥から、髭をすこし蓄えた男が現れた。

 エイネは抵抗を止め、男の顔を見る。

 男は手を伸ばし、エイネの仮面を取った。

 下心の浮かんだ男の顔に対し、エイネは気丈を貫く。


「君が来るのはわかっていたよ。おかげでこんな素晴らしい姿を見る事が出来た。子猫の様な小顔だが、体の方はしっかりと出ている。君を手中に収める事が出来て正直嬉しいぞ」


 ――このスケベが。


 唾を吐いたり、変態だと煽ったりも出来るが、それは小者がやる事。

 心の中は気色悪さでいっぱいだが、この男を喜ばしてしまうだけ。


 ――だが、ボロを吐かせてやる。


 エイネは口を開いた。


「このベッド、素敵ね」

「ああ。ピラトラック社にオーダーメイドで作ってもらった」

「良い趣味」

「袋の鼠とは、正にこの事だ。いや、袋の猫と言った方が良いか?」

「袋の鼠なんて台詞、あんたみたいな奴は大体言ってたよ。生憎、鼠じゃなくてごめんね」

「随分余裕だな。流石一流の悪人と言った所だ。だが、すぐにその余裕を――」

「何でも良いからさ、早くすれば?」

「何?」

「『あんたがしたい事をやれば?』って言ってんの」

「まずはその口を――」


 男の眉間に皺が集まっていく。

 ゆっくりとエイネの首下へ手を伸ばし、掴んだ。


「矯正させた方が良いかもな」


 首下のファスナーが下ろされていく。

 バナナの皮が剥れる様に、エイネを包んでいた黒い布から、真っ白で豊満なものが二つ、弾く様に露わになった。

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