第3話 追憶
『なんでいつも一人でいんの』
不躾に彼はそう訊いてきた。
ホッケークラブに入会して間もない頃。男だらけのチームになじめず、リンクサイドでぽつんと一人でいたときだった。
まだ小学校入りたてで、六歳だったそのときの私は、年の離れた兄たち――特に十も離れた一番上の優希兄ちゃん――に甘やかされていたところもあって、一人でどうしたらいいかも分からず、そういう状況に自分が置かれていることに多少のショックもあった。
ただでさえ惨めだったのに。まるで追い討ちをかけるように、話したこともない男の子にそんなことをはっきり言われ……泣きそうになった。
きっと、あからさまに涙目になっていたんだろう。
その子は、あたふたと見るからに焦りだして、『一緒にやろうぜ』って私の手を引いて、他のチームメイトのところまで連れて行ってくれたんだ。
それが、陸太だった。
おかげで、その日、少しだけど他の男の子たちとも話せて、すごく嬉しくて……彼に『今日は一緒にいてくれてありがとう』ってお礼を言いに行った。そしたら、彼はものすごく怪訝そうな顔をしてから、
『お前、なよっちいな、男のくせに』
皆の前で、無邪気に笑ってそう言ったんだ。
それがきっかけだった。その日から、私は週に二日、一時間半だけ、『男』になることにした。
でも、だからといって、すぐに『男』になりきれるわけもなくて。ホッケーの練習中でも学校でも、周りの男の子たちを観察して必死にマネしようとしたけど、どうしてもぎこちなさと不安が残って、結局、それからしばらく経っても、一人で皆の輪に入る勇気が出なかった。
そんなときだった。
相変わらず、練習前にリンクサイドで一人で時間を潰していたら、陸太がやってきて、
『なんで、皆のとこに行かないんだよ』
また、歯に衣着せぬ言い方で、訊いてきた。
男のくせになよっちい、て前に言われていたし、また弱さを見せたら、女だ、てバレるかもしれない……なんて思ったけど、我慢できなくて――。
『怖いんだ』
せめてもの強がりで、笑みだけは必死に繕って、そう打ち明けた。
すると、陸太はまた怪訝そうに顔をしかめて、
『お前、滑ってるときはすげぇ格好いいのにな。
ぽいっと雑に放り投げるような……そんなぶっきらぼうな言い方。それなのに、たまらなく心に響いた。胸がぐっと締め付けられる感覚があって。また……ちょっと泣きそうになった。
嬉しかったんだ。陸太に、『格好いい』って言われたことが。
顔が真っ赤になっていくのが分かって、恥ずかしくて俯いた。『ありがとう』って言葉が声になるより先に、陸太は私の手を掴んで『ほら、行こうぜ』と引っ張っていってくれて――。
『大丈夫だって。皆、いいやつだし。おれが一緒にいてやるからさ』
振り返った彼は、ニッと歯を見せ、照れたような……それでいて、得意げな笑みを浮かべてそう言った。
その無邪気な笑みに、不安が吹き飛ばされるようで。手を握ってくれるその力が心強く感じて。肌寒いスケートリンクで、ぽっと身体が温まるような感覚がした。
気づいたら笑みがこぼれていて、『ありがとう』って言葉が今度はちゃんと口からぽろりとこぼれ落ちていた。
すると、陸太は億劫そうにため息吐いて、
『そういうとこが、お前はなよっちいんだって』と呆れたように言った。『別にいちいち、ありがとう、とかいいんだよ。――友達だろ』
友達――初めて、陸太の口から聞いたその言葉に、心が震えた。やる気が満ち満ちてくるような高揚感があって、すごく誇らしくなった。
陸太に手を引かれながら、防具を中に着込んで、小学生とは思えないほど大きく見えるその背中を見つめて、もっと近づきたい、と思った。もっと陸太と仲良くなりたい。リンクの中でも、外でも、格好いい、て陸太に思ってもらえるようになりたい――て、そう思ったんだ。
そうやって、私はずっと陸太に憧れてきた。陸太みたいな『男』になりたい、なんて思ってた。
やがて、小六になって、ウイングの私とセンターの陸太は、得点源としてチームに頼られるようになっていた。氷の上でも陸の上でも信頼しあえる関係になり、なんでも気兼ねなく話せるような仲になっていた。――私が女だ、ということ以外は。
小六ともなると、自分がしていることの恐ろしさ……みたいなものが、はっきりと分かるようになっていた。陸太や他のチームメイトと仲良くなるごとに、心と体が成長していくごとに、罪の意識が重くのしかかってくるようで。
いつか、言わなきゃ、とずっと思っていたのに、思えば思うほど言えなくなっていった。六年も騙していたことを堂々と皆に言えるほど、私は強くなれなかった。
だから、小学校を卒業するとき――ホッケークラブを辞めるとき、そのときこそ、ちゃんと皆に言って謝ろう、て心に決めた……はずだった。
でも、結局、それもできなかった。
女だ、て明かすより先に、私は知ってしまったんだ。親友の秘密を。
――小六も後半に差し掛かったころ。陸太が、突然、クラブに来なくなった。ホッケーが大好きだった陸太が練習をサボるなんてあり得ない。何かあったんだろう、て心配になって、私は彼に電話した。何かあったの、て聞いたら、彼は何度も何かを言いかけては躊躇って、最後に悔しそうな声で打ち明けてくれた。――女子が怖い、て。
いつも自信に満ちていた彼の声が、あまりにも脆く聞こえて……ひび割れたガラスみたいに今にも崩れ落ちそうな心が目に見えるようで。
ただ事じゃない、てすぐに悟った。
傍にいなきゃ、て思った。だから、『俺』でいよう、て決めた。今、彼が必要としているのは、私じゃなくて、『俺』だと思ったから。彼が立ち直るまでは、彼の前では男のフリをし続けよう、てそのとき、決めたんだ。
陸太がそうしてくれたみたいに――今度は、『俺』が陸太を支えたいと思った。
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