0章【番外編・ヒロイン視点】
第1話 悪女の噂
※※前書き※※
香月視点の番外編です。前日譚とちょっとだけ後日譚もあります。
ラブコメよりは恋愛ものになるかと思われます。鬱展開は無く、もちろんハッピーエンドですが、シリアス寄りになると思いますのでご注意ください。
※※※※※※
「男好きの悪女――だって。ウケるんだけど」
朝、登校して席につくなり、キリッとした顔立ちの同級生が、前の席にどかっと座って、そんなことを言ってきた。少し前までは長かった黒髪は、今はすっきりとしたボブヘアに変わり、テニス部らしい快活な印象に変わっている。紺のセーラー服によく映える赤いスカーフは、胸元でふわりと可愛らしくリボンの形に結ばれて、中学に入学して一ヶ月――こなれた感じになってきた。
彼女をちらりと見てから、カバンの中身を机の中に移しつつ、「誰が?」と訊ねる。すると、彼女――小四のときからの友人、
知ってたけど……。
「はっきり言ってくれるなあ」
ムッとして見つめる先で、菜乃は「まわりくどいのは嫌いでしょ」とけろっとして肩を竦めた。
「よりにもよって、なんで加賀先輩にちょっかい出すかなぁ」
「ちょっかいなんて出してない」
「ちょっかい出したことになってんの。噂では」
呆れの滲んだ声で鋭く言って、菜乃は私の机に頬杖ついた。
「加賀先輩って格好いいし、人当たりも良いみたいで、三年の先輩たちの間でかなり人望あるらしいよ。だから、皆、加賀先輩の言うことを信じちゃうわけ。先月、入学してきたばっかの
「どうするって……」
訊かれても、困る。私だって、まだ、状況を把握しきれていないんだ。
――一昨日のことだ。中間テスト前の最後の部活の日だった。練習の後、ハードルを片付けてたら、いつのまにか、陸部の先輩で部長の加賀先輩と二人きりになっていて……着替えて昇降口に向かってみれば、加賀先輩が待っていた。もう暗いから送っていく、て言われて、断る理由も思いつかなくて。並んで歩き出そうとしたとき、するりと手のひらに骨張った指が滑り込んでくるのを感じた。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
とにかくびっくりして、その手を払いのけて……見上げた加賀先輩の顔が、見たことないほど歪んでいるのが分かって――そのときになって、ようやく、先輩の下心というものに気づいた。
そこからは……あまり、思い出したくない。
ただ、昇降口に響き渡った先輩の怒号が耳にこびりついて離れなくて――。
「『思わせぶりなことするな』なんて言われても……そんなことした覚えがないんだ」とため息交じりに弱音のような言葉が漏れ出ていた。「どうしろ、て言うの」
「ほんと……中学入って早々、災難よね」
慰めるように言って、菜乃は私の頭をぽんぽんと撫でた。ただ、その表情は険しくて。何か言いたそうな雰囲気があった。私はそんな菜乃をしばらく観察するように見つめ、「『でも』……?」と促す。
バレたか、とでも言いたげに菜乃は苦笑して、「でも……」と私の言葉を引き継いだ。
「あんたはあんたで、ちょっと自覚が足りないところがある……とは思う。加賀先輩に限らず、ね」
「自覚……?」
「女としての自覚よ」と菜乃は難しい表情で、重々しく言った。「あんたって、男兄弟がいるからか……小学生のときから男子と仲良かったでしょ。昼休みもよく男子に混じってドッジボールやったり、サッカーやったりして……。あのころは、『男女分け隔てなく、誰とでも仲良くできる子』――で済んでただろうけどさ。今は、もうそうはいかないんだよ。私たちも中学生なんだしさ。あんたが親しげに話しかけただけで期待する男も出てくるし、そうやって、男子と仲良くしてるあんたを見て、『男好き』だと思う奴だって出てくる。特に、あんたは可愛いしさ……反感も買いやすいんだよ」
「可愛いって……私、お兄ちゃんにそっくりで――」
自嘲するように苦笑して言った私の鼻を、菜乃はむぎゅっと掴み、
「そのお兄ちゃんもイケメンでしょーが! そういうとこも自覚ないんだから!」苛立たしげにそう言ってから、「とにかく――」と菜乃は畳み掛けるように続けた。「たとえ、あんた自身は変わらなくても、周りは変わっていくものなんだよ。周りがあんたを見る目が変わるの。だから、いつまでも小学生のノリじゃダメってこと。もう少し、意識しな!」
* * *
意識しろ、か――。
家に帰ってからも、菜乃のその言葉は胸に突き刺さったままだった。
言われてみれば、そうだったかもしれない……なんて思い始めていた。菜乃の言う通り、私は自覚が足りて無かったのかも。
男兄弟がいるから――て菜乃は理由づけていたけど、たぶん、それはそこまで重要じゃないと思う。原因になりそうなことは他にあって……それは、まだ菜乃にも話したことがないことだった。
――きっかけは、小一のときに入ったホッケークラブで、ある男の子に性別を間違われたことから。そのまま、私は男のフリをするようになって、それから、週二の一時間半だけ、六年も『男』として振舞った。最初は不安で緊張していたけど、そのうち、慣れてきて……たぶん、慣れ過ぎてしまったんだ。
男子の中に混じってわいわいやるのが当たり前になっていて。そんな自分になんの違和感も覚えなくなって。居心地が良いとさえ感じるようになっていた。
いつのまにか、狂っちゃってたのかもな。異性との距離感……みたいなものが。だから、先輩を勘違いさせるような……『思わせぶり』なことを、無意識にしてしまっていたんだろうか。
とはいえ――。
私は自分の部屋で机に向かいながら、テスト勉強に取り掛かるわけでもなく、頬杖ついて窓の外を眺め、うっすら色づいてきた空を見上げていた。
幸い、今はテスト前で部活は無い。しばらくは、加賀先輩と――校内で出くわさない限りは――顔を合わせることはないだろう……けど、気が重い。
部活が再開したら、どうしよう? 加賀先輩に謝るべき? でも、なんて謝ればいい? その気もないのに、思わせぶりなことしてすみませんでした、て……? それもどうなの?
「うーん……」
なんか……しんどいな――。
机に突っ伏し、目を瞑る。もう考えるのも疲れてきて、このままふて寝でもしようか、と思ったとき、ブーと机を通して振動が額に伝わってきた。
ハッとして顔を上げれば、机の上でスマホの画面が明るくなっていて……そこに表示されていた名前に目を見開いた。
もやもやと思考を覆っていた暗雲のようなものが、一気に吹き飛んだようだった。一瞬にして、悩んでいた全てのことが『どうでもいいこと』に変わって、私は文字通り無心でスマホを取っていた。そして、電話に出るなり、
「陸太――どうかした? 大丈夫?」
つい、早口になって訊ねていた。
こうして、陸太から電話が来るときは、遊びの誘いか、何かあったとき。今はテスト前だから遊びの誘いはまず無いはず。だとすると、間違いなく、これはSOSの連絡だ――と電話が来た時点で確信できていた。
『カヅキ……』
強張った息遣いが伝わってくるような、そんな間があってから、心配していた通りのひどく緊張したような声が聞こえてきた。
『まずいことになった。――コンビニから出られない』
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