第7話 訪問その二

『おいしいですね〜。こってりとして、歯ごたえもあって……』


 ふと目を覚ますと、ひんやりと冷たく硬い感触を頰に感じた。

 あれ――ここ、どこだっけ、て一瞬、分からなくて。

 ゆっくりと顔を上げれば、目の前には小さなテレビがあって、ツヤツヤ輝くラーメンの映像が流れていた。それを見覚えのないタレントさんが、聞き慣れないイントネーションでレポートしながら食べている。

 しばらくぽかんとそれを眺めて、そうだった、て思い出す。

 ――ここ、陸太の部屋だ。

 テレビ見ながら、ローテーブルに突っ伏して寝ちゃってたんだ。

 どれくらい寝てたんだろう。肩も凝って、足も痺れてる。横座りしていた足を伸ばしつつ、ローテーブルの上に置いておいたスマホを取る。

 もう夜の十一時を過ぎていて、『もうすぐ帰る』ってLIMEが陸太から来ていた。

 つい、クスッて笑みが溢れる。

 そのLIMEが来たのは、十五分前だから……そろそろなのかな、なんて玄関のほうをちらりと見ながら、『気をつけて』ってメッセージを送った。


 あれから、片思いを続けて四年――高二になってすぐの頃、菜乃に『一回くらい付き合え!』と半ば叱られる形で行った合コンで、陸太と鉢合わせしてしまった。本来なら、陸太が女性恐怖症を克服して、『俺』がいなくても大丈夫だ、て確信できたときに、ちゃんと自分の口で明かすつもりだったのに。まさか、よりにもよって合コンで出くわすなんて。最悪だと思った。もう二度と会ってはくれないんじゃないか、とも思った。

 でも、陸太は『私』と向き合ってくれた。『私』を知ろうとしてくれた。それで……大好きだ、て言ってくれたんだ。私が言うより先に。

 そうして、念願の陸太の『カノジョ』になって二年。私たちは大学生になり、初めて離れ離れになった。陸太は県外の大学に進んで一人暮らしを始め、もう四ヶ月になる。陸太の下宿先に来るのは今日が初めてで、いろいろと新鮮だけど……。

 ローテーブルに頬杖ついて、部屋の中を改めて見回す。

 カーテンはもちろん、デスクもベッドも新調したみたいで、見慣れないものばかり。それでも、きっちり整頓された生活感の無い部屋は、陸太らしくて――懐かしい、て感じるんだ。


「やっぱり、陸太の部屋だな」


 つい、そんなことを呟いて、フフッと笑っていた。


 そのときだった。


 ガチャッて物音がして、私は弾かれたように振り返った。

 キッチンのある短い廊下の向こう――玄関のドアがゆっくり開き、そうして現れた人影にドキンと自分でも呆れるくらいバカ正直に心臓が飛び跳ねる。

 衝動的に立ち上がって、


「おかえり」


 て、私は彼の元へ駆け寄っていた。

 黒縁メガネは相変わらず。ちょっと痩せちゃった感じもあるけど……でも、髪はさっぱり切って、子供の時のやんちゃな印象が戻った気がする。そして、私を見るなり、照れ臭そうに笑うその表情は、あの頃のまま、変わらなくて。


「――ただいま、香月」


 そんなたった一言で、たちまち、胸がくうーっと締め付けられてしまう私も……あの頃と、全然変わってないよな。


「大丈夫だった? ごめんな。せっかく来てくれたのに、一人にさせて」


 靴を脱ぎ、部屋の中へと入りながら、彼は申し訳なさそうに切り出した。


「バイトのシフトがどうしても変えられなくて……」


 つい、苦笑が漏れる。

 ――そのセリフ、今日、いったい、何度聞いたことだろう。

 新幹線で二時間。こっちに着いたのは昼前だった。駅に着き、改札を出るなり、「香月」って彼が満面の笑みで迎えてくれた。

 二ヶ月も生身の彼に会っていなかったから。触れたくてたまらなくて。手を繋いだだけでも、付き合いたてのときみたいに胸がいっぱいになった。それだけで、もう私の中で何かが爆発しそうで、その場で抱きつきたいくらいだったけど……必死に我慢して、駅の近くでお昼を食べ、観光も兼ねてぶらぶらデートして、夕方には陸太のサークル仲間の星野さんという人と会って一緒に夕飯を食べ――陸太の部屋に来てすぐ、陸太はバイトに向かった。

 夜はバイトがある、て聞いたとき、残念だ――と思わなかった、と言えば嘘になる。陸太とは一分一秒でも長く、傍にいたいと思うから。遠距離の今は、なおさら……。

 でも――。


「大丈夫」と、短くなった彼の髪にそっと触れながら、私は微笑んで言う。「おかえり――て言えたの、嬉しかった」


 そういえば、初めてだった。彼の部屋で彼を待つこと。おかえり、て言って、ただいま、て言われること。

 こういうのも良いなあ、て思っちゃったんだ。


「へ……」


 メガネの奥で目を丸くし、彼はぽかんとしてから、ふいに頰を赤らめて恥ずかしそうに笑った。


「ああ……俺もだ」


 納得したようにそう呟くと、彼は私の背中に手を回し、ぎゅっと抱きしめてきた。

 

「俺も――」と再び、熱っぽく囁く声を首筋に感じた。「家に香月が待ってると思うと嬉しくて、早く帰りたかった」

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