SS【番外編】

君がくれるなら

第1話 ほのかな期待

 今朝の教室はわいわいと賑わって、何やら浮ついた雰囲気が漂っていた。小テスト……といった重苦しい空気とは違う。皆、どことなくほくほくとして、二月だというのに教室は暖かくも感じるくらいで。

 なんだろうか。不気味だ。

 自然と忍び足になりながら教室の中を進み、窓際の一番前の席に着く。

 すると、待ってました、と言わんばかりのタイミングで「はい、笠原くん」と、ぽん、と机の端っこに何かが置かれた。え、と見やれば、それは可愛らしい包み紙にくるまれた一口サイズの正方形のチョコレート菓子――『リロルチョコ』で。

 って、いや。なんで、いきなりチョコ?


「お……おはよう、小鶴さん。これ……は?」


 戸惑いつつも挨拶しながら見上げれば、小鶴さんはほんわかと一足先に春の陽気を感じさせるような笑みを浮かべ、


「ハッピーバレンタイン」


 と声を弾ませて言った。

 はっ……ぴーばれ……なに?

 何の呪文だろうか、と眉を顰めていると、小鶴さんは今度はにんまりと怪しげに笑んで、「大丈夫、大丈夫」と手をパタパタと振った。


「もちろん、義理チョコだから〜。クラスの男子全員に配ってるやつだよ。警戒しないで〜」

「義理……チョコ……?」

「遊佐くんにだって渡したんだから。なんの下心もないよ」

「それ、どういう意味、小鶴さん!?」


 急に割って入ってきた情けない声。ちらりと小鶴さんから横へと視線をずらせば、俺がもらった物とはまた違うデザインの包装紙に包まれたリロルチョコを手に、何とも言えない渋い表情を浮かべる遊佐が小鶴さんの隣に佇んでいた。


「てか、こいつにまで渡す必要ないって」と、口を開くや今度は不満たっぷりに遊佐は言い放ち、俺をジト目で睨みつけてきた。「カノジョいるんだし。しかも、どうせ、チョコ苦手だし」

「えー、そうだったの、笠原くん!? ごめん、知らなかった!」

「え、いや……それは、全然……」


 気にしないで――と言うより、その前に、なんでチョコくれたのかが気になるんだけど!?


「香月ちゃんも可愛そうに」と状況が掴めてない俺をよそに、白々しく悩ましげにぼやく遊佐。「チョコが苦手なカレシなんて、もう面倒臭いだけだよなぁ。香月ちゃんのことだ。今日に至るまで、きっといろいろと頭を悩ましたことだろう。いっそのこと、何もあげなくていいのに」

「そんなことないよ〜。好きな人のためなら、そうやって悩むのも楽しいものなの! どうやったら喜んでくれるかな〜、て考えるのがもう幸せなんだよ。遊佐くん、ほんとダメだよね」

「さりげなく、全否定!?」

「大丈夫だよ、笠原くん!」

 

 遊佐からふいっと顔を背けると、小鶴さんはきらりと輝く瞳を俺に向け、ぎゅっと両手に力一杯拳を握りしめた。そして、励ますように言い放つ。


「きっと、カノジョさん、笠原くんのために何か特別なものを用意してくれてるよ。付き合って初めてのバレンタインだもんね!」


 付き合って初めての……ばれんたいん? ばれんたいんって――。


「あ……!」


 その瞬間、ようやく、すべての状況が繋がって、俺は教室中に響き渡るような声を上げていた。


「今日――バレンタインか!」

「今更!?」


 ぎょっとして、遊佐と小鶴さんは示し合わせたかのように頓狂な声をハモらせた。


「わ……忘れてたの? 気づいてなかったの? あんな可愛いカノジョいるのに!?」

「引くわ。ドン引きだわ。カレシになっても、お前はまだそんなんなのか。香月ちゃんが不憫すぎる」


 口々に驚愕の声を漏らし、信じられないものを見るような目で見つめてくる二人。その気迫に圧されつつも、仕方ないだろ――と、心の中で反論する。

 女性恐怖症になる前から、色恋沙汰に興味はなく――どうやら、絢瀬に初恋はしていたようだが、そのときは自覚もなかったし――ずっとホッケーに夢中だった。バレンタインなんて、『カヅキ』がやたらフィギュアの女の子たちからお菓子をもらう日……くらいの認識しかなくて。女子が苦手になってからは、当然、バレンタインのお祭り騒ぎにも参加してこなかったし、関心もなかった。現実リアルでは……。

 当然、恋愛シミュレーションゲームの金字塔とも言える『ラブリデイ』では、それはもう趣向を凝らしたバレンタインイベントが企画され、去年はしっかりとモナちゃんと楽しんで、その話を『カヅキ』にも散々したような……とにかく、まあ、俺にとっては、バレンタインなんて、そういう――ゲーム上でのみ存在しているようなイベントになっていたんだ。

 ああ、でも、そっか……。


「だから――」と、無意識に口にしながら、視線を落としていた。「今夜、ウチに来る、て香月は急に言ってきたのか」

 

 典子さんの協力もあって、以来、練習前に香月がウチに来ることも多くなった……のだが。月に一回か二回くらい、だいたい、いつも金曜日だった。樹さんや典子さんの都合なのか、それとも、ただ単純に香月の気分の問題なのか。理由は気にしたことなかったけど、いつの間にか、そういうものになっていた。

 それが……昨夜、いきなりLIMEで『明日の夜、家に行ってもいいかな?』って訊かれたんだ。珍しいな、とは思っていた。明日の夜――つまり、今日は月曜日だっていうのに。

 何かあったんじゃないか、と心配もしていたんだが……なるほど。バレンタインだからか……とホッとしつつ、それでも、心のどこかですっきりとしないものがあった。しっくりこないと言うか。どうしても違和感を覚える。

 今まで、俺の中で香月はいつも『もらう側』だったから。そんな香月がバレンタインに何かを渡す姿は想像もつかなくて……。しかも、その相手が自分だと思うと、落ち着かないというか――やっぱ、照れる。

 むずっと胸の奥で疼くものを感じて、つい、苦笑が漏れた。

 そのときだった。


「って、香月ちゃん、家に来んの!?」


 頭突きでもせん勢いで遊佐が顔を寄せてきて、そんな怒号のような声を張り上げたのだ。

 なに? なんだ、いきなり?


「今日、バレンタインでしたっけ? みたいな顔しやがって、しっかり予定立ててもらってんじゃねぇか! 相変わらず、至れり尽くせりか!?」

「しかも、夜って……わざわざ、夜に来るって……チョコが嫌いな笠原くんには、『チョコの代わりに私をあげる』ってやつ〜!?」

「は……?」


 え……なんて……? 小鶴さん、何を言い出して……!? 『私をあげる』って……まさか――じゃなくても、意味!?


「いや、違……違うから! 香月――カノジョ、うちの近くで習い事やってて、たまに、その練習前に遊びに来ることもあって。今夜も多分、そのついでに寄る、てだけで……別に特別な意味はない!」


 そう慌てて否定しながらも……でも――と頭の中で、ふと、考えてしまっていた。


 でも……小鶴さんの言う通り、付き合って初めてのバレンタインなんだ。わざわざ家に来る、て……もしかして、何か特別なことを考えていてくれたりするんだろうか――なんて、期待している自分がいた。

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