第2話 救出

 コンビニの隅っこでその姿を見つけた。

 トイレの前、ドリンクが並ぶ棚を背にして、お父さんから譲り受けたという古いガラケーを見下ろしながら彼は佇んでいた。

 黒縁眼鏡をかけた、私と同い年の男の子だ。背は私より低いくらい。グレーのロンTに黒のデニムパンツ姿で、無駄のないすっきりとした体型をしている。

 スポーツ少年らしいさっぱりとした短い髪に、生気みなぎる瞳は溌剌として輝き、まだ幼さの残る顔立ちには、いつも無邪気な笑顔が浮かぶ。そういう子――。ほんの数ヶ月前までは……。

 今では、その黒髪は額を隠すほどに伸び、重たい印象に変わった。ガラケーをじっと見つめる瞳は憂いに沈んだように暗く陰って、メガネのレンズの奥に閉じこもり、その顔には幼さとは程遠い険しい表情が浮かんでいる。

 まるで別人みたい……て言ったら、大げさかもしれないけど。そう感じてしまうほど、私にとってそれは『彼らしくない』姿で。こうしてその姿を前にするたび、焦りと不安に胸がかき乱されるようだった。

 とりあえず、無事、彼を見つけられたことに安堵しつつ……気持ちを切り替えるように息を吐き出し、口元に笑みを浮かべ、


「や、陸太。迎えに来たよ」


 彼に歩み寄り、そっと声をかけると、彼――笠原陸太は弾かれたように振り返って、青白かった顔をぱあっと晴れやかに輝かせた。


「カヅキ!」と、歓喜に満ちた声をあげ、彼は飛びつかん勢いで私の両肩をがしっと掴んできて、「ありがとう、まじでありがとう! そろそろ、俺を見る店員の目にも殺気のようなものが満ち始めていたところだったんだ」

「大げさな……」


 苦笑しつつ、ちらりとレジの方を見れば、確かに……コンビニの制服を着た三十代ほどのふくよかな男性が、疲れた顔に苛立ちのようなものをにじませて、こちらを睨みつけている。


「まあ、殺気……とは言わないけど、あまり機嫌は良くなさそうだね」


 陸太に視線を戻し、私は安心させるようにフッと笑って言った。


「いや、まあ……一時間近く、ここで突っ立ってたら、ウザいよなあ、と自分でも思うからな」

「一時間……か。ごめん。遅くなった」

「は!?」ぎょっとして、陸太は私の肩から両手を離した。「何言ってんだよ? わざわざ、来てくれたんだ。それで充分……てか、がいなくなるまで、電話の相手してもらおうかと思っただけだったのに。まさか、来てくれるなんて……」


 あの人たち――と言って、躊躇いがちに陸太が視線をやったのは、駐車場に面した窓のほうだった。その向こうに誰がいるのか、振り返らずとももう分かってる。電話で彼から聞いていたし、それに、コンビニに入ってくるときに自分の目でもしっかり見てきた。

 コンビニの入り口のすぐ脇で、地べたに座り込んで話していたのは、五、六人の女子高生らしきグループ。彼の言葉を借りれば、『派手な見た目のギャルっぽい人たち』だった。

 なるほど、これじゃあコンビニから出るに出られないよな……とコンビニに着くなり、その状況を目の当たりにしてじみじみと思った。彼にとっては、出口で恐ろしい猛獣が群れを成して待ち構えているようなもの……だろう。

 もっと、早く来てあげられてたら良かったんだけど……。

 もともと、家は遠い上に、彼に会うにはどうしても支度に時間がかかる。髪をワックスでセットして、体のラインが目立たないようにパーカーとカーゴパンツに着替え、黒のキャップを被って駅まで猛ダッシュ。電車に飛び乗り、鈍行に揺られること約二十分。五駅先の彼の家の最寄駅に着くと、そこからまたしばらく走って――と、結局、電話を切ってからここに辿り着くまでに五十分近くかかってしまった。

 もちろん、それだけ時間がかかるのは分かっていた。その間に『ギャルっぽい人たち』が立ち去って、彼がコンビニから抜け出せていたら、それはそれで良い。陸太から連絡が来たら、引き返そう――と思っていたんだけど……。


「あの人たちも一時間も何を話すことがあるんだ」疲れと呆れが混ざったような声で、彼はぼそっと呟いた。「ほんと……つくづく、分かんねぇよ。女って」


 ハッとして――すぐにそれを……その動揺を隠すように笑みを作って、「陸太」と私はすかさず切り出した。


「早く行こうぜ。これ以上、ここにいたら、陸太、出禁食らうよ」


 冗談めかして言うと、「ああ……確かに」と陸太は皮肉げに笑った。


「でもな……出入り口はあそこしかないし。出ようとすると、あの人たちの横を通り過ぎなきゃいけないわけで……俺にはちょっとハードルが高すぎるっていうか――」

「だから、が来たんだろ。俺が陸太の腕を引いて外まで連れて行くよ。――陸太は目でも瞑って、俺に付いてくればいい」

「目を瞑って……!? いや……気持ちは有り難いけど、さすがに恥ずかしいっつーか……『何やってんの?』って、逆に目立って注目を浴びそうな気が……」

「大丈夫」


 得意げに笑って見せ、私は被っていた黒キャップを脱ぎ、それを陸太に目深に被せた。


「これで気にならないだろ?」


 すると、しばらくぽかんとしてから、陸太は「おお」と感嘆のような声を漏らし、


「なるほど……! さすが、カヅキ。天才だな!」

「天才って……ただ、陸太のマネしてるだけだよ」


 呟くようにぽつりと言うと、陸太は「は?」とキャップのツバの影の中で不思議そうに目をぱちくりとさせた。


「俺……帽子、お前に貸したことあったか?」

「いや、そういうことじゃなくて……」クスッと笑ってから、私はごまかすように言う。「――なんでもない」


 彼は……笠原陸太は、小一のとき、アイスホッケークラブで出会った男の子で、私を男だと勘違いした張本人。

 もう、お互い、クラブを抜けたけど、それからもずっと連絡を取り合って、こうしてたまに会っている。

 幼馴染で、一番の親友――だけど、彼は『私』を知らない。小一のときからずっと彼は私を『男』だと思ったままだ。

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