第15話 味方

「ス……スマホ?」


 いきなり……なぜ、スマホ?

 きょとんとしていると、典子さんはうっすらと目を細め、憫笑のようなものを浮かべた。


「カヅちゃんは何があっても君の味方だろうけど……だからこそ、カヅちゃんには言えないこともあるでしょう。どんなに捩じくれてようと、樹さんはカヅちゃんの実のお兄さんだものね。

 だから、私の連絡先、教えるわ。また、樹さんと何かあったら連絡して」


 思わぬ典子さんの申し出に、俺は呆気にとられた。そして、確かに……と心の中で呟いていた。

 俺と樹さんの間に何かあれば、きっと、香月は俺を庇う。それで香月が樹さんと兄妹喧嘩なんてことになったら俺は厭だ。そんなことを望んでいるわけじゃない。

 そもそも、香月は樹さんが俺の女性恐怖症を疑っていることも知らないわけだし……樹さんとのことは香月には相談できない。それどころか、知られないようにしないといけないんだよな。香月に何も悟られないうちに、樹さんにカレシとして認めてもらわないと……て、結構、難易度高そうだけど。やるしかない。これも、香月のためだ――と思えば、不思議と苦じゃなくて。力が湧いてくる。

 それに……と、俺は改めて典子さんを真っ向から見つめた。

 前だったら、きっと、俺はここまで言ってくれる典子さんのことさえ疑っていたんだろう。どれだけ、樹さんから庇ってもらおうと、『女だから』って理由だけで信じようとしないで……『何を企んでいるんだ?』なんて警戒して、その厚意にさえ怯えていたに違いない。

 クソ野郎だったな――と、今なら分かる。


「典子さん」と改まって言って、俺は頭を下げながらスマホを典子さんに差し出した。「――お願いします」

「素直でよろしい」


 満足げに言って、典子さんは俺の手からスマホを受け取った。

 ただ、スマホを渡しただけなのだが。一仕事終えたような――なぜか、そんな達成感を覚えつつ、スマホの画面をタップする典子さんを眺めていた。

 そんなとき、


「ああ、そうだ」と、典子さんはタップを続けながら、ふいに思い出したように言った。「樹さんが愚痴ってたの」

「な……なにをですか!?」


 ぎくりとして、たちまち、体が強張る。『樹さんが愚痴ってた』って、俺にとっては、もうこの夏一番の怖い話だよ。


「君の家、スケート場の近くなのよね? 一度、カヅちゃんが、練習の前に君の家に寄りたい、て樹さんに言ってきたらしいの。でも、当然、樹さんは嫌がってね、『俺はAnizonか!』って一蹴したみたい」

「あ……兄ぞん……?」

「荷物運びは嫌だ、て意味でしょう。カヅちゃんが君の家に寄るとなれば、樹さんは練習時間に合わせて防具だけをスケート場まで運んで、カヅちゃんに渡すことになるから。――まあ、それ以前に、樹さんは、カヅちゃんが君の家に行くこと自体、気に入らないんだろうけど」

「そう……だったんですか」


 知らなかった。

 ウチからリンクは近いんだし、練習前に勉強でも仮眠でもしに来ればいい――なんて、告ったときに伝えたはずだったのだが……。ハーデスの練習見学を拒まれた上、その後、香月が練習前に会いに来る気配もなく。寂しくは思いつつも、夏休み前で平日は学校もあったし、スケジュール的にも体力的にも難しいんだろう、と深くは考えていなかった。でも……そっか。香月は来ようとしてくれてたんだ――なんて、それだけで嬉しくなってニヤケてしまいそうになった。


「もちろん、君とこうして会う前は、君のことを『クソ野郎』だって聞いてたから、そんな子の家にカヅちゃんを行かせることに私も賛成はできなかった。でも、今は……応援してあげたいと思うわ」


 タップしていた指を止めると、典子さんは顔を上げ、すっと俺にスマホを差し出してきた。


「あとでカヅちゃんと相談して、練習前に会いたい日があれば教えて。毎回とはいかないけれど、たまになら私も予定を合わせられると思うから」

「予定って……」

「樹さんも、私とのなら『荷物運び』も喜んでするでしょう」


 まるでなんでもないかのように――明日の天気でも話すかのように――典子さんは抑揚のない声でさらりとそう言い切った。

 デートついでに『荷物運び』って……つまり、樹さんと一緒に、香月の防具をスケート場まで運んでくれる、てことか? わざわざ俺らが会いたい日に合わせて、樹さんとのデートの予定を入れて……?

 そこまでしてくれるなんて――。

 申し訳ないような、不甲斐ないような。でも、それ以上に、ぐっと鳩尾の奥から込み上げてくるものがあって……。


「ありがとう……ございます」


 噛みしめるように言って、俺は典子さんの手からスマホを受け取った。


「どういたしまして」


 典子さんは穏やかな眼差しを浮かべて、おっとりとした口調でそう言った――かと思えば、


「ところで、大丈夫よね?」

「は……い?」


 また、いきなり……なんだ!?


「さっきの樹さんの戯言、真に受けてないわよね?」

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