第2話 なんで?
学校が終わるや、まっすぐに帰宅し、なぜか部屋を片付け始めていた。
特に散らかっていたわけでもないし、今さら、香月に取り繕うべきことも何もないはずなのが、やけにそわそわとしてしまって落ち着かなくて。気づけば、
いや……まあ、原因は分かっているんだが。
小鶴さんのあの発言だ。
チョコの代わりに私をあげる――なんて。
ベッドに腰を下ろし、フッと自嘲するように鼻で笑う。
「無い……言うわけ無ぇ」
香月がそんなことを言う姿は想像つかない……と思いつつ、想像しようとしている自分がいて、顔がかあっと熱くなる。
アホか、と叫びたくなった。
あんなに必死に小鶴さんに否定しておいて、期待しまくりじゃねぇか。真に受けすぎだ。小鶴さんに言われるまで、今日がバレンタインだってことも気づいてもいなかった、てのに。我ながら引くほどの浮かれっぷりだよ。
他に誰かいるわけでもないのに、ごまかすように咳払いして立ち上がった。
「それにしても……」と部屋の隅にある勉強机に向かい、置いておいたスマホを手に取り時間を確認する。「遅い……よな」
俺が家に着いたのは四時半くらい。で、今は――もう六時を回っていた。
いつもなら……金曜日に来るときは、香月が乗る電車に合わせて学校を出て、駅で合流。そのまま一緒に家まで帰ってきていた。それからウチか外で夕飯食って、須加寺アイスアリーナまで香月を送り、樹さんと典子さんに挨拶し、ハーデスの練習見て帰る……というのがお決まりの流れだったのだが。
スマホを操作してLIMEを起動し、香月とのトーク画面を表示させる。そこには、『明日の夜、家に行ってもいいかな?』というメッセージから始まった昨夜の一連の会話が残っている。
『いいけど、いきなりだな。何時の電車? いつもの?』
『用事があるから遅くなりそう。先、帰ってて』
『用事? 別に待つぞ』
『何時になるか分からないから。待たせたくないんだ』
『じゃあ、電車に乗ったら連絡くれ。いったん帰ってから、迎えに行くわ』
『大丈夫。外は寒しいし、陸太は家で待ってて』
『寒いのは香月もだろ。別に暇だし、気にすんなよ』
『いいの。じゃ、また明日』
そんな一方的に切るような終わり方だった。それが最後で、今日は香月からの連絡はまだ無い。
もともと、LIMEとかメールは(BOTかと思うほど返信は早いのだが)短く、必要最低限で済ます奴で。付き合ってからは、電話やビデオ通話は増えたけど、相変わらず、LIMEは淡白というか。絵文字もスタンプも無く、文字になると『王子様』感はいっさい無くなり、さっぱりとした印象になる。そこは『カヅキ』の頃から変わらない。
だから、まあ……いつも通りと言えば、いつも通りのLIMEではあるんだが。改めて読んでみると、なんだろう。やけに突き放すような感じがあるよな。俺に迎えに来てほしくない――みたいな。拒絶とは言わないまでも、抵抗みたいなものは文字の端々から感じられる……気がする。いつもなら、迎えに行くと嬉しそうにする奴なのに。まあ、寒いから来るな、て言うのも香月らしいと言えば香月らしいけど。気にしすぎ……だろうか。
いや、でも――なんか妙な胸騒ぎがする。
ぴくりともしないスマホをじっと見つめて、考え込んでいたときだった。
「陸太!」とリビングに面した壁の方から、母親のがなりたてるような声が聞こえてきた。「香月ちゃん、いつ来るの? 今日、来るんじゃなかったの? 外、もう暗いけど、大丈夫? あんた、迎えに行かないの?」
マシンガントークというより、散弾銃トーク……だよ。一度に何個の質問をぶつけてくる気だ。
一気に緊張感やその他諸々が削がれる。
――ああ、そうだった。バレンタインだろうがなんだろうが、壁を一枚隔てた向こう側には親がいるわけで。
落胆と苛立ちの混じったようなため息が漏れる。
うちの母親は気になりだすと止まらないタイプだ。このままだと、アラームのスヌーズ機能みたいに五分おきくらいに同じことを言われ続けるだろう。
どうせ、こうして部屋にいても落ち着かないし。迎えに行ってくる――と嘘をつき、俺は玄関を出た。
エレベーターに乗り、エントランスに向かう。外に出ると、辺りは確かにどっぷりと暗くなり、ぶるっと震えるほどに冷え込んでいた。コートのポケットに両手をつっこみ、とりあえず、マンションの前を走る細い路地に出てみる。
暗がりに真っ直ぐ伸びる路地に、人影のようなものは見当たらない。
確かに――と不本意ながらも母親に同意する。大丈夫だろうか……と俺も気になり始めていた。
遅くなる、と言われていたし、急かすような真似はしたくなかったけど。ここで突っ立っていても仕方ない。とりあえず、無事かどうかだけでも確かめたい。
スマホを取り出し、再び、LIMEのトーク画面を表示する。今、どこだ? ――と打ち込もうとしたとき、
「あ……そこだよ」とよく通る澄んだ声が聞こえてきた。「そこの角を曲がったとこ」
スマホの画面に置いた指がぴたりと止まる。
聞き間違うはずもない。香月だ。
よかった。声も元気そうだし、何かあったわけでもなさそうだ。
ホッとしながらスマホをポケットに戻し、声のしたほうを振り返り――あれ、とふいに疑問を覚えた。
誰に話してんの?
はたりとして固まったそのとき、視線の先でT字路の角から出てくる人影があった。やはり、二つ。ダッフルコートを着た香月と、その奥には、香月よりも背が高く、角張ったシルエットを描く人影があった。この寒空に、見ているほうが身震いしてしまいそうなさっぱりとした短髪に、黒の学ラン。
え――と目を見開き、息を呑む。
次の瞬間、「ほら、そのマンション」と、香月がこちらを向いて、思わず、俺はすぐ傍にあった自販機の陰に隠れていた。ちょうどそこにあったリサイクルボックスにぶつかり、ガタン、と音が響き渡る。
「なんの音だ?」と訝しげに呟く男の声がして、「猫かな?」と香月がさらりと答えるのが聞こえた。
「ここまででいいよ。今日はありがとう、護」
ひっそりと静まり返った路地に、そんな涼やかな声が夜風に混じって流れてきた。
ぞくりとして、背筋に悪寒が走る。
やっぱり――と思うのと同時に、なんで? という疑問が湧いてくる。なんで、護と一緒にいるんだ? そして……なんで、俺、隠れてんの!?
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