第7話 初めての……

 お……お菓子? え、なんで――と思いかけ、ハッと我に返ったように重要なことを思い出す。

 そうだよ、バレンタインなんだから……普通に考えて、渡すものなんて決まってる。チョコとか……そういうものだよな?

 なんで……いつから、俺はバレンタインの本質を履き違えていたんだ!? いや……まあ、間違いなく、今朝、小鶴さんから揶揄われたあのときから――なんだろうが。

 恥ずかしいやら、情けないやら。後ろめたいやら、申し訳ないやら。香月と合わす顔がなくて、俺は俯きながら「ども」とくぐもった声で言って、袋を受け取った。

 手にしてみると、そのラッピング袋がまた一段と愛らしく見えて――やましいことばかり考えていた引け目からなのだろう――もはや、神聖なものにさえ感じられた。嬉しいという気持ちよりも、罪悪感のほうがずっしりとのしかかってきて……心が沈む。

 ――と、そんなときだった。


「期待ハズレ……だった?」


 おずおずと訊ねる声にぎくりとして、顔を上げれば、


「お菓子より、物のほうが良かったかな」と明らかに無理した香月の笑みがあった。「陸太、お菓子とかそんなに食べないもんね。迷ったんだけど……どうしても、それ、渡したくて」


 ぞっと背筋に戦慄のようなものが走った。

 なに……やってんだ、俺?


「いや……期待ハズレとか、そういうわけじゃなくて――!」


 慌てて言う俺を、香月は「大丈夫」とやんわり遮って、


「開けてみて?」

 

 ふっと目を細め、優しく微笑む。――今度は、いつもの香月の笑みだった。

 胸が切り裂かれるようだった。

 マジで……最低だ。勝手に期待して、勝手に自己嫌悪に陥って、香月に気を遣わせてる。リロルチョコ一つ受け取る資格も無いくらいだ。でも、これ以上、落ち込んでても、香月を余計に心配させるだけ……だよな。

 とりあえず、気持ちを切り替えることにして。すっと息を吸い、「じゃあ、その前に……座るか」となんとか笑みを作って促し、ベッドへ移動した。

 香月と並んでベッドに腰を下ろし、改めて袋を見下ろす。今度こそ、ちゃんとしたリアクションを取るんだ――と心に誓い、「なんだろうなぁ」なんてガラにもないことを呟きながら、リボンを外して袋の中身を覗く。たとえ、わざとらしくなろうとも、いくら恥ずかしくとも、思いっきり感嘆の声を上げようとした……のだが。


「え……!?」


 出てきたのは、そんな頓狂な声だった

 何度も瞬きして、中を確認してしまう。しかし、マジックじゃないんだ。中身が変わることはもちろん無い。いくら目を剥いて確認しようと、そこにあるのはグミだった。それも、ただのグミではない。俺の父親の世代から今に至るまで根強い人気を誇るRPGゲーム『ボケモン』のトレカ入り(一枚)グミだ。それが、何袋も入っている。ぱっと見で、十袋あるかないかくらい……。

 いや――なんでだ!? と心の中で叫んでいた。

 懐かしい絵柄のモンスターが描かれたパッケージには、ご丁寧に『対象年齢9歳以上』と書かれている。まあ、確かに……俺は9歳以上だけど。『◯歳未満まで』とはどこにも書かれていないけど。でも、さすがに……高校生にこれは……さすがに、どうなんだ? しかも……バレンタインに!?

 分からねぇ。香月の考えが全く読めねぇ。これは、ウケ狙いか? それとも、俺が最近まで、『ラブリデイ』やってたから……相当なゲーマーだと思われてる? もしくは、樹さんにまた妙な嘘を吹き込まれて、何かを盛大に勘違いしているとか……。

 なんにせよ……このまま、呆然としているわけにもいかねぇよな。何か、リアクションを取らねぇと。でも、何が正解だ? どんなリアクションを取るべきなんだ? 素直に喜ぶべきか? 『小学生か!』ってツッコむべきか? どうしよう? どうすれば――と、混乱を極めた頭の中であれやこれやと思考を巡らせていると、クスッと笑う声が隣からした。


「ごめんね。困らせちゃうかな、とは思ったんだけど……どうしても、『初めて』はそれを渡したかったんだ。ずっと、それを渡すつもりだったから。変える気になれなくて」

「ずっと……?」


 振り返ると、香月は頰を赤らめながら、へへ、と子供みたいに笑った。


「うん。小三のときから、ずっと。だから……九回分で九袋」


 小三って……と思い出してみると、確かに、その頃も(というか、きっと、父親の子供の頃からずっとなんだろうけど)こういうカード入りのお菓子があって、買っていた記憶はある。でも、別に、そこまでハマっていたわけでもないし、ヴァルキリーの練習にカードを持って行っていた覚えもない。ちらっと『カヅキ』に話したり……は、していたのか?

 でも、それで、バレンタインに渡そう……なんて思うのか?

 いまだにしっくりと来ず、ぽかんとする俺に、「やっぱ、覚えてないよね」と香月は苦笑まじりに呟いた。


「陸太は甘いもの好きじゃ無いでしょ。バレンタインに、ヴァルキリーの保護者の人たちからチョコもらうことがあっても、陸太はよく困った顔してて……だから、小三のバレンタインのときに聞いたことあるんだ。陸太はバレンタインに何もらったら嬉しい? って。そしたら、『ボケモンのカード入りのやつ』って言われたの」

「い……言ったか!?」

「興味無さそうにね。たぶん、適当に言ったんじゃないかな」懐かしむように前方にある壁を見つめ、香月はふふっと楽しげに笑った。「でも、あげたいなー、て思っちゃったんだよね。そのときには、きっと……陸太のこと、もう好きだったから。だから、ずっと……毎年、陸太にはそれをあげてた。頭の中で、だけど」


 たぶん……なんかじゃなく。間違いなく、俺は適当に言ったんだろう。バレンタインにボケモンのカード入りのお菓子が欲しい……なんて。そんなことを言った覚えも無いし、そう思った記憶さえない。きっと、そのときに頭に浮かんだものを口にしただけだ。

 それなのに、香月はずっとそんな一言を覚えていて――。

 照れとか恥ずかしさとか……そんなものも呑み込んでしまうような、何か熱いものがこみ上げてきて、俺はじっと食い入るように香月の横顔を見つめていた。


「――やっと、渡せた」


 噛みしめるように言って、はにかむように微笑む彼女を、たまらなく抱きしめたくなった。

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