第5話 笑顔
ごくりと、思わず唐揚げを飲み込んでいた。
唐揚げ食べてる顔じゃないって……今、私、どんな顔して――。
「げ……元気ない……? そう?」
ははっと笑って見せたけど、陸太の表情は曇るだけ。疑いは深まっただけだとはっきり分かった。
笑顔もだめ? ちゃんと笑えてない? 顔、引きつってる?
まずい……。こんなこと、もうずっと無かったのに。
そりゃ、最初のうちは『男』のフリがまだ不自然で、『様子が変だ』って怪しまれたりすることもあったけど。段々と慣れてきて、嘘もごまかしも笑顔で隠せるようになった。張りぼてでも、『男らしさ』ってものは身につけたつもりで。必死に、なよっちい『私』を見せないようにしてきた。だから、陸太だって『俺』を頼ってくれるようになって……親友になれたんだ。
それなのに、バレた。元気ない、て……落ち込んでる、てバレた。
どうしよう。
そんなに――だったの? そんなに、私……弱ってる? 加賀先輩とのこと、そこまで気にしてるの?
「気のせいならいいけど……」
ややあってから、陸太はそれだけ言って、顔を前に向き直し、唐揚げをまた食べ始めた。
その横顔を見つめて、きりきりって胸の奥を抓られるような痛みが走った。
言いたくない――わけじゃない。それどころか、言いたい。本当は聞いて欲しくてたまらない。陸太に話したい。
加賀先輩とのこと。部活の先輩に思わせぶりなことしちゃって、勘違いさせたこと。そのせいで怒らせちゃって……女としての自覚が足りてない、て気づいて。でも、どうしたらいいのか分からないんだ。だって、『男』らしくなろう、とずっとそればかり考えてたから。陸太に近づくことに必死だったから。急に、女としての自覚を持て、なんて言われても、よく分からない。『女』として、自分が……『私』がどうあるべきなのか、ピンと来ないんだ。
でも、そんなこと、陸太に言えるわけない。だって、陸太は、そもそも私が女だって知らないんだ。それを知られちゃ……いけないんだから。
「実は、部活の先輩と……」と私は唐揚げを睨みつけるように見つめながら、絞り出したような声で切り出していた。「学校で、ちょっと口論になって……」
冷笑を零しながら、私はそれだけ打ち明けた。そこまでが……限界だと思った。
陸太がこちらを見るのが視界の端で分かったけど、振り返れなかった。目を合わせていつも通りに微笑む自信がなかった。とにかく、平静を装いたくて。口に唐揚げを詰め込んだ。
味も分からず、とにかく気を紛らわすようにはむはむと唐揚げを噛み続けていると、
「まじか」と隣で呟く声が聞こえて、「お前が? なんか……意外だわ。口論って、なんの?」
「いや……詳しいことは話せないんだけど……別に、大したことじゃなくて……考え方の違い、ていうか……」
意外――て言葉にぎくりとして、慌てて、そんなことを口にしていた。
たちまち、後悔と焦燥感がこみ上げてきて、胸の奥が焼けるように熱くなってくる。
まずった……かな? 『俺』らしくなかった? 怪しまれてる? 言うべきじゃ無かった?
だめだ。早く、話を変えよう――そう思って、陸太に振り返って「そういえばさ」なんて考えもなしに切り出した。
そのときだった。
「まあ、何があったか知らないけど、お前は悪くないから気にすんなよ」
なんの迷いもなく、陸太はさらりとそう言った。慰めるふうでもなく、励ます感じでもなく。まるで当然のことを口にするかのように。
「へ……」と惚けた声が漏れていた。
それは、あまりに……予想もしていなかった反応で。何を言われたのかも、一瞬、理解できなかったくらいで。
唖然として見つめる先で、陸太はニッと悪戯っぽく笑って、
「もし、その先輩に何かされたら、言えよ。俺のガラケーも電話くらいはちゃんとできるからさ。いざとなったら、一緒に殴り込みでもなんでもしに行ってやる。男同士は、拳で語り合ったほうが早いらしいからな」
なんつって、と照れをごまかすように言い足して、陸太は被っていたキャップを脱ぐとひょいっと私の頭に被せてきた。
「だから……ま、唐揚げ食って元気出せよ。そうやってお前が凹んでる姿を見るのも新鮮でいいけどな」
冗談めかしてそう言う彼は、あの頃のままに思えた。ちょっと恥ずかしそうにしながら浮かべる無邪気な笑顔も。ぶっきらぼうながらも、優しさが滲み出る言葉も。こうして、つらいときに傍にいてくれるところも。
陸太は全然、変わらない。
見た目が変わっても、雰囲気が変わっても、女性恐怖症になっても……やっぱり、陸太は陸太だ。子供のときのまま、変わらないでいてくれる。それが嬉しくて……そういうところが、やっぱり好きだな、て思って、もっと――近づきたい、て思った。
――て……え?
何、今の? もっと近づきたいって……何?
もう充分……近いのに? こんなにすぐ隣にいるのに? 親友になれたのに? これ以上、近づくって……。
「なんだよ、ジロジロ見て?」
眉根を寄せ、怪訝そうに言う彼の顔はやっぱりすぐそこにあった。表情もちゃんと見える。視線も追える。声だってしっかり聞こえる。話すには充分な距離。それなのに……足りない、なんて思ってしまう。
もっと近づきたい、て思ってる。彼に、触れたい――て。
ドクン、て心臓が大きく波打って、「あ……」と気の抜けた声が溢れた。ふわって体が浮くような感覚があって、思わず、唐揚げを持っていた手から力が抜けた。
ぽろりと手から抜け落ちそうになった容器を、「え、うわ……」と慌てて両手で持ち直す。
危なかった……とホッとしながらも、心臓はばくばくと騒いだまま、収まる様子はなくて。顔がじわじわと熱くなっていく。
なに、これ? 緊張と……高揚感が混ざり合ったみたいな。試合の前みたいに……身体が興奮してる。唐揚げを落としそうになったから……じゃないよね。
「なにやってんだよ? 今日はほんと変だな、お前」
からかうようなその声に、ゆっくりと振り返る。
「大丈夫かよ?」
困ったように笑うその顔には、やっぱり、まだあの頃みたいなあどけなさが残ってて。
鳩尾の奥がきゅうっと締め付けられる。
はわあ、かわいい――て、思ってしまった。
※他校に殴り込みという行為を、推奨する意図も、美化しようという意図もございません。陸太の冗談として描いています(香月もそれを分かっているように表現しているつもりですが、伝わりづらかったら申し訳ありません)。ご了承ください。
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