第8話 変化

「ふあ……」


 思わず、変な声が出ていた。

 それは、まずい……。そんなこと言われたら――。

 かあっと顔が熱くなるのが分かって。今さら隠す必要もないはずなのに、たまらず、私は彼の肩に顔を埋めていた。

 心臓が痛いくらいに鼓動を打って。激しく波打つその音が、ぴったりと合わさった胸を通して彼にも伝わってしまうんじゃないかと思った。

 付き合ってから、もう二年経つのに。こうして久しぶりに会うと、前以上にドキドキとしてしまう。GWに彼が会いに帰ってきてくれたときもそうだった。前よりもっと彼のことが好きだから? 遠距離でしばらく会えない反動? ――いや、それだけじゃない……気がする。

 彼が背負うボディバッグの下にするりと手を忍びこませるようにして、私も彼の背中に手を回し、


「陸太……なんか変わった」


 サークルに入って、まだ四ヶ月だけど。ホッケーをやり始めて、鍛え直しているのか、高校生のときより逞しく感じるその背の感触を手のひらで感じながら、私はぼそっと呟いた。


「変わった?」と彼がハッとするのが耳元で分かった。「俺が……?」

「前と……違う」

「違うって、何が?」


 なんて言えばいいんだろう。

 前よりも、もっとドキドキさせてくれる――ていうか。うまく言葉にできなくて、「んー」て唸りながら彼の肩に頭をもたれかけた。

 すると、背中をきつく締めつけていた力がふいに緩み、陸太がそっと体を離した。

 もう少し、抱きしめていて欲しかったな――なんて名残惜しく思いながらも顔を上げると、彼が険しい表情を浮かべて私を見ていた。

 たった今、二ヶ月ぶりに抱き合っていた……とは思えない重々しい雰囲気。何事だろうか、と身構える私に、陸太はどことなく気が進まない様子でおずおずと口を開き、


「浮気なんてしてないからな?」

「へ……?」


 浮気……?


「なに、急に……?」

「いや……俺が変わった、とか言うから、そういう話かと……」


 きょとんとしながら、「ああ……」と納得したようにぼんやり答えると、陸太は訝しそうに眉を顰めた。


「そういう話……じゃなさそうだな?」

「浮気なんて考えてもなかった……けど」


 ぽつりと言って、私は視線を落とした。

 嘘……じゃない。大げさでもない。今、言われるまで、考えたこともなかった。

 遠距離で『彼と会えない』という事実だけで頭がいっぱいで……浮気なんて心配している余裕もなくて。

 でも、そう……か。

 遠距離……なんだもんね。私はいつも、スマホの画面の向こう側。言葉しか届かない距離にいて。陸太が寂しいときも、傍にいられるわけじゃない。もう陸太は女性恐怖症でもなくて、私以外の女の人にも触れるんだし。きっと、触りたい、とも思うんだよね。陸太の大学は共学だし……誘惑もたくさんあるだろう。そういうとき、陸太は――。


「やっぱり……つらかったりする?」なんて、弱々しい声が勝手に口から漏れ出ていた。「そういうの……我慢するのとか……」


 何を訊いてるんだろ……て、我ながら呆れた。言ってすぐ、後悔がぞわっとこみ上げてきた。

 つらい、て言われても、どうしようもできないことなのに。遠距離を辞められるわけでもないし、陸太と別れるつもりもない。モナちゃんならいいけど、生身リアルひととの浮気は……やっぱ、厭だ。つらいなら、他の人としてもいいよ――なんて、絶対に言えない。

 それなのに。こんなこと訊いて、どうするんだ。陸太を困らせるだけじゃないか。


「ごめん。なんでもない――」


 慌てて言って顔を上げた、そのとき。


「我慢も何も……つらくなったら、香月に会いに行けばいいだけだろ」


 私の言葉を遮るようにして、陸太は真っ向から私を見据えてはっきりとそう言った。


「今もこれからも、俺は香月にしか興味無ぇよ」


 あ――と、息を呑む。

 まただ。

 その言葉は、あまりに真っ直ぐで。まるで、心臓に直接打ち込んでくるかのようで。痛いほどに胸に響いて、たちまち苦しくなる。見つめられているだけで身体がじわじわと熱くなって、鳩尾の奥がズクズクと疼き出し、そんなふうに動揺してしまう自分が恥ずかしくて、「そっか……」とニヤケながら、つい、俯いていた。

 こんなこと、前は無かった。

 やっぱり、変わった――。 

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