第5話 初めてと最後
その瞬間、自販機から漏れる光が、ハッとしてガラリと表情を変える香月の顔をそこに煌々と照らし出していた。声も出ない――という心の叫びがはっきりと聞こえてくるようだった。
怯みそうになる。ごまかしたくなる。はぐらかしそうになる。でも……きっと、そういう態度も香月を不安にさせてきたんだろうから。
素直に――と暗示でもかけるように自分に言い聞かせ、「けどな」と俺は語調を強めて続けた。
「今、俺が好きなのは香月だ。これからもずっと傍にいて、幸せにしたい。――そういうふうに誰かを思ったのは、香月が初めてだ。この先も香月だけだと思う。てか、香月だけでいい。俺は、一生……」
緊張やら照れやら、ワケ分からんくらいに感情が入り混じって、一気に燃え上がるように気持ちが昂ぶっていた。そんな勢いのままに夢中で思いの丈をぶちまけ、ふいに口から転がり落ちた単語に自分でハッとして言葉を切った。
え……今、なんかとんでもない単語を口にしたような――?
はたりとして勢いを失くし、声すら失くして固まっていると、香月がフッと笑った。苦笑のようで、照れ笑いのような。困ったようで、それでいて、嬉しそうに。ほんのりと頬を染め、「そっか」と思わせぶりに呟くと、そっと身を寄せて来た。「ありがと」と掠れた声で囁いて、俺の肩にちょんと額を乗せる。
抱きついてくるわけでもなく、身を預けてくるわけでもなく。ただ、頭をもたれかけてくるだけ。それでも。すっかり長くなって肩まで伸びた彼女の髪が頬に触れ、マフラーと同じ甘い香りがふわっと鼻腔をくすぐってきて……ぞわりと全身に痺れるような感覚が走る。腹の底で蠢くものがあって、やっぱり違う、と思い知らされる。
『初恋』とは――絢瀬に抱いていた気持ちと、これとは全くの別物だ。
俺は絢瀬を好きだった。ただ、純粋に好きだった。あの頃を思い出せば、キラキラと輝くような絢瀬の姿が蘇る。眩いほどの笑み。力強くも華麗なジャンプ。そういう姿に胸が高鳴り、何度となく見惚れた。がんばってくださいね、て言われると舞い上がるほどに嬉しくなった。でも、それだけだったんだ。『好き』という一方的な気持ちしかなくて、それだけで良かった。けど、今は……それだけじゃ物足りないんだ。好きだという感覚だけでは満足できなくて。それ以上のものが欲しくなって。まるで、見返りでも求めるかのように、身体が勝手に動いてしまう。
自販機の陰で良かった、なんて今になって思った。
こみ上げてくる衝動のままに、その背に腕を回して、抱きしめようとした――そのときだった。
「私は、陸太が初めてなんだ」
耳元で、香月がぼそっと囁くのが聞こえて、彼女の背に触れようとした手がぴたりと止まる。
なぜか、悪さでも見つかったような気分になって、「な……なにが?」と強張った声で訊ねていた。
すると、クスッと香月は微かに笑って、「――全部」と吐息ともつかない声で呟くように答えた。
「全部、陸太が初めて。だから……私も、陸太の『初めて』を全部欲しい、なんて思っちゃうんだ」
ぶわっと顔が熱くなって、何も言えなくなった。
相変わらず、素直じゃない――て香月は俺に言ってきたけど……そっちは相変わらず、素直すぎだろ、と言い返したくなる。
「でも、初恋だけはどうしようもない。奪えるものじゃないから。絢瀬さんのこと、いいなあ、て思ってた」
まるで独り言のようにぼんやり言ってから、香月は「さっきまでは」とフフッと楽しげに笑って付け足し、
「最初じゃなくても、最後――にはなれるんだもんね」
「最後……?」
それって、つまり……と頭の中でまだ分析しているうちに、香月は「ねえ、陸太」と甘えるような声色で香月は囁いた。
「もう一つ……私の『初めて』、受け取ってほしいんだ。部屋、行っていい?」
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