14. 〜清也〜
つり革を掴んで、俺は揺れに耐える。
隣に立っていた女性がよろけてぶつかってお互い無言で頭を下げる。
その女性の香水のバラのような強い香りが鼻にツンとくる。
こういうことはいつもの通勤と変わらないが、俺の気分はいつもよりずっと良かった。
昨日撮った光穂の写真を見て、“逸材を見つけた”と感じていたからだ。
ふと光穂のなにかを憂うような表情を思い返して今悩んでいることや過去の辛かった記憶が頭をよぎった。
でもそんなことどうでも良くなるくらい、昨日彼女の姿を見て感じた、頬を叩かれるような衝撃が蘇る。
頬……ここで秋桜畑で俺の頬にそっと触れた瑞希の柔らかい手の感触を連想した。
ちょうどそのときパンツの後ろポケットに入れていたスマホが振動した。瑞希からのメールだ。
なんてタイミングだろうと思いながら、なんだか恥ずかしい気持ちを消すように慌ててメールを開く。
『レンズが戻らなくなっちゃいました……』
そこにはズームして出目金のようになったままのカメラの写真が添付してあった。
これ良い感じに回せば戻るんだよな。
自分の同じ経験を思い出したが言葉では説明できそうもなかったので仕事終わりに会うことにした。
レンズがカチッとはまったときの手応え、俺けっこう好きなんだよなあ。
今日は仕事が順調に進む気がした。
思った通り順調に進み、定時に会社を出られた。
瑞希とメールをやり取りしながら、お互いの勤務地の真ん中くらいにあるカフェで待ち合わせした。
最近新しくカフェが出来たと女性社員が話していたのはここであろう、金色のニューオープンの看板が目に突き刺さる。
男1人では入りにくい雰囲気だが、入り口に立てられた黒板に書かれたメニューにはなかなか食欲を誘われる文字が並んでいた。
ガレット……ってなんだ?
「すみません、お待たせしました〜」
小走りで来たようで少し髪の乱れたスーツ姿の瑞希が手を振ってやって来た。
ぜんぜん待ってないです、と言いながらこちらも手を振り、
「ガレットってなんですか」
と聞くと、瑞希はふふふと笑い、
「簡単に言うと、そば粉焼いたやつです」
と答えてくれた。
店内は空調が効きすぎていたので店の前の道に面しているテラス席を選んだ。
そして店員にスマートな風を装って、
「トマトとオリーブのガレットと、アイスコーヒーお願いします」
と注文したら瑞希がクスクスと笑った。
口を押さえる、爪先まで手入れされた白い手が日の光を反射していた。
カメラを受け取ってレンズをぐりぐりと動かしていると、ものの1分ほどでうまくはまった。
案外あっけなく解決したせいか、瑞希はとても申し訳なさそうな表情を見せる。
なんだか静かになってしまったので、
「そういえば光穂ちゃん、モデルとしてすごく良かったんです」
と切り出したが、思ったより食いつかず、昨日撮った写真は見せずにこの話は終わった。
たしかに光穂は瑞希の勤める学校の生徒だし、光穂も写真を先生に見られるのは恥ずかしいかな……?
ここで例のガレットとやらが運ばれて来た。
円形が四角形に折られていて、真ん中の空いたスペースにトマトとオリーブがカラフルに並んでいる。
俺は普段料理を撮ったりはしないが、つい手がポケットに伸び、スマホを取り出して1枚撮ってしまった。
パリッとしたガレットを一口食べてみる。
口の中にトマトの爽やかな香りが広がり、そば粉らしき奥深く複雑な味が残った。
なんだか止まらなくなる味だった。
今までピザが占めていた部分に、こいつが入ってきたようなそんな感じ……とでも言おうか。
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